第三話「多元視線」
翌日の学校で木徳直人は気まずかった。
休み時間の教室の様子はいつもと同じ。湯田黄一はトイレに行っている。
心中が渦を巻いていたのは変な悪夢を見たせいだ。飛んだ記憶もまだ尾を引いている。
関係者がいる方をさりげなく意識した。
女子複数によるお喋りの輪。混じっているおしとやかな態度の黒川美月。
悪夢の黒川ミズチの淫乱さと敵意、美月の好意と悲しみは見受けられない。
――気にしすぎだ。断ち切れ。
最近積み重なったストレスの影響。だから痣も治りが遅い。簡単に結び付けた。
学校での二人は視線の交わりもない。
同盟関係以後も変わらなかった。
彼女の立ち振る舞い方を、彼は半ば呆れ、同時に感心もしていた。
――僕とは違う。徹底してる。一種の達人だ。
それとも結局、異常すぎるだけか。
携帯電話を取りだす。
ミズチ宛にメールを打つ。
Sub【】
『昨日の事で話があるから放課後にアジトで』
連絡方法にも慣れた。
今では件名も空欄で送信――
送って数分もせずマナーモードの携帯電話が微小に振動する。
案の定彼女からのメール受信。
Sub【Re:】
『(^^)/ なんだろー? 私が遅れても待っててね♪』
相変わらず返信が速い。連絡に関してはマメな女だと直人は思った。
戻ってきた湯田に後ろから左肩を叩かれて、彼は談笑へと入る。
*
神内高校二年の
それは暴力事件を起こしたり警察の世話になるだとか、本格的に素行が悪いのではない。
学校中の窓ガラスを割る、バイクで暴走する、生活がベストセラー本で話題になる。どれも当てはまらない。
精々隠れて酒や煙草をやるか、深夜に遊びへ出かけて騒ぐ程度。
何より本人が自身を不良だとは思っていなかった。
髪型をサイドダウンにしている彼女は、自身を一種のワイルド系だと捉えている。
例えばイーガン・フィックス――
イーガン・フィックスとはハリウッド女優である。同時にレイの憧れの人物でもあった。
とはいえ、イーガンが身体に入れている
見える範囲の人間、少なくともクラスメイトより活発なだけだ。それは大人や社会への反抗も含めて。
彼女の理想の女像はワイルドなだけではない。色気も備えている。
イーガンがそうだからだ。準じてレイも自身の生き方を大方は掴んでいた。
幸運と努力の
だが特筆すべきは、彼女が直人達のクラスメイトである点だ。
レイは本日も教室で友人らと
そういう場での彼女は意外にも余り話さないタイプだ。
顔見知りと遊びはすれど、人付き合いの一環。どちらかといえば群れる人間でもない。
「あたしの彼氏がさぁ、これがまたダサくて――」
「ぎゃははは! それウケるぅ」
「いいじゃん、可愛いよぉ。あーしの彼氏なんてぇ、」
その手の軽い話題も苦手だった。
友人達と違って恋人もいない。
少し感傷的になって呟く。
「彼氏か」――ウチにも恋人がいたら楽しいかな。
レイも願望は持ち合わせていた。
「どったの? レイちん」
「あ、なんでもないわ。どうぞー」
例の如く談笑を聞く側の彼女は、聞きながらもふと教室を見回す。
葛葉が属する二年C組にはいくつかのグループが存在した。
まず黒川を中心に据えた最上流グループ。通称「黒川組」だ。
次に不良系とギャル系の混成からなるパワフルな女子の中流グループ。余り話さない彼女の立場は末端。
特に個性が垣間見えるのはこの二つの女子グループだった。
他は黒川組から漏れた女子少数の上流グループ。
最後は女子の大半が属すフリーゾーン的な役割の中流グループ。
女子には下流グループは存在しなかった。不運にもゾーン外の女子が孤立を味わう程度の環境。
男子にも層があり、上流グループは女子の上流中流層と交流を持つ少数派。
大半の男子が属すのは中流下流層のいくつかのグループ。
木徳と湯田のコンビは下流の末端、他グループとの接点も余りない。
二年C組の男子には女子と比べて個性的なグループもなかった。
それだけ平和だったが、男子全体で活気はない。まるで現代社会を現しているクラスだった。
レイの目が黒川組で止まった。
当方と同じで雑談に勤しんでいる。
彼女が見ていると、黒川はグループの中心的存在でありながら主に聞き手だと感じた。
――ウチと一緒だな。
グループが違えど対応はどこか似ている。
性格は全く違うはず。けれど妙に親近感が湧いた。
もしかしたらどこかが似てるのか、不思議な物を見る目で黒川の様子を眺めた。
目線の方向を変えたレイの視界に一人の男子が映った。
彼は誰かを見ている。その目線の先を追う。
追った先には黒川の笑顔があった。
――同じだ。さっき見てたウチと。
視線を男子へ戻す。
仲の良い男子と会話を始めていた。二人が一緒にいるのはよく見かける。
彼女は気紛れにまた黒川の顔を見た。
黒川の視線が先程の彼へ向いている。
一瞬だけだった。
今はもう男子を見ていない。
――またウチと一緒。けどこれって。
不覚にも心臓の高鳴りを感じた。
――なんだろう。なんかありそう。
レイは二人の交わらない視線が妙に気になった。
*
至極普通の佇まい。秘かに備えた可憐さ。
かく形容するに相応しい女子生徒の躬冠泉は、とある事情から授業の内容が頭に入らなかった。
視線が中空をさ迷う。
目を伏せれば机を見つめ続けた。
兄が帰宅しなくなって四日経つ。
妹の彼女から元気が失われたのも数日前から。
彼は学校にも来ていなかった。泉は三年の兄の教室に出向き登校の確認もとっていた。
彼の人柄や生活を知る彼女にとって今の状況は到底受け入れられない。
――ズル休みさえない人が学校を不登校? ましてや連絡もなしで帰ってこないとかありえない。
司郎は秩序立って生きてきた。周りから完璧な男と呼ばれるぐらい強
そう考えながら混乱していた。
不可解な事だらけだと感じる。
「絶対ありえない」
泉の席は黒板に近い前方。
生徒は書き取りの最中で、若い男性教諭の
「何か言ったか……?」
即座に体裁を整え小声で返す。
「すみません。なんでもないです」
――失踪としか思えない。それとも何かの事件に、
「悩みがあるなら先生がいつでも聞くぞ、個人的にな……」
最後の節は周りに聞こえない程度の甘い囁きだった。
容姿も良い織田という男は、明らかに彼女を女として見ている。
織田からはたまにアプローチをかけられるが、普段なら受け流すか無視をして取り合わない。
今は単に雑音が彼女の耳へは入ってこなかった。
警察に捜索願を届け出る旨は既に両親から聞かされている。
――彼のプライドが傷つくよ。
泉は歯ぎしりした。悔しい気持ちが止まらない。
――いてほしかった。変わらずにずっと。
校内で司郎に関わらなかったのは彼の高い立場を傷つけない為だ。
世間体の重要さや妹としての振る舞いの奇異さは、彼女自身が重々承知している。
――なのにどうして。家でだけ世話を焼いてたのに。なんでいなくなっちゃったのよ。
眉目秀麗の兄とは違い、愛らしい容貌。けれど裏腹に、泉の内面は
皮肉にもこうなって初めて理解した気持ちもある。
――本当に愛してたんだ。私は兄を。
真に性愛だった。
同時にその精神は司郎の喪失で安定を失いかけていた。
闇がつけ入る、隙間が生まれる。
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