ジョシュアは、山に登る!
日はすっかり赤くなって、建物と僕らを照らしている。そんな中、『街道』をまっすぐ歩いた僕らは、大きな門の前に立っていた。
大きな、大きな門だ……!
縦も横も、フェンリルが口を開けたのと同じくらいあるんじゃないかな……!
西日を受けて赤に染まっている門を見上げて見上げて、そしてポテンと尻もちをついた僕を、門番の人間がクスクス笑って見ている。
「やあ、奇妙な顔の坊ちゃん。ここに何の用かな?」
低くて優しい声に、僕は慌てて立ち上がった。それから、アナベルくんに事前に言われていた通り、首に下げたギルドカードを門番の人間に見せつける。それを見たらしい門番の人間は、ちょっと驚いたような顔をして見せた。
「おお、ギルドカードだね。そんなに小さいのによく冒険者になれたものだ」
「えっと、トスファって街で冒険者になりました! 僕は嘘ついてません!」
胸を張る僕の前にしゃがみこんだ門番の人間は、僕のカードの表面を透明な宝石で撫でて、それから僕の後ろ――ラウネさんとアナベルくんに目を向けた。
「ふむ、後ろの魔物は、君の従魔だね?」
「はい!」
「あの
門番の人間の顔がほんの少し青くなる。アナベルくんはニヤニヤ笑いながら、でも何も言わずにプカプカしていた。僕は人間に向き直り、その手にあるキレイな宝石が緑色に輝くのを眺めていた。と、人間もアナベルくんから目を逸らし、宝石を見たようだった。
「……ふむ。ギルドカードも本物のようだ。一応、門を通る許可は与えられる」
「やったー!」
「ただ、一つ聞かなければならないことがある」
きょとん、と首を傾げる僕の後ろで、ラウネさんが身構えたような気配がした。僕がちらりと振り返ると、彼女は動きそうになるツタを必死で抑えている。と、門番の人間は苦笑したようだった。
「君のアルラウネは随分心配性というか、君の事を大切に思っているようだな。別に、変なことを聞くつもりは無いよ。規約として、神山へ向かう理由を聞かなければいけないんだ」
それで、と門番の人間は立ち上がって僕を笑顔で見下ろす。
「神山へは、何をしに?」
僕はなんて答えればいいかわからなかった。
だって、そのまま真実――つまり、勇者を探すために山に登りたいです! と言ってしまったら、なんで勇者を探しているのかも聞かれてしまう。僕だって、それくらいはわかるんだから!
えっと、えっと……と言葉を探す僕の代わりに、人間の言葉に答えたのは、アナベルくんだった。
「観光だよ、かんこー。ギルドカードにこいつの情報が載ってただろ? 森で生まれ育ったジョシュアはさァ? お前らと違って、神山だって物珍しいんだよ」
いいからさっさと通せ、とシッシと虫を払うようなポーズをするアナベルくんに、門番の人間の頬がひくりと動く。どうやらアナベルくんの態度に怒っているようだ。けれど、アナベルくんが「なんか文句あるぅ?」と顔を寄せて人差し指を立てそこに魔力を貯め始めると、顔を真っ青にして僕らに道を開けてくれた。
僕は大きな門の前に立って、それから首を傾げてしまった。だって、この門、どうやって開いたらいいんだろう? 僕の力だけじゃ開けないくらい大きいんだけど……とまごまごしていたら、後ろから人間の声が聞こえてきた。
「そこの宝石にー、ギルドカードをかざすんだー!」
遠い声に振り向いたら、門番の人間が僕に身振り手振りを送っていた。
そこそこ! と言うように指さされている方向を辿れば、扉には綺麗な宝石が嵌め込まれている。ちょうど、僕の背の二倍くらいのところに鎮座する宝石は、赤い夕陽を受けてもなお綺麗な金色に輝いていた。
「あれですかぁー!」
僕が大声で尋ねると、門番の人間は大きくウンウン頷く。
よおし、と気合を入れて、僕は精一杯跳ねた。手を必死に伸ばしてピョンピョンと何度も跳ねるんだけれど、宝石までは届かない。見かねたラウネさんが僕を持ち上げてくれる。彼女にお礼を言って、それから僕はカードを宝石にくっつけた。
すると宝石がきらりと光って――
「ふおわわわわわ……!」
――押してもないのに、門が動き出した!
ごごごごご、と門が開いていく音に重なって、人間たちの「おー」と言う声が重なる。ラウネさんに抱き上げられたまま振り向けば、僕らを通してくれた門番の人間の側にいつのまにか小さな人だかりができて、みんな僕らを見ているようだった。
なんでこっちを見てるんだろう? と首を傾げながら地面に降ろしてもらった僕に、アナベルくんが笑みを見せる。
「ここってな、一応は神域ってことになってんだ。だけどな、それも随分昔の話。今じゃ、ここ、神山はな、人間にとってはただの観光地なんだ。前まではそれなりに賑わってたみたいだけど、今じゃこれこのとおり、閑古鳥が鳴いてんだ。だから、門が開くなんて久方ぶりで珍しいんだろ」
ほれ行くぞ、とアナベルくんが地面に降り立って軽やかに歩き出す。彼は僕とラウネさんを追い越して先に門をくぐったんだけど――パッと。
「き、消えた……! ラウネさんラウネさん!」
「ど、どう言う事よこれ……! ア、アナベルが……!」
「アナベルくん消えちゃった!」
と、僕が叫ぶと同時に、僕の目の前にアナベルくんの生首が浮かび上がる。びっくりして目を丸くする僕の前に、にゅるん! と再び姿を現したアナベルくんは、呆れた顔で僕を見つめていた。
「きっ……消えなかったんだね! あー良かった! ラウネさん、アナベルくん消えてない!」
「アナベル! どんな魔法を使ったのよっ! びっくりしたでしょ!?」
「おいおい、ジョシュアならまだしも、お前もかラウネ」
マジか、とギョッとした顔をしてラウネさんを見つめるアナベルくん。するとラウネさんは、ちょっと顔を赤くして恥ずかしそうに「こほん」とわざとらしく咳をする。
アナベルくんは「まーじかよぉ」と言ってから、ひらひらと手を振った。
「おっけーおっけー、わかった。深く考えずに、ただ俺の後をついてこい。不安なら、ほら、二人の手を引いてやるから」
いいな? と言い含めるようなアナベルくんの声に、僕とラウネさんは顔を見合わせ、それから頷き歩き始めた。
と、門を潜る瞬間だった。
びりびり、と変な感覚。それから、分厚い水の膜を通るような感触。
――そして気が付けば辺りには静寂が満ちていた。
僕はびっくりして、まず自分の手の先を確認した。アナベルくんがちゃんといる。その向こうには、ラウネさんも。
「――と、まあ。こんなもんだ」
何がこんなもんなんだ? と首を傾げてアナベルくんを見ると、彼は後ろを見るように、と顔の動きで指し示す。それに従って後ろを見れば、そこには大きな門と、それから、門の隙間から見える――人のいない、オオットーの街があった。
目を見開く僕とラウネさんを促すように手を引いて歩きながら、アナベルくんが口を開く。
「あの門は、まあ、簡単に言えば転移結界の役割をしてんだ。王都の……ああ違う、オオットーの街の門を潜んないと、ここには来られない」
「ウワー……す、すごいね……なんか、緊張する……」
僕がそわそわとアナベルくんの右手に縋ると、彼はフンと鼻を鳴らして面白そうに笑った。
「本番は、アッチだぜ?」
彼がクイッと顎で指し示す方向にあるのは、平原やオオットーの街の街から見えたのとは比べ物にならないくらい大きくて威厳に満ちた、山だ。
「ふおおおお……僕ら、あそこに登るの……」
「おお、そうさ」
「ウワー……」
もう、感嘆の言葉を吐きだしながらアナベルくんに縋るしかない。
そんな僕と似たような状態らしいラウネさん。彼女もソワソワとツタをアナベルくんに絡めている。
「すごく……静かね。植物もみんな静か」
「そりゃ、一応神域だからな。植物だって、厳かな気分になるんじゃねぇの?」
まあ俺はなんないけど、とアナベルくんがスタスタ歩き出してしまうから、必然、僕たちも彼に合わせて歩き出す。
そうやって彼に引かれるように歩きながら、静かな静かな森を進んで行くと、僕らの前に、小さな扉が現れた。ラウネさんがギリギリ通れるくらいの大きさの扉は、僕らの進む落ち葉の道のど真ん中に、粛々と佇んでいる。
アナベルくんの足は、その扉の前でそっと止まった。
「この奥にいくら進んでもな、山には着かないんだ」
その言葉に、僕はアナベルくんの顔を覗き込みながら口を開く。
「神域だから? オオットーの街の門みたいに、この扉を通らないと山に行けない?」
「そ、正解。わかってんじゃねぇか」
んで、とアナベルくんは僕の手を優しく振り払って、異空保管から小さな鍵の付いた鎖を取り出した。丁度、ネックレスのような形の鎖だ。というか、ネックレスなのかも。
アナベルくんはそれを扉にかざす。と、扉はひとりでに音もなく開いて僕らに道を開ける。その扉を、アナベルくんが先頭で、次にラウネさん、そして僕、と潜った。
扉の向こうは、どうやら山の中腹のようだった。ゴロゴロした岩が沢山転がっている。僕はその岩場を転ばないように気を付けながら進んで、アナベルくんとラウネさんを追いかける。アナベルくんはフワフワ浮いているし、ラウネさんはたくさんのツルを器用に使って進んでいく。僕は二本の――根っこだらけの――足で、のしのし歩く。
と、しばらく行ってから振り返ると、僕たちが潜った扉は奇跡的なバランスでせり出す岩の上に鎮座していたことが分かった。開きっぱなしの扉の向こうで、植物の葉っぱが僕を応援するように手を振っている。何となく笑顔で手を振りかえし、それから僕は、開いてしまった距離を縮めるために、慎重に岩を踏みながら駆け出した。
――どれくらい、登った頃だろう。
僕が、足が棒になるとはこのことなのかなぁ、と思うくらいは登った頃。ラウネさんが、呻きをあげた。
「ちょ、無理」
べた、と言わばにへたり込んだラウネさんを見て、最初に動いたのはアナベルくんだった。
「神気酔いか……一気に登りすぎたな。わりぃ、ラウネ」
アナベルくんがラウネさんに謝るところなんて、僕、初めて見たかもしれない。ラウネさんもびっくりしたのか、ダルそうに半分閉じていた目をぱっちり開けて、アナベルくんを見つめていた。
僕は二人に駆け寄って、ラウネさんの背中を擦りながらアナベルくんを見た。
「アナベルくん、神気酔い……って何?」
「ジョシュア、ここ、神域だろ? 神域にはな、程度の差はあれど、神気ってのが満ちてんだ。魔物で言うところの、魔力って感じのやつだ」
「その神気が満ちてると、酔うの?」
こっくりとアナベルくんが頷く。
「頭痛と吐き気と――まあ、自分の体に合わない酒で悪酔いするような感じだな。わかるか、ジョシュア」
わかんない、と僕が困り顔で首を振ると、アナベルくんは苦笑して「お前、酒飲んだことなんかなさそうだもんなぁ」と呟いた。僕は、横でグラグラと揺れているラウネさんを支えながら、自分の体に異常が無いか確かめる。
フラフラもしない。
頭も全然痛くない。
気持ちも悪くない。
「んん……僕、神気酔い、ならないんだけど……」
僕がそう言いながらアナベルくんを見ると、彼はちょっと考えて。それから「ああ」という顔をした。
「お前、先祖に世界樹がいるとかなんとか言ってたろ」
「うん。僕の
「そのおかげだな。世界樹ってのは、魔心を持っていながら神気を吸って生きる樹だ。だから多分、ジョシュアは神気に耐性があるんだろうよ」
へえ……と頷きながら、僕はラウネさんを見た。彼女は辛そうな顔で額を押さえている。と、そんな僕の視線に気が付いたのか、顔をあげたラウネさんはフッと微笑んだ。
「大丈夫よ、ジョシュア。少し休んだら平気だから、そんな顔しないの」
「うん……」
僕らは、ラウネさんの調子が良くなるまで休憩した。途中、アナベルくんがラウネさんの体から神気を吸いだしてくれたのもあって、ラウネさんが歩けるようになるのは直ぐだった。
そして登山を再開した僕らは、登って登って、どんどん登る。頂上目指して、どんどん登った。そして――
「――……着いたぞ。ここだ、ここに案内したかったんだ、俺は」
アナベルくんの声に、僕は彼の隣まで駆け登って、そして、ぽかんと口を開けてしまった。
山の頂上。
とってもとっても高い、山の頂上。
しかも、神域。
だから、僕は何かすごい物があるのかも、と思っていた。勇者を探すために登った山だけれど、すごい物があったらワクワクするなぁ、と。そう思っていた。
だけどそこにあったのは――こじんまりとした、ぼろ小屋だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます