ラウネは、神気酔いする

 王都に入ったかと思えば、今度は神域で山登りだなんて。


 あたしは溜め息を吐きながら岩場にツタを這わせて進んで行く。前を行くアナベルは浮遊しながら進むから、足場の悪さなんてカケラも感じていないようだった。


 あたしは、もう一度溜め息を吐いた。

 山登りくらいで疲れるような体をしているわけじゃないけど、さっきからなんだか空気が重い気がするのだ。その重たい空気が、あたしの魔心コアに伸し掛かっているような、そんな感じがするのだ。


 神域って言葉に引っ張られて緊張しているのが原因だろうと思ったあたしは、何か考え事をして、緊張を吹き飛ばそうと思った。何を考えたら吹っ飛ぶかしら、と少し考えて、あたしの脳裏に真っ先に浮かんだのは少し前に起こった出来事。

 あたしは、後ろをついてくるジョシュアを気にかけながら、その出来事を思い返すことにした。


 ******


 そもそもの発端は、アナベルが『ジョシュアの新しい体を作ってもらう』と言ったことだった。その言葉を聞いたジョシュアが騒がないわけがない。


『そんなのやだ!』と言いながら珍しくプクプクと怒った顔をあらわにしているジョシュアに、アナベルは――こちらも珍しいことに――困りきった顔を晒していた。


 駄々をこねるジョシュアをアナベルはなんとか宥めすかそうとしていたわけだけど、ジョシュアは『やだ!』の一点張り。


 あたしは、少し離れて成り行きを見守ることにして、静かに二人を眺めていた。だって、あたしはジョシュアの『やだ!』の理由を知っていた――というか、見当がついていたから。

 まあでも、如何に理由を知っていたって、その口から改めて聞くと――


『僕この体も顔も気に入ってるんだっ! だって、みんなが作ってくれた体なんだからっ!!』


 ――とってもとっても、嬉しかったわけで。


 その言葉を聞いた時に泣きそうになってしまったのをアナベルに見られなくてよかった、と今になって思う。本当に本当に良かった。見られてたら、向こう五十年はそのネタで揶揄われること間違いなしだもの。

 

 そのあとは、アナベルが諭す言葉に勇者を絡めてみたり、ジョシュアがアナベルの言葉に意地になり始めたり。で、ちょっとお互い引くに引けなくなっているように見えたから、あたしはジョシュアを抱き上げてアナベルから引き離してやった。それから、あからさまにホッとしているジョシュアを抱いて、『こんないつ人間が通るともわからないところでにらみ合いすんな』と二人に伝えた。


 するとジョシュアは『確かに!』とでも言いそうな顔をしたし、アナベルは『さてどうやって説得するか』という顔をして鼻を掻いていた。ここであたしがどちらの味方に付いたのか、と聞かれたならば、答えはもちろん。


『アナベル、作戦会議しましょ』


 アナベルに決まってる。当り前よ。

 あたしはジョシュアを出来る限り上に持ち上げて、アナベルに顔を寄せた。


『珍しいな、いつもはジョシュアの肩持つくせに』

『だって、ジョシュアの体を作り替えないとアンタの言う魔物の匂いってやつで、ジョシュアが魔物だってバレるんでしょ?』

『まあな』

『そんなの、危ないじゃない。ジョシュアがあの体を――』


 それから、顔を。


『――気に入ってくれてるのはうれしいけど、そのせいで人間に襲われたらたまったもんじゃないもの。魔心、食べられちゃう』


 このあとどうするの、と尋ねたら、アナベルはその綺麗な顔をあたしにグッと寄せ、小さく小さく囁いた。


『何とかジョシュアの気を逸らして、山まで連れてく。そこまで行ければ、なんとでもなる』


 でもそこまでが難しいんだよなぁ、と唸るアナベルに、あたしは少し考えて、それから口を開いた。これでも、ジョシュアが苗木の頃から知ってるのよ。あの子を宥めすかす方法なら、心得てる。


『なんかかっこいい武器を見られる場所があるとか言って、興味を引きましょ。そうすれば、コロッと笑って着いてくるはずよ』

『俺、向かう場所の名前行っちゃったけど。王都って。それでも騙されてくれんのか? あいつ』

『んなもん、テキトーな名前を言っとけば大丈夫よ。アナベルくんが言うんだから、僕が居るのは王都じゃなくて別の街! ……って認識してくれるわ、ジョシュアなら』


 今のジョシュアの真似か? と笑うアナベルの頬を軽く叩く。と、上からジョシュアののんきな声が降ってきて、あたしとアナベルの共同作戦が開始されたわけ。


 ******


 そのあとは散々だった。もちろんアレだ、アナベルの『変質』の魔法。アレが酷かったのよね。ただでさえ体が怠い今、あの時の事を思い出すと、溶解液を吐きそうになる。

 で、変質の魔法の後は王都に侵入して、人間の多さにめまいを起こしそうになりながらアナベルについて歩いて、そして門を通り、今に至る、と。


 あたしはクラクラする頭にツタの指を当てながら、ちらりと横を見る。と、あたしたちが通った扉が随分下の方に小さくなって、岩の上にちょこんと座っているのが見えた。回想している間に、随分と登ったようだ。

 もうすぐ山頂かしら、と見上げると、随分と太陽が近くて――というか、あれは太陽なのかしら。何かもっと、神聖な……と考えていたところで、不調は急にやってきた。


 中から揺さぶられているかのように、頭が痛い。

 棒か何かでぐちゃぐちゃにされた方がマシなくらい、魔心がおかしい。

 内臓が溶けてせり上がって来ているのかと錯覚するくらい、気持ちが悪い。


 こんなところで倒れたくない、と思うあたしの頭とは裏腹に、体からは力が抜けて――。


「――ちょ、無理…‥」


 あたしは、岩場にへたり込んでしまった。霞む視界の中で、アナベルが振り返ったのが見えた。そのまま近づいてくる黒に体がおかしいことを伝えようとするんだけど、今にも吐いてしまいそうで、口を開けなかった。

 そんなあたしの頬に、小さな手が触れる。すると、ゆっくりと、吸い取られるように不調が抜けていく。


「神気酔いか……一気に登りすぎたな」


 わりぃ、ラウネ。と。

 聞き慣れた少女の声が馴染みのない言葉を発したものだから、あたしは思わず目を見開いてしまった。そんなあたしの背中を、木の手が擦り始める。

 その手の優しさを感じながら聞いたアナベルの話によると、あたしは合わない酒で悪酔いしたような状態なのだそう。確かに、言われてみれば蜂蜜毒酒を飲んだ時の感覚に似ている。それから、ジョシュアは神気酔いしないようだ。ジョシュアの魔心に世界樹の魔心が混ざってるかららしい。正直、羨ましい。


 その後、どうやっても立てそうにないあたしの神気酔いがマシになるまで休憩という事になった。休憩の間中ずっとアナベルがそばに座ってあたしの体に触りながら神気を抜いてくれたおかげで、あたしはすぐに歩けるようになった。


「もうすぐ山頂だけど、また調子悪くなったら直ぐ言えよ」


 アナベルの言葉に頷いて、あたしは再び、岩場にツタを這わせて登山を再開する。さっきまではあたしの後ろを歩いていたジョシュアっだったけど、今は隣を歩いては、時々心配そうにあたしを見上げてくる。心配させないように、と目が合うたびに微笑んでいたら、徐々に、ジョシュアもいつも通りにニコニコ笑顔を返してくれるようになった。


 そうやって、笑いつ景色を眺めつ登っていって――


「――……着いたぞ」


 ――とアナベルが言った瞬間、隣を歩いていたジョシュアがいきなり駆けだした。転ぶんじゃないか、とハラハラしながら追いかけるあたしの耳に届くのは、「ここだ、ここに案内したかったんだ、俺は」というアナベルの言葉で。


 その言葉に導かれるようにそちらを見たあたしの目に飛び込んだのは、嘘でしょ、と言いたくなるくらい、小さくておんぼろな小屋もどきだった。

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