ジョシュアは、寝かしつけられた!

 僕たちの前には、ぼろ小屋がある。僕が本気でバン! と叩いたら、多分、崩れちゃう。それくらい、ボロボロの小屋だ。


「あの……アナベル」


 ぽかんとしたまま何も言えなかった僕の後ろから、ラウネさんの声がする。


「アンタ、あの、ほんとに……ここ? ここで、何とかできるって言うの……?」


 恐る恐る、といった感じのラウネさんの言葉にアナベルくんが振り返る。彼の顔には、笑みが乗っていた。


「ああ。ここだ」


 彼の言葉を聞いたっきり、ラウネさんは口を噤んでしまった。どうやら彼女は、なんでアナベルくんが僕らをここに案内したのか知っているようだ。


 僕はアナベルくんと目の前のボロ小屋を見比べる。さっきまで笑っていたアナベルくんは、面倒だからあんまり頼りたくなかったんだが、と呟いて顔を歪ませている。

 と、彼は呟きに続けるようにポツ……と小さく口を開いた。 


「ジョシュアが魔物だとバレないで勇者に近付くには、ここで体を創ってもらうしかないからな」

「アナベルっ!」

「……おっと……」

 

 はしり、とアナベルくんが口を押えてラウネさんを見ている。 

 それを見ながら、僕は耳を疑った。


 体を創ってもらう?

 アナベルくんは何を言ってるんだろう、僕の体はもうみんなに作り替えてもらってあって――と、そこまで考えたところで、ちょっと前の記憶が頭の中に浮かび上がってきた。


『勇者。その取り巻き。そいつらはな、気が付くんだ。』

『匂いだ、匂い。それがだめだ』『魔物って特有のにおいがある』

『お前の体な――目立ちすぎ!』


『お前の新しい体を作ってもらいに行く。今のままじゃちょっとアレだから』


 アナベルくんの言葉だ。あの時、オオットーの街に入る前に、彼が言っていた言葉――ちょっと待って。オオットーの街? 初めて聞いた時、変な名前だと思ったけれど、もしかして。


『王都を抜けて山を目指さねぇと』

『王都』

『オオットーの街』


 パチン、と全部が繋がった。

 目を見開く僕の前でアナベルくんは、誰に向けたものなのか、身振り手振りで何かを伝えようとしている。だけど、そんなのどうでもいい。

 体の外側まで燃え移りそうなくらい、魔心コアが燃えている。


 だって、酷い!


「アナベルくん嘘ついたぁぁぁぁ!」


 僕が叫ぶのと、ラウネさんのツタに持ち上げられるのは同時だった。

 

「アナベルくん酷い! かっこいい武器とか言って、僕の事、騙した!」


 つまり、そう言う事だったんだ。

 アナベルくんは、僕の体を新しくするためにここに連れてきたんだ。

 最初っから、そのつもりだったんだ。

 かっこいい武器って言葉で、その前に話していた話題をすっかり彼方に押しやってしまった僕も悪い。でも、でも。


 酷い……酷すぎる……!


「何が、オオットーの街だっ! 王都だったんじゃないか! 嘘つきっ! それで、山登り! 王都を通り抜けてしかいけない場所って、ここの事!」

「うぐ……私の魔心まで痛くなる……じゃなくて! お、落ち着きなさい、ジョシュア」


 精一杯、手足をばたつかせる。どれだけ大暴れしても、僕を捕まえているツタは解けない。


「山登りだって、勇者を見つけるためとか言って……! 騙したぁ! 酷い、酷い……ひどいよう……!」

「でもな、ジョシュア。これは本当に大切なことで……」

「イヤぁぁぁぁぁぁ! ヤダ! ヤぁダぁぁぁぁぁ!」


 僕はこの体が好きなんだ! この顔が好きなんだ!

 みんなで作ってくれたこの体が、顔が、大好きなんだ!


「これじゃ埒があかねぇ……」


 眉間を押さえたアナベルくんが顔をあげる。彼の目は、青く底光りしていた。

 

 何かするつもりだっ!

 いくら鈍い僕だってそれくらいわかる。

 

 アナベルくんは、ゆっくりこちらに近付いてくる。途中で地面を蹴ってふわりと浮かび上がったアナベルくんは、僕を真正面に捉えて、尚も近付いてくる。目を合わせたら駄目だって思って、僕は目を閉じて顔を背けて、顔の前で手を振り回した。

 僕は結構腕力があるんだから! いくらアナベルくんが強くたって、そうそう近寄れないはず!

 それに、目も閉じてるんだから! アナベルくんが催眠術か何かをかけようとしたって、目を合わせられなかったらどうにもならないはず!


 やたらめったら腕を振り回している僕の顔に風が当たる。

 アナベルくんが近付いてくるような気配はない。

 代わりに、何かが開く音が小さく聞こえた。

 そして、閉じた視界に光が当たる感覚が。

 それから――聞き覚えの無い誰かの声。


「――おや、珍しく客人が来たと思えば。久しぶりだ、何年ぶりだ――二十年くらいか? 体は変わりなく動くか?」


 その謎の声に目を開けば――窓の向こうに、さっきまで僕らがいた場所が映っている。

 僕らがいたところに、建物なんて一つしかなかった。

 そして、その建物は、アナベルくんが案内したかったところで――つまり、僕の体をつくる所で! ――と、考えを巡らせる僕を余所に、聞き覚えの無い声とアナベルくんの声は会話を続けている。


「あーあー、動く動く」

「随分雰囲気が変わった、可愛らしくなったじゃないか。ああそうか、心の変化に伴って衣替えに来たのか? 確かに、今着ているドレスはフリルが足らないものな。どれ、私がいっとう可愛らしいのを見繕って――」

「ふざけんなっつの、人形狂い! 俺の用があってきたんじゃねぇよ!」

「だけど、こんなに可愛い服があるのに……」

「なんだそのヒラヒラ! しまえ! さもなきゃ地獄の舌火ゲヘナ・フレイムで灰にすんぞ!」

「はは、ただの冗句に最上位魔法を放とうとするのはお前くらいのものだぞ」


 そのやりとりに、僕はなんだか、毒気を抜かれたような気持ちになった。

 あのアナベルくんが、手玉に取られている。あっちへころころ、こっちへころころ、転がされている。どうやらラウネさんもびっくりしたようで、僕を捕まえているツタがどんどんたわんで、僕の足は地面についた。すっかりツタの拘束が解けても、僕はなかなか動けなかった。


 僕は、アナベルくんと誰かが映っている窓を見上げる。

 そこにいるのは、ぷんすか、なんてもんじゃない顔で怒っているアナベルくん。それから、綺麗な金色の短い髪の女の人。

 女の人は、人間と同じ形だけれど、どこかが人間とは決定的に違うようだった。どこが、なのかは僕にはわからないけれど、でも、絶対に人間ではない。それだけはわかった。


 僕はなんだか不安になって、ラウネさんにくっついた。そうしながらアナベルくんたちを、窓の反射ではなくて、直視する。じっと見上げると、その女の人は僕に気が付いたようだった。

 目が合った。

 綺麗な銀色の目だ。それが、僕を映している。女の人は特に魔力を使っているわけでもなさそうなのに、僕は全く動けなくなってしまった。

 

 息すら溢せない。ただただ見上げることしかできない。

 アナベルくんはやっぱり凄い。こんな人と、当たり前のように会話をしていた。


 すごい、と噛み締めるように考える僕を見下ろし、金髪の女の人は、つ、と指をさす。


「もしかして、こっちか」


 その声に、アナベルくんは「ああ」と言った。


「そうだ。コイツの体を創ってほしい」

「体を。何ゆえに?」

「魔物の匂いを消すためだ。材料はこれで」


 異空保管から念力で取り出されたのは、僕の体の一部だった。


「ふぅん……このトレントの体を材料に、か」


  銀の目が逸れた一瞬の隙に、僕は大きく息を吸う。そして、『僕は新しい体なんかいらない』と叫ぼうとしたところで、アナベルくんが僕を見て口を開いた。


「『契約』、覚えてるよな?」


 その言葉に、僕の手とアナベルくんの手が輝く。契約の証の光に、脳裏をよぎるのはオオットーの街……いや、王都でのやり取りだ。


『じゃあ、この後、山に登ってからでいい。俺の言う事に『嫌だ』と言わないとしようじゃないか』


 差し出された手を、僕は、握った。握ってしまった。


「うぅ……」

「契約は守らなければならない。そうだな?」

「……うー……」


 僕は何も言えなかった。だって仕方ない、契約を破ったら、寝込んでしまうもの。この、外から見たのとは全く違って綺麗で広い部屋に、沈黙が満ちる。

 僕は青の目と、それから、銀の目までもが僕をじぃっと見つめてくるのに耐えられなくなって、もじもじ下を向きながら溜め息を吐いた。


「わかったよぅ……」


 ああ、僕、この体気に入ってるのに……!

 作り替えられることになっちゃった! 


「っつーわけだ。よろしく頼むぜ、クリエ」


 むくれて下を向く僕を、暖かい手が抱き上げる。ラウネさんのびっくりした顔が横に並んで――え? 


「魔物の体を材料に使いながら、魔物の匂いを消す……なかなか面白そうだ。あい、わかった。引き受けよう」


 僕の顔の下に、金髪の女の人――アナベルくんが『クリエ』と呼んだ女の人が映る。その銀の目は楽しそうにキラキラ輝いていて――僕はどうやら、彼女の細い腕に抱き上げられているようだった。


 信じられない。オークさんみたいに筋肉があるわけでもない腕が、僕を抱き上げているなんて。

 信じられない。ラウネさんみたいにツタを何本も束ねたわけでもないたった二本の腕が、僕を。


「そうと決まれば、奥へ行こう。匂いを消すとなると、ここにある道具だけでは足りないからな」


 クリエさんは僕を抱え上げて眺めまわしながら、どんどん歩いて行く。僕は身動き一つとれないまま運ばれて、気が付けば、なにか台のような物に寝かされていた。


 真っ白な天井から光が降ってくる。ランタンがあるわけでも光の妖精がいるわけでもないのに、どこから降ってくる光なんだろう? と不安と緊張を誤魔化すように考えていると、ニュッとクリエさんの顔が目の前に伸びてきた。

 びくっと跳ねる僕に、クリエさんは優しい顔をしてくれている。その顔を見ていると、なんだかお母さんにでもあったような気持ちになった。


「トレントよ、そんなに緊張するな」

「あの、ぼ、僕……こ、この体と顔、好きで……みんなが作ってくれたんです、だから、あの……」


 僕の支離滅裂な言葉を聞いたクリエさんは大きく大きく頷いてくれた。


「あい、わかった。そちらも何とかして見せよう」


 ただそれだけの言葉なのに、心の底から安堵できる。

 ああ、この人は僕の気持ちをわかってくれた、とそう思うことができる。


「新しい体はどのようなものが良いか、希望は?」

「う、うーんと、僕、そう言うのよくわからなくて……」

「――それでは、私が君をイメージして外見を創ろう」


 小さく潜められた声に、僕は静かに頷いた。


「うむ。安心して任せるといい」

「おい、何の話だ?」


 少し遠くから聞こえる声はクリエさんに向けられたもの。彼女はアナベルくんの声に「なんでもない」と言いながら、顔をひっこめた。再び、僕の目に映るのは白い天井と光だけになった。

 今度は緊張が解けて体も動くので、僕はあたりを見回すことにした。白い天井、白い壁。そこに浮かぶように置いてある作業台と思しき机は、年季の入った様子だった。そこに向かい合うように立つクリエさんは、カチャカチャと道具を用意しているらしい。


「それで――なぜ、魔物の匂いを消したいんだ?」


 道具の擦れる音に、クリエさんの声が重なる。どうやらこの言葉は、彼女が立っている場所より奥、壁に掛けられた大きな道具を眺めているアナベルくんに向けられたもののようだった。彼が静かに振り向く。


「知る必要あるか?」

「ないな。だがしかし、理由は気になるのだ」


 これこのとおり千里眼も衰えた、と彼女の声はおどけた調子で続く。


「知らぬを知りたいと思うのは、ごく一般的な反応だろう?」


 しばらく押し黙っていたアナベルくんは溜め息を吐いた。ふわりと浮かんだ彼はクリエさんの正面に立ったようで、僕から見えなくなった。


「――ユウシャに近付くためだ」


 カシン、と道具同士が強くぶつかる音が響く。クリエさんが何か道具を取り落としてしまったのかも?

 静けさが満ちる。息遣いすら聞こえない静寂を破ったのは、クリエさんの声だった。


「――ジョシュア。なぜ、そんなことを?」


 僕はすぐさま答えを返す。


「僕、勇者になって、世界を平和にしたいんです! 僕が住んでる魔の森は人間たちがこないからとっても平和だけど……それ以外の場所だと、人間たちに魔心を食べられちゃうから、平和じゃないんです。僕、ちゃんと世界を平和にしたいんです。それは、僕の住んでる場所だけじゃなくって、他の場所で生きる魔物も、人間に魔心を食べられちゃうことがない平和な世界ってことで……あっ! あの、説明するの忘れちゃったんですけど勇者を食べると勇者になれるんです、それで、えっと……」


 うーん、僕の頭の中をクリエさんに見せてあげられたらいいのに! 言葉にしようと思うと、全然ちゃんと伝えられない!


 僕が「えっとえっと」とまごまごしていたら、アナベルくんが飛んできて僕の真上でフワフワし始めた。


「そういうこった」

 

 アナベルくんは人形の微笑みを浮かべてクリエさんを見ている。


「……勇者を食べて、勇者に」


 クリエさんの静かな声に、僕は元気に返事をする。


「はい! 勇者になるには聖剣に選ばれなくちゃいけなくて、それで、その所有権を勇者から奪うために、食べるんです!」


 クリエさんは「そうか、そうか」と言いながら道具箱を持ち上げて振り向いた。その顔はさっきと同じく優しげな表情を乗せて僕を見ている。クリエさんが僕の横に来る前に、アナベルくんがふわりと動いて視界から消える。探せば、彼はラウネさんの隣に浮かんでいた。僕の視線に気が付いたアナベルくんがニコリと笑う。その横でラウネさんは不安そうにソワソワしていた。

 と、僕の横で足音が止まった。


「それは――とても、すばらしい考えだな」


 そう言ったクリエさんは、小さく口を開いて何か言おうとして、しかし何も言わずに口を閉じた。そして彼女は僕の頭の横にある台に道具箱を静かに置いた。僕はジッとクリエさんを見つめる。彼女の顔は逆光で良く見えないけれど、なんだか少し悲しそうにしているような気がした。

 

 声をかけようとしたらクリエさんが僕の顔の前に手を置いたので反射的に口を閉じる。


「これから、君の魔心を取り出す作業をする。君たち魔物にとって気分のいい作業ではないから、君にはしばらく――というか、作業が終わるまでは眠っていてもらう」


 いいかな? と優しく微笑まれては断れない。僕は静かに頷いて――そこで、僕の意識はプツンとなくなった。

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