ジョシュアは、勇者と共に
夢を、見ていた。青い光の中で、夢を。
揺れるロッキングチェア。
シチューの香り。
揺りかごの中の妹。起こしちゃってお母さんに怒られて。
次々と、夢の内容が変わっていく。
妹の笑顔。
好奇と嫌悪の混ざった近衛兵の視線。聖剣。
魔王討伐の出征式。優しい笑顔。仲間たち。
真剣な表情を乗せる魔王の顔。
世界の理。成り立ち。行く末。
王座の間。
激痛。優しい笑顔。
怒りと、悲しみと、憤りと、憎しみと、嫌悪。
復讐心と――それに勝る、申し訳なさと。
――魂の変質。
新しい体。
八つ当たりの毎日。
出会い。トレントとアルラウネの、笑顔。笑顔。笑顔――
『綺麗な記憶だけ、選んで渡すつもりだったんだけどな』
******
僕が目を開けると、アナベルくんを抱えたままのラウネさんが僕の名前を呼びながら泣いているのが見えた。
アナベルくんの記憶の全てを見てきたから、すごく時間が経ったように感じるけれど、多分きっと、そんなに気を失ってなかったんだと思う。
僕は起き上がって、深呼吸をして顔を上げた。
ラウネさんは目を見開いて僕の顔を見ている。
僕は、顎を伝う涙を拭った。
「ラウネさん。僕、行ってくる」
ラウネさんが小さく首を横に振っている。僕は彼女に笑って見せて、肩からウッドゴーレムを降ろす。「みんなを守ってね」と伝えれば、ウッドゴーレムは大きく頷いてくれた。それを見届けて、それから僕はクリエさんを見た。
「クリエさん。ラウネさんの事、よろしくね」
アナベルくんのことは頼まない。
だって、僕と一緒に居るんだもの。
風が吹き抜ける。
勇者の初陣だって言うのに血塗れのままは格好つかねぇぞ、と言われた気がして、僕は前にアナベルくんがしてくれたように水球を産み出した。体に付いた血を綺麗にして水気を余さず取り除いて、それから、僕は自分の体をふわりと浮かせた。茶色の髪が、風に揺れる。
抱え上げてもらっているような安心を感じながら、僕はラウネさんとクリエさんを見下ろして手を振って、空を駆けた。
神域の結界の抜け道はここだ、と教えるように青い星が輝いている。僕はそこ目指して飛んで行く。
音もなく結界を越えると、眼下には王都が広がっていた。
そこで生きている人間たちの事すら小さすぎて見えないくらいの高さに浮かびながら、僕は魔王城に視線を向ける。すると右目が熱くなって、右の視界だけ、世界が小さくなったように景色を飛ばして魔王城を――正確には、そこで戦っている魔王様と
タデウスは、空を取った魔王様に剣を抜けずにいる。魔法弓と魔法が二人の間を飛び交っている。
魔王様は、片翼で空を舞いながらタデウスをけん制するように魔法を放っている。
――そりゃそうだ。ハーシュは人間を殺せない。いくら相手がバケモノになった人間だとしても、世界の歪みがそれを許さないもの。
だから、はやく、僕らが行かなきゃ。
僕は空気を蹴るようにして飛んで行く。魔王城を目指して飛んで行く。
死の谷の凍える風を飛び越えて。
戦場と化した砦街を飛び越えて。
魔王城に張られた結界を抜けて。
そして、魔王様とタデウスの近くに降り立つ。
「――トレント! 退け!」
いち早く僕に気が付いた魔王様が、低い声を張って叫ぶ。
首を振る僕を、魔王様は無理やり転移させようとして――その手は、空中に縫い付けられたようにピタリと止まった。
ごめんなさい、魔王様――
「トレント、その右目は……!」
――すこし、乱暴します。
僕は魔王様を念力で突き飛ばし、遠く魔王城まで押しやった。そして、魔王様が戻ってくる前に、結界を張った。誰も入ってこれないように。
「ほお……なかなか面白い小細工をしたものだな、ジョシュア」
タデウスの言葉を聞かず、僕は足元に異間保管の入り口を開く。すると、タデウスは眉をピクリと動かしたようだった。
僕は念力を使って、異空保管から剣を引っ張り出す。
輝く銀色と、刀身を飾る青。鍔に煌く青玉。
「これでしょう。お前が欲しい物」
そう言いながら、僕は聖剣を指さして見せた。
「ああ、そうだとも。それさえあれば私は――」
「ねえ、最後だよ。これで最後。――もう、やめなよ。魔王様より強くなってどうするの? アナベルくんから聞いたんでしょ、このまま人間が魔物を食いつくせば、世界は死んじゃうんだよ」
僕が静かに問うと、タデウスはおかしそうに笑い声をあげた。その声を無視して、僕は続ける。
「まだ、引き返せるよ。今なら、まだ。このままじゃ、体の奥底までバケモノになっちゃうよ」
それでもいいの? と言う前に、タデウスが遮った。
「バケモノ? お前は本当に、おかしなことを言うものだな。私の進む先、その結末に待つのは――神の座だ」
――本当にもう、ダメなんだなと思った。アナベルくんの気持ちは、僕らの気持ちは届かないんだなって。そう思った。
「ああ、忌々しい青だ。その右目、見透かすような青い目! 心底嫌いだったよ! 魔物も食わずに全てを手に入れて、のうのうとしていたお前がどんなに憎かったか……!」
声を荒げて叫んだタデウスが、ケロリと笑う。
「それも今日までだ。私はお前を飛び越えて、魔王を殺して食らい、神になる。世界の死? ――そんなの知ったことか」
笑顔のままに吐き捨てるタデウスが、僕は可哀想に思えた。
僕は、聖剣の柄をそっと握る。初めて握ったとは思えないくらい、手のひらにしっくりくる。
「さあ、剣を抜いて。偽物さん」
僕がそう言うと、タデウスは笑みの形に唇を歪めた。
「お前は、殺して奪ってきたんでしょう。だったら最後まで、そうしなよ。それとも――」
僕は身の丈ほどもある聖剣を念力で浮かせながら、柄を両手でしっかりと握り直す。そうしながら、アナベルくんのように笑ってやった。
「――お前のソレは、お飾りか?」
「忌々しい。似たようなセリフを吐いて、私を挑発しているつもりか?」
だが、とタデウスが剣を抜き放つ。嫌な銀色だった。
「――その挑発、乗ってやろう」
切っ先が僕に向いている。
僕も切っ先を向けている。
先に飛び込んできたのは、タデウスだった。
鋭い斬撃だ。普段の僕ならば、切り殺されてる。
――でも、僕は、ひとりじゃない。
受け流す。距離をとる。地面を蹴って、首を狙う。受け流される、弾き飛ばされる、空を蹴って、突きを放つ。受けられる、弾き飛ばす。
着地して、地面を蹴って、距離を詰める。
息すら忘れて、剣を繰る。下から振り上げて、腹を裂く。すぐに傷が治るのだって知ってるから、剣に炎を宿す。そして続けざま、剣を振り下ろして同じ場所を焼き裂く。
タデウスが振り下ろした剣を受け流す。受け流す。隙を見て弾いて、腹を蹴って距離をとる。
剣術の「け」の字も知らない僕が、動けている。適切に剣を扱えている。
――アナベルくんのおかげで。
アナベルくんが、僕の魔心の中の勇者が、正しく僕を動かしてくれる、動き方を教えてくれる。その暖かい手で、一緒に聖剣を握ってくれている。振るってくれている。
それを思うと、涙が出てきた。左の頬を、暖かい水滴が伝って落ちる。
僕は、ひとりなんかじゃない。
僕は、勇者と一緒に戦ってるんだ。
タデウスが唸りながら魔力を練っている。僕らも、相手と同じことを。
相殺、相殺、相殺――押し勝つ。
混ざり合った魔法がタデウスの腕を噛み千切って消し飛ばす。
「な、なんで……なんで。私には、世界を超越したスキルが――」
だって、当たり前だ。
タデウスが持つスキルは、自分が殺した相手に負けないってスキルだ。
――だから、僕らに、効くわけがないんだ。
「わ、私が勝つはずだ。そうなるはずだ、そうなるはずなのに――」
タデウスは片腕で頭を抱えながら吠えている。
心の底から、可哀想だった。
「ぁぁぁぁぁぁあああ! 『
吹き飛んだはずの手が生えて、腹に残った傷跡が消えて。
多分、この人は知らないんだと思う。
疑問にすら思ったことが無いんだと思う。
狂ったように笑いながら僕に切りかかるこの人は、きっと不思議に思わないんだろうと思う。
攻撃を受け流す。弾き飛ばす。競り勝って、わき腹に風穴を開ける。
再生される。切りつける。再生される。切りつける。
その繰り返しの隙間で、僕はタデウスに語り掛ける。
「ねえ、不思議に思ったことはないの?」
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