三、勇者の願いを叶えよう

ジョシュアは、神様にお願いする

 怒りで視界が真っ赤になった僕を冷静にしてくれたのは、ラウネさんのツタだった。お腹に巻き付いたツタで引っ張られて退けば、一拍遅れてさっきまで僕が居たところにあの人間の剣の切っ先が抜けていった。


 ラウネさんに「アナベルくんが」と伝えようとしたんだけれど、言葉が喉につっかえて何も言えなかった。けれど、彼女は僕の言いたかったことを、ちゃんと把握してくれていたみたいだった。


 彼女のツタが優しくアナベルくんを抱き上げる。彼のほんのり輝く小さな魔心コアは、ツタで包まれて団子になって、ラウネさんの頭の上で守られている。


 ラウネさんは、じりじりと後退しながらハッとした顔をして腰の蕾から金の板を取り出した。


 ――アナベルくんがくれた、クリエさんのところへ行ける移動魔法陣だ。


 ラウネさんのツタから金の板へ魔力が流れると、金の板は眩く光り始めて――気が付けば僕らは、クリエさんの家の前にいた。


 ボロボロの小屋の扉が開いて、クリエさんが出てきた。彼女は銀の目で僕らを映すと、悲しそうに顔を歪めた。


「ああ……ジョシュア……」


 彼女が見つめるのは、アナベルくん。

 僕はラウネさんのツタから抜け出して、クリエさんの前で両ひざをついて頭を下げた。


「クリエさん、お願いです! アナベルくんを、助けてください!」


 僕は、ここに初めて来た時のアナベルくんとクリエさんの会話を覚えてる。

 その会話の内容から考えれば、アナベルくんの体を創ったのは、きっと――。


 クリエさんは何も言わない。だから僕は、彼女の足に縋りながら顔を上げた。さっきからずっと止まらない涙がボタボタ落ちて、クリエさんの靴に当たって弾ける。何度も、何度も。


「おねがい、できるって、いって……」


 喉をひくつかせながらなんとか声を出す。ブルブル震えて、涙に濡れて、酷い声だった。

 クリエさんは僕のそんな声を聞いて、泣きそうに顔を歪めている。


 やめて、と思った。

 クリエさんが泣いたら、だって、それはもう、出来ないって言ってるのと同じじゃないか。


「おねがいです、あなべるくん、ゆうしゃなんです。つよくて、やさしくて、だから、おねがい……おねがい、ぼくの、ともだち……たすけて……!」

「――……トレント」


 苦い声と共に、震えた手が僕の肩に触れた。そのままグッと抱き寄せられて、僕は、とても優しい匂いに包まれた。

 耳元に聞こえるのは、クリエさんの静かな声だった。


「すまない、トレント。私には、いや、この世界にいるどんな存在にも、それは――」

「やだ……やだぁ……!」

「――彼を生き返らせることは、出来ないんだ」


 聞きたくなくて身を捩っても、クリエさんの細腕は魔物の僕の力を上回って僕を抱きしめてくれている。痛いほどに抱きしめられて、それでも僕は身を捩って駄々をこねる。

 

 だって、わからないじゃないか。やって見なきゃ、わからないのに。

 アナベルくんも、クリエさんも。やらないでなんでそんな風に。

 

 やだよ。いやだよ。僕は、まだアナベルくんと一緒に居たいんだ。

 

 ――僕が、勇者になりたいなんて言わなければ……!


 そんな風に考えてしまったところで、風が吹いた。

 僕の頭を撫でるように吹く風に誘われて振り返ろうとしたところで、頭の中で声が聞こえた気がした。


『お前ならな、ちゃんと、勇者になれるよ』


 さいごの、言葉だった。

 暴れるのをやめた僕をクリエさんが腕の中から放してくれる。

 僕は風に呼ばれるままに、よろよろと振り返った。


『この世界を、守れるよ』


 僕の背中を大きな手のひらが支えてくれているようだった。

 傍に、僕より背の高い誰かが立っているようだった。

 ゆっくりと押されるようにして歩き出すと、その誰かが頭を撫でてくれたようだった。肉刺まめのある大きな手のひらで、撫でてくれたようだった。


 僕の歩く先にいるのは、ラウネさんに抱えられているアナベルくんで。


 煌く金の風がラウネさんの頭を撫でる。すると彼女は、つ、と涙を溢しながら、頭のお団子を一つ崩した。その中にあるアナベルくんの魔心を、ツタがそっと取り出す。


 僕は、二人の前まで歩いて来て足を止め、かくんと膝を落とした。


 アナベルくんだった人形は、静かに横たわって遠くを見ている。

 僕の涙がアナベルくんの顔に降る。きっと鬱陶しいだろうから、僕はそっとそれを拭い取って、それから顔を上げた。


 ラウネさんは静かに泣きながら、僕に青い小さな魔心を差し出している。


『安心させてくれよ』


 僕はそれをそっと両手で受け取った。そしたら、魔心がキラキラと輝き始めた。

 空から落ちた一番星みたいに輝くアナベルくんの魔心は、まるで僕らを慰めているみたいだった。


『……なあ、ジョシュア。大丈夫だよ。安心しろ。俺はずっとお前らと一緒にいるから』


 ――ほんとに?


『もう嘘つかないって、約束したろ?』


 涙があふれて止まらない。そんな僕の涙を攫うように、風が吹く。


 僕は静かに目を閉じる。思い出すのは、無数の思い出だった。

 この旅を始める前の思い出。旅立ってからの思い出。彼の最期の瞬間。


 それから、彼の笑顔、笑顔、笑顔――。


 ラウネさんも、魔の森のみんなも、それから魔王様とクリエさんも、アナベルくんが大好きだ。

 

 僕だって、アナベルくんが大好きだ。


 そんな彼の最期のお願いを、約束を、守らなければ。

 僕に託してくれたのなら、彼の願いを叶えなきゃ。


 僕は目を開ける。潤んで霞んだ視界で、輝く金の髪の人間が青い目を細くして笑ったのが見えたような気がした。


「――アナベルくん」


 泣きながら笑って見せる。きっと、あの時の笑顔よりもずっとちゃんと笑えていると思う。


「アナベルくん、僕もちゃんと、約束守るよ」


 僕はラウネさんを見る。彼女も泣きながら笑っている。そうしながら、ツタでそっとアナベルくんの魔心を撫でている。


 僕はクリエさんを振り返った。

 彼女は静かに微笑んで、そしてゆっくり頷いた。


「僕、ちゃんと、勇者になるよ」


 僕はそっと青い魔心に口をつけ、傷つけないように、大事に飲み込んだ。


 僕の体の奥底で、僕の魔心とアナベルくんの魔心が溶けて混ざりあっている。それを感じるとともに流れ込んできた膨大な記憶の奔流に、僕は静かに意識を失った。

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