ラウネは、ジョシュアと勇者を連れて逃げる
必死で根っこを動かしているのに、ジョシュアに追いつけない。さっき魔王様に言いつけられたから、攻撃と判断されてしまう捕まえ方、つまり、ツタを伸ばして捕まえるやりかたはできない。それさえできれば、直ぐに捕まえられるのに。
あたしは息をきらしてジョシュアを追いかけながら、魔王様の言葉を反芻する。
『ジョシュア――いや。主らがアナベルと呼んでいる呪い人形は……』
落ちていた人間の首無死体を飛び越える。そうしながら、あたしの頭には魔王様の言葉が繰り返されている。
『……あ奴こそが、今代の勇者。我の語る世界の理を解し、人間を説得に向かい――そして死んだ、勇者だ』
魔王様のその言葉にあたしはその時、
いくら趣味が『解呪師のいない街の前で旅人に呪いをかけること』であったとしても、アナベルは、人間に詳しすぎた。人間の街に詳しすぎた。
言ってくれればよかったのに、と思う。
いや、言われたって信じられなかっただろうし、また揶揄われてるって思うだけだったかもしれない。
でも、こうはならなかったかもしれない。
なんで言ってくれなかったの、と思う。
アナベルの心境を考えれば、そりゃ言えないかもしれないわよ。もともとは人間だなんて。
でも、あたしたちのこと、少しくらいは信じてくれたって良かったじゃない。
――あんな風に、あたしたちの事を守ってくれようとするのなら。復讐に、あたしたちを巻き込まないように、とするのなら。
もっと、信じてくれたって。
「――馬鹿アナベル……っ! アンタが元人間だとしたって、もうあたしたち、友達じゃない……!」
泣きたくなるけど、それは後だ。ジョシュアを捕まえて、アナベルと合流して、それからだ。アナベルの馬鹿を叱るのは、その後でいい。
血塗れの死体を大きく跨いで、あたしは先を急ぐ。急いで、急いで、それでもジョシュアの背中は遠くなるばかりだ。
必死で走っていたら、何かが砕ける音とジョシュアの悲鳴じみた「だめぇぇぇぇぇぇ!」と言う声が聞こえてきた。それから、強烈な光も見えた。
嫌な予感がして、あたしは震える根を叱咤して更に速度を上げる。そうしているうちに、光は消えた。けど、嫌な予感はずっと魔心に残ったままだった。
自分の足の遅さをこんなに憎く思ったことはない。気持ちばかりがはやって、今にも根を縺れさせてしまいそうだった。
冷静に、と言い聞かせながら走って、そしてようやくあたしはジョシュアに追いついた。
そして、そこにあった景色に目を疑いたくなった。
人間一人がやっと収まるような赤い結界を背景に、座り込んだジョシュアが、大粒の涙を溢している。
その膝の上、抱えられているのは、力なく横たわるアナベルで。
まるであたしが来るのを見届けたかのように、二人の間に浮いていた青い魔心がころりと転がって。
何が起きたのかは、把握できた。けれど信じたくはなかった。
魔王様が言っていた。アナベルの魔心は、人間の魂が奇跡のような確率で変異したもので。
魔王様でも、新しい体を与えられなくて。
――つまり、アナベルは。
泣き叫びたいあたしの前で赤い結界が砕け散って、中に封じ込められていた人間が姿を現す。結界の欠片を煩わしそうに手で払うその人間は、二十年前に勇者を――アナベルを殺した、偽物のユウシャだ。
まさか。二度も。
怒りがこみあげて魔心が熱い。視界が赤くなる。
出来ることなら、今すぐ飛び掛かって奴を縊り殺してやりたい。でも、あたしがそうする前にジョシュアが立ち上がったから、あたしは怒りはそのままに冷静さを取り戻せた。
――あたしがすべきことは、あの偽物に飛び掛かって無駄死にする事じゃない。ジョシュアがすべきことだって、違うはず。アナベルは、そんなことを望んでいるはずがない。
だから、あたしは。
血に塗れたまま偽物に飛び掛かろうとするジョシュアにツタを巻きつける。今度は弾かれなかったことに安堵しつつ、別のツタでアナベルのすっかり力の抜けて重い体を持ち上げる。彼の胸から零れ落ちそうなった魔心もツタで包んで引き寄せて、頭の上、自分の魔心を包むツタ団子の横で同じように守る。
偽物の勇者の紫の目が、あたしを射抜く。
怯まない。あたしが怯んで動けなくなったら、誰が二人を守るのよ……!
偽物の勇者は、剣を構えている。刀身に魔力が漲っているから、きっと斬撃を飛ばしてくるつもりなのだと思う。
ここから逃げるには――と精一杯思考を巡らせるあたしの腰の蕾の一つに、ぐったり動かない――ただの人形になったアナベルの足が小さく当たった。
「……そうだ、これだわ……!」
あたしは、ジョシュアとアナベルをしっかり抱いて、偽の勇者を見据えながら腰の蕾を開花させる。真っ青な美しい花弁が守っていた金の板を掴みとり、そのままツタに魔力を通す。
すると、金の板が輝きだした。
視界が白むほどの光の中で、あたしははぐれない様にとジョシュアとアナベルをしっかり抱きしめて――そして、光が収まった時には、あたしたちは静かな神域の山頂にいた。
呆然としながら二人を抱きしめることしかできないあたしの前、ぼろ小屋の扉がゆっくり軋む。出てきたのは、金の髪と銀の瞳の美しい女性で。
「ああ……ジョシュア……」
悲哀に満ちた溜め息を聞きながらぼんやりとクリエさんの美しい姿を見上げるあたしの腕から、ジョシュアが逃げる。
何もできないあたしの前で、ジョシュアはクリエさんの足に縋るように跪きながら、涙に塗れた声で叫んだ。
「クリエさん、お願いです! アナベルくんを、助けてください!」
あたしは、涙を溢しながらアナベルを見下ろした。薄緑の涙がボタボタと彼の頬に落ちていって、白い頬を汚してしまうけど、でも、涙を堪えることはできなかった。
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