ジョシュアは、泣き叫ぶ
僕は、体を包む暖かさに目を覚ました。どうやら気絶していたみたいだ。
――さっきまで、何をしていたんだっけ。
ぼやける視界に、目を擦る。
僕の前には、魔王様がいた。
さっき会った時よりも背が高くなっている。でも匂いが魔王様だから、僕にはこの男の人が魔王様だとわかった。
僕は、クラクラする頭のままで周りを見回した。どうやら魔王城の前に寝ていたみたいで――と、現状を把握している僕の思考を爆発音が遮った。
何度も何度も爆発音が繰り返されている。それと同時に、魔力の匂いを纏った風が僕の顔に吹き付けた。
――そこで僕は、さっき何があったのかを思い出した。
「――アナベルくんっ!」
悲鳴を上げながら飛び起きて、魔王様の横をすり抜け――ようと、した。でも、できなかった。
魔王様に、抱き上げられてしまったから。
「待て、トレントよ」
「魔王様っ! 放してくださいっ! アナベルくん、アナベルくんのところに……っ!」
「駄目だ!」
魔力を帯びた声で一喝されて、否応なく僕の体は動きを止める。
でも。
「で、も……僕、アナベルくんの、ところに……!」
今の自分の精一杯で魔王様を押す。足をばたつかせる。けれど、魔王様はよろけることもなかった。
「ならん」
「なんでっ……!」
「あ奴に、頼まれたからだ。よいか、アルラウネ。主も動くでないぞ」
静かな魔王様の声は僕らの後ろに向けられている。やっとのこと振り向けば、そこには振り上げたツタを力なく降ろすラウネさんがいた。
「でも、でも魔王様。今、アナベルくんはひとりで勇者と……!」
僕の言葉を遮ったのは、ラウネさんだった。
「――魔王様。あいつは……アナベルは、何者なんですか」
震えた声だった。僕は暴れるのを忘れて、俯いたラウネさんをじっと見つめた。
ゆっくり顔を上げた彼女は、今にも泣きそうだった。
僕が暴れるのをやめたからか、魔王様は僕を地面に降ろしてくれた。僕はすぐさま駆け出して、ラウネさんに寄り添った。
「ラウネさん」
ラウネさんは、潤んだ目を魔王様に向けている。魔王様は、金色の目で僕らを見て、それから僕らに背を向けた。
「魔王様。教えてください。アナベルは……なんで、あたしたちを」
また爆発音が聞こえて、アナベルくんの匂いが爆風に乗って吹き付けてくる。
彼がくれたネックレスが揺れる。
「魔王様……お願いします、教えて……!」
ラウネさんの言葉に、魔王様は深く溜め息を吐いて指を鳴らした。すると魔王様の影から黒くて太い根っこが二本生えてきて、捻じれ絡みながら、僕らと魔王様の前に黒くて大きな丸を作った。
また魔王様が指を鳴らす。と、黒い丸の中に波紋が広がった。よく見てみると、その波紋の上に何かが動いている。
やがて波が収まった頃、凪いで水鏡みたいになったそこには、アナベルくんと、勇者が映っていた。
二人は、戦っていた。
「あ奴について、我が言えることは少ない。少ないが――まず、一つ目。あ奴は、主らを傷つけるためにここまで吹き飛ばしたのではない」
魔王様は静かに呟く。
「二つ目……本当であれば我が言うべき事ではないのだろうが――あ奴は、主らを深く愛している。でなければ、主らに聖護の首飾りを渡したりせぬだろうし、我に主らを守れとは言わなかっただろう」
僕は魔王様の言葉すら耳に入れられずに、水鏡の中のアナベルくんの姿を追った。
「三つ目。あ奴は――」
アナベルくんが勇者に切られている。傷からは、絶え間なく魔力が漏れ出している。
このままじゃ、アナベルくん、死んじゃう。
勇者に魔心を食べられて、死んじゃう。
叫び出したいこの気持ちが、僕の体を動かした。
「――トレント!」
魔王様の声を置き去りにする。伸びてきた手とツタを振り払おうと腕を振り上げれば、アナベルくんがくれたネックレスの緑の宝石が光を放った。魔王様の手も、ラウネさんのツタも、僕に触れることなく弾かれる。
僕は、ただ走った。
ただ、早く、と走った。
――早く、アナベルくんの所に……!
無我夢中で走って、走って、爆発音と金属のぶつかる音が近付いてきたころに、僕の前に二つの影が立ちはだかった。
勇者と一緒に居た人間たちだ。青い顔の人間二人。その二人が、僕に向かって剣を構えている。
僕は迷わず木の剣を抜いた。
そのまま、足を止めずに叫ぶ。
「どいて! 僕、急いでるんだ!」
そしたら、片方の人間が僕の方に向かって飛び掛かってきた。しかたないから、僕はこの人間を殺すことにした。
「どいてって、言ったでしょっ!」
迎え撃つように飛びあがり、剣を構える。木の剣に切れ味を求めてはいけないって知っているから、刺突出来るような構え方だ。それから、落ちてくる人間の左胸を狙う。
ここに人間で言うところの魔心、心臓がある。ここを突き刺せば、必ず殺せる。
僕は唸りながら剣を突き上げた。木の剣は、ちゃんと心臓を貫いた。けれど、思っていたより血は出て来なかった。
人間の重みを身に受けながら着地する。人間一人くらいの重さなんてへっちゃらだ――と思っていたら、僕の体が宙に浮いた。
人間が、体を起こしたんだ。
――確かに心臓を突き破ったはずなのに。
不思議だったけれど、でも、考えている暇はない。僕は人間の腹に両足を突っ張って無理やり剣を引き抜いて、本能のままに体を動かした。
人間が体勢を整えて剣を構える前に、飛びあがる。脳天目掛けて剣を深く突き刺す。
それでも死なないから、僕は人間の肩に着地して、引っこ抜くように首を抜いた。
――すごく丈夫な種類の人間みたいだけれど、流石に頭と体が離れれば、しばらくは動けないはず。
僕の読みは当たっていたみたいだ。首から上を無くした人間は、しばらくピクピクした後、僕を狙うのを諦めたようで動かなくなった。僕は転がっている頭から剣を抜いて再び駆け出し――もう一人の人間に、行く道を阻まれてしまった。
「も、どいてよ! 僕、早くアナベルくんのところに行かなきゃ……!」
さっきの人間より少しだけ顔色の良い人間は、何も言わずに剣を構えている。仕方ないから、こっちも殺すことにした。
僕が駆け出すと、向こうも駆け出す。どんどん距離が近づいて、僕はしっかりと木の剣を握り締めて吠える。人間は僕に剣を振り下ろす。
避けられない、と思ったけれど、剣は僕の頭の上でガチンと動きを止めた。
アナベルくんのくれたネックレスがまた光っている。どうやら、これが攻撃を受け止めてくれたみたいだった。
チャンスだ。人間はお腹を晒している。
僕は思いっきり剣を突き出した。
そしたら今度は、たくさん血が降ってきた。
「ぐっ……、り、がぼ……」
人間は何かを言ったようだったけれど、僕にはよくわからなかった。
横に倒れる人間から力任せに剣を抜いて、僕は再び走り出した。
頭も服も真っ赤。僕の肩にしがみついているらしいウッドゴーレムもきっと真っ赤だと思う。けれど、僕はそんなことは気にしていられなかった。
どんどん走る。走るごとに、戦いの音が大きくなる。
「アナベルくん」
僕とラウネさんを念力で弾き飛ばす前、アナベルくんは笑ってた。
楽しそうな邪悪な顔でも、人形の微笑みでもなく。
静かで優しい、見たこと無いような笑顔だった。
「アナベルくん……!」
僕はとても嫌な予感を抱えながら走り続け、そしてやがて、薄赤色の渦巻く炎のような結界に辿り着いた。息を整えながら、結界に張り付いて中を見る。
戦っている。アナベルくんと、勇者が。
アナベルくんは、ボロボロだった。
黒いドレスは燃えて切られてズタズタで、白い肌はところどころヒビが入ってしまっている。真っ黒な髪だって、あっちこっちが短くなってしまっている。
「アナベルくんっ!」
僕が全力で叩いても、結界はびくともしない。それでも、僕は叩き続けた。
何度も、何度も。手が痛くなっても叩き続けた。
そしたら、ネックレスが光り始めた。多分、僕が結界を叩き続けて手を痛めたのを、外からの攻撃だと勘違いしたんだと思う。
緑の光は、赤の結界を侵食するように広がって、そして――結界が音を立てて砕け散ったと同時に、結界の中から光が溢れてきた。綺麗な白い光なのに、背中がゾワゾワするような気持ち悪さがあった。
そんな光は、魔法の本体ではないみたいだった。漏れ出た光よりもずっと濃い白が、黒い人影を飲み込もうとしている。
僕は何も考えられないまま、その人影に向かって駆け出した。
「だめぇぇぇぇぇぇ!」
僕は、光とアナベルくんの間に体を捻じ込んだ。怖くて目をつむりたかったけれど、出来なかった。
光が迫ってくる。潔癖な白が。
――それを跳ね返すように、僕の首元に灯った緑の光がどんどん色を濃くしていく。
「……聖護の首飾り。なんて面倒なものを」
光の奥から勇者の声が聞こえる。
「鑑定した時に
もうここまで来たら、勇者が何を言っているのか、僕にも理解できる。
でも、理解したって、僕のすることは変わらない。
僕は――
「しかしまぁ、今日一日で三度、攻撃を受け切ったようだね。……ヒールもその他諸々のスキルも、もう持っているのでいらないんだが……魔王の力を奪うと思えば、これも必要なこと」
――友達を、守るんだ。
剣が迫ってくる。でも、僕は動かない。
僕の体は硬いんだ。だからきっと、アナベルくんが体勢を整えるくらいまでの間なら、持ちこたえられると思うんだ。
だから僕は勇者を――目の前にいる人間を、にらみつける。
一歩も動かずに耐えきって見せる。
と、思っていたのに。
世界が揺れたような感覚がして目が回ったと思ったら、僕は、アナベルくんの背中を見上げていた。
何が起きたのかわからない。
アナベルくんの体には、肩口から斜めに入ったらしい剣の切っ先が生えている。
どうして。なんで。
なんで、僕はさっきアナベルくんがいたところにいるの。
「――っははははは……なあ、タデウス。テメェと
アナベルくんの声が歪んでいる。
「何がわかったというんだ?」
人間の声は、凪いでいる。
その言葉を聞いたアナベルくんは、蔑むような憐れむような笑い声をあげたあとに、人間の胸のあたりに手をあてた。
「――テメェは、人にも魔物にもなれない、バケモンだ」
アナベルくんが吐き捨てた言葉に、人間はニッコリ笑って剣を引き抜き、振りかぶった。
――このままじゃ……!
僕は必死でアナベルくんに手を伸ばす。そんな僕の方へ、アナベルくんはゆらりと倒れてきて――再び、世界がぐるりと回ったようだった。
気が付いたら僕は、再び組み上がって小さくなっていく結界の外にいた。
腕の中には、アナベルくんがいる。アナベルくんは、困ったような笑顔で僕を見上げていた。
「アナベルくん……!」
「我ながら、情けねぇや。これしか瞬間移動できないんだもんな。タデウスを結界に閉じ込めるだけで精いっぱいだ」
アナベルくんは、辛そうだった。だから、もう喋んないで、と。早く魔王様の所に、と。僕はそう言おうとした。
けれど、アナベルくんの目に制されて何も言えなかった。
「――うん、イイ子だジョシュア。そのまま、静かに聞いてくれ。時間がないから、手短に言うぞ」
時間なら、いっぱいある。魔王様に直してもらって、それからゆっくり、あの人間を殺す計画を立てればいい。
「ジョシュア、俺はもうだめだ」
聞きたくない。
僕は首を横に振る。
「もうな、わかるんだ。自分の体だから、わかるんだ。もう、時間がない」
そんなこと言わないで。
「やだ……」
「聞けって、ジョシュア」
「いやだ……っ」
アナベルくんは、確かにボロボロだ。ヒビも入ってるし、魔力も漏れ出してる。
でも、それが何だって言うんだ。
「だめじゃないよ……アナベルくんは、だめじゃないよ!」
いつの間にか、雨が降ってきたみたいだった。僕の頬を生暖かい水滴が流れ落ちている。
「確かに体は傷だらけかもしれないけど、じゃあ、だったら、魔王様に新しい体を創ってもらえばいい! 魔王様のところで休んだら、絶対元気になる!」
僕は滲む視界でアナベルくんを見つめながら、訴えた。だけどアナベルくんは、静かに首を横に振って微笑んでいる。
「だめなんだよ」
「だめじゃないっ!」
「できねぇんだって」
「できるもんっ!」
ごめんな、とアナベルくんが謝っている。それが何に対しての謝罪なのか、僕には全くわからない。
「本当に、ごめんな。あのな、ジョシュア。俺、元は人間なんだよ。お前らみたいに、魔王に新しい体を貰えないんだよ」
それがどうしたって言うんだ。
「だったらっ! 僕、今からあそこにいる人間殺してくるからっ! それで心臓を抜いて、代わりにアナベルくんの魔心を入れれば……!」
僕の言葉に、アナベルくんは静かに首を振っている。
やだ。
そんなの、やだ。
「や、やってみなきゃっ……わからないじゃないかっ!」
「無理なんだよ。ジョシュア。無理なんだ」
「むりじゃ……ないもん……!」
ひたり、と。アナベルくんの手が僕の頬を撫でて離れていった。
その手を目で追えば、彼はドレスが破れて露わになっている真っ白な胸元をスッと撫でて、微かに指を鳴らした。
すると、そこがパックリと割れた。丁度、クリエさんが僕の胸元にそうしたのと同じように。
――僕は、アナベルくんが言おうとしていることがわかって小さく首を横に振った。
「ジョシュア、見えるか? これが、俺の魔心だ。小さいだろ。それにな、さっきの戦いでな、結構ヒビが入ってんだ」
アナベルくんの胸に空いた穴から浮かび上がるのは、小さくて、でも何よりも輝きを放つ青い魔心。
「ここに、俺の持つすべてが詰まってる」
「や、やだ……やだ、いやだ……!」
「俺の記憶の全ても。俺の魔力も。俺のスキルも――、聖剣の――」
「いやだっ!」
息がしづらくなっていく。視界がぼやけて、目が熱い。
アナベルくんの手が、静かに僕の目元を撫でた。
「――そぉんなに泣くなよ、ジョシュア」
ほんの少しだけましになった視界の中で、アナベルくんの目からは青い魔力が漏れ出していた。
「でも、ぼく、ひぐ……い、いやだ……! そんなの、だって……」
「泣くなって。ほら、ちゃんと俺の言葉を聞いてくれよ」
これできっと、さいごだから、と。アナベルくんは、僕の頭を撫でながら、逆の手で僕の方へと魔心を押しやった。僕とアナベルくんの間で、魔心は静かに浮いている。
「俺の全部を、お前にやるよ。こんな言い方すると、アレだけどな……継いでほしいんだ、お前に」
僕は嗚咽を飲み込んでアナベルくんを見下ろした。アナベルくんは、青い魔力の筋を頬に残しながら、優しく笑っている。
「お前ならな、ちゃんと、勇者になれるよ。俺はだめだった。でも、お前ならきっと、創造神と破壊神が愛したこの世界を、守れるよ」
僕は、何も言えずに頬にあるアナベルくんの手に自分の手を重ね合わせる。
「な、頷いてくれよ。ちゃんと、俺の魔心を食うって。……安心させてくれよ」
頼むよ、とアナベルくんが笑うから。
僕は、頷くしかなかった。
「アナベルくん……」
頷いたけれど、それでも、僕は、アナベルくんに死なないでほしい。でも、そんなことを言ってアナベルくんを困らせることはできなかった。
だから、せめて精一杯。不格好でも。
「僕、頑張るよ。勇者になって、頑張るから……!」
僕は、アナベルくんに笑って見せた。
そしたら、アナベルくんも笑ってくれた。
頬に重なっていた手から力が抜けて落ちていく。
静かな優しい笑顔がだんだんと人形の微笑みに変わっていく。それと同時に、彼の左腕がごとりと落ちた。剣で切られたような断面だ。
魔心から発せられていた光が、魔心の中に吸い込まれるようにして消えていく。
アナベルくんの手を追って彼の体の上に落ちた僕の手に、綺麗な小さい魔心が、堪えかねたようにポトリと落ちてきた。お星さまみたいだった。
「……アナベルくん。あなべる、くん……」
無駄だとわかっていながら、それでも僕はアナベルくんに声をかけるのをやめられなかった。
目が溶けそうなほど熱くなっている。流れる涙は熱を持ったままアナベルくんの上に降り注ぐ。僕の涙は彼の頬にも落っこちて、丸い頬を伝っていく。
そうやって泣きながらアナベルくんに縋ることしかできない僕の後ろで、何かが砕け散る音が響いた。
それと共に聞こえてきたのは――
「さて、面倒事は終わったし……あとは、ジョシュアを食って聖剣さえ手に出来れば話は終わりだ」
――僕はアナベルくんの魔心を彼の上にそっと置き、木の剣を軋むほど握り締めて立ち上がった。
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