ジョシュアは、勇者と再会する

 真っ黒の魔王城を出た僕らは、来た道をズンズン戻っている。


 僕らの足元はマグマ――ではなく、普通の道。

 罠が発動しないことが不思議でアナベルくんに聞いてみたら、魔王城の周りの罠は城から出てきた人は感知しないのだそう。


 流石魔王様、そんなこともできるなんて! と思いながら歩いていたら、前を行くアナベルくんの足が急に止まった。

 僕は彼の背中にぶつかってしまった。


「どうしたの、アナベルくん?」

「そういえば、お前に渡してなかったな」


 何を? と僕が聞く前に、アナベルくんは異空保管から金色の板を取りだした。そして、彼はそれをラウネさんにヒョイッと投げ渡した。

 ラウネさんは、金の板を危なげなくキャッチして首を傾げていた。


「これなによ?」

「これは、クリエのところに飛べる持ち運び式の移動魔法陣みたいなもんだ」


 アナベルくんはフワリと浮かび上がってラウネさんの前に来ると、「こうやって……」と金の板に指を触れさせた。


「触りながら魔力を通すとな、発動してクリエの家の前に飛べるんだ。いやー、俺としたことがすっかり忘れてた。ジョシュアに渡すようにってクリエから言われてたんだよ」

「で、それをなんであたしに渡すのよ」

「ジョシュアに渡すと無くしそうだからな」


 それを聞いたラウネさんが「ああ……」と妙に納得した顔で頷いている。


 ――そんなことないよっ! 失礼しちゃうなぁ。


 僕は頬を膨らませてみせた。するとアナベルくんは、僕の頬を両側から挟んで押してきた。そのままモチモチと僕の頬を好き勝手にこねくり回す彼の手から抜け出して、僕はラウネさんの持つ金の板に手を伸ばす。


「僕も触りたい!」


 ラウネさんがサッとツタを動かして金の板を頭の上に上げる。

 僕はぴょんぴょん跳ねるのだけれど、どうしたって届かない。くそう。


「ダメよ。あんた、間違って魔力通しちゃったりしそうだもの」

「えー! 触りたい! さーわーりーたーいー!」


 駄々こねるんじゃないわよ、と言いながらラウネさんが蕾に金の板を隠すのをアナベルくんは楽しそうな顔で見ている。


 やっぱり楽しそうにしているアナベルくんが僕は好きだなぁ、と思いながら、僕は跳ねるのをやめてアナベルくんの隣に立った。それから、ラウネさんを手招きする。

 

「罠もないし、ちょっと手を繋いで歩こうよ」


 僕がアナベルくんとラウネさんを見上げて言うと、二人は顔を見合わせてから笑ってくれた。

 アナベルくんが地面に降りてきて、目の高さが一緒になる。


「随分甘えたな魔物もいたもんだ」


 アナベルくんが歩き出す。僕とラウネさんも歩き出す。


 しばらくしたら、アナベルくんがポツリと言った。


「ジョシュアが本当の勇者になったら、世界はどう変わるんだろうな」


 僕はアナベルくんの静かな横顔を見ながら口を開く。


魔心コアを食べられちゃう魔物は、きっといなくなるよ!」

「それがお前の目的だもんな。――でもさ、そう上手くはいかないぞ。ニコニコ笑ってた優しい人間だって、その格好のお前が『魔心を食べないで』なんて言い出したら、魔物に操られたと考えて殺しにかかってくる」


 アナベルくんは低い声で言葉を続ける。


「そうだな、わかりやすく言えば――例えば、ジョシュア。お前の友達が『人間を食べるのをやめたほうがいいみたい』って言い出したらどうする?」


 そんなの決まってる。


「話を良く聞いてみて、それで本当にやめたほうがよさそうなら、やめるよ」


 僕がそう答えると、アナベルくんはパチクリと大きな目を瞬かせた。そんな彼に瞬きを返しながら、僕は続ける。


「だって、『友達』がそう言ったんでしょう?」


 僕で言えば、アナベルくんやラウネさん、それから、魔の森のみんな。


 大切な友達であるみんなが、魔心の奥底からそう言うのなら、きっと大事な理由があるもの。


「理由があるなら、そしてそれがちゃんと僕も納得できるものなら、やめるよ」

「――全部の魔物が、人間を食べてはいけなくなるって言われてもか?」


 食料足りなくなるだろ、とアナベルくんが言う。僕は「確かに」と思って頷きながら、ちらりと黒い城を振り返ってから前を向いた。


「そしたら魔王様にお願いして、人間を食べなきゃ生きられない魔物の体を作り変えてもらうよ」

「魔王が良いぞって言っても、その魔物自体が素直に頷くとは限らねぇじゃねぇか」


 えー、そんなこと絶対ないと思うけどなぁ……でも、もしかしたら僕の考え方が間違ってるのかもしれない。

 僕は今度はラウネさんを見上げる。


 どうやらラウネさんも僕と同じような考えみたいで、彼女は不思議そうな顔をしてアナベルくんを見つめていた。


「ちゃんと説明すればみんなわかってくれるよね、ラウネさん」

「うん。順を追って説明をして、それがおかしな話とかじゃなかったら、誰だって頷くわよ。『やってはいけない事は、やらない』。当たり前のことじゃない」


 ラウネさんの言葉尻とともにアナベルくんを振り向けば、彼は驚いたような笑ったような不思議な顔をして僕らを見ていた。


「……――俺な、時々、お前らが羨ましい」


 小さく呟かれた言葉を僕が拾う前に、アナベルくんは空を見上げて溜め息をついた。


「いやー、魔物の単純さというか素直さというか、良いよなぁ」


 褒められてるのかな? とラウネさんと顔を見合わせる。そんな僕らを尻目に、アナベルくんはスタスタと僕らのちょっとだけ前を歩きながら、「あーあ」と溜め息なのか安堵の息なのかわからないものを零している。


 と、そんなアナベルくんの足が止まった。

 

「どうしたの、アナベルくん」


 アナベルくんは僕らの方を肩越しに振り返って、僕と繋いでいた手を離した。その手が伸びる先にあるのは、異空保管の黒い入り口。

 彼はそこに手を突っ込んで、何かを探すようにしている。


 僕は首を傾げながらアナベルくんを見守った。


「確かこの辺に――ああ、あった」


 ズルリ、と出てきたのは、二つのネックレスだった。それぞれ、赤と緑のキラキラがついている。


「これ、やるよ。死蔵しとくよりは、お前らが身につけといたほうがいいだろ」


 アナベルくんが指を弾くと、赤いキラキラのついたネックレスはラウネさんの首に、緑の方は僕の首に巻き付いた。


「なにこれ?」


 アナベルくんは、ラウネさんの言葉には答えずに、僕らの方に体を向けながら笑っている。その笑みの隙間に聞こえてきたのは――


「『永続呪縛:不可離』『調整アジャスタメント』『固定フィックス』」


 ――呪いの言葉と、短い詠唱だった。

 アナベルくんの指先から飛んできた魔力が、僕らの体とネックレスとを結びつけてしまった。

 えっ……? 結びつけ……えっ!?


 ――えっ、これもう取れない!?


「アナベルくん、これもう取れないよ!?」


 僕の声を聞きながら、アナベルくんは心底楽しそうだった。


「いいんだよ、取れなくて」

「ダメだよ! だって僕が木の姿に戻ったら、せっかくくれたネックレスが千切れちゃうよ!」


 アナベルくんはケラケラ笑いっぱなしだった。何がそんなに楽しいんだか、目から魔力の涙を溢すくらい大笑いしている。


 僕は、もー! と言おうと口を開きかけたところで、アナベルくんのずっと向こうに輝く人影を見つけた。

 目を凝らせば、見えるのはくすんだ金色。

 僕は、『あ!』と思った。


「勇者だ! もう来た!」


 ラウネさんが「早くない!?」と言いながら身構えている。


「本当に勇者なの? ジョシュア。アレは、あの、ほう、ほう……方位磁針! 向こうを指してるの?」


 ラウネさんの言葉に僕は慌てて胸元から方位磁針を引っ張り出そうとした。だけど、アナベルくんがくれたネックレスと絡まっちゃってすぐには取り出せなかった。


 やっと引っ張り出した方位磁針の金の針は、確かにアナベルくんの向こう、人影の方を指している。


「うん、指してる!」


 僕はそう言いながら顔を上げた。

 光がどんどん近づいてきている。それから、魔力の匂いも。

 

 ――という事は、勇者、魔法を溜めてない!?


「わー! どうしよう、どうしようアナベルくん!」


 アナベルくんの表情は逆光で見えない。彼は落ち着いた様子で勇者に背を向けている。

 

「ねえ! アナベルくん! ……アナベルくん?」


 アナベルくんは一言も発しない。

 そうしているうちに、光はどんどん近づいて、やがて足音すらもが聞こえ始めた。

 三つの足音。勇者と、勇者の側にいた人間二人の足音だ。


 ――と、目を開けているのが辛いくらいの眩い光がフッと掻き消えた。


「――やあ、探したよ」


 静かで深い声。間違いなく、勇者だ。


 僕は動けないまま、勇者の方を見る。


 彼は片手に光を握りこむようにして、アナベルくんの向こうに立っていた。

 距離にして、大体、木の姿の僕が横になったくらい。それくらい開けて、勇者は足を止めている。

 

 あと一歩。踏み込んだり踏み込まれたりしたら、襲い掛かれる距離だ。


 勇者は、何も答えられない僕の方に向けて言葉を続ける。


「いや、ここにいてくれて良かったよ」


 静かな声だ。


「君がここにいてくれたおかげで、私は――無事に、ここに侵入はいることができた」


 どういう事だろう、何を言っているんだろう。僕にはわからない。でも、勇者は僕の方を見ながら言っている。


「ありがとう。心から感謝しているよ。本当に、ありがとう――ジョシュア」


 僕の名前だ。

 でも、名前を呼ばれた今になってやっと、わかった。


 ――これは、今までの言葉は、僕に向けられていたものではない。


「……――ま、ここまでだな。我ながら、よくったもんだ」


 僕は震える足で、殆どよろけるようにして足を半歩踏み出した。


 魔心が凍り付いたような、締め付けられているような感覚。そんな嫌な感覚と共に、僕の背中を刺すような殺気が震わせる。


 それでも、――……僕は、殺気をにじませている彼に縋りたくて仕方がなかった。


「ア、アナベル、くん……」


 逆光で顔の見えないアナベルくんは、確かに笑ったようだった。


「ジョシュア、ラウネ。悪いな」


 次の瞬間、僕とラウネさんはものすごい勢いで吹き飛ばされ、真っ黒な放魔剛石の扉に叩きつけられ意識を失った。

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