ジョシュアは、魔王様と対面する!

 アナベルくんとラウネさんが楽しそうにしているのを眺めながら楽しく歩いていたら、いつの間にか魔王城がずいぶん大きくなっていた。


「もう少し行くと、地面から槍が飛び出すからな。フラフラせずに、ちゃんとついて来いよ」


 アナベルくんの言葉に従って、僕とラウネさんは右へ行ったり左へ行ったりする彼の蛇のような足取りをたどる。

 彼の言う通り、地面からは赤黒い槍が突き出しては地面に沈んでいく。最初こそ、『わぁ!』と悲鳴を上げてしまったけれど、歩くたびにこうだから、流石にもう慣れちゃった。


「次は、何だったっけ……ああ、毒沼か。お前ら毒効かなかったよな? このまま最短距離突っ切るぞー」


 僕もラウネさんも、魔の森の毒霧を吸って生きていられるから毒は平気。だから僕たちは、何の躊躇もせずに毒沼に踏み込む――んだけれど、僕、大変なことを思い出してしまった……!


「あー!」

「なんだなんだ、どうしたジョシュア」

「服! クリエさんがくれた服が! それに、妖精さんたちが作ってくれたマントが!」


 汚れちゃう! と叫んだ頃には僕の体は肩まで毒沼の紫にどっぷりだった。と、耳元でパシャパシャと音が聞こえてきた。


 ――肩の方……あッ!


 慌てて目を向ければ、そこにいるのはワアワアと慌てふためいて僕にしがみついているウッドゴーレム。


 ――溺れちゃう!


 僕は急いでウッドゴーレムを頭の上に避難させた。それから、溜め息を吐いた。


「せっかくもらった服なのに、汚しちゃった……」

「あー、気にすんなって。対岸に着いたら綺麗にしてやるから」


 うん、と曖昧に返事をしながら、僕はしょぼしょぼと沼を掻き分ける。腕が水面に出るたびに紫に染まったシャツが見えて、余計に落ち込んでしまった。


 沼から上がった時にはもう、僕もラウネさんも紫塗れ。


 流石のアナベルくんでもこれを綺麗にはできないよ、と思ってたんだけれど、彼は言葉通り、ちゃんと僕の服を綺麗にしてくれた!

 魔法ってすごい。

 形容しがたい紫色に染まったシャツが、元通りの色に戻ったんだもの! 僕、ヒールしか使えないからなぁ……、もっと歳をとったら色々使えるようになるかな?


「アナベルくん、僕もアナベルくんみたいに魔法使えるようになりたい!」

「ヒールが使えりゃ十分だと思うぜ?」


 ヒール以外も使いたい! と全身で伝えれば、アナベルくんは面白そうに目を細める。


「そんなにか?」

「そんなにだよ!」


 必死で答えた僕がよっぽど面白かったのかアナベルくんは声をあげて笑った。


「じゃあ、後でさわりだけ教えてやるよ」

「やった!」


 後でだからな、と言いながらアナベルくんの目は僕から逸れてラウネさんを見たようだった。


「……で、ラウネ。どうする? お前も緑に戻してやろうか?」

「あたしはいいわ。体内で毒液作ってたら色抜けると思うし」


 そう言う間にも、ラウネさんの体を包む紫が薄くなっていく。代わりに、彼女の腰を彩る花々にどす黒い紫色の蕾が加わって、むくむく大きくなっていっている。「さ、行きましょ」と澄まし顔のラウネさんに「あっ肩に虫!」なんて言ってふざけるアナベルくんは、ひとしきり楽しそうにしてから歩き出した。


 僕はアナベルくんと繋いでいる手をしっかり握り直して、彼に遅れないように歩き出した!


 ******


 マグマの中の一本道や、猛吹雪の道、それから、いくつも雷が落ちてくる道なんかを踏破した僕らの前には、大きく黒い、魔王様のお城が建っている。


 周りにはとても濃い魔力が漂っている。アナベルくんによると、この魔力は、魔王城を形作っている放魔剛石というものから放出されているらしい。

 アナベルくんが魔力のほとんどを吸いこんでくれたから、僕らは気持ち悪くなることも興奮して暴れちゃうこともなかった。


 その代わり――


「さ、着いたぜ魔王城。ほら、ジョシュア」

「う、うん……」


 ――素面の僕は、度を越えて緊張していた。


 だ、だってよく考えたら、僕、魔王様に会うの初めてなんだもの!

 年明け祭りの時にお声は聞いたことあるけど、それも魔物全体へ向けた念話のあいさつで聞いただけだもの!


 ちょ、直接会って、お話するなんて……!


「き、緊張する……」

 

 目の前にある大きな大きな扉を見つめながら、僕は手をモジモジさせる。そんな僕の背中を、アナベルくんが促すように叩いている。


「大丈夫だって。んなに大したことじゃねぇからさ。ほら」


 開けな、と言外に伝えてきているアナベルくんを見て、それから僕はラウネさんを見た。彼女は、僕と同じように緊張しているようだった。

 それを見たら、なんだか安心して、ちょっとだけ緊張が和らいだ。


 僕は大きく深呼吸をして、それから、巨大なドアに手を添えて思いっきり体重をかけた。

 扉は見かけによらない軽さで、音もなく静かに開いていく。ずりずりと地面を蹴りながら押し開いていくと、中から光が漏れてきた。


 それから、なんだかとっても懐かしい感じのする優しい魔力の香りが漂ってきた。


「こっ、こんにちはー! 魔王様、いますかー!」


 意を決して扉の隙間から顔を出し、叫ぶ。と、返ってきたのは――


「およ?」


 ――柔らかく幼い感じの声だった。


 僕は、漏れでる光になんとか目を慣れさせて、奥の方、声のした方へと目を向ける。


 扉の向こうは、晴天の下で輝く綺麗な花畑だった。

 色とりどりの花を背景に、大きな木が一本、生えている。その下で、綺麗な銀色の長い髪がふわりと揺れて僕の方を見た。


 銀の髪の人は、木の世話をしていたのだろうか。手には何か、銀色で水がシャワシャワと出るものを持っている。


 その人は、『何を持ってるんだろう?』と首を傾げる僕の方へと向かってきているようだった。キラキラ輝いてしか見えなかったその人の姿が鮮明になってくる。銀の髪の中から捻じ曲がった黒い角が一対伸びているようだ。


 それを見て、僕は『あっ!』と思った。


「ま、まおうさまだ……」


 僕はガチガチになりながら、ぴしっと気をつけの格好をする。そんな僕に向かって、目の前の銀髪の人――魔王様は、ゆったり手を上げる。


「やあやあ、これは可愛らしいお客様。すまぬな、庭いじりをしておって気が付かんかったわ。来客用の部屋に変換すかえるゆえ、一度扉を閉めてくれんかの」


 僕は、可愛らしい声にやっと頷いて扉を引っ張った。扉は、ゴゴウ、と口を閉じた。

 しばらくしたら、内側から扉が開いた。

 漏れてくる光は、さっきよりも少ない。


「待たせたの。さ、入るがよい」


 扉の影から顔を出した魔王様は、にっこり笑って僕らを手招いている。

 まず動いたのは、やっぱりというか、アナベルくんだった。


「年寄り臭い趣味しやがって」

「はっはっは。減らず口が変わらぬようで何より。さ、はよう入りなさい。もうすぐ、嵐の結界が起動する時間だからの」


 ほれほれ、と笑顔のままの魔王様。その褐色の手がちょいちょいと招くのに引っ張られるような気持ちになりながら、僕はぎくしゃくと足を出して大きな扉をくぐった。


 中は、さっきとは打って変わって室内だった……っていう言い方はおかしいのかもしれない。


 中に入るんだから、そこに空は広がっていないし花畑もないのは当たり前のこと。

 けれど、僕は扉の向こう側がさっきとまるで様子が変わっているのを、なんて表現したらいいかわからなかった。


 例えるなら、雰囲気は――そう、クリエさんの家。

 

 クリエさんの家みたいに白一色ではないのだけれど、なんていうか、似ていると感じた。


「さ、座りなさい」


 魔王様が小さな指を鳴らす。と、何も無いところから丸いテーブルと椅子が生えてくる。


 魔王様がぴょこんと椅子に飛び乗るのと同時くらいに、アナベルくんがドカッと腰かける。僕とラウネさんは顔を見合わせて、それからおずおずとテーブルに近付いた。


 ラウネさん用の椅子は僕らのよりも随分大きい。その隣、魔王様の向かい側に僕の椅子がある。何とかよじ登って一息ついて顔を上げると、魔王様が微笑ましそうにニコニコ笑って僕を見ていた。


 僕は固まって動けなくなってしまいながら、なんとか左右の様子を伺った。


 ラウネさんは僕とほぼ同じ。持ち上がった葉っぱのスカートの下で根っこの足をモジモジさせて落ち着きなさそうにしている。

 

 アナベルくんはすごかった。

 折れちゃいそうなほど細い脚をギイギイ言わせながら椅子を傾けて足を組んでいる。まるで、自分がこの城の主だとでも言うような態度だった。

 

 でも魔王様は、そんなアナベルくんを叱る気配も見せなかった。


「トレントよ」


 いきなり話しかけられて、僕はぴゃっと跳ね上がりながら「はい!」と返事をする。


「ふふ、そう緊張せんで良い。お主、菓子は好きかの? 食したことはあるかの?」

「おかし……キャンディーは食べたことあります!」

「そうかそうか。甘いものは好きか?」

「とっても好きです!」


 僕は、キャンディーがとてもおいしかったことを思い出しながら魔王様の言葉に笑顔で答える。そうしたら魔王様はパンパン、と手を二つ叩いた。すると、魔王様の横に大きくて真っ黒な根っこみたいなものが生えた。

 根っこはお皿を持ち上げていて、そこには平べったくて丸い物や、茶色い小さな塊がたくさん載っていた。根っこは器用にテーブルにお皿を置くと、魔王様の影に潜っていなくなった。


 まじまじと皿を眺める――うわぁ、棒付きキャンディーもある!


 思わず手を伸ばしそうになって引っ込めると、魔王様は大きな声で笑いながら僕の方へとお皿を押しやった。


「良い良い。好きなだけ食すがよい」


 それでも躊躇する僕を見かねたのか、アナベルくんがお皿に向かって手を伸ばした。二本足から四本足に戻った椅子が、ホッとしたように軋んでいる。


「ほら、遠慮せずに食いな」


 アナベルくんが僕の口に突っ込んだのは、茶色い塊だった。目を白黒させながらモゴモゴすれば、その茶色はとっても甘くて美味しかった。


「それで、我に何用かな?」


 魔王様の金の目が、僕らの顔を順番に見つめていく。慌てて口の中の物を飲み込もうとした僕に代わって口を開いたのはアナベルくんだった。

 

「こいつがさ、勇者になりたいんだとよ」


 いきなり本題だ! 流石アナベルくん!


「ほお、勇者に。お主も変わった者を連れてくる」


 魔王様は僕をじぃっと見ている。まるで、体の奥の魔心コアを覗いているようだった。


「うむ。心根の真っ直ぐな、良いトレントじゃな」

「だろ?」


 僕は、褒められて嬉しくなった。でもそんな僕より、なんだかアナベルくんの方が得意そうだった。


 嬉しいは嬉しいんだけれど……何が何だかわからない。

 とりあえず、と僕は口の中の甘いものを飲み込んで、しっかりと背筋を伸ばして魔王様を見た。


 僕が勇者になりたいって言うのは、さっきアナベルくんが言ってくれた。

 けれど。

 やっぱり、ちゃんと僕の言葉で伝えなきゃいけない。


 そう思ったから、僕は緊張に震える魔心を押さえるように胸元に手を置きながら、大きく息を吸って吐きだした。


「ぼ、僕は! ……――僕は、魔物の皆が平和に暮らせる世界にしたいんです。今は、魔王様も知っていると思うんですけど、人間が魔心を食べちゃって、それで、死んじゃう魔物がたくさんいるんです」


 僕は、魔王様を見つめながら言葉を続ける。魔王様は、静かに微笑みながら僕の話を聞いてくれている。


「僕、だから……だから、そういう事が起こらない世界にしたくて」

「トレントよ。お前は、人間が憎いか?」


 僕は少し考えてから首を振った。頭に浮かんだのは、魔車で一緒になった優しい人間たちの顔だった。


「――魔心を食べられちゃうのは嫌だけど、でも、僕らも人間を食べて生きるから。そういうのを、憎いとか思ったことは無いです。知り合いが食べられちゃったら、きっと悲しいけれど、でも、……はい。憎くはないです」


 だけど、と僕は言葉を続ける。


「憎くはないけど、でも、魔心を食べるのは止めてほしいなって思います。だからもし勇者になれたら、まずは、人間たちに『魔心を食べないでください』って言いに行ってみようかなって思います」


 僕は深呼吸をして、それから最後の言葉を口にする。


「だから僕、勇者になりたいんです。そのために、ここに来るであろう勇者を殺して食べたいんです」


 魔王様は静かに目を閉じた。


 ――駄目かな。


 ドキドキしながら、魔王様の綺麗な顔を見つめる。と、金の両目が開いて僕を映した。

 

 そして魔王様は――無言のままに、首を横に振った。

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