ラウネは、魔力酔いする

 魔王城の前――というより、魔王城を囲むすり鉢の縁に降ろされたあたしは、ゲロゲロ溶解液を吐いていた。


 どうにもあたし、乗り物には弱いみたい……こんな姿を晒すことになるなんて……悔しいっ!


「それでは、私は戻りますが……そこのアルラウネは大丈夫ですかな?」


 皇帝竜エンペラードラゴンの声に答えることもできず、あたしは四つん這いで吐き続ける。と、そんなあたしに影が落ちる。


 小さく顔を上げればそこにいるのはアナベルで、真顔であたしを見つめていた。そんな彼は何を思ったのか、あたしの顎を持ち上げてきやがった。


 普段なら文句の一つや二つ言うところだけど、今、口を開いたらアナベルに溶解液をぶっかけることになっちゃう。


 必死で我慢して口を閉じるあたしのことを観察しているらしいアナベルは、しばらくジロジロ見回してきたかと思えば、あたしの口元を乱暴にぬぐって、そして喚びだした水球でその手を洗ったみたいだった。


 何がしたいのよ、と思っていたら、アナベルの小さな手があたしの頭に乗っかった。途端、あたしの魔心コアがむず痒いような気持ちいいような、そんな感覚に襲われる。


 何してくれてんのよ、と思っていながら、それでも心地良さに抗えずに目を閉じる。と、アナベルの声が聞こえてきた。


「おー、平気平気。ただの魔力酔いだ、俺が吸い出すから問題ねぇよ」

「ああ、魔力酔い。すると、こっちのトレントも――ふぅむ、こちらは私が何とかしましょう」


 アナベルが「面倒見がいいじゃねぇの」とケタケタ笑っている。


「ほっほっほ。ここで魔力を蓄えて戻れば、戦場で貢献できますゆえ」

「ま、存分に吸っていけばいいんじゃねぇの」


 しっかし種族ごとの許容量の差ってのは大きいんだなぁ、とのんびり呟いて、アナベルは鼻歌なんかを歌い始めた。


 未だに状況が分からないあたしだけど、アナベルと皇帝竜の会話から察するに。

 どうもあたしは、乗り物酔いをしたのではなく。


 周囲の魔力濃度の急上昇によって、魔力に酔ってしまったらしい。


 言われてみれば確かに、魔の森の最深部よりずっと濃い魔力が肌を刺しているのを感じる。そりゃそうよね、だって、ここ、魔王様の居城のすぐ側だもの……! 


 直ぐに気付かなかった自分にちょっぴりの恥ずかしさを感じながら、あたしは魔心に集中する。


 魔力酔いだって言うなら、元凶の溜まりすぎた魔力を種とかに固めて吐き出せばいいのよ。

 ……と思ったんだけど。


「ラウネ、ラウネ。それ、疲れるだけだから止めとけ、な?」


 宙に浮きながら器用にしゃがみ込んでいるアナベルの声は、心底優しい。

 だからこそ、どうせろくでもない顔をしてるんでしょと思って目をこじ開ければ、案の定だった。

 アナベルは、ニタニタニマニマと目と口を三日月型に歪めて、あたしを眺めていた。


「ほら、目ぇ閉じてさ。悪いようにはしないからよォ」


 気持ちいいだろー? と首を傾げるアナベルを、ツタで叩く。けど、力が入らなかったから縋るみたいになってしまったのがすごく悔しかった……!


 ******


 そんなこんなで。

 ええ、あんなに悔しい思いの詳細なんて語るに足らず、よ。一生語るもんですか、魔心の奥底に封印よ、封印。


 ――とにかく、そんなこんなで。

 あたしは普通に動けるくらいには吐き気が収まったし、あたしたちの側にぶっ倒れていたらしいジョシュアも無事に目を覚ましてキラキラと瞳を輝かせている。


「アナベルくんアナベルくん、ここからどうやって魔王城まで降りるの?」

「俺の念力でひとっ飛び、と言いたいとこなんだがな、歩いて行く。じゃないとな、いつまで経っても魔王城には辿り着けない。そう言う結界が張られてんだ、ここ」


 へぇー! と一層目をキラキラさせたジョシュアが駆けだそうとするのを何とか捕まえて、あたしはアナベルを見た。


「歩いて行くにしても、道順とか決まってるんでしょ? きっと」


 あたしがそう言うと、アナベルは満足そうに笑いながら頷いて、あたしの頭を撫でてきた。


「そうそう、正解正解!」 

 

 ――なんかむかつく!


 振るったツタはひらりと避けられた。涼しい顔の下で揶揄いモードになっているアナベルを睨んだところでどうにもならないのはもう明白。だからあたしも澄ました顔でやり過ごしてやることにした。

 それすら楽しいらしいアナベルは悪魔の笑顔で上機嫌だけど、無視よ無視。


「俺が先頭行くから、お前らちゃんとついて来いよ。ほーら、ジョシュアー? お前は俺と手を繋いどこうなー」


 素直なジョシュアは「はーい!」とお返事して差し出された手を握り、楽しそうにしている。じゃああたしは、とツタを彷徨わせて、結局ジョシュアの腰にツタを巻いておくことにした。


「おし、準備万端だな。じゃ、行くぞー」

「おー!」

「お、おー……」


 ジョシュアが『おー!』なんていうから、あたしもつられてしまった。


 そのなんとも言えないくすぐったさに身もだえしたいあたしに突き刺さるのは、ジョシュアの楽しそうな嬉しそうな笑顔。それから、お前を弄るのが愉しくて愉しくてしかたないぜ、というアナベルの邪悪上機嫌な笑顔。

 うぐぐ、と思っていた時だった。


「ラウネの『おー!』、元気なかったよなー? ジョシュアー」


 にまぁ、と口を裂けさせながらアナベルが放った言葉に、あたしは頬を引きつらせる。


「確かに元気なかった! ラウネさん、調子悪い? 僕、ヒールする?」


 ジョシュアの言葉と顔の、まあ純真無垢なこと。アナベルの邪悪顔がすぐ向こうにあるから余計にそう見えるのかもしれないけど。


「べっ、別に調子悪くないから。平気よ」

「じゃあもっと元気に『おー!』って言ってもらいたいよなぁ、ジョシュア?」

「言ってもらいたい!」


 だとよ、とアナベルが笑う。ジョシュアが目をキラキラさせる。


 ――ぐぬぬぬぬぬぬ……!


「そら、もう一回タイミング作ってやっから。はーい、みなさんこれから魔王城に行きますよォー?」

「おーっ! ほら、ラウネさんも! 『おー!』って!」

「ぅ、……ぉぉー……」

「聞こえねぇなァ?」

「んぐ……ぅ、ぉぉおー!!!」


 ハイよくできました、とアナベルが歩き出す。その後頭部に向けてツタを振るっても、見えない壁に弾かれる。


「さあ、愉しいピクニックの始まり始まりだ、くくくくく……おや、行く手に見えるは巨大芋虫ちゃん! 可愛いでちゅねー、近寄ってみましょうか! なァ、ラウネたーん?」

「誰が近づくもんですかぶっ殺すわよ引きずるのやめなさい、アナベル、やめ、ぅぅぅぅいやぁぁあああぁぁ!」


 ――あたしはもう、魔王城に着くまでにどれだけ揶揄われることになるのかは、もう考えないことにした。

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