第三章:三人で過ごしたかけがえのない思い出
一、戦いの匂い
ジョシュアは、戦場に出くわす!
アナベルくんを先頭に、僕らは街道を進んでいく。
僕は俯きながら歩いている。
別に落ち込んでいるわけではなくて……というかアナベルくんが帰ってきてくれたのがすごく嬉しくてルンルン歩いていたのだけれど、ちょっと気になることを見つけてしまったのだ。
何が僕の目を奪っているのかというと、今、僕が歩いている街道だ。
「ジョシュア、前見て歩きなさいよ」
転ぶわよ、と言うラウネさんの注意に「うーん」と返しながら、それでも僕の目は街道以外を映さない。
呆れたような溜め息が聞こえたかと思えば、僕のお腹にラウネさんのツタが巻き付いた。転ばないように支えてくれているみたい。
僕はラウネさんに「ありがとー」と言って、それから、前を歩く背中に向けて声をかけた。
「……ねぇー、アナベルくーん」
モソモソした僕の声に、アナベルくんは「あーン?」と声を返してくれた。聞こえ方から言って、彼は前を向いたままみたい。
「どうしたー、ジョシュア」
「あのねアナベルくん。僕気になることがあって」
「気になることぉ?」
アナベルくんが、くるり、と振り返った気配がする。僕は街道に敷き詰められた石をじっと見ながら指を指した。
「これ見て、街道がボロボロなの。ところどころ黒く焦げてるし……なんでかなぁ?」
と、そう言った瞬間だった。
ひゅー、と何かが飛んでくる音がして、僕らの行く手に、大きな何かが着地したみたいだった。
目を丸くする僕の前で、街道を覆っている石がメキメキと音を立ててヒビ割れていく。そのヒビは、なんと、僕が指差しているところまで広がってきた……!
何事!? と慌てて顔を上げれば、太陽を遮る何かがそこにあって、僕らの方へと影を落としていた。
すす焦げた緑色の鱗と、金の角。それから、分厚い翼を大きく大きく広げた巨体。
――極熱火山のドラゴンさんだ!
挨拶しよう! と僕が口を開いたのとドラゴンさんが大声で吠えたのは同時だった。音と共に襲い掛かってくる風圧と、それから、炎の匂い。僕は思わず、ぐっと目を閉じてしまった。
「取りこぼしがおるではないか! 人竜部隊は何をしておるのだ、まったく!!」
人間にとっては咆哮にしか聞こえない声だけれど、僕らにはちゃんと言葉で聞こえる。だから、「僕たちは魔物です!」と言いたいんだけれど、通り抜けていく熱風に圧されてしまって何も言えない。
「それともあれか、逃げ延びたのではなく、切り伏せてきたとでもいうのか! 笑ぉぅ止!」
うんたらかんたら、と言葉を続けるドラゴンさんに、僕は身振り手振りで「違う違う」と何とか伝えようとするんだけれど……いかんせん、ドラゴンさんは巨大で、僕は今、小さいから! 伝わらない!
――ど、どうしよう! これじゃあ、魔王様の所に
「――であるからして、貴様らの進む道はこの先にはない! 死ねぃ!」
ドラゴンさんが大きく息を吸った! 炎を吐くんだ! どうしよう、炎なんて吐かれちゃったら、僕は、ううん、僕だけじゃなくて、アナベルくんもラウネさんもウッドゴーレムも燃えちゃう!
そんな風に慌てた僕だけれど、炎の風はいつまでたっても僕らを包むことは無くて。
代わりに、ちょっとだけ熱い風が僕を包み込んだ。ふんふん、と風が吹いたり吸い込まれたりするこれは、ドラゴンさんの鼻息だ。
「この匂い……ん? んんー?」
「あわわ」
すうーっと吸い込まれて転びそうになった僕を持ち上げてくれたのはアナベルくんの念力だ。アナベルくんはニヤニヤしながら、僕を左右に振っている。ぶんぶん振られる僕を追いかけるように、ドラゴンさんの顔が着いてくる。
僕は、タイミングを見計らって、ドラゴンさんの鼻先を抱きしめるように捕まえた。
金色の目が少し寄りながら僕を見ている。
――これだけ近ければ!
と僕は大きく息を吸いこんだ。
「僕! 魔物! です!」
風一つ動かない静かな空気の中で、ドラゴンさんが瞬きする音がよく聞こえた。
「よく! 匂い! 嗅いでください! 僕! トレント! です!」
一言ずつ区切るように叫べば、ドラゴンさんは「おぉう……」と唸って、それからゆっくりと顎を地面に沿わせてくれる。地面が近くなったからだろう、アナベルくんの念力もフッと消えて、僕はポテンと地面に落っこちた。そのまま一息つきながら空を見上げていたら、小さな影がたくさん、僕たちの方へと飛んでくるのが見えた。
何だろう、と思っていたら、それは流れ星みたいに落っこちてきて、ドラゴンさんの横に着地した。
今度は何だ! と思って僕が起き上がると、降りてきた流れ星――もとい、ドラゴニュートさんたちが駆け寄ってきて、僕の背中の土ぼこりを払ってくれた。彼らの目はジトリとドラゴンさんを、そして、かっこいい角の生えた体格のいいドラゴニュートさんを見つめている。
――あ、このドラゴニュートさんたち、スフィフの街を過ぎたあたりですれ違ったドラゴニュートさんたちだ!
どうしたんだろ、とキョロキョロする僕の前で、体格の良いドラゴニュートさんが困ったような顔をして、牙の生え揃った口を大きく開いた。
「おいおい、かあちゃん何やってんだ」
こんな小っちゃいトレントの坊主に、と。そのドラゴニュートさんがそう言った瞬間、他のドラゴニュートさんたちも「そうだ、そうだ」と言い出した。
「隊長の言うとおりであります!」
僕を撫でてくれているドラゴニュートのお姉さんがそう言うと、ドラゴンさんは「ううっ」と詰まった後に、大きな翼をペタリと地面に這わせた。
そんなドラゴンさんの口から飛び出すのは――
「やだもー! ごめんなさいねぇ、坊ちゃん。あたしってば、今、ドラゴン風邪ひいてて鼻が詰まっちゃって詰まっちゃって! もー、いやぁねぇ、ンおほほほほほほほ!」
ドラゴンさんが笑うと強風が起こって僕とラウネさんは飛ばされそうになった。というか、アナベルくんが捕まえてくれなかったら多分空飛んでたと思う。
そんな僕らの方を向いて、隊長と呼ばれたドラゴニュートさんがぺこりと頭を下げている。
「悪いなぁ、坊主たち。怖かったろ? 怖かったよなぁ? ごめんなぁ、うちのかあちゃん、顔は怖いし、察しは悪いし、思い込んだら一直線だし……」
「やだ! とうちゃんってばそんなこと言って! あたし、アンタたちがやられたんじゃと心配で心配で――」
二人の会話が何だか面白くて、僕はクスクス笑ってしまった。だって、まるでアナベルくんとラウネさんみたいなんだもの!
僕はそう思いながら口元を押さえてウフフと笑って、ぎゃいぎゃいじゃれあい始めたドラゴンさんとドラゴニュートさんを眺めていた。そしたら横からため息が聞こえてきた。
「夫婦漫才は後にしてほしいでありますよ! まったく……それより、気になるのは君たちだってのに」
僕の側にいた青い鱗のドラゴニュートさんはそう言うと、しゃがみ込んで僕と目を合わせてくれた。
「君ら、魔の森の魔物じゃないかい?」
「そうです! えっと、勇者になるために勇者を食べたくて、それで、えっと、魔王城に行くんです!」
僕が一生懸命伝えると、青いドラゴニュートさんは「ふむ」と頷いて、それから、未だにじゃれあっているドラゴンたちの方に向かって大きく大きく口を開いた。
「隊長、奥方様! このトレント達、魔王城へ行きたいそうでありますが!」
「そうか、魔王城に。でもこの先、のこのこ歩いていたら、きっと――」
隊長さんと『奥方様』さんが目を見合わせる。僕はそれを、ドキドキしながら見つめていた。
――『お前は弱いから行ったらだめ!』って言われたらどうしよう……。
なんだか泣きたい気分になったけれど、僕の体には涙腺は――ん、待てよ? どうだろう。僕の体、涙腺無いのかな。前の体の時は無かったけど、僕の今の体を創ったのはクリエさんで……まあ、いっか!
僕の目から涙が出るのかどうかはわからないけれど、とにかく僕は泣きたい気持ちでドラゴンさんたちを見る。なんだか目が熱くなってきているような、そんな感覚を味わっている僕の前にドラゴンさんが顔を下ろした。
「よぉし、怖がらせちゃったお詫びとして、おばちゃんが乗せていったげる!」
「ほ、ホントですか!? でも、なんで? 歩いて行ったら駄目なんですか?」
僕の疑問に答えてくれたのは、ドラゴンさんでもドラゴニュートさんでもなく、アナベルくんだった。
「どーせまた『砦街』で人間と魔物がぶつかってんだろ?」
「そうそう! そうなの! しかも、今回のはかなりデカいのよぉ!」
ドラゴンさんが興奮した様子で翼をバサバサするものだから、砂埃が舞う。
「すんごい大規模なの! んだもんで、あたし、人間たちが物資補給やらなにやら出来ないようにここを任されていたってわけなのよォ! そんな大役だから、ネェ? 気も張っちゃって、ネェ?」
えへへ、とドラゴンさんが笑っている。僕もつられて笑う。そしたら、ドラゴンさんは大きな大きな指で僕の頭を撫でてくれた。
「そう言うわけだから、おばちゃんと空の旅しましょっか! ね!」
ほら乗って乗って! と促されるままに、僕らはドラゴンさんの背中に乗って、ぐーんと空高くまで飛びあがった!
******
空の旅は、とってもとっても気持ちよかった――のだけれど、そう長くは続かなかった。
「あいたたたた……はー、まいったもんだわねぇ。人間の武器ってのも侮れないわぁ」
僕らを乗せてくれていたドラゴンさんは、『砦街』の中ほどあたりで飛んで来た大きな鉄の球に打たれてしまって、『砦街』の周りの荒野へと墜落してしまったのだ。
僕は一生懸命ヒールを使っているんだけれど、大きな大きな穴の開いた翼は、一週間くらいヒールをかけ続けないと治りそうになかった。幸い、血は止まったけれど――
「ドラゴンさん、ごめんなさい……」
僕は、しょんぼりしていた。
「やぁだ、坊ちゃんが謝ることじゃないのよ。あたしの翼が弱かっただけだもの! 歳って嫌ぁねぇ。昔はこれでも、
「そうそう、牙すら通さぬ鋼の鱗ってなぁ」
ドラゴンさんはケラケラ笑う。しょんぼりしていた僕も、つられて笑う。そんな僕を見つめてニッコリ笑ってから、ドラゴンさんは僕らを乗せて起き上がった。
ドラゴンさんとドラゴニュートさんの会話を聞くに、ノシノシ進む方向に野営地があるみたい。
そうやって、ドラゴンさんの背中の上で揺られる事しばらく。
「――ん? あれは……」
僕らの横を飛んでいる隊長さんの呟きが風に乗って聞こえてくる。
「どうしたんですか?」
と僕が尋ねたのが聞こえたのか聞こえなかったのかは定かではないけれど、隊長さんは悩むように唸りながら、ドラゴンさんの頭の横に飛んで行った。
「どうしたんだろうねぇ、アナベルくん」
僕は首を傾げながらアナベルくんを見た。彼は、好奇心に任せてきょろきょろしているラウネさんが落っこちないようにと捕まえながら、胡坐をかいて頬杖をついている。
そんなアナベルくんの表情は、興味深そうな感じを纏っていた。目も青く輝いていて、僕はその中に、大きな大きな骸骨を見た。
――大きな骸骨って、もしかして……。
と考えながら前を見れば、アナベルくんの瞳越しに、ではなく、僕の目に直接骸骨の姿が飛び込んできた。
遠く砂埃の幕の向こうに大きな大きな骸骨が座っているのがよく見える。その横には、大きな赤い宝石みたいなものがあって――と、僕が目を凝らしている時だった。
「おい、ドラゴン。お前んとこの女王様もいるみたいだぜ?」
アナベルくんがくつくつ笑いと共に溢した一言が、ドラゴンさんに鞭を入れたみたいだった。
ドラゴンさんの歩みが、駆け足になる。そしてそれが全速力に変わった時には、僕とラウネさんは、ドラゴニュートさんたちに抱えられて空の上にいた。
「……ぎゃー! 飛んでる! 何、なんなのアナベル……じゃない!? 何事!?」
そう叫んだのはラウネさん。ドラゴニュートさんは「申し訳ない」と謝りながら、僕らを運んで行ってくれるけれど、『何事なのか』は教えてくれなかった。
この疑問に答えてくれたのは――
「
――やっぱり、アナベルくんだった。
彼はプカプカと――僕ら、すごい速さで運ばれてるのに――のんびりした顔で自力で飛んでついてくる。寝っ転がったような格好で着いてくるのはアナベルくんの余裕のあらわれみたいで、とってもかっこよかった。
「――は? ちょ、アナベル。アンタ、今、なんて……」
「死の谷の長と極熱火山の長が、戦場くんだりまでやってきてるって言ったんだよ。こりゃ、俺が思ってるより大規模かもしれねぇなぁ」
アナベルくんはクッと昏い顔で笑いながらそう言って、それからフッとそれを人形の笑みに変えた。そしてその顔のまま、彼はすごく小さく口を開いた。
多分、僕がアナベルくんのことをジッと見つめていたから気が付けたんだと思う。
――ユウシャが来てやがるか。
風の叫び声にもみくちゃにされた声だったけれど、聴き間違えるわけがない。
アナベルくんは、確かに、確かにそう言った。静かな静かな
「アナベルく……」
と僕が言いかけたところで、僕を抱えてくれているドラゴニュートさんがグンと下降を始めた。アナベルくんは高度を下げないから、僕と彼との距離が開いていく。
「着地するから口閉じてた方が良いよ!」
ドラゴニュートさんの言葉に僕は素直に口を閉じ、それから、やっとのことでアナベルくんから目を離して下を見た。大きな骸骨と赤に染まった大きな水晶玉がそこにある。
そうしているうちにも、地面がどんどん迫ってくる。
抱きかかえられてるから、僕のマントははためかない。でも、ウッドゴーレムのマントはヒラヒラする。頬に当たるヒラヒラにくすぐったさを感じながら、僕はぎゅっと口を閉じて、そして衝撃に備えた。
けれど、着地は身構えたのが恥ずかしくなるくらいに柔らかな物だった。
ととっと勢いに押されて数歩進んで足元を見れば、僕の足は何事もなく地面に立っていた。
ラウネさんもアナベルくんも、僕の近くにふわりと着地。みんな無事。
良かったぁ、と思いながら周りを見回して、そこで僕はすっかり緊張してしまった。
右を見れば、一面、
左を見れば、一面、ドラゴンさんだらけ。しかも、ドラゴンさんたちの前の方には、皇帝竜さんたちがいる。
それでその全員が、緊張した顔をしているんだもの。そりゃ僕だって緊張しちゃうよ……!
緊張にキュッと口を閉じた僕は、隣のアナベルくんの腕を抱きしめる。
「おいおいお前ら、そんなにくっつかなくたっていいだろ?」
――お前ら、という事は僕の反対側にはラウネさんが縋りついているのかな?
真剣な顔のままそんな風に考えていたら、アナベルくんが歩きだした。
「うわわわ……!」
「ちょ、アナベル、あたし、心の準備が……!」
「はいはい、さっさと顔見せに行こうなー」
こんな緊張した状態でも、アナベルくんはアナベルくんだった。
彼は余裕しゃくしゃくな顔で楽しそうに――邪悪に――笑いながら、僕とラウネさんを馬鹿力で引きずっていく。
僕らの左右のドラゴンさんたちと骸骨戦士さんたちは、怒った顔も笑った顔もせずに立っている。それを確認してから、僕はそろりと、上目遣いに前を見る。
僕らの進む先。
そこにいるのは、光沢のない黒い鎧を纏う大きな骸骨――死の谷の長・
その眼前まで引っ張り出された僕とラウネさんは、緊張に震えている。
魔の森にだって
長二人が戦いの前で高ぶっていて何かオーラみたいなものを出しているのかもしれないし、僕の方が初めて会う長二人に過剰に緊張しちゃってるのかもしれない。
そのどちらでもないかもしれないけれど――とにかく、僕とラウネさんが緊張しているのは事実。
そんな僕らを引っ張り出した
「よぉ。トムラ、ラキエ。元気してたか?」
――僕は、『あっ、僕ら怒られて死んじゃうかも』と思った。
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