ジョシュアは、勇者とご飯する!
「こ、こんにちは勇者さん!」
僕の裏返った声が夕暮れの空に響く。
尻餅をついたままの僕を見下ろすのは、勇者の紫色の瞳だ。逆光の中で光って見えるその瞳に見覚えがあって、どこで見たのか必死で考えた僕の頭に浮かんできたのは、アナベルくんの顔だった。
勇者のこの、奥底から輝くような瞳。
これって――アナベルくんが目に魔力を流して何か力を……『鑑定』とかを使っている時と同じ!
――つまり、もしかして僕、勇者に『鑑定』されてる……?
「ど、ど、どうしたらいいかな、ラウネさん……」
僕がひそっと囁いて見上げると、ラウネさんは固まりきった無表情でゆるゆると首を横に振った。
いかに鈍感な僕だって、この状況で彼女が言いたい事は、言葉がなくなって良くわかる。
どうしたらいいかなんてわからないわよ、と。
ラウネさんは、そう言っている。
ラウネさんでさえどうしていいかわからないのに、僕にわかるはずがない。
僕はさっきの「こんにちは勇者さん」以外は言えずに、ただ尻を地面につけている事しかできなかった。
夕暮れの下、静寂が痛いほどだった。
そんな状況を壊したのは――勇者だった。
スッと迷い無く、勇者の手が動く。僕の方へと伸びてくる。
ラウネさんのツタが手を握ってくれたのを感じながら、僕はギュッと目を閉じて、『ああ、僕、勇者になれずに死んじゃうのかぁ……』と思った。
思った――のだけれど。
「そんなに怖がらなくていい。ほら、手を」
静かな声に恐る恐る目を開けてみたら、勇者の手は僕の少し前で止まっていた。勇者は僕に手を差し出して、身を屈めている。
瞳は、もう光ってはいなかった。
「えっなんで……?」
「なんでって……起き上がらせるため、かな」
勇者は少し困ったような顔で笑っている。その顔があまりにも優しそうで。
「あ、あ、ありがとうございます……?」
僕はついつい、その手を取ってしまったのだ。
勇者の手はとても温かくて大きくて、彼は僕のことを簡単に引っ張り上げてくれた。
僕がお礼を言うと、勇者は「気にするな」と言って、それからこんな風に言葉を続けた。
「それで――君たちは、なぜこんな所に?」
勇者は優しい顔をしているけれど、その手は僕を引っ張り上げたあと、当然のように、腰に佩いた剣の柄に収まった。
――言葉を間違ったら、僕も、それからラウネさんも死んじゃうぞ……。
僕はゴクンと喉を鳴らして、カラカラの口を開いて――
******
――結論から、言おう。
「――そうか、それで遥々……いや、大変だっただろう」
勇者は、すごくすごく、すごく、優しかった。なんなら、僕らが魔物だって知っていても優しくしてくれそうなくらい優しかった。
いや、うん。僕だって、流石にわかってるよ。
「僕は本当はトレントです! あなたを殺して食べるために追いかけてました!」……なんて言ったら、きっと僕らは殺されちゃう。
けど、なんていうか……うーん、僕の頭じゃいい言葉が思いつかない。
アナベルくんがいたら、丁度いい言葉を教えてくれたかな?
――とにかく!
勇者は僕のこともラウネさんの事も殺さなかった。僕が「勇者に憧れている」って言うのを上手に説明できたのも大きかったかも。
とにもかくにも、僕らは生きている。
そしてしかも――僕らは、今、勇者たちと一緒にご飯を食べている……!
遠くから来た僕たちを労うため、と勇者は言っていた。それを断ると不審に思われそうだったから、僕もラウネさんも勇者の提案に頷いたんだ。
だから僕たちは、すっかり夜色に染まった空の下で、焚き火を囲んでご飯を食べている。
「――それで、君の生まれた森には他にどんな魔物が?」
談笑しながらスープをすすっていた僕に、勇者が笑みを作りながら言った。
「えっと、えっと……」
僕の耳には今、ラウネさんの極細のツタが張り巡らされている。そこから聞こえる小さな小さなラウネさんの声は『誤魔化したほうがいいわ』と囁いた。
――誤魔化す、誤魔化すってどうやってやれば……!!
しばらく「えっと」で繋ぎながら考えたってわからなくて、だから僕は、勇者に向かって曖昧に笑って首を振ってみせた。
「……それもそうだ、森で生まれて当たり前に魔物を見て育てば、その魔物の名前なんてわからないものな」
変なことを聞いてすまなかったね、と言って勇者はスープに口を付けて――そこからしばらく沈黙が続いた。
それが息苦しくて、というわけではないんだけれど、僕はさっきから不思議に思っていたことを勇者に聞くことにした。
「勇者さん、勇者さん」
「なんだい?」
勇者の声はどこまでも優しい。まるで、魔の森の長老が森のみんなに声をかけるときみたいな、そんな安心感のある声だ。
僕は
「勇者さんの隣にいるにんげ……じゃなくてえっと……お兄さんたち。さっきからずっと黙ってるし、ご飯も食べてないみたい――」
「呪いをかけられていてね」
僕の言葉を遮るように言いながら、勇者は変わらず優しく笑っている。
「そうなんですか……」
解呪できない? と聞くと勇者は笑んだまま頷いた。ふむむ、人間は僕たち魔物と違って、解呪できない呪いにもかかるんだねぇ。大変だねぇ。
のんびり考えながら、僕は勇者の隣の人間二人を眺める。青い顔は、丁度、血が抜けきった肉の色みたいだった。
そんな風に眺めていたら、カチャンと金属の擦れる音が聞こえた。音の方を見れば、丁度、勇者が立ち上がったところ。音の発生源は――と目でたどって、僕は勇者の腰に釘付けになる。
「そ、それ!」
僕が思わず声をあげると、向こうの鞄に何かを取りに行こうとしていたらしい勇者が「ん?」と首を傾げた。
「そ、それ、それ……! 聖剣、ですかっ!?」
「……ああ、これ。これは――そう。聖剣さ」
「わー! わー……!」
僕は興奮して勇者に飛び掛かりそうになった。勇者が腰に佩いている聖剣を奪い取るために。
けれど寸での所で踏みとどまって、僕は宙に彷徨わせた手を引っ込めて、誤魔化すようにスープを飲みほした。
――危ない危ない。僕が真正面からかかっていったって、きっと勇者には勝てないもの。もっと隙を見つけなきゃ……!
僕がそんな風に考えているのを知らない勇者は、ニコリと笑って鞄を漁り、そして小さな瓶を手に戻ってきた。彼はその瓶の中身を鍋に入れてかき混ぜて、それから僕を見た。
「良い食べっぷりだね。おかわりはどうかな?」
「食べます!」
僕は立ち上がって勇者の所へ行って、入れ物を差し出した。そうしたら、勇者はたっぷりとスープを入れてくれた! 溢さないようにラウネさんの隣に戻って、そしてスープを啜る。
――さっきと味が変わった!
ピリピリっと口の中で火が跳ねまわるような感覚がするのがとっても面白いし、僕、このスープ好き!
僕はそう思いながら、キノコや葉っぱを飲み込んで、ぺろりと唇を舐めた。
なんだか楽しい気分になって、僕はパクパクとパンを食べて、ごくごくスープをお腹に入れていく。
こうして食べ物を口から体の中に入れるのは二回目だけど、お腹の奥があったかくなるのがとっても不思議で幸せで、僕は無意識にニコニコと笑ってしまっていた。
ふと前を見れば、焚き火の向こうにいる勇者が僕をジーっと見つめている。
「どうしたんですか?」
僕が首を傾げると、勇者はニコニコしながら口を開いた。
「スープ、美味しいかい?」
「とっても!」
「それは良かった。美味しそうに食べてくれて、私もうれしいよ」
そう言いながら、勇者はジリッと膝を立てて、僕の方に手を伸ばしてきた。勇者の手は焚き火の上を飛び越えて、僕の方へと向かってきている。火にあぶられてるけれど、熱くないのかな? と首を傾げる僕の目の前まで手が迫ってきて――
がらがらぴしゃーん! と。
――いきなりの事で、僕は何が起きたのかわからなかった。
「……びっくりした、何今の。雷?」
ラウネさんが僕を抱き寄せながら呟いた言葉に、僕はさっき何が起きたのか、やっと理解できた。
「あっ、さっきの雷だったんだ! 僕、びっくりしすぎて何が何だか分かんなかったよ! こんなに近くに落ちるなんて――と言うか、僕の目の前に……」
そこまで呟いて、僕はハッとした!
――勇者! 勇者は無事かな!?
「勇者さん! 大丈夫でしたか?」
僕の目の前にあった彼の手が無くなっているから、もしかして黒焦げ通り越して灰になって死んじゃった!? それじゃあ食べられない! どうしよう! ……と慌てたんだけれど、そこは流石勇者。雷が落ちる前にサッと避けたみたい!
勇者は、焚き火の向こうに腰を下ろし、笑顔のまま空を見上げている。
その目はなんだか、曇った夜空に何かを探しているみたいだった。
「勇者さん?」
「――ああ、いや。何でもない」
さあ食事を再開しよう、と勇者は微笑んでいるんだけれど――なんだか、ちょっとだけ、変な感じがした。
******
僕らと勇者は、夜通し話し続けた。と言っても、喋っているのは主に勇者だった。僕の生まれた森の事や、今までどんな魔物にあったことがあるのか、とか。いろいろ聞かれたから、僕は答えたり、曖昧に笑ったりした。
太陽が昇ってきてあたりが明るくなっても途切れなかった勇者の質問がふっと止まる。見れば、彼は夜が追い出されつつある空を見上げて、やっぱり何かを探しているみたいだった。
何を探しているんですか、と聞いても勇者が「気にしなくていい」と言うものだから、僕とラウネさんは顔を見合わせて、それっきり探し物について尋ねることはしなかった。沢山質問して、勇者が怒り始めたら大変だもの。
――僕、知ってるんだ。人間ってこういうのを、『藪を突いて
僕はふふんと胸を張る。
と、そんな僕の方に勇者の目が向いた。
「――さて。私はもう発とうかと思っているんだが、君たちは?」
僕はラウネさんを見た。彼女は小さく小さく首を振っている。
ラウネさんの疲れの色が見える赤の目を見つめ、小さく頷いてから勇者を見た。
「僕たち、もう少ししてから出発します!」
ラウネさんも気疲れしてるし、これ以上長く一緒にいたら、僕が何かまずいことをポロッと言っちゃいそうだし。
きっと、アナベルくんも同じように言うと思うから、僕はキリッとしながら勇者にそう言った。
「……そうか」
勇者は少し残念そうな顔をしているけれど、それでも彼は僕らを無理やり連れていこうとする様子は見せなかった。
「それなら仕方ない。じゃあ、私は行くよ。君にはきっとまた会えるような、そんな気がする」
勇者はそう言うと僕らに背を向け、二人の仲間を連れて生まれたての朝陽の中を歩いて行ってしまった。
彼は、僕に背を向けている。
――今なら。
そう思ったんだけれど、僕の体は動かなかった。ラウネさんのツタかな? と思って目だけで見上げたんだけれど、どうやら彼女も動けないみたい。
そんな僕たちの体が動くようになったのは、勇者の背中が見えなくなって、暁色だった空がすっかり青空に変わった頃だった。
******
固まっていた体を解しながら歩いて、僕とラウネさんは大きく大きく首を傾げる。
「さっきの、なんだったのかしらね」
「体が動かなかったこと?」
うん、と頷きながらラウネさんがムムと腕を組む。
「アナベルの念力みたいな――」
と、その時。
「そうさ、俺の念力だよ」
楽しそうな高い声が、空から降ってくる。
僕とラウネさんは目を大きくしながら空を見上げた! と、そこにいるのは――
「アナベルくーん!! お帰りー!!」
僕は、黒い影を見上げながら、大きく大きく手を振る。すると黒い影――アナベルくんは、ヒラヒラと手を振り返してくれた!
「おう、ただいま」
「ちょっとアナベル、なんで念力であたしたちの動きを止めたのよ」
ラウネさんが口を尖らせてアナベルくんを見ている。アナベルくんはフワリと地面に降り立って、僕の頭をポンポン撫でた。
「だってお前ら、『今ならいけるかも』なんて思ったろ?」
ぎくッ! ……と息を詰めたのは僕だけじゃなかった。ラウネさんも僕と同じように考えてたみたい!
そんな僕らを青い瞳で見つめながら、アナベルくんはチッチッチ、と指を振る。
「おおかた、ユウシャの雰囲気に影響されたんだろうが……それは甘過ぎる考えだ。お前ら二人でユウシャの背中狙ったって、傷一つつけられねぇだろうよ」
だから止めた、と。アナベルくんはそう締めくくって、それから「さて!」と一つ手を叩いた。
「俺の用事も終わったし、魔王城目指して歩きだそうか」
地面を蹴ったアナベルくんがふよふよ浮かんで進み出す。
そんなアナベルくんの背中がすごくしっくりきて、僕は楽しい気持ちになりながら彼の背中を追いかけて駆け出した!
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