ジョシュアは、アナベルを見送る!
魔車はカタンカタンと揺れながら、軽快に街道を進んでいった。
ドーサの街からスオーフの街まで、普通の馬車なら三日くらいかかるらしいんだけれど、魔車だと一日かからずに到着するんだって! とっても速い!
どうしてこんなに速いのかといえば、牽いているのが
僕は、ぴゅんぴゅん飛んで行く景色を眺めながら、時々チラリとアナベルくんを見た。
アナベルくんは何というか……難しい顔をしていた。何か考えているみたいだった。僕は開きかけた口を閉じ、前を向く。
声をかけていいかどうか迷うのは、初めての事だった。それがどうにも――不安で。俯く僕の頬をウッドゴーレムが撫でてくれるけれど、僕の不安は晴れることはなかった。
「きみ、元気ないね。酔っちゃったか?」
短髪の人間の声に、僕はゆっくりそちらを見た。
「ううん、酔ってないよ」
「じゃあ、魔車に乗ってるの飽きちゃったか?」
優しい声だ。僕は黙って首を横に振る。
すると今度は長い髪の人間がごそごそと鞄を漁りながら僕の方にずいっと顔を寄せた。と、その手が鞄から飛び出して、それを見たラウネさんがピクンとツタに力を入れた。きっと、武器を出すんだと思ったんだと思う。けれど、ラウネさんは鞄から飛び出したものを見て、直ぐに脱力したようだった。
「じゃーん! 棒付きキャンディー!」
ナイフとかじゃなかった、とちょっとホッとしながら僕は首を傾げた。
「それ、なんですか?」
「えっ!? 知らないの!?」
「うん。僕、森で育ったので……」
僕がそう言うと、髪の長い人間は「うっ」と何かを喉に詰まらせたような音を出して動きを止めて、それから、手に持っている、取っ手の付いた小さな木の実みたいなものを弄り始めた。どうやら彼女は、薄い皮を剥いているみたいだった。
その様子をジッと見つめる僕の横で、アナベルくんが口を開いた。
「……人んちの
なんだか随分久しぶりに声を聞いたような気分になりながら、僕はアナベルくんを見た。彼の青い目は、きらきらと輝きながら髪の長い人間を――というか、彼女の持つ木の実? を見つめている。と、髪の長い人間がびっくりしたような顔をした。
「アンタ今、『鑑定』した?」
髪の長い人間の言葉に、アナベルくんは楽しそうに邪悪に微笑んでいる。そんな彼の様子にちょっと安心しながら、僕は成り行きを見守った。
「お、この
「アンタは黙ってなさいってば! ……呪い人形、アンタ今、『鑑定』したわよね。あたしと、それからこのキャンディー。なんでよ?」
髪の長い人間が『キャンディー』と言うらしいこの木の実に似たものを、アナベルくんに突きつけるように見せつけている。アナベルくんは人間の問いかけに答える気があるのかないのか、彼女の手からキャンディーを奪い取った。そうして、まだ残っていた薄い皮をはぎ取った。
そんなアナベルくんに、長い髪の人間が唇を尖らせる。
「答えなさいってば」
アナベルくんは大袈裟にため息を吐いた。
「そっちの……男の言うとおりだよ。お前から料理が下手くそな奴の匂いがしたもんでなぁ」
「なぁんですって!?」
「ジョシュアに変なモンの味を覚えさせるわけにはいかねぇしなぁ?」
むきー! と肩を怒らせる長い髪の人間を気にした風もなく、アナベルくんはクックッと喉を鳴らしながらキャンディーの革をはぎ取った。そしてそれを、僕の口に突っ込んだ。
「既製品だった。安心して舐めな、ジョシュア」
途端、僕は目がチカチカしたような気分になった。
だってこれ――すごく甘い!
思わずほっぺを抑えながら、僕は笑顔でアナベルくんを見る。彼は静かに微笑んで、それから僕から目をそらして、また景色を見つめ始めた。
「――鑑定を使える魔物が珍しいか?」
ぽつ、と零れたアナベルくんの言葉に、人間は大きく頷いている。
「珍しいなんてもんじゃないわよ」
「ほー。そりゃ良かったじゃねぇか、超珍しい魔物に出会えて」
アナベルくんはそっぽ向いたまま、普段通りの声色で人間と喋っている。
僕は口の中のキャンディーを舐めながら、人間を見た。
髪の長いの人間は「そういう魔物もいるのね」と呟いて、カバンからキャンディーを出して舐めはじめた。褐色の人間と大きな人間はこっくりこっくり眠そうにしている。
それから、短い髪の人間は――
「……なんだか、懐かしいな……」
――柔らかい表情で窓の外を見ていた。
僕は彼の視線の先にある青空を見て、それから彼を見た。
「何が懐かしいの?」
空? と声をかけると、人間は「ああ」と少し照れくさそうに笑って僕を見た。
「きみの呪い人形が、なんというか、知り合いに似ていて――」
そこまで言った短髪の人間はちょっと考えるようなそぶりを見せて、それから、いたずらっぽく微笑んだ。
「――良かったらなんだけど、俺たちにスオーフの街を案内させてくれないか?」
「えっ?」
僕の口が「どうして?」と言葉を発する前に、ラウネさんのツタが伸びてきた。ツタでぐるぐる巻きにされて口を塞がれる。
そんな僕を見て、短髪の人間と長髪の人間がぎょっとした顔を見せて構えるような動きをするから、僕は「大丈夫!」とモゴモゴ伝えて、それからラウネさんを見つめた。
「どうしたの?」
もちろんモゴモゴ喋り。
ラウネさんは、僕の言葉が聞き取れたのかそうじゃないのかわからないけれど、首を横に振りながら口を開いた。
「駄目よ、ジョシュア」
ラウネさんがそう言うと、人間たちがビクッと驚いた気配がした。
僕はラウネさんが何に対して『だめ』と言ったのか、それから、人間たちが何に驚いたのかもわからなくて、更に首を傾げた。
「なにが?」
僕がまたモゴモゴ言うと、ラウネさんは腕組みしながらため息をついて、そして「いいこと?」と言って僕の耳に口を寄せた。
「案内だなんて……人間なんか信用できないわよ。油断したところで魔心抜き取られるわよ」
ラウネさんは怖い声でヒソヒソ言っている。
うーん、本当にそうなのかなぁ?
僕には、目の前の人間が怖くは見えなかった。むしろ――
「優しそうだよ?」
僕がそう言ったら、ラウネさんが眉間のシワを深くした。ラウネさんはクワッと口を開いて何かを言おうとしたけれど、その前に魔車が止まった。彼女は開いた口をパクリと閉じて、緊張した様子で外を伺っている。
僕もラウネさん越しに窓を見た。すると外には、街があった。僕は、口の周りのツタをなんとかずらして、対面の人間に声をかけた。
「ここがスオーフの街ですか?」
この問いかけに答えてくれたのは、魔車の扉を開けてくれた人間。さっきまで馭者台に座っていた人間だった。
「違いますよ、坊っちゃん。休憩でさぁ」
「休憩?」
「ええ。ジュディスとメーロウはまだまだ元気ですがねぇ、俺たち人間はそうもいかねぇ。この村で少し休んで、また出発でさぁ」
坊っちゃんも尻が痛かったでしょう、と馭者の人間が言う。
別に痛くないけどなぁ? と思って僕が首を傾げところで、二角獣の二人が「ぶひひひひん」と特に意味も込められていない鳴き声を出した。すると、馭者の人間は「おっと失礼」と言って、生肉の入ったバケツを持って彼らの方に駆けていった。
僕の対面に座っていた人間たちは、ぞろぞろと魔車から降りていっては体を伸ばしている。それを見てから、僕はアナベルくんを見た。
「僕も降りた方がいい?」
そう尋ねると、遠くを見ていたアナベルくんの目が僕を見た。
その輝く青い目の中に、いつかのように人影が見える。
僕は「それ――」と言いかけたんだけれど、僕の声は口を開いたアナベルくんの声に遮られてしまった。
「降りて大丈夫――と言うか、ちょっと話があるから降りようぜ」
こいこい、と手招きしながらアナベルくんが魔車を降りるから、僕もラウネさんも彼を追いかけた。
「話って何よ?」
「俺、ちょっと用事を思い出したんだよ」
用事ィ? とラウネさんが腕組みをして首を傾げている。そんな彼女に、アナベルくんはコックリと大きくゆっくり頷いた。
「そ。どうにもならねぇ用事」
だから、とアナベルくんが地面を蹴って浮き上がる。彼は何かを言おうとしているのか静かに口を開いたのだけれど、躊躇するような様子を見せながらその口を閉じてしまった。それからアナベルくんは、自分のその行動に驚いたみたいな顔をした。
「アナベルくん。さっきから、なんか……元気ない?」
僕がそう言うと、アナベルくんは困ったような顔で首を横に振った。
「でも――」
ふわりと降りてきたアナベルくんの人差し指が僕の口を縫ってしまったようで、僕はそれ以上、何も言えなかった。
何も言えない僕に、アナベルくんは笑顔を見せてくれた。邪悪な笑みでも、人形の微笑みでもない。ただ、自然にニッコリと――でも、僕はその表情が一番作り物っぽい、と思った。
「俺は元気だよ。元気いっぱいだ。ただ、この後の――用事が、ちょっと」
アナベルくんは柄にもなく言い淀んでいる。彼はしばらく押し黙って、そして、僕らの背後でチリリリリンと鳴ったベルの音で誤魔化すように「心配で」と囁いた。
「何か心配なの?」
僕の質問には答えずに、アナベルくんは僕の頭を撫でた。それから彼は「お前も一応な」と言いながら、もう片方の手でウッドゴーレムの頭をチョンっと触った。
しばらくして、アナベルくんの小さな手が離れていく。と同時に先程まで彼が触れた部分がぼんやり暖かくなった。
「わちょ、何よ、あたしの頭まで撫でなくても――。……? アナベル、なんか頭が暖かいんだけど。何したのよ」
ラウネさんが首を傾げてアナベルくんを見上げている。僕も一緒になって見上げていたら、アナベルくんは静かに微笑んだ。
「ちょっとしたおまじないだよ。後はアレ、ちゃんと合流できるように、目印みたいなもんだ」
言いながら、アナベルくんは空をどんどん昇っていく。僕はどうにも不安で、ラウネさんにアナベルくんの目の前まで持ち上げてもらった。
「アナベルくん、すぐ戻ってくる?」
「ああ、すぐ戻るよ」
「ほんとう?」
「ほんと、ほんと」
何かあったら呼べよ、と言いながら、アナベルくんは僕のほっぺをぺちぺち優しく叩いた。
「――そしたら、すぐに飛んで戻るから」
な? とアナベルくんが普段通りに笑うので、僕も笑顔を返すことができた。するとアナベルくんは満足そうに頷いて、それから口を開いた。
「ラウネがいるから大丈夫だとは思うが、人間を信用しすぎるなよ。相乗りしたアイツらみたいに、話のわかる奴ばかりじゃないからな」
いいな、とゆっくり囁くアナベルくんに僕はしっかり頷き返す。それを見届けたらしいアナベルくんは、「じゃあな」と言ってギュン! と飛び去ってしまった。
「アナベルくーん、気をつけてねぇー!」
僕は叫びながら夢中で手を振る。それが見えたのかどうかは僕にはわからないけれど、アナベルくんの影は一瞬キラッと青く輝いて、向こうの空に消えていった。
僕は、影が見えなくなっても手を振り続けた。ラウネさんが僕の事を下へとゆっくり降ろしても、手を振り続けた。見えないアナベルくんに、手を振り続けた。
けれど、その手も地に足がついてしまってはユルユルと速さを失って、僕はゆっくり手を降ろして小さくため息をついた。
「アナベルくん、大丈夫かな……」
「大丈夫よ、きっとね」
「でもラウネさん、アナベルくん少し変だったよ」
「ジョシュア、大丈夫。大丈夫よ」
ラウネさんもちょっと不安らしい。彼女の言葉は、彼女自身に言い聞かせるような響きがあった。
――大丈夫。だよね。だって、アナベルくんだもの。アナベルくんは、魔法もたくさん知ってて、強くて、僕なんかよりずっと頭がいいんだから。
大丈夫、と心の中で噛み締めるように呟いたんだけれど、僕の足は根っこが生えたように動かない。ちらりと下に目を向けても地面に根っこは這っていないから、動けるはずなんだけれど……。
でも、ずっとそうしているわけにも行かない。
「出発しますよー!」
馭者の人間の声に、僕の足はやっと動くようになった。
魔車の方へと駆けながら、僕は考える。
――そうだ! アナベルくんが戻ってくる前に、勇者を殺して食べよう!
そうやって目的を思い出せば、不安もちょっとは吹き飛んでくれる。
「ふふふ! アナベルくんってば、きっと驚くぞー……!」
僕は口を抑えてクフクフ笑いながら、魔車に飛び込んだ。そして、先程まで三人で座っていた席にお尻を落ち着けて――そしたら、なんだか寂しい気持ちがしてきてしまった。
すっかり肩を落とした僕に、短髪の人間が声をかけてくる。
「呪い人形は?」
「ちょっと用事があるんだって」
僕がしょんぼり言うと、大きな手が僕の頭を撫でた。
「そうか。まあ、ええと、そんなに気を落とさず――あっ、そうだ」
人間の声は、僕を元気づけようとしているのがわかる声色で言葉を続ける。
「スオーフの街に行ったら、一番に何をしたいんだ?」
僕のしょげた気持ちが少し盛り上がる。
「勇者とお喋りしたいです!」
――勇者を油断させるために!
「それから、勇者と一緒に少しだけ冒険したい!」
――油断した勇者を暗殺して食べるために!
「それで、勇者になります!」
僕の決意とちょっぴりの不安と、それから人間たちの微笑ましそうな顔を乗せ、魔車は次第に速度を上げていく。
目指すスオーフの街まで、もう少し!
僕は青い空の向こうを見ながら、気合を入れるために大きく息を吐き出した。
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