三、良くない風が吹く
ジョシュアは、魔車に興奮する!
フカフカのベッドでの目覚めは、とっても気持ちの良いものだった!
お日様の光で目を覚ます僕とラウネさんは、まだ寝ているらしいアナベルくんを起こさないように気を付けて、ベッドを降りる。
昨日たらふく肉を食べたテーブルの周りは、まだちょっと良い匂いがする気がする。僕はその匂いを嗅ぎながら、太陽光のご飯を食べ始めた。
静かな朝の空気はとっても気持ちがよくて、僕の頭をしゃっきりさせてくれる。その結果、僕はとある疑問があったことを思い出した。
「そう言えば……ねえ、ラウネさん」
「なぁに?」
「人間って、どうして自分で殺した人間を食べないのかなぁ?」
僕の言葉に、ラウネさんは目をぱちくりさせてから「うーん」と少し唸って、それから首を横に振った。
「それが当たり前だと思ってたけど、言われてみれば……なんでかしらね」
「不思議だよねぇ。殺したんなら食べたらいいのに」
ねぇ、と二人して首を捻っていたら、静かな声が聞こえてきた。
「――人間も、不思議に思ってると思うぞ」
振り向けば、アナベルくんが薄っすら目を開けて僕らの方を見ていた。深い深い青空色の目を瞬かせながら、彼はムクリと起き上がった。
「何を不思議に思うっていうのよ?」
広げた葉っぱのドレスで日光を浴びながら、ラウネさんが腕組みをする。
「魔物のことさ」
アナベルくんの言葉に、僕はパチパチまばたきしながら首を傾げる。
だって、魔物のことで不思議に思うようなことなんて、ないんだもの。
何かを殺したら、食べる。それは普通のことでしょう? じゃあ、人間たちは何を『不思議だよねぇ』って思っているんだろう?
「何で不思議に思うの? 不思議なことなんて、一つも無いよ?」
僕がそう言ったら、アナベルくんは言葉を探すように視線を彷徨わせて、それから口を開いた。
「……魔物って、例えば、さっきまで仲良くじゃれあってた相手でも、腹が減ったらお互いに殺しあうだろ?」
当り前のことだ。
「うん。だって、僕たちって
かく言う僕だって、みんなと同じ。
体の奥の魔心さえ傷付かなければ大丈夫だから、僕の葉っぱを食べたい魔芋虫みたいな魔物には食べさせてあげている。とはいえ全部食べられちゃうと日の光を食べるときに美味しさが半減しちゃうから、あんまりたくさん頭に乗っかってきた時は、振り落として殺したりするんだ。それで、殺した魔芋虫の魔心はオークさんなんかに取り出してもらって、肉は僕の足元に埋めて食べるんだ。
それが、僕たちの『当たり前』。僕みたいに太陽の光を食べられる魔物ばかりじゃないから、食べたり食べられたりしなきゃ生きていけないもの。
取り出した魔心は、長老が全部預かってくれていて、時々来る魔王様の飛竜に渡して、魔王様にお届けする。僕やラウネさんみたいな植物の魔物は地面に埋まっていれば新しい体になれるけれど、そうではない魔物は、魔王様に新しい体を貰うんだ。
――という事を僕は口に出して確認した。だって間違ってたら困るもの。
僕はラウネさんとアナベルくんを交互に見る。ラウネさんは「当たり前の事よね」とウンウン頷いてくれている。対するアナベルくんは、ぼさぼさの頭を掻きながら「そうなんだよなぁ」と噛み締めるように呟いて、言葉を続けた。
「だけどなジョシュア。人間にしたら、それは不思議で――気持ちの悪いことなんだよ」
「えっ? どうして?」
「どうして、か。なんて言えばいいんだろうな」
ちょっと困ったような声色だった。アナベルくんにしては珍しい声色だ。
「そうだなぁ――……人間ってのは弱い。いや、今は確かに魔心食って強くなったかもしれないけどな……、どんなに強い人間だってな、昔の、弱かった頃の人間ってもんが積み重なってできてんだ。心と頭の根っこには、弱かった頃の人間ってのが絶対にいるんだ」
アナベルくんは黒髪をバサッと払い上げながら言う。直後、彼の背中にすとんと降りてきた髪の毛は、さっきまでのぼさぼさが嘘のようにサラッと真っ直ぐになっていた。
コキコキと首を鳴らしたアナベルくんは、ふー、とため息を吐いてから、指の球体関節を撫で始めた。
「人間は弱い」
だから、と吐息混じりに呟きながら、アナベルくんはベッドから浮かび上がって窓の方へとユラユラ飛んでいった。僕らに背を向けながら、彼は窓の下を見ているようだった。
「こうやって、大勢で固まって生きてる」
「でも――」
ゴブリンさんやオークさんも、みんなで一緒に暮らしてるよ。と言おうとした僕の言葉に、アナベルくんの声が重なる。
「確かに、ゴブ共やオーク共も集落と言っていい集団を作る――が。しかし、だ。それでもな、ひとつひとつの集団の規模を比べりゃ、人間のが圧倒的にデカいんだよ」
僕はふかふかの絨毯を踏みながら、アナベルくんの隣に立った。彼の見ているものを見たくなったからだ。ちょっと背伸びをして窓の向こうを見てみれば、まだ朝早いというのに、大通りは人間で溢れていた。
笑ってたり、急いでたり、悪巧みしていたり、荷物を抱えていたり。そんな人間が、たくさん、たーくさん。トスファの街にいた人間よりずっと多い。僕はちょっと目が回りそうな気持ちになった。
そんな僕の隣で、アナベルくんは静かに語り続ける。
「デカい集団であればあるほど、維持するためには隣人と手を取り合わなきゃならない」
アナベルくんが言った言葉の意味を、僕は必死で考える。
手を取り合うっていうのは、協力して生きるってことだよね? ゴブリンさんやオークさんたちも、それぞれ仲間と協力してご飯を集めたりしている。
きっと、人間もそれと同じってことだよね?
と、考えていたらアナベルくんの手が僕の頭に乗った。
「手を取り合う……――小さな自分たちを大きく見せるために。手を取り合う……――襲撃から身を守るために。人間は、手を取り合って、生きていく」
そこでひと呼吸おいてから、アナベルくんの青い目が僕を見た。
「強ければな、一人でだって生きられる。
「うん、作んない」
「でも、人間は違うんだよ。ドラゴンとは違うんだ。生き残るために、手を取り合う。手を取り合わなきゃいけない」
だから――とアナベルくんは静かに言う。
「人間は、昨日仲良くじゃれてた魔物が今日は殺し合ってるのが、気持ち悪くて仕方ない」
アナベルくんの言ったことを理解したくて考えるんだけど――すごく難しい。頭が茹だっちゃいそうな気がする。
僕は助けを求めるようにラウネさんを見た……のだけれど、アナベルくんの話は彼女にも難しいみたいだった。
アナベルくんは、僕とラウネさんの頭が茹で上がりそうなのに気がついているのかいないのか、ポツポツ、と言葉を零し続けている。
「人間にとってみれば、魔物ってのはただただ『魔物』っていう括りでしかないからな。同じ括りの……同じ集団の中で隣り合ったもの同士で、気まぐれに寄り添ったり殺し合ってるように見えるのが、気持ち悪くて、そして――怖い。そういうことなんだよな」
と、今まで
僕は『アナベルくんに何か言いたい!』と思ったんけれど、その『何か』がなんなのか、良くわからなくて結局何も言えなかった。僕が押し黙っていると、アナベルくんは空気を変えるように、パン! とひとつ手を叩いた。
「起き抜けに変な話して悪かったな。さぁて、じゃあ今度はわかりやすく、この後の話をしようじゃねぇか」
******
アナベルくんの『わかりやすい今後の話』の一つ目は――
「あっ、こいつトレントだし」
「うわ、やば。よく街に入ってこれたじゃん」
――今、僕の目の前にある魔車の事についてだった。
アナベルくんが言うことには、魔車と言うのは「文字通り、魔物が牽く車だよ」とのこと。馬車より速くて、乗るにはどんぐり――じゃなくてお金がたくさん必要らしい。
僕は、じっと魔車を見上げる。正確には、魔車の前に立つ魔物を見上げる。
馬車より大きな車体の前にいるのは、
「初めまして! 僕、魔の森から来ました!」
「やばない? ちょー遠いじゃん」
「何しにきたん?」
勇者になるために、と答えようとした僕を遮って、二角獣さんたちが揃って「げっ!」という顔をした。
瞬間、ピュン、と近くの地面に何かが叩きつけられる音が響く。振り返れば、鞭を持った人間が、ぷんぷんと怒っていた。
「こら! ジュディス、メーロウ! お客様が怖がってるだろ!」
ジュディスとメーロウ、と呼ばれた二角獣さんたちが、ぶひひひひん、と鳴き声を上げる。そんな二人に、僕は目をぱちくりさせてしまった。
意味を成さないただの鳴き声に、なぜだか、人間は満足そうだった。それもすごく不思議で、僕は更に目をパチパチ。
そうしていたら、人間がひょこひょこと僕の方へと近寄ってきた。
「坊ちゃん、すみませんねぇ。懐っこくて、すぐ人に顔を寄せちまうんです、こいつら」
怪我しなかったですかい、という問いに、僕はその意味が分からなくて首を傾げてしまった。怪我なんかするわけないじゃない。だって、二角獣さんが食べるのは肉だ。僕の――今は人間の格好だから無いけど――葉っぱとか枝とかをモリモリ食べるわけじゃないんだもの。
なんて答えていいのかわからない僕の横に、アナベルくんが降りてきた。
「ひっ!
「なぁに安心しろって、今は
なー? とアナベルくんが僕の頭を撫でる。だから僕は「うん!」とニコニコ笑う。そうしていたら、魔車の影からラウネさんもひょこっと顔を出した。そしたら、青い顔でビクビクしていた人間は頬に色を取り戻し、「ほぉー!」と言いながら僕の前にしゃがみこんだ。
「坊ちゃん、
「はい! 二人とも、僕の友達です!」
ほほー、と人間は嬉しそうだ。
「いやね、俺も魔物使いなんですよ、坊っちゃん。このジュディスとメーロウとは十年来の付き合いでさぁ」
「そうなんですか!」
ええ! と大きく頷く人間はまだ何か話したそうだったけれど、チリリリリン! と鐘がなったら、彼は大慌てで立ち上がった。
「おっと、出発時間だ! それでは坊っちゃん、良い旅を!」
言うなり、御者台、と言うところに飛び乗った人間を見上げていた僕に、アナベルくんが「俺たちも魔車に乗るぞ」と言った。僕は魔車に乗り込むアナベルくんとラウネさんの背中を追いかけた。
******
魔車は速い。すごく速い!
窓の向こうの景色がビュンビュン通り過ぎていく!
「すごいすごい! すごい速い! アナベルくん、すごく速いよっ!」
僕は窓にベッタリ張り付きながら叫ぶ。そんな僕を、クスクス笑う声が五つ。
一つは、アナベルくん。
そして、その他の四つは――
「フフ、あー、可愛い。アンタもあんな頃があったよねぇ」
「うるせぇ、うるせぇ! つーか、同い年のくせに年上ぶりやがって。だいたいお前だって――」
――同乗している、冒険者の人間たちの笑い声だ。
「堪忍なぁ、ぼく。ぼくのことがおかしゅうて
きゃいきゃいじゃれている人間二人を振り返ってじっと眺めていたら、不思議な喋り方の人間が僕に声をかけてきた。褐色の肌色の人間は、猫のように笑っている。
「ぼくが
「そうなの?」
そうよぉ、とほっそりした褐色の指が僕の髪をかき混ぜていく。僕は首を竦めながらその手にされるままにして、離れていった頃合いを見計らって自分の席に戻った。
アナベルくんとラウネさんの間にすっぽりおさまって、僕は対面を見る。
そこには四人の人間がいる。
さっき僕の頭を撫でた褐色の人間。
その隣に、岩みたいにゴツゴツした、ラウネさんくらい背の高い人間。
そして、きゃいきゃいしている、長い髪の人間と短い髪の人間。
僕は、アナベルくんの耳元に口を寄せてヒソヒソ話をする。
「アナベルくん、なんでこの人間たちも乗ってるの?」
僕の方に頭を傾けてくれていたアナベルくんが、腕組みしながら念話を飛ばしてくれる。
『魔車の貸切は金がかかるし、目立つからな。相乗りってやつだよ』
「あいのり?」
『そう。一緒に乗ると料金が安くすむんだ』
へー、と前を向いた僕の頭に、尚もアナベルくんの声が響く。
『朝の話、覚えてるな?』
僕は大きく頷いた。
アナベルくんの『わかりやすい今後の話』の二つ目は、「人間に『勇者が今どこにいるのか』を聞くこと」だ――と、そこまで考えて、僕はポン! と手を打った。
「だから、あいのり!」
『そ。そういうことだよ。それなりに有名な奴らだから、たぶん知ってると思うぜ』
聞いてみな、と促されたので、僕は気合を入れなおして人間たちと向き合った。
「あのっ!」
僕の声に反応したのは、短い髪の人間だった。きゃんきゃん言い合うのを止めた彼の目が僕を見る。
「僕、勇者になりたいんです!」
「ほー、こんなところまでアンタに似てるわねぇ」
「お前は黙ってろっての! ……勇者になりたいのか、きみ」
憧れるよなぁ、と人間は笑っている。
「はい! 僕、勇者になりたくて、勇者を探してるんです! たべ――」
食べるために、と言い切る前にラウネさんのツタの指が僕の口を閉じてしまう。むぐむぐしながら、僕は「そっか、勇者を食べるって言ったらダメなんだったっけ」と思い出した。なんて言ったらいいかなぁ、とうんうん唸って、僕の喉から出た言葉は――
「勇者に会いたいんです!」
――だった。人間たちは目をぱちくりさせて顔を見合わせている。
僕は勢いのまま言葉を続けた。
「勇者にあって、えっと、その、たべ、違う違う……えっと、お話したいんです!」
人間さんたち、と言おうとした僕の頭にアナベルくんの声が響く。
『人間に対して「人間さんたち」は違和感ありまくるから言っちゃだめだぞ。可愛い声で、「お兄さんたち」って言え。きっと色々喋ってくれるから』
僕は脳内で聞こえた念話に大きく頷いてから、しっかり言葉を作って口を開く。
「お兄さんたち、勇者が今どこにいるのか知ってませんかっ」
ドキドキしながら返事を待っていたら、背の高い人間がフニュンと笑った。
「おれ、知ってるよ」
「わー! ホントですかっ」
「ホントホント。教えてあげようか?」
教えてください! と僕が言うと、背の高い人間は、ぽんぽん、と膝を叩いた。
「お膝に乗ってくれたら教えてあげ――んがふっ!!」
何かを言いかけた人間に手が二つとんでいった。
一つ目は、ラウネさんのツタの手。バチーン! と右からのビンタだった。
もう一つは、褐色の人間の手。これまたバチーン! と、左からのビンタ。
二人の手に挟まれた人間はしょんぼりした顔をしながら、「うそうそ、冗談だよーん」と言って、それから勇者のことについて教えてくれた。
その人間が聞いた噂によれば、勇者は、僕らが向かっている街――スオーフの街にいるのだという。
僕は魔心が震えるのを感じた。
だって、ついに、勇者に会えるんだ。
勇者を殺して、食べられるんだ!
勇者に、なれるんだ!
魔心から広がった震えは、期待とともに僕の体中にゾワゾワと広がっていく。もう僕にとっては、周りを流れる景色も、前に座る人間たちもどうでもいいことだった。
僕はラウネさんを見る。彼女は、少し不安そうだった。
それからアナベルくんを見る。アナベルくんは、怖いほどの無表情だった。彼の顔を見ていたら、僕の中から期待が抜けて不安が入り込んでくるような感じがした。
だから僕は、耐えきれずにアナベルくんの服をギュッと握る。と同時にアナベルくんが僕を見た。
そこにあったのは、いつもどおりの笑顔で――僕はまた『アナベルくんに何か言いたい!』と言う気持ちになって、それでもやっぱりその『何か』がわからなくて、笑顔を作るしかなかった。
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