ラウネは、街に慣れてきた

 血塗れの草原を発つときに、アナベルは、ジョシュアが仕留めた人間を異空保管にしまい込んでいた。体格のいい人間たちは――特に何をすることもなかったけど、ま、人間だものね。

 ――そんな風に馬車の上から見つめていたせいだろうか。どうやら、あたしの居場所は、馬車の上に決まってしまったらしい。

 そう。上。さっきまでみたいに、アナベルに持ち上げてもらって上空を行くのではなくて、上。

 これが酷いものだった。


******


 ガタガタ揺れる馬車の上。

 あたしとアナベルは、背中を合わせるように座っている。

 アナベルの奴は余裕なもので、鼻はないけど鼻歌なんかを歌っているみたい。

 対するあたしは、不規則な揺れで気分悪いし、腰の花は萎れてしまっている。


 あたしは溜め息を殺しながらスルスルと根を伸ばす。この揺れを少しでもマシにしたいからよ。締め上げてしまわないように気を遣いながら、この馬車の後ろ半分を根で覆って体を固定して――あたしは、さっそく後悔した。

 だってこれ、もっと揺れるように――


「ラウネ、そんな事したら余計揺れるぜ」


 ――知ってたんなら先に言いなさいよ! とアナベルの笑いを含んだ声にそんなことを思いながら、あたしはスルスルと根を引き戻して根の置き場を探して、人間で言うところの『膝を抱える』ような格好におさまった。


「遠くの方を見な、遠く」


 振り向けば、アナベルはあたしの方を見ていた。


「遠く?」

「そ、遠く。そうだな――お、丁度いいや。ほら見ろ、極熱火山が見えるだろ」


 アナベルの指すほうへと目を動かせば、確かに極熱火山が見える。今日も口から溶岩を溢して、空には皇帝竜エンペラードラゴンを侍らせている。巨大な竜の皇帝の、その飛翔の小さな影を見つめて、それからあたしは頷いた。


「見えるわね」

「ぼーっとあそこ見てな」


 初めての馬車って慣れるまで大変だよなぁ、とぼんやり呟いてから、アナベルはニッと笑う。


「極熱火山があそこに見えるってことは、目的地のドーサの街はもうすぐだぜ」

「そうなの。早く着いてほしいものだわ……」


 げんなり呟くと、アナベルは笑いながら前を向いてしまった。あたしは、彼のアドバイス通りに極熱火山を見つめながら、溶解液を吐きそうになるのを耐えて、早く街に着きますように――と。ちょっと前のあたしなら、到底願わないことを願うのだった。


******


 しばらく揺れに耐えて、昼食をはさんで、それからまた揺れに耐えて――やっと辿り着いた目的地。夕日に染まったドーサの街は、トスファの街とはまた様子が違っていた。砂漠に囲まれているから乾燥して喉が渇いていたんけど、街の中は何というか、潤っていた。なんで? と思ってアナベルに聞いてみれば、この街は中心にある大きなオアシスから引っ張った水の魔力で組んだ結界に包まれていて、湿度が保たれているらしい。割といい街みたいね。


 と、そんな街を馬車は進んでいく。周りの人間たちは、慣れているのか何なのか、馬車の上のあたしを見ても騒がない。――アナベルを見て悲鳴を上げる人間はいたけどね。

 そして馬車は、大きな建物の前で動きを止めた。

 この縦にも横にも大きい建物は、やっぱり冒険者ギルドだったらしい。扉を開けて入っていくジョシュアたちについて行けば、トスファの街の冒険者ギルドとそう変わらない内装があたしたちを出迎えた。


「護衛――と、それから話し相手を、どうもありがとうございました」


 依頼主の太った人間は、大きな腹を揺らしながら、体格のいい人間たちと、それからジョシュアと握手を終えた。その後、小さな鞄から大きな袋を取り出し、受付へ渡したようだった。

 受付の人間が中身を確認している間に、太った人間は小さな鞄からこれまた大きな袋を取り出し、それを体格のいい人間たちのリーダーへと差し出した。


「こちらは、熊の爪の方へ。襲撃への対応、見事でしたからな。心ばかりですが、お受け取りを」


 それから、と太った人間は今度はジョシュアに向き直った。身を屈める彼の顔には、魔の森の長老が小さな魔物たちを見つめるときのような微笑みが乗っている。


「ジョシュアくん。君には、話し相手になってもらったお礼を」


 と差し出される袋からは、ちゃらちゃらと金属の擦れる音が聞こえてくる。


「これなんですか? どんぐりですか?」

「はっはっは! そうでしたな、君はどんぐりが好きでしたな。では、これもお礼に加えましょう」

「わー! 金色のどんぐり! ありがとうございます!」


 ちゃんとお礼が言えて偉いですなぁ、と人間の手がジョシュアを撫でる。普段ならその手をツタで弾き飛ばすところだけど――まぁ、この人間は許してあげる。

 諸々の確認が終わったらしい太った人間は、あたしたちにお礼を言って、ギルドから出て行った。それを見送っているうちにジョシュアのカードの確認も終わったみたい。ジョシュアは報酬の入った袋を抱えてこちらに駆けてきて――途中で転びそうになったので、アナベルが金のどんぐり以外を異空保管にしまった。

 

 あたしたちは揃って、ギルドの扉の方へと歩く。金色のどんぐりを見つめながら扉を開けようとするジョシュアの手が扉を壊す前に、と後ろから蔦を伸ばして開けてあげる。

 すると、どんぐりを眺めたままのジョシュアは「ありがとお」と夢見心地の声で言いながらフラフラと外へと歩き出す。

 転ぶんじゃないかしら、と思っていたら案の定。

 ジョシュアは、器用にどんぐりを見つめたまま、腹を打つようにコケてみせた。

 

「あーあー……もう、まったく……」


 ツタで抱き上げてやったって、緑の目は昇り始めた満月に透かすように掲げた金のどんぐりを見ている。


「これ、どんぐり何個分くらいかなぁ、アナベルくん」

「んー? どれ……――はっはぁー、あの商人、割とやり手なんだな」

「何よ。これ、そんなにすごいものなの?」


 これはな、と凶悪な顔で笑うアナベルは、心の底から楽しそうだ。


「天空庭園って知ってるか?」

「知ってるよ! 昔、怪我して魔の森に堕ちてきた真っ白な皇帝竜さんが教えてくれた! 雲の上にある、プカプカ浮いてる島でしょ?」


 そんな事もあったわね、と思いながら、あたしはジョシュアを抱えたまま歩き出す。だって、ギルドの真ん前に突っ立ってたら、人間の視線が集まるんだもの。


 大きな通りをのそのそ歩きながら、頭は当時を振り返る。

 アナベルが魔の森にくる少し前だから――十五年くらい前だったかしら。


「――白い皇帝竜? ……まあいいや。ジョシュア、お前の言った通りで正解だよ。それでな、その天空庭園にな、魔の森みたいに結界で守られてる島があるんだよ」


 あたしが思い出してる間にもアナベルは説明を続けている。そちらに耳を傾けるのも忘れずに、あたしは記憶を掘り起こす。


「その島は暴風結界に守られてて――人間は、その島のことをシエルフェールって呼んでるんだ」


 確かあの日は、毒霧が少し青みがかって見えるくらい天気が良かった。それで、『日向ぼっこに行きましょ』ってジョシュアを誘って、二人して広場に行ったんだった。


「ちなみにジョシュア、天空庭園にはどんな魔物たちがいるか知ってるか?」

「えーっと……ハーピーさんたちでしょ、グリフォンさんたちでしょ、ヒッポグリフさんたちに、それからえっと、雷翼鳥さんたちと、いろんなタイプのドラゴンさんたち! 空が飛べる魔物たちがたくさん住んでるって、長老が言ってた!」

「そう。それでさ、そいつらってさ、時々地表に下りてきて牛とか攫って行くだろ」


 で、しばらくのんびりしてたら、森の上が騒がしくなって――どすーん! と。


「その時、おっちょこおちょいがいたんだろうな。シエルフェールにしか生えない宝石の木の実を落としちゃった奴がいて……それからは『あそこにはお宝がある!』ってんで、人間たちは飛行船使ったりなんだりして、宝探ししてんだ」


 落ちてきたのが真っ白な皇帝竜で、さあ大変。長老呼んで、魔の森で唯一ヒールが使えるジョシュアが彼の怪我を治して――としている間、彼は『あの小僧め、とんでもない』とか『アレは陛下すら超える力を持つやもしれん』とかブツブツと文句とも期待の声とも取りにくい言葉を呟いていた。

 ぶつくさ言うのに飽きたらしい皇帝竜は、今度はジョシュアに天空庭園の事を話し始めて――だから、ジョシュアは雲の上の浮島の事にちょっとだけ詳しい。


「それじゃあ、この金色のどんぐりも? そこに生えてるの?」


 思い出しきってすっきりしたあたしは、聞き流す程度に聞いていたジョシュアとアナベルの会話に意識を移す。ジョシュアの言葉を聞くに、天空庭園にはきっとそう言う不思議などんぐりの木があるんだろう。

 と思っていたら――


「ああ。似たようなのが生えてるのを見たことある。あの時は銀色だったけど、完熟すると金になるんだろ、きっと」


 ――あたしは思わず足を止め、食い入るようにアナベルを見つめてしまった。


「アンタ、行ったことあるの……?!」

「ん? ああ、まあな。これを習得したのも――」


 と言いながら、アナベルはふんわり宙に浮く。


「――あそこで、だしな。何回か行ったことある」

「何回かっ!?」


 羨ましいっ! だって天空庭園って言ったら、毎日燦燦と太陽が輝いていて、あたしやジョシュアみたいな植物系の魔物にとっては天国!

 あまりにも興奮しすぎたのが顔に出ていたのか、アナベルはあたしの顔を見て「ちょっと盛った、ホントは二回だ」と言ったけれど――それでも、羨ましい物は羨ましい!


「その話、詳しく聞かせなさいよっ」

「あー、いいけど……大通りで大っぴらにする話でもないし――そうだ、宿とろう。いけるか? ラウネ」

「良いわよっ! なんでも来い……えっ宿?」


 宿って、あれよね。人間がたくさんいる……っ!

 言ってから後悔して固まる私を念力で持ち上げたアナベルは、楽しそうな声で言う。


「やー、良かった良かった。もともと宿は取りたかったんだけど、お前の説得に時間がかかると思ってたからさぁ!」

「あっ、ちょ、まっ……」

「アナベルくん、これからどこ行くの?」

「宿だぞ~ジョシュア。いやー、良かったよぉ。ほら、砂漠の夜は冷えるし乾燥酷いし、お前ら二人には酷だと思ってたんだ」


 久々のベッド~、と上機嫌なアナベルを前に――というか下に、あたしは何も言えなかった。


 ******


 結論から言うと、宿っていうのはそう悪くない代物だった。

 宿の中にいる人間たちは、通りを歩いていた人間たちみたいにチロチロ見てくることもないし、なんならニコニコしている。


「こちら、特別室でございます。御用の場合は、こちらのベルを――」


 あたしたちの前を歩いていた人間に通されたのは、とても広い部屋だった。多分、木の姿のジョシュアが寝転がっても余裕。

 今のこのちっちゃなジョシュアなんか、走り回って大はしゃぎできるくらいの広さ――なんだけど、あんまり興奮してフラフラされても大変だから、あたしがしっかり抱き上げていた。

 だけどジョシュアはあんまりにも静かだった。ちょっと心配になってそっと床に降ろしてみたら、彼は緑色の大きな目を更に大きくして、ゆっくり周囲を見回し始めた。

 最終的に床に興味を持ったらしいジョシュアは、四つん這いになって、床に生えている毛を撫で始めた。

 そんな彼を微笑ましげに見つめながら、アナベルは人間の方へ向かって鷹揚に手を振った。


「鳴らせばいいんだろ、知ってる知ってる」

「さようでございますか、失礼いたしました」


 そう言いながら深く礼をする人間に、アナベルが異空保管から引っ張り出した小袋を押し付ける。何を渡したんだか、人間は袋の重さにほんの少し目を瞠って、それからニンマリ微笑む。そんな彼に、アナベルは青い目を向ける。


「それ、チップな。そんだけ渡すんだから――」

「心得ております」


 あそ、と興味なさそうなアナベルに一礼して、人間は静かに部屋を出て行った。


「さて、暇つぶしに天空庭園の話を――……おいジョシュア? なんで絨毯に頬ずりしてんだ?」

「だってすごいよアナベルくん! これ、夢見熊ドリーベアさんのお腹よりサラサラしてる……!」

「一応魔法で綺麗にしてるけどな、みんな靴で踏んでんだぞ、それ」


 いいから起きろ、とジョシュアを引っ張り起こしたアナベルが、あたしの方を見てにやりと笑う。


「ほら、向こうで天空庭園の話をしてやるから、来いよ。……――宿、悪くないだろ?」


 アナベルの言葉の前半部分で頷きかけたあたしは、後半部分を聞いて『そんなこと無いわよ』という顔を取り繕って、アナベルを追いかけた。


 ――でもアナベルが大笑いしてたから、多分取り繕ったところでバレバレだったんだと思う。ちょっと悔しかった。

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