アルラウネ改めラウネは、溜め息を吐く
もうすっかり夜になったというのに、人間の街というのは明るくて、必然、あたしたち――いや、この場合はあたしだけか。とにかく、あたしはアナベルを追って大通りを歩きながら、目立っていた。目立ってしまっていた。
だって、あたしは大きい。
いや、魔物基準で考えると小さい方なんだけど、何もかもが小さな人間の基準で測ると、あたしは大きいのだ。
視線が痛い。
ついでに、緊張で
魔心がキリキリ痛むのをごまかすように、深く深く息を吐く。
あたしは何回、ため息をついたのだろうか。生えてるツタ全部使ったって足りないんじゃない? ――ああまた溜め息を吐いてしまった。
と、そんなあたしの前を歩くトレント――改めジョシュアは、あたしとは大違いで、足取り軽く周囲を見回したり好奇心に従ってわき道に逸れそうになったりしている。どうやったらこんなに能天気に人間の街を歩けるんだろう、と思ったけど、この子は人間の恐ろしさを全く知らない世代だものね。
あたしは溜め息を吐きながら、ツルを伸ばしてジョシュアを引き寄せ、抱き上げた。
「ラウネさんラウネさん! あれ見てよ! カッコいい剣!」
「はいはい」
あたしがテキトーに返したって、ジョシュアは気になんかしない。楽しいこと、気になること、面白いことがあればそれに夢中になるのがジョシュアだもの。
「どんぐり何個で買えるのかなぁ? アナベルくーん! あの剣、どんぐり何個で買えるの?」
「さぁ……一億あっても買えないんじゃねぇかな?」
いちおく! とジョシュアが叫んだものだから、通り過ぎていく人間があたしとジョシュアを見上げては悲鳴を上げる。何度目かの悲鳴の時に人間と目が合って、お互い息を飲んだのは少しだけ面白かったけど、もう限界。
あたしはもう、周囲の人間からの注目に耐えきれなくて、暴れだしたいような、そんな凶暴な気分になっていた。足早にアナベルを追いかける。ジョシュアがガクガク揺れて「おわわわわ……」と言っていたけど、もう構っていられない。アナベルも抱え持って、さっさとこの街から脱出しなければ。
あたしの精神衛生の為にも、騒ぎを起こしてジョシュアたちを危険にさらさない為にも。
――と思ってアナベルを追いかけてるのに、まっ……たく追いつけない!
あんにゃろう、あたしが速度上げるとニヤニヤしながら同じだけ早く進んでいきやがるっ!
砂埃をあげて走るあたしの前から人間が消える。見れば、奴らはあたしに道を開けるように通りの隅へに固まっていた。これだけ前が開いていれば、全力で追いかけたって騒ぎにはならないわよね!?
もうあたしの頭には『前をプカプカ浮きながら、ニヤニヤ笑っているアナベルを捕まえる』ことしかない。それ以外はどこかに吹っ飛んだ。
走ること、十分。
あたしは結局アナベルには追い付けず、気が付けば街の外、月明かり以外の光の無い夜に包まれていた。
振り向けば、ずっと遠くに人間の街が見える。周りの空気に混じる花の香りから、あたしたちは、入ったのと同じ門から外へと出たようだと言うのがわかった。
「はい、俺の勝ちー」
イェイイェイ! と空中で器用に踊って見せるアナベルは、いたって普段通り。性根の捻くれているのがにじみ出るような顔でニヤニヤしている。――けど、もしかしてコイツ、我慢の限界に達しようとしていたあたしのために……
「負けたラウネたんはぁー、『あたち、人間さんが怖かったのお。だからあ、はやく街をでたかったのお。えーんえーん』って言って下さぁぁぁぁい」
……前言撤回。コイツはやっぱり性悪
ゲラゲラギャハギャハ笑うアナベルに応えるように、宵闇に怪鳥だか飛竜だかの声が響く。
「ほらほらぁ! 言えってぇ!」
「言うわけないでしょ!」
「お前マジで超面白かったぜ、ラウネぇ。あーん、人間さんがこっちみてりゅー! ってテンパってんのが丸わかり! ブワハハハハハハハハ」
あたしの中で何かがぷつんと言った。抱えたままだったジョシュアをそっと草地に降ろして、深く深く息を吐き――
******
結局、あたしたちの取っ組み合いは、朝まで続いた。
******
「昨日の夜は、二人ともすごかったねぇ」
ジョシュアが木の剣を振り回しながら言う。あたしは木の剣をツタで絡めとって、代わりに盾を持たせてやりながらため息を吐いた。
「おかげさまでツタが何本か千切れたわよ」
そのくせ、アナベルは無傷なのが悔しいったら。そう思いながらアナベルの背中を見れば、彼はひょいと眉をあげてニンマリ笑う。
「いい運動になっただろ?」
「まあね」
魔心の底に溜まっていた緊張だのなんだのの澱が、きれいさっぱり。まるで今あたしたちを照らしている朝陽のように、魔心が澄み渡っているような気分。
と髪を整えながら歩いていたら、ジョシュアが「そう言えば!」と声をあげた。
「ねえアナベルくん、僕たちはどこに向かってるの?」
こっちに勇者がいるの? と首を傾げるジョシュアを、アナベルがちらりと見て、曖昧にむにゃむにゃ言った。
――いつもはズカズカ何でも言うのに、なんで?
真意を見定めようと思って、クッと眉を寄せてアナベルの横顔をじっと見つめる。と、彼はあたしを見て、それから足を止めた。
アナベルの前に、ジョシュアがトテトテ歩いて行く。
「どうしたの? アナベルくん」
「ジョシュア」
「なあに?」
「俺たちはな、王都に向かってる」
その言葉に全身の産毛を逆立てたのは、他でもないあたし。
王都、王都ですって!? さっきの人間の街より大きいってことくらい、あたしだって知ってる!
それってつまり、人間が沢山!
ひぃぃぃぃ! 怖気が走って、あたしは自分で自分を抱きしめるようにツタで体を包む。アナベルはそれを見ていたんだけど、珍しいことにあたしを揶揄う事もなく、ただ淡々と言葉を続けた。
「なんで王都かって言うとな、これから俺が――お前らを案内しようと思ってるところがな、人間しか……っつーか、王都を通ってしか行けないところなんだよ」
「どんなところ? 何するの? そこに勇者がいるの?!」
ワクワクしているらしいジョシュアが盾をブンブン振り回している。トレントの腕力のままのジョシュアを片手で制して、アナベルは「んー」と、これまた珍しいことに、少し言いにくそうに口を開いた。
「お前は嫌がるだろうと思うけどな」
「うん?」
「お前の新しい体を作ってもらいに行く。今のままじゃちょっとアレだから」
黒髪が風に揺れる。青い目は、空より深い色でジョシュアを見つめている。
そう。あたしの方は、ちらりとも見ずに。
あたしは、ああ、と思った。
――つまり、アナベルが言いたいのはこう言う事だ。
ジョシュアは、確かに体は緑色だけど、街にいた人間に体を指してヒソヒソされることは無かった。
人間たちが見ていたのは、悲鳴を上げたのは、ジョシュアの顔。
そう、顔だ。
あたしが開けた穴三つだ。
申し訳なくて、溜め息が出る。
そんなあたしを置き去りにして、二人は会話を続けていく。
「え? ……えぇ? なんで? どうして? アナベルくん」
「あのな、こう言っちゃうのはアレなんだけどな……」
アナベルが一息置くように、頭をガリガリ掻いている。
「しょー……じきに言わせてもらうとな、お前の体な――目立ちすぎ!」
ジョシュアがポカンと目の
あたしも同感だ。本当に申し訳ないけど……その顔にしてしまったあたしが言うのもなんだけど、これで目立たなかったら、獄彩鳥だって人間の街に忍び込める。
と、アナベルは念力でジョシュアのフードを脱がした。そして両手の人差し指でジョシュアの頭に生えた新芽から根っこが伸びつつある足先まで何度も何度も、なぞるように指さした。
「いいか? 顔が云々じゃないんだよ。体色云々じゃないんだよ。匂いだ、匂い。それがだめだ」
呆然と――しているのか考え込んでいるのかわからないけど、一切言葉を発しないジョシュアを前に、アナベルがそう言った。あたしは、彼の言葉が信じられなくてポカンと、それこそ、ジョシュアと似たような顔を晒してしまっていたと思う。
そこでようやくアナベルは、あたしの存在を思い出したかのように振り返って、そして笑いを堪えて咳ばらいをすると、真剣な顔をしてあたしを呼び寄せた。自分で動いているんじゃないような感覚を覚えながら、フラフラとアナベルへと近づく。彼の前、ジョシュアの隣にあたしが立つと、アナベルはふわりと宙に浮く。
「あのな、お前たちは気が付いてないみたいだけどな、魔物って特有のにおいがあるんだ。一般人――そうだな、ギルドのAランク以下のヤツとか、街の人間とかそのあたりは気が付かないけど、それ以上の奴、例えば……」
勇者。その取り巻き。――と。普段より低い声が囁けば、言葉は静寂にしみいるように消えていく。
「そいつらはな、気が付くんだ。俺が言いたいこと、わかるな?」
優しい声音を囁くアナベルは、凪いだ人形の微笑みを――全くの無表情を顔に浮かべている。
あたしはわかる。
勇者を食うなら、ばれないように暗殺する必要がある。だって、あたしたちじゃ逆立ちしたって勇者になんか敵わないんだから。
バレないようにするためにも、ジョシュアは、完璧に、人間の振りをして近づかなければいけない。
あたしは、わかる。あたし、は。でも、きっと――
「さあ、とっとと王都を抜けて、山を目指さねぇと――」
あたしたちの上を飛び越えたアナベルは、ふわりと地面に着地した。それを見ながらあたしは耳を塞ぎ、その他の振動受容器も閉じる。
なぜ? なぜって――
「そんなのやだぁぁぁぁぁぁ!!」
――絶対に、ジョシュアが駄々をこねて叫ぶからよ。
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