トレントは、街へ向かう!

 空からは薄紫に染まっていない真っさらな光が降り注ぐ。地面は、柔らかい緑の草が覆っている。

 ああ、僕は本当に魔の森から出たんだ!

 僕はその事実を目で、足で実感しながら歩いていた。


 僕らの目的地は、向こうの建造物。人間たちが住んでいる街だ。そこのギルドでギルドカードを作るんだ。

 先導してくれるのは、アナベルくん。僕は、前をふわふわ飛んでいくアナベルくんの背中を見つつ、時々キョロキョロと周りを見た。


 魔の森では虫の声とかギャーギャー鳴く鳥の声とかがよく聞こえてきたけれど、平原は静かなものだ。時々風が駆け抜けていく音の他は、小さな声で鳴く鳥たちの歌くらいしか聞こえてこない。なんだかすごく新鮮!

と思っていたら、後ろからアルラウネさんの声が聞こえてきた。


「そう言えば、ねぇアナベル」

「ん? なんだ?」


 アナベルくんの青い目がチラリとアルラウネさんを振り返る。僕もつられて振り返ったら、「転ぶわよ」と言われてツルで前を向かされてしまった。

 僕はそんなに抜けてないぞ! と思った瞬間、躓いて転びそうになったから、僕は何も言わなかった。そんな僕を挟んで、会話は続く。


「トレントにかけた呪い、どういう物なの?」


 危なくないの、という心配そうな声に、僕は今更になって不安になった。もしかして、僕には見えないだけで、僕の体は何か変になってるのかな? だからアルラウネさんはこんなに心配してるのかな?

 そろりとフードに手を突っ込んで、頭の後ろを撫でても何もない。届く限りで体を撫でまわしても、変なところはなさそうだった。ホッと息を吐きながら、僕はアナベルくんを見る。僕も、自分にかけられた呪いがどういう物なのか気になってきた。


「(ランダム)って言わなかったから、あれはアンタが選択した呪いなんでしょう?」

「ああ、そうだ。危険なんか一つもない呪いを選んだよ」


 どんなの? と僕が尋ねると、アナベルくんはニッコリ笑った。


「髪がピンクになる呪い」

「髪がピンクに!? 僕、髪の毛ないけど!」


 お前の場合は葉っぱかな、とアナベルくんは言葉を続ける。


「一応条件があって、人を殺したらな、髪がピンクになる。一人殺せば、髪が赤味がかる。二人殺せば、髪が赤茶になる。三回殺したら、真っピンク。王都の歓楽街も真っ青なくらい見事なショッキングピンクさ」

「ふぅん……なら、魔物にはあんまり関係ない呪いね」

 

 これを人間にかけると面白いんだ、とキシキシ喉を鳴らして笑うアナベルくんを見ながら、僕は自分の頭に手を伸ばし――と、吹き抜けた風が僕のフードを脱がせていった。


「うわわっ!」


 ぴょこんと跳ねた僕の頭の小さな芽に日が当たって気持ちいいけれど、すぐに日差しは遮られる。

 ぽすん、と戻されたフードに振り向けば、アルラウネさんのツタが引いていくところだった。


「どこに人間がいるのかもわからないんだから、しっかりフード被っておきなさい」

「そうだね、ありがとう! アルラウネさん!」


 僕らの会話に、アナベルくんが振り向いた。後ろ向きでふわふわ進む彼は、楽しそうに笑っている。


「心配すんな、このあたりに来る人間なんかほとんどいないから」

「あら、どうして?」

「だってここ、俺がよく顔出すからな。街道からも外れてるし、呪われたいのでもなきゃ、好き好んでやってくるヤツなんかいねぇよ」


 なんて邪悪な笑顔。

 アナベルくんが楽しそうだと僕も楽しくなってくる。るんるん歩いて、時々立ち止まって花を見たり真っ白な雲を見たり。それから、アルラウネさんに早く歩けと急かされたり。


 そうやってキョロキョロしながら歩いていたら、ふと足から伝わる感触が変わった。僕はちょっと驚いて、そろりと足を上げて地面を見る。


「石が並んでる?」

「石畳って言うんだよ、トレント」

「へぇ、いしだたみ……」


 未知の感触だった。石がたくさん埋まっているのに、岩場みたいにゴツゴツしていない。平らになった石が、地面からたくさん顔を出している。


「こんなのが自然にできるなんて、人間の暮らしている辺りって面白いねぇ」


 石畳、と呟きながらしゃがみこんで手で触れる僕に、アナベルくんはフフンと胸を張ったような声を出す。


「これはな、人間が作ったんだ」


 作った? なんのために?


 そう思って顔を上げる僕の目には、この石畳の向こう、僕達が目指しているのと反対側を見つめるアナベルくんが映る。どこを見てるのかなぁ、と見つめていたら、彼はふっと僕を見て、ニンマリいたずらっぽく笑った。


「なんのために? って顔してるな?」

「うん。アナベルくん、人間はなんのためにこれを作ったの?」


 それはな、といやに勿体ぶるアナベルくんが、ふわりと更に高く舞う。と同時に、カタンカタンと何かが揺れるような音が聞こえてきた。


 なんの音かな、と僕がその音の方を向いた途端、僕の体は宙に浮く!


 何事!? と思って下を見れば、僕はすっかり石畳の上空にいた。隣にいるアナベルくんがカラカラ笑っているから、僕は彼の念力で空を飛んでいるのだと思う。


 こうして宙に浮くとまた違った景色が見えるなぁ、とプカプカしていたら、遠くから何かがこちらに走ってきた。茶色で大きい……あれは、二角獣バイコーンさん? でも、それにしては優しそうな顔をしている。

 首を傾げる僕に、アナベルくんが答えをくれる。


「ありゃあ、馬車だ」

「ばしゃ」

「そう、馬車。馬が牽く乗り物だ」

「へぇー」

「ほら、前に人間が乗ってるだろ。あれが馭者。馬車を動かしてるやつだ」

「ぎょしゃ! オークさんが言ってるのを聞いたことがあるよ。ご飯とか武器とか、たくさん持ってるって!」

「そうそう。でな、この街道……石畳は、アレがちゃんとここを通れるようにって作ってある」


 はぁー、と僕は感嘆の声を漏らす。


 すごいねぇ。人間って、馬車を使うためにこんなふうに地面を飾るんだねぇ。

 馬車が近づいてくる。馭者の人が、なんだか笑ったような顔で僕達を見上げている。アナベルくんが馭者の人に笑顔で手を振るから僕も真似しようと思ったんだけど、アナベルくんの念力で体を動かせなかった。残念。


 僕達の下を馬車が通っていって、ぶわりと風が吹き抜ける。下の方でアルラウネさんが「きゃあ」と悲鳴を上げたので、僕はアナベルくんに「下におろして」とせがんだ。

 

 アナベルくんは優しいから、僕をアルラウネさんの隣におろしてくれた。おろしてもらって直ぐに、僕はアルラウネさんを見上げて、葉っぱやツタを見分した。だって、心配だったからね。


「アルラウネさん、どうしたの!? ツタを踏まれた? 大丈夫?」


 僕の質問に、アルラウネさんはフルフルと首を振る。それにホッとした僕に、彼女は恥ずかしそうに口を開いた。


「ちょっと、びっくりしちゃって」

「はっはー! やっぱりビビりなアルラウネたん! かんわゆーい!」


 うるさいわよアナベル! と怒鳴るアルラウネさんの腰の花が真っ赤に染まる。彼女は本当に気恥ずかしいときは腰の花の色が変わるんだ。

 でも、大きな声を出せるくらいの元気があるなら平気だね! よかったよかった。


 僕らは再び歩き始める。後ろ向きに先頭を進みながらニヤニヤしているアナベルくんと、ポコポコ怒っているアルラウネさんの間の僕は、楽しくて仕方なかった。

 

 二人がじゃれ合うのを見るのも楽しいし、足を進めるたびに大きくなっているような気がする建造物を見るのも楽しい。

 楽しい気持ちで歩いていれば、目的地になどすぐにたどり着く。


 建造物はずいぶん大きくて、多分木の姿の僕の倍くらいの大きさだ。アナベルくんに聞いてみたら、これは「門」というものらしかった。


 僕は、フードを深く被せられて、その門へと近づいている。人間たちがたくさんいて、僕らの方を見ているような気がする。


 流石の僕も、ちょっと緊張している。アルラウネさんもそうらしくて、さっきから僕の胴体にきつくきつくツルを巻いて、すぐ後ろをついてきている。

 アナベルくんだけは普段通り。彼は余裕の表情で周囲を見回している。


 と、僕らの前に、武器を構えた人たちがかけてきて、ずらりと並んだ。その奥には、先程走っていった馬車が置いてある。


 目をぱちくりさせる僕の前で、人間が喋り始めた。


「と、と、止まれ!」


 前を飛ぶアナベルくんが素直に止まったので、僕もアルラウネさんも足を止める。と、人間たちがジリジリと動いて、僕たちの周りを囲んでしまった。


「わぁ……どうしよう?」


 僕が小声で言うと、アルラウネさんのツルに一層力が入った。メキメキ軋むし、なんとなく魔心コアまで締め付けられているような、そんな苦しさがやってくる。

 けほけほ咳き込む僕をよそに、アルラウネさんが動――こうとして、ピタリと固まった。見上げれば、何か言おうとしていた口も、伸ばしそうだったツルも固まっている。


 アナベルくんの念力だな、と思って前を見れば、やっぱり彼は僕らの方へと手を向けていた。その手がゆっくり下ろされても、僕を締め付けているアルラウネさんのツルは解けそうにない。


 アナベルくんは何をするんだろう?

 彼はツカツカと歩み出る。人間が「止まれ!」と言ったって、今度は止まらない。


「とっ止ま――」

「やーぁ人間ども。コンチハ」

「ひっ!」

「まずはその武器下ろそうぜ? 落ち着いて話がしたいんだ」


 人間たちは言われるとおりに武器をおろしかけて、それから気を取り直すように構え直した。

 その様子に苛立ったらしいアナベルくんの舌打ちが響くと、剣先が大きくブレる。


「……なあおい、頼むぜ。俺だって、今日は呪いをかけにきたわけじゃないんだぜ? ――お、そこのアンタ。十分ごとに屁が出る呪い、解呪師に解いてもらったか?」


 ケタケタ笑いと、鎧の触れ合う音が響く。


「な、な、仲間までつれて……なんのようだ、呪い人形カースドール・アナベル!」

「一応は聞いてくれる気になったわけか? 態度はいただけねぇが、まあいいや。今日は機嫌がいいんでな」


 そこで、アナベルくんはコホンと一つ咳払い。それから、両腕を大きく広げた。そうすると、僕たちを囲んでいる人間の輪が少し大きくなった。


「ああ! 可哀想なアナベルくん! 俺ってば、人間に飼い慣らテイムされちまった!」


 アナベルくんの声と言ったら! 演技のへたくそな物真似ミラースライムよりひどかった。絶対に演技だってバレるくらい大げさな物言いと身振り手振りで――しかし、それをやったのが彼だからこそ、人間たちは信じたみたいだった。


「う、嘘だろ……あのアナベル人形が……?」

「マジマジ、大マジ。ほら、俺にもこの辺を牛耳って恐怖に陥れていたという自負があるからこそ、こんな風に茶化してしか言えないけどな、テイムされちまったんだよ」


 今の俺の主は、とスッと息を吸った彼が僕に道を譲るように脇に避けてお辞儀をする。僕はどうしていいかわからなかったので、とりあえず人間たちに手を振ってみた。


「コイツさ。今の俺の手綱を取ってるのは、コイツ。いやー、俺だって矜持があるから、コイツに一発食らわせて、樹人化の呪いをかけてやったさ! でも、それだけだ。ああ、俺は自由という羽根を奪われちまった! コイツが死ぬまで、悪さはできねぇ!」


 おいおい泣きまねをして見せるアナベルくん。そんな彼を前に人間たちは話し合っているようだ。しばらくコソコソして、それから、鎧が一番豪華な人間が僕の前にやってきた。


「そこのお前。本当に、この呪い人形の主となったのか」


 僕はアナベルくんの友達なんだけど……。


「僕、アナベルくんの主じゃなくて、友達です。あと、後ろのアルラウネさんも友達。えっと、伝わってますか? 友達、トモダチです」


 魔物も人間もしゃべる言葉は同じはずだけど、通じたかちょっと不安になる。だって、人間と話すなんてこれが初めてなんだもの。

 ――けれど僕のその不安も、直ぐに霧散することになった。

 豪華な鎧の人間は、僕の前に膝をつき、祈るように手を組んだ。


「ああもう何でもいい! 救世主よ……! 我らを極悪非道の悪魔・アナベルから救いし者よ……!」


 うわわ、手を掴まれた。相手は僕の手の硬さに一瞬ぎょっとしたようだったけれど、直ぐに涙を流しながら僕を見つめてきた。僕の顔が丸見えになっていると思うんだけど、この人間は、アナベルくんの嘘樹人化の呪いを信じたみたい。僕の顔にビックリもせず、人間が口を開く。


「頼む、アナベル人形の手綱をしっかり握ってくれ……! そして、宣言してくれ! 俺たちトスファの街騎士団はもう、手から足の臭いがする呪いに悩まされることはない、と……!」

「よくわかんないけど、わかりました! 約束します!」


 と僕が答えたら、周囲から歓声が上がった。みんな泣きながら笑っている。これであってたのかなぁと思ってアナベルくんを見たら、彼はグッと親指を立てながらウインクして、「ナイス」と口をパクパクさせていた。

 アナベルくんがそう言うなら大丈夫だ。僕は彼に、アルラウネさんを念力から解放してあげるようにお願いして、それから、目の前で泣き崩れている人間に声をかけた。


「あのう。僕、ギルドに行きたいんですけど、街に入っていいですか?」

「あ? ああ、好きに通ってくれ。もともと、このトスファの街に門番なんていなかったんだ。このアナベル人形が現れるまではな」


 それだけ言うと、人間は兜を脱ぎ去り、「祝杯だぁぁぁぁぁぁぁぁ!」と駆けていってしまった。

 

「さ、行こうぜトレント。入っていいって言われたんだ、堂々と侵入してやろう」


 てくてく歩くアナベルくん。彼の進む先は人が割れていく。いつの間にか集まっていた人は、この街の人なのだろうか?


「待ってよー、アナベルくーん!」


 僕は彼の背中を追って駆け出す。二人とも待ちなさいよ! とアルラウネさんが追いかけてきて、それでも僕らは人間に殺されることも魔心を食べられることもなかったから、作戦は順調!


 あとは、ギルドを探すだけ――と思っていたら、目的の建物はすぐに見つかった。

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