トレントは、ギルドの扉を叩いただけなのに!
僕たちの
とても大きい。ドラゴン三匹分くらい高さがあって、横幅なんか、魔の森の毒の湖に住んでいる太っちょワームのとぐろくらいある。
ほけーっと見上げることしかできない僕のフードが落ちる。それをツルが直してくれる。僕はフードを両手で抑えながら、大きな大きなギルドを上から下まで眺めて、それから我慢できなくなって大きく口を開いた。
「でっかぁぁぁあい!」
アナベルくんの笑い声と、それから道行く人間の視線を感じるけれど、僕は気にしない。ただ、アルラウネさんは気にするようだった。
「ちょっと! 騒がないでよ!」
小さい声で、心なしかほんのり早口で言うアルラウネさんに謝って、それから僕は震える手を握りしめる。
アナベルくんに確認の視線を送れば、彼は笑顔のままに頷いて、僕の肩を叩いて促してくれた。
よ、よし……!
深呼吸をして、気合を入れて。
僕は、ギルドの扉を叩いた!
叩いてすぐに、やってしまった、と思った。
扉は開いた。確かに開いた。
……今思えば、気合を入れたのがいけなかったんだと思う。もっと肩の力を抜いて、楽にトントンすれば良かったんだ、と。そう思う。
「あ、あの……えっと……」
僕は、右の拳が突き抜けて壊れてしまった扉を見て、それからアルラウネさんを見て、最後にアナベルくんを見た。
そうしている間に、僕の手が突き刺さっている扉が揺らいでギィーバッタンと倒れてしまった。しん、と静まり返ったギルドの中から飛んでくる、たくさんの視線が僕に突き刺さる。
「どうしよう……」
僕の呟きにアナベルくんの爆笑が重なって、次の瞬間、ギルドの中は悲鳴で満たされた。
「ぎゃー!
「ひぃぃぃ! ガニ股歩きでまた王都まで行くのはいやぁぁぁ!」
「なんでこんなところにアナベル人形がっ! そ、それにアルラウネもっ! あああああ! 攻めてきたんだ! アナベル人形の悪口を言ったのがバレたんだあああああ!」
凄まじい。恐るべし、アナベルくん。
怖い顔の人たちが、みんな涙を流して逃げ惑っている。でも、当のアナベルくんが入り口に陣どっているから、みんな壁に縋って小さくなるしかないみたいだ。
……と、のんきに観察していたら、肩が叩かれた。見れば僕を急かすのはアナベルくんで、彼はギルドの奥を指差している。
「バカ、急げ! 受付が結界で閉められるぞ!」
あっあっ! となって、僕は地面に寝ている扉を踏んづけながら、慌てて叫んだ。
「あー! 待って下さーい! 僕、ギルドカードが欲しいんです!」
それでも騒ぎは収まらない。それに、アナベルくんが指差している『受付』の結界の構築も止まらない!
僕はアワアワ考えて、そして、今まで以上に声を張った。
「……みなさーん! 安心して下さーい! アナベルくんは僕の友達です! 呪いはかけないでーす!」
この言葉は門のところにいた人間を落ち着かせるのに使えたから、ここにいる人間にも効くはず! と僕は言葉を繰り返す。
そうすると、人間たちはだんだん落ち着いてきて、最初のように静かになった。
「……ほ、ほんとうなの?」
「はい! ね、アナベルくん」
「ああ、そのとおり。俺の呪いは、コイツにかけた樹人化の呪いでひとまず終わり。とりあえず、コイツが死ぬまでは大人しくしてるさ」
おずおず、と近づいてきた人間から、じゃあ、とアルラウネさんを指差した。アルラウネさんは落ち着かなそうにソワソワとツルを動かして僕を見ている。
「アルラウネさんも僕の友達です!」
大丈夫でーす! ともう一度声を張ると、人々は「大丈夫……」「え? ほんとに? 大丈夫なの」「だい、じょうぶ……?」とざわざわし始めて、それから歓声を上げた。理由は門のところの人間と同じようだ。
僕はあれよあれよと言う間に担ぎ上げられてしまった。
「おわわ……!」
「あんた、見かけより重たいな!」
わっしょい! わっしょい! と持ち上げられながらどこかから聞こえてきた質問に、僕は「木なので!」と答える。その間も、僕は上下に揺らされている。
「救世主だ、ヒーローだ!」
「救世主様を受付までお連れしろ!」
と、人間たちに運ばれた僕は、『受付』で降ろされた。人間たちはテーブルに戻って、何かを飲んでは笑っている。
僕は人間観察をやめて、木でできた――今の大きさの僕にとって――壁のようになっているところに向き直った。
これが受付。入り口から見たときは、確かこの上に人間がいたはず。僕は背伸びをして壁の上の平らなところに手を伸ばす。
「ギルドカードをくださいなー」
そう声をかける。と、上からひょっこり人間が顔を出した。その人間は僕とアナベルくんとアルラウネさんをチラチラと見つめて、それから、その目をアルラウネさんに定めたようだった。
「あの、ちょっと持ち上げていただけます……?」
その言葉に、アルラウネさんが僕をそっと持ち上げる。
人間と同じ高さで目を合わせ、僕はもう一度、同じ事を言った。
「ギルドカードをくださいな」
受付の人間は、僕の後ろでフワフワしているアナベルくんを見ている。僕がもう一度「くださいな」というと、人間はハッとしたような顔をして、それから僕に笑ってくれた。
「紛失ですか? それとも、新規発行?」
「無くしてないです、もってないだけ! だから、欲しいんです」
新規発行ですね、と一旦引っ込んだ人間は、何か用紙のような物と、それからキラキラ輝く薄い板を持ってきた。
「そのキラキラがギルドカードですか?」
人間が頷いて、僕の方に用紙を差し出す。
まじまじ見ても、何が書いてあるのか僕にはさっぱりだった。辛うじて「氏名」という文字だけ理解できたから、ああ、ここに名前を書けばいいんだな、と用紙を手繰り寄せ、それからハタと動きを止めた。
僕、人間語なんて書けない。
あーどうしよう。
目の前の人間は何かしゃべりながら羽ペンを差し出しているけど、僕はそれどころじゃないから話なんて聞いていなかった。……のだけれど、人間に肩をトントンされてはそちらに意識をやるほかない。
「あの、どうしました?」
「えっと、その、僕、僕……」
字が、と呟いたところで、僕の後ろでフワフワしていたアナベルくんが勢いよく受付に腰かけた。ビクリとする人間。ギルドの中に緊張が走っている。
アナベルくんは大げさに足を組んで、それから振り返るようにして受付の人間を見たようだった。
「よお、受付くん。ひっさしぶりだなぁ?」
受付の人間は急に背が高くなった。椅子に座っていたんだ、と僕が気付いたのは少し経ってからだった。人間は、怯えた顔でお尻を押さえている。
そんな人間に向かって、アナベルくんは高くて可愛らしい猫なで声をだす。
「座ってる時だけイボ痔になる呪い、解呪してもらったか?」
「ひぃぃ……」
肯定とも悲鳴ともとれるか細い声に、アナベルくんは満足そうに笑ってから、僕から用紙をひったくってヒラヒラと振った。それから彼は、戻ってこい、とでも言うように人差し指をクイクイと動かす。と、人間はカチコチに固まったような動き方で椅子まで戻ってきた。
「それでな、ギルドカード発行の話なんだが」
「ひゃい……」
「コイツ、森に捨てられててな? それを、そこなアルラウネが拾って育てて十数年ってな感じだからさぁ、人間の文字の読み書きができないんだよなぁ。で、このギルドカードの申請書って本人が書かなきゃいけないよな?」
代筆していい? と。
小首を傾げるアナベルくんは、見た目だけ見れば、そこらの妖精さんなんかより可愛いけれど、人間はそこにたっぷりの恐怖を見たらしい。受付の人間は何度も何度も頷いて、アナベルくんに羽ペンを差し出している。
アナベルくんは羽ペンを受け取ると、ペンの先をひたりと用紙につけて、それから、舌打ちをした。
「んだよ、これ魔力ペンかよ。これじゃ、俺が書いたら俺のギルドカードになっちまう……そうだ、ちょっと」
アナベルくんは僕に手招きをしている。僕はアルラウネさんを見て、アナベルくんに近付いてくれるようにお願いした。
そうしてアナベルくんのすぐそばに来たら、彼は僕の手を引っ張って、僕に羽ペンを持たせた。それから、僕の手にアナベルくんの手が重なった。
「いいかー? 俺が動かすから、お前はペンに魔力を籠めろよ?」
ゆっくり少しずつ籠めろよ? というアナベルくんの声に頷いて、僕は静かに静かに魔力を流す。すると、さっきまで真っ白だった羽ペンは、緑色に染まった。
何これ凄い! と興奮する僕をよそに、アナベルくんは文字を書いていく。
「お前の名前はー、こう書くんだぞー? 〝ジョシュア〟って、こうやって書くんだからなー?」
「ジョシュア? 僕の名前は――へぶっ!」
アルラウネさんのツルが僕の口を塞ぐ。そうされながら僕の頭に響いてくるのは、アナベルくんからの念話だった。
『いいか、お前は今からジョシュアだ。トレントは種族名。魔物の種族名を子供につける親なんていないから、間違っても「僕、トレント!」なんて自己紹介するなよ』
アナベルくんが噛んで含めるように繰り返す。ジョシュアだぞ、と噛み締めるような声に、僕は大きく頷いた。すると彼は人形の微笑みに似た、しかしいつもと違うなんだか感慨深そうな笑顔を見せて、それからいつものニヤニヤ笑いに戻った。
「んもー、アルラウネたんってばヤキモチ焼きなんだからぁ。俺とジョシュアが仲良しだからって、やめてくださるぅ?」
僕の顔がミシミシ言っている。けど、痛くはない。僕は静かに、アナベルくんに手を動かされている。
アナベルくんは、一つ一つ読み上げながら書いてくれた。
僕の名前は、ジョシュア。
僕の出身は、王都の向こうの山の森。
僕の年は、十二歳……と書いたら、受付の人間が「ギルドカード発行は最低でも十五からで……」と言ったので、二重線で消されて十五歳になった。人間は何も言わずに、キュッとした顔をしていた。
それから――僕の職業は、
本当は「職業:勇者」が良かったんだけど、それはできないんだって。受付の人間は、「勇者様と同じ名前だからあこがれるのはわかるけど」と言いながら、勇者は職業ではないという事を説明してくれた。
「あとは、この用紙をカードに落とし込めば……」
用紙がふわっと光って液体のようになって、僕のカードに浸み込んでいく。しばらくチカチカしていたカードは、人間が手に取って浮遊石の間に通したことでその光を失った。
僕に差し出されているのは、鈍く輝く緑色のカードだ。
僕のギルドカードだ……! 僕の名前が、アナベルくんにつけてもらったジョシュアという名前が、きらきら輝いて見える!
すごくかっこいい……!
そっと受け取って眺めまわしていると人間がしゃべりだした。
「一応注意事項として……ギルドカードの紛失・破損の際には、必ず本人が再発行に来てください。ジョシュアさんの魔力を元に、情報の復元を行いますので。それから、カードは、絶対、絶対、絶対に! 呪われないようにご注意を! そうすると、解呪を行っていただくまで、クエストを受けていただけなくなります」
後半のセリフを言うとき、人間の目はチラチラとアナベルくんを見ていた。アナベルくんはそんなのまるっきり聞いていない様子だった。
僕はカードをしっかり持ちながら元気に返事をした。
「はい! わかりました!」
「あとは……そうそう、ジョシュアさんはテイマーですので、従魔の登録を行っていただく必要があります。そちらのアルラウネと、それから……呪い人形の登録を、お願いします」
どうやればいいんですか、と尋ねると、人間は「ただ二人に名付けをおこなってもらえれば」と答えてくれた。
「おこなってさえ頂ければ、書類への記入はいたしますので」
ニッコリ笑う人間の前で、僕はプラプラ足を揺らしながら考える。
アナベルくんは、もともとアナベルくんだから……アナベルくんのままでいいのかな?
思ったままを言えば、人間は頷いて書類に何かを記入する。
あとは、アルラウネさんの名前かぁ。
「アルラウネさん、どんな名前が良い?」
「どんなって言われても……うーん、何でもいいわよ。アンタが呼び間違えなそうな名前なら、何でも」
うーん、と唸って、それから僕はポムと手を打った。
「ラウネ! ラウネさんなんてどう?」
「いいんじゃない?」
微笑んだアルラウネさんは「ラウネ、ラウネ……」とブツブツ呟いている。気に入ってくれたなら嬉しいなぁと思いながら、僕は人間に向き直った。
「アルラウネのラウネと、呪い人形の……ア、アナベル、ですね……。ギルドカードを少々お借りします」
人間が何か作業をしている間、僕はウキウキして仕方なかった。
これでようやく勇者探しに行けるんだ! まずは人間たちに勇者を見なかったか聞いて、それから、それから……。
僕はこれからが楽しみで仕方ない!
――だから、早くギルドから出て街に飛び出したかったんだけど……。
「だ、だからこればっかりは曲げられないんですって……!」
「なんでだよ! 俺が金払って弁償するって言ってんだろ! 見ろよ、俺の異空保管の中身! このギルドがもう一つ立てられるだけの金はあるんだぞ!?」
「で、でも、駄目なものは駄目なんですって! ギルド内の物を壊した場合はクエスト消化で弁償することを了承しないと――」
「だー! めんどくせぇ! もう聞いてられっか! 俺が適当に直す! 良かったなぁ!? トレント木材製のドアなんかめったに無い――ぶへっ! なんだこの結界!?」
アナベルくんが何もないところで、まるで壁にぶつかったかのように跳ね返る。
何度も何度もぶつかっては跳ね返るアナベルくんを見て、それから僕は受付の人間を見た。
「――ギルドから出られないようになる結界が張られてるんですってば。ええと、ジョシュアさん。ギルドカードに金額が書いてあると思いますから、その金額分、何か依頼を受けていってください。そうすれば、出られますから。受注の仕方、説明しますね。こちらへどうぞ」
――そう簡単にはこの街から出られないのかも。
僕とアルラウネさん――改め、ラウネさんは、アナベルくんの嘆きの声を聞きながら、素直に人間の後をついていった。
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