トレントは、初めて森を出る!
僕小さい!
水鏡に映る僕は今までの五分の一くらいの大きさになっていて、アルラウネさんに余裕で食べられてしまうくらいの大きさ――つまり、人間の
「すっ……ごぉい! これ凄いよ、僕、僕、人間みたい!」
そう言いながら振り返ると、アナベルくんはニヤニヤと笑いながら僕の顎――顎! 今までなかった、顎を掴んで上下左右にぐりぐり動かした。どうやらアナベルくんは僕の顔のできを見ているようだった。
アナベルくんに自由にさせながら、僕は皆に作ってもらった腕を動かしてみる。僕の腕は、その全長の真ん中あたりで緩やかに曲がっていて、どうやらこれが、肘、と言うやつのようだった。
――確か、人間の腕は肘でしか曲がらないんだよね?
そう思いながら僕は、ぐりんぐりんと動かされる視界の端に自分の腕を捉えながら、肘を曲げて見た。
うん、やっぱりここで曲げるのがちょうど良さそうだ。他の場所を曲げることもできるけど、ここが一番違和感なさそうだ。
それから僕は、自分の腕の先にある、手を見た。アナベルくんやオークさんと同じ、五本の指のついた手だ。わきわきと動かせる、器用そうな手だ。僕は握ったり開いたりを繰り返しながら、えへへと笑った。
「小っちゃい手だー」
これならいろいろなことができそう! どんぐりを拾うのも苦労しなさそうだ。
と思っていたら、アナベルくんが堪えかねたようにゲラゲラと笑い出したものだから、僕はびっくりして、至近距離にある彼の顔を見た。
そうすると、アナベルくんは更に笑うから、僕はコテンと首を傾げる。
「どうしたの、アナベルくん」
「お、おま、どうしたって……ふひひひひひひ! おまえ、おまえ、これはねぇだろアルラウネ!」
ゲラゲラ笑うアナベルくんの目は、横にいるアルラウネさんを見ている。僕もつられて――見上げるなんて新鮮! と思いながら――彼女を見上げたら、彼女は申し訳なさそうに小さくなって、ツルで顔を覆っていた。
「アルラウネさん、どうしたの!?」
「ああ、もう……だから違うやつがやった方が良いって……言ったのよ……」
彼女の言う事からすると、アナベルくんが笑っているのも、アルラウネさんが元気がないのも、僕の顔に何かがあってのことなのだろう。僕は笑いまくっていて力の抜けているアナベルくんの手から逃げて、泉の方へ向かった。
みんなに削り出してもらった僕の足は、最初こそツルッツルだったけれど、今や足首から先は根っこになっている。
木の姿の頃はもしゃもしゃさせて歩けた。けれど、今は二本しかない足でノシノシするしかないから、僕はバランスを取りながら早歩き。
そして辿り着いた泉を覗くと、水面には――
「なぁんだ、どこもおかしくないじゃない」
――いつもどおりの、僕の顔がある。
目がふたつあるでしょ、口もあるでしょ。ほら、なんにもおかしくない。
そりゃ、口は出来立てほやほやだから、前みたいにギザギザ強そうじゃないけど、トレントとしては何もおかしくない。
だから僕は、ゲラゲラ笑うアナベルくんを振り向いて、ちょっと怖い顔をした。
「アナベルくん! 僕の顔、なにもおかしくないよ! だからアルラウネさんにそうやって言うの、変だよ!」
そうやって言いながらスックと立ち上がって『僕は少し怒ってるよ』を表すために、腕を組む。と、アナベルくんは更に笑った。壊れちゃうんじゃない? と言いたくなるような大声で、また顎が外れそうなくらい大きな口を開けて、ひーひー笑った。
僕は、わけがわからなくてアルラウネさんを見た。すると彼女はツタの隙間から真っ赤な目をちらりと見せて、申し訳なさそうな声を出した。
「トレント。アンタ、トレントとして、自分の顔はおかしくないって、そう言ってるんでしょう?」
「? それ以外、言えないよ? だって僕、トレントだもん」
「あの……あのね、トレント。確かに、アンタの顔、トレントとしてはおかしくないわ。でも、でもね――」
アルラウネさんは顔から一本ツルを外して、泉に映る僕と、未だに笑っているアナベルくんを交互に指さした。
僕は泉で自分の顔を確認して、アナベルくんの笑みに歪みきった顔を見て、と何度か繰り返して、それからアルラウネさんを見て首を傾げて見せた。すると彼女は僕の視線から逃げるように顔を逸らした。
「アルラウネさん?」
「いえ、あの……なんでもないわ」
アルラウネさんの言葉を聞いて、僕は「やっぱり何でもないんじゃん!」とアナベルくんをポカポカ殴って、それから二人を置いて急いで広場に戻った。
広場では、妖精さんと邪眼さんが何か作業をしていた。その手前で剣と盾を――僕の剣と盾を見ていたゴブリンさんが僕に気が付いて、剣と盾を持ちながら、僕の方へと歩いてきた。
「ボウズ、これ、自分でつくったんか」
「うん! 材料は僕で、オークさんに作り方を教えてもらいながら木を削ってね、アナベルくんとアルラウネさんにも手伝ってもらって、作ったんだ!」
「ほお、そりゃすげぇ。大事にしな、ボウズ。こんなかっこいい剣、二つとないぞ」
うん! と僕が頷くと、ゴブリンさんは僕に剣と盾の持ち方を教えてくれた。言われた通りに持って、振り方なんかも教えてもらって、えいえい! と僕が素振りをしているところで、横から声が掛かった。
「トレントちゃん、人間は武器を生身では持ち歩かないらしいから、ほらコレ! ここにしまっておきなさいねぇ」
もう一人のゴブリンさんが僕にツタで編んだ長い袋をくれた。僕はお礼を言って、剣を入れて見る。逆よ逆、と入れなおされてから、僕は紐を腰に巻いて見た。
「すごい! チラシの勇者みたい!」
かっこいー! と騒いでいたら、どうやらアナベルくんとアルラウネさんが来たようで――なんと二人の後ろには、長老もいた!
二人とも、長老を呼んできてくれたんだ!
僕は慌ててそちらに駆け寄って、長老の前で胸を張った。
「長老! 言われた通り、武器と防具を用意して、見た目も目立たないようにしてもらいました!」
森の外に出ていいですか! と僕の叫びが広場に響く。
「……お主、その見た目で目立たないと……?」
え? と首を傾げる僕の横で、ブヒュ! とアナベルくんが吹きだして、取り繕うように咳ばらいをしたのが聞こえる。長老は僕をじいっと見て、それから、ふむう、と息を吐いて口を開いた。
「まず第一に、お主、肌が緑色ではないか」
それのどこが変なんだろう? と首を傾げたところで、僕はやっと、アルラウネさんが僕とアナベルくんを交互に指さしていた理由に気が付いた。
もしかして人間って、緑色の肌の人はいないのー!?
ガーン! と頭を揺さぶられた気持ちの僕は、長老の声に何一つ反論できない。
「第二に、お主、顔がトレントのままではないか。顔に穴三つ開いただけの人間なぞ、おらぬよ」
だからアルラウネさん、申し訳なさそうだったのかー!
第二撃目を食らって、僕はへたり込む。
そんな、そんな、せっかくみんなに手伝ってもらったのに……!
と、絶望している僕の横、小さな足が一歩踏み出した。
「それに関しては、俺がお前を言い負かしてやるよ」
涙腺があったら泣いていたであろう僕は、涙の一滴も流さずに顔をあげて隣を見る。そこにいるのはもちろんアナベルくんで、彼の姿は輝いているように見えた。
アナベルくんの自信たっぷりの声に、長老はたじろいでいるようだった。
「な、なんじゃ。言うてみい」
長老の声に、アナベルくんはこれ以上ないほど邪悪に笑う。そして彼の小さな口が開いて、そこから出てきた言葉は――
「こいつのこの容姿は――俺に、呪われたことにすればいい」
――これ以上ない最高の鋭さでもって、長老に刺さったようだった。
長老は瞳孔を細くして、心底驚いた顔をして、それから、深く深く頷いた。
「確かに、説得力はある」
「だろ? それにもっと言えば、俺ってば、このあたりだけじゃなくもっと遠くの街なんかにも出没してやってるからさぁ、知名度はこの上ない」
しかもしかも、とアナベルくんは楽しそうに人差し指を立てている。その様子だけ見ればオークの学校の先生のようだった。
「俺は、『高位呪術(ランダム)』を使える」
ほへー、と口をポカンと開ける僕は、ゆっくりと長老ににじり寄るアナベルくんの背中を見つめている。僕より小さい――いや、今は同じくらいの背か。ともかく、僕とそう変わらない大きさのアナベルくんの背中は、とても大きく広く見えた。
と、アナベルくんは長老ににじり寄りながら説明を続けた。
「『高級呪術(ランダム)』の最大の特徴ってのはなぁ……棚の角に足をぶつける程度の『低級呪術』から、血の一滴でも続く限り不幸を連鎖させるような『神罰級呪術』まで、この世に存在するすべての呪いの中からランダムに選ばれた呪いを、相手にかけられるってことだ」
つまりその中に、と言いながらアナベルくんは僕を振り返った。長老も、アルラウネさんも、広場にいる魔物たちも、彼がこれから何を言うのかわかっているようで僕を見る。でも僕は彼が何を言わんとしているのかはイマイチわからなかったから、難しい顔を作っておいた。
アナベルくんはそんな僕に気が付いているようで、左右の眉の高さを変えて僕を見つめたあと、にたり、と微笑んだ。
「――その中に、人間を樹木に変える呪いがないとも限らない。だろ?」
アナベルくんの言葉に、僕の背中をピリピリとした期待が駆けあがって、そして頭の中で弾けた。
つまり――つまり、つまり、つまり!
僕はその呪いにかかった人間! だから、他の人間と違って体も緑だし、顔もトレント!
「長老!」
僕は期待を込めて長老を呼ぶ。彼は鱗たっぷりの体をウネウネさせて悩んだ後、溜め息を吐いた。
「……わかったわかった。外は危険だから本当は行かせたくないがのう、今のアナベルの言った言葉に納得してしまった自分がおるゆえに……」
長老は、アナベルくんを避けて僕の方にやってくる。だから僕は急いで立ち上がった。
「……アナベル。アルラウネ」
まず声をかけられたのは、僕の隣に戻ってきたアナベルくんと、アルラウネさん。
「お主らは、本当にトレントについて行くのじゃな?」
「ついて行きます。こんなに抜けたこの子だけじゃ、心配だもの」
「行くに決まってんだろ」
「どこまでも、か?」
長老の問いに、二人は声を揃えて「どこまでも」と答えてくれた。体が震えるほどうれしい。少し前なら、虫が落ちるからとアルラウネさんに怒られたけど、僕の頭は今やつるつる! だから、どれだけブルブルしたって虫は落ちてこない。
僕は思いっきり体を震わせながら、じっと長老を見上げて、その大きな顔がこちらを向くのを待った。
「トレントよ」
来た!
「は、はいっ!」
「お主は、本当に、この森の外へ行くのじゃな?」
「はい!」
「外の世界の危険について、毎月、オークが言い聞かせてくれているじゃろう。それでも、行くのじゃな?」
僕は大きく大きく頷いた。
長老は、ならば、と天を仰いでから、地べたに体を這わせて、僕と目を合わせてくれた。
「……ならば、トレントよ。外に出る許可を与えよう」
長老の言葉に合わせるように、空を飛竜と怪鳥が舞う。
空を覆う毒霧に、にっこりと笑ったような切れ目ができる。
落ちてくる極彩色の羽根と柔らかな光は、僕を祝福してくれているようだった。
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