トレントは、作業される!
僕は、固まったまま動けなくなった。だってさっきオークさんに言われた言葉が――しょ、衝撃……衝撃だったんだもの……!
「え、何アンタまさか……知らないで言ってたの……?」
アルラウネさんが新種の魔物を見る目で僕を見ている。それでも僕は動けない。というか、僕の頭は言われたことを理解しようとするのに必死で、体の動かし方を忘れてしまっていた。
だから、アルラウネさんの声に何も答えることができない。
「トレントさん、知らなかったんでやすね……」
「うっそでしょう……?」
アルラウネさんがツタの腕をつっぱって体を起こすのを見ながら、アナベルくんの高笑いを聞きながら、僕は必死で考えた。
えっ……と? つまり?
勇者は、え? 旅をする人でしょう? 世界を平和にするために、旅をしてる人でしょう?
だって、風で飛んできたチラシにそう書いてあったよ……? 「平和」と「旅立つ」と「勇者」って文字が……。僕にも読める簡単な人間語で、そう書いてあったよ……?
いや確かに、全部は読めなかったけど……「魔なんとか」とか、「なんとか伐」とか「なんとか印」とか……確かに読めなかったけど、可愛い絵が添えてあって――。
そうだ、チラシをみんなに見てもらったらいいんじゃないかな!? もしかしたら、みんなが勘違いしてるのかも!
そう思った僕はか固まった体を必死で動かして、頭の中へと手を突っ込んだ。生えている葉っぱをかき分けて宝物を刺しておく枝に辿り着いた僕は、躊躇なく枝を千切ってしっかり持つと、ゆっくり下へと降ろした。
「こ、これ見て! これに、勇者は旅をする人って――」
枝の中程に刺してあったそのチラシは、拾ってから十年近く経ってしまったせいか、ひどく色あせていた。赤色なんてほとんど抜けてしまっている。
でも、書いてある文字は無事だった!
「読んで! ねえ、読んでみて!」
チラシを枝ごとみんなのほうへ押しやると、まずはアナベルくんが反応してくれた。チラシを見てぴくっと眉を動かし、じいっと覗き込んでいる。
アナベルくんはよく人間の街にイタズラしに行くから、きっと難しい人間語もわかるはず!!
と、静かにチラシを見つめている彼の後ろから、アルラウネさんとオークさんも手紙をのぞき込みはじめた。アナベルくんより三倍は大きい二人が覗いたものだから、チラシに影が落ちる。
「……あー、ここまで難しいとあたしには読めないわね」
「んー、時間とどんぐりを戴ければ、解読しやすが……」
むむむ、と唸る二人をよそに、アナベルくんだけは静かにうつむいてチラシに目を走らせているようだった。これだけじっと見てるってことは、きっと読めてるってことだよね!
僕はアナベルくんが読み終わるのをソワソワと待っていた。待ちながら、『勇者が魔王様を殺す人だなんて、間違いでありますように!』と祈っていた。
そうしたら、アナベルくんがふっと顔を上げた。
「読めた? 読めた!? ねえ、どうだった? 勇者って、魔王様を倒す人じゃないよね? 世界を平和にするために旅をする人だよね!?」
掴みかかってしまいそうなくらいの勢いで僕が体を寄せても、アナベルくんは動じない。動じないまま、彼は指に挟んだチラシをふりふりと振った。僕は、チラシが揺れるのを見つめながら、ごくりと唾を飲みこんだような気持ちになった。
ドキドキしている僕の前で、アナベルくんは、人形の微笑みを浮かべながら口を開く。
「――この二人の言ってることは事実だ」
僕は一瞬、息ができなくなった。口からも、葉っぱの一つ一つからも息をできずに、ただアナベルくんを見つめたあとで、僕はゆっくりと口を開く。漏れ出る言葉の震えを押さえることなど、出来なかった。
「そ、そんな……っ! 嘘でしょう……!? 僕、僕、ぼく……!」
僕はガックリうなだれる。信じられなかった。信じたくなかった。
そんな、そんなの、そんなのって無いよ……! そんな、魔王様を殺すのが、勇者だなんて……!
うなだれるしかない僕に、アルラウネさんの声がかかる。
「アンタ、勇者になりたいって初めて言い出したあの時、『世界は平和!』とか言ってたじゃない」
もう世界が平和なら――、と柔らかくて優しいツタが僕に触れる。
「――勇者、ならなくていいじゃない。あたしはてっきり、アンタが魔王様に……その、何か思うところがあって、だからそんなこと言ってるんだとばかり……」
違う。違うんだ。
確かに世界は平和だ。でも、それって、僕の周り――つまり、魔の森だけかもしれない。ううん、『だけかも』じゃなくて、『だけ』なんだと思う。
だって、森の外にいる魔物は、
僕は、僕は――
「――僕、魔物がみんな平和に暮らせる世界にしたくて……それで、勇者は世界を平和にするために旅をしてるって思ってて、だから、だから僕は、勇者になりたくって、なろうって思って……」
ショックすぎて、言葉がちゃんと出てこない。多分僕、滅列なことを言ってると思う。
心の中をみんなに見せられればいいのに、と俯いて顔をあげられない僕の根っこの足に、小さな小さな手が乗った。
「――だったらなればいいんじゃねぇの?」
静かな声に、顔が上がる。
アナベルくんの真っ青な目が、僕を見ている。
「なればいいじゃねぇか。魔物が平和に過ごせる世界? けっこうじゃねぇか」
――なれよ、トレント。
邪悪に微笑むアナベルくんに、僕は言う。
「僕、勇者、なっていいの…‥? だって、勇者は――」
魔王様を、とそれ以上言えなくて、僕はブルブル体を震わせる。多分また虫が落ちてきているだろうけど、アルラウネさんは怒らなかった。
「なりゃいい。勇者は魔王を殺すためにいる? 魔物を討伐しつつ、魔王を封印? んなもん、人間が勝手に言ってるだけだ」
アナベルくんは吐き捨てる。
「人間が勝手に決めて、勝手に言ってるだけだ。そうだろ? だったら、魔物も好き勝手言っていいはずだ。勇者にだって、なっていいはずだ。そんで、人間の王をぶち殺しに行ったって、いいはずなんだよ。なあ、だって、そう言うもんだろ?」
だからなれよ、とアナベルくんは優しく笑っている。僕はその笑顔に救われた気持ちになりながら、何度も何度も頷いた。
「よし、これで魔王問題は解決だな」
「アナベルさん、そんな簡単な話でもないんでやすよ」
静かだったオークさんが言う。と、アナベルくんは面倒くさそうに手を振った。
「アレだろ? 最近勇者がいろんなところをウロウロしてて、魔物を狩りまくってるってやつ。心配すんなって、この俺がついて行くんだ。後ついでにアルラウネも」
「ついでって何よ」
「あーあー、言い直します言い直します。魔王問題に気が付いていながら、トレントが心配だーつってついてくるような物好きアルラウネも一緒だ。なんにも問題はねぇよ」
ああそれから、とアナベルくんは飛び交うツタと葉っぱのナイフを避けながら茂みの方へと声をかける。
「そこの野次馬共! 野次馬代として、これからやること手伝っていけ!」
彼の言葉が終わったところで、僕は「野次馬?」首を傾げつつ振り返る。と、そこにいたのは、妖精さんに、獣人さん。それから、ゴブリンさんがわらわら。その後に出てくるのは、仕事帰りのオークさんたち。あ、火の玉妖精たちもいる。それに、わぁ珍しい! 邪眼さんも洞窟から出てきてる!
みんなどうしたの? と尋ねようとした僕の体がぐらりと傾いでバッターン! と倒れた。けど、何が起こったのかわからなくて、僕は両手を横に伸ばして、暗くなり始めてきた空を見上げてぽかんとしていた。
そしたら。
「はい、今から何すると思いますかぁー?」
アナベルくんの、これ以上ないほど楽しそうな声が響く。その声に答える人はいない。多分、アナベルくんは答えが返ってきても来なくてもどうでもいいんだと思う。彼は楽しそうに僕の上に飛び乗って、声を張り上げる。
「そう! お答えくださった通り――」
誰も答えてないけど、アナベルくんが楽しそうだからいいや。
「スーパー整形タイムだっ!」
そう呼ばわった彼は、まずビシリとアルラウネさんを指さした。僕はそれを見上げて、目立たない外見にしなきゃいけないの忘れてた、と思いながら静かに転がっていた。
「アルラウネ! 麻痺花粉をトレントにぶっかけろ!」
「ハァ!?」
「麻痺させとかないと痛いかもしれないだろ? これからコイツの体っつーか顔面っつーか、切って削っていくんだからよ」
僕はアナベルくんを食べてしまわないように気を付けて、口を捻じ曲げながら声を出す。
「痛くないよ? 魔心さえ傷付かなきゃ」
歪んだ声だったけど、ちゃんと伝わったらしい。
「まじ?」
「うん」
「でもま、ぶっかけろアルラウネ。雰囲気出ないから」
嫌だ、やれ、嫌だ、やれ……の繰り返しの後、結局、アルラウネさんはアナベルくんの念力によって空中に浮いてガクガク揺さぶられて、僕に花粉を振りまくことになった。
「どうだ?」
「うーん、痺れてるような?」
アナベルくんの問いかけにそう答えると、彼は満足そうに笑って、周囲に集まっている魔物たちへと声を張る。
「よし! 今からコイツを切り刻む!」
ちょっと言い方! と宙ぶらりんのアルラウネさんが言うのが何だか面白くて、僕はクスクス笑う。と、彼女は呆れたような顔をした。
「アンタ、のん気なんだか度胸があるんだか……これから、アンタ、木の姿から変えられちゃうのよ?」
「うーん……あんまり気にならないかなぁ。だって僕、魔心さえ無事なら、地面に埋まってまた生えられるし……アルラウネさんも同じでしょ?」
「それでも、なんとなく気持ち悪いじゃない」
僕は楽しいよ! だって!
「みんなが僕を変えてくれるの、すごく嬉しいもの!」
そうやって喋っていたら、アナベルくんに「しばらく黙って動くな」と言われたので、僕は素直にそうする。さあ、剣と盾を作るときは僕にもできることがあったけど、今できることと言えば、アナベルくんたちに言われた枝を落とすことくらい。
だから、僕はドキドキソワソワする心を根っこの足をウネウネさせることで押さえながら、暗い空――に浮かんで広場を照らしてくれている沢山の火の玉妖精たちを見ながら、アナベルくんたちの会話を聞いていた。
「――で、トレントの魔心はどこにあるんだ」
アナベルくんの声は僕へと向いていたので、僕は元気に答える。
「ここ! 口になってる穴の後ろの、体の真ん中のへん!」
「あー、わかんねぇわ。おい、邪眼! 透視しろ、透視」
「わかったよう。ええと、うん、はいはい。どこにあるかわかったから、傷つけそうだったら言うね」
「おう、そうしろ。じゃあ次はゴブ共とオーク共! あとでトレントのきれっぱしを分けてやるから、今から言う場所を切って削っていけ!」
アナベルくんはテキパキ指示して進めていくけれど、僕の整形は夜通しかかった。ああでもないこうでもない、と削られるうちに僕は随分小さくなったような感覚がしたけど、その分みんなの気持ちを貰ってる気がして、嬉しくて嬉しくて……。
僕はみんなが仮眠してる時に即興でありがとうの歌を唄いたかった。だけど、目も口も削られていて、穴の一つもなかったから声が出せなかった。残念。
そして、夜が明けて。
僕の整形は、残すところ、あと一か所になった。
顔。顔だ。
僕は今、目も口もないから、自分がどれくらいの大きさになったのか見えないし尋ねることもできない。
ただ、僕は「聞く」という事を体の表面と根っこでしているから、周りの声は聞こえるんだ。
僕の顔を作る役は、アルラウネさんに決まったらしい。決め手は、手の多さ。手が多ければ、その分器用だろうって。
確かに、ツルだって手って言えるもんね。彼女はさんざん「あたしなんかより器用なのがいるでしょ!」と叫んでいたけれど、結局は諦めたようで。
「い、いくわよ……。どんな顔になっても、恨まないでね……!」
その声と共に、えいやあ! と。みんなが頑張って凹凸を消してくれた僕の体に、新たな
僕はその凹をムズムズ動かして自分の目と口になるようにとなじませてから、ピョン! と飛び起き、こう叫ぶ。
「みんなー! ありがとう!」
ちょっと着地にふらついた僕を支えてくれたのは、随分大きくなったアナベルくんで。
僕は、同じくらいの背にまで伸びたアナベルくんを見て、正直に「アナベルくん、背が伸びたね!」と言った。そしたら盛大に溜め息を吐かれて、手を引っ張られた。
僕は、これまた背の伸びたアルラウネさんや、獣人さんや、ゴブリンさんたちの間を抜けて、気がつけば、綺麗な湧き水の泉まで連れてこられていた。
僕たち魔物が身だしなみチェックに使う泉の水面には――これは、僕? いや、うん、確かに僕、僕が映っている。それから、隣に立つ同じくらいの背のアナベルくんと、僕よりずいぶん背の高いアルラウネさんも映っていて――。
「え? う? おわー!? 僕、僕……小さいー!」
僕は、思わず笑いながら叫んでしまった。
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