106、トマリギ
その病院にはどことなくどんよりとした空気が漂っていた。
待合所に座る人々の顔にも覇気が無い。病院なのだから当然と言えば当然だが、引っ切り無しに動き回る医師、看護師も全体的に表情が強張っていて、余裕が無い。
そんな負の活気もまた、病院全体の空気をどんより歪めているように見えた。
(んー、何度来ても慣れないなぁ)
ウェレイ・オルレアンはその空気を切り裂くように待合所を横断する。
一昔前までは、ここを訪れる事なんて一生無いと思っていた。恐らく、穏やかな日々を暮らす一般人の大半は同じ事を思っているだろう。
ウェレイは一つの病室の前で足を止めた。ドアを開こうと手を伸ばすが、
「あら、あんたも来たのね。ウェレイ・オルレアン」
それより先に中から少女が出てきた。エレノア・ワユ。ヴェネと同じ、〝燕〟に属している捜査官だ。
「うん。あなたはエレちゃん、でいいんだよね?」
「……どうせあのバカの差し金ね。帰ったら10回殺す」
あれ? エレノアはこう呼んであげたら喜ぶ、ってついさっき聞いたばかりなのに。喜ぶどころか、何故か彼はこの後殺される事になってしまった。
ま、別にいっか。彼は死なない。だって、〝死神〟なのだから。
「えぇと、お父さんに何か用?」
「用は終わった。スコルピオに関する事。詳しくは本人に聞いて」
くいと病室内を親指で指す。ていうか、すっごくドライな対応。名前を呼ぶ事こそなかったけど、あの事件の後処理で何度も顔を合わせたのに。
素っ気ないけどホントは良い子なんだよ、とヴェネは言ってたけど、どうなんだろう。ま、気にしたってしょうがないか。
「わたしは帰る。じゃね」
「あ、ちょっと待って!」
遠ざかる小さな背中を呼び止める。彼女は顔だけ振り返った。
「何?」
「その……リーちゃんは、どうなったの?」
「機密により黙秘。むしろ忘れなさい、あんな
今度こそ彼女は行ってしまった。まぁ、教えてくれるとは思ってなかったけど、さ。
しばし立ち尽くしたウェレイは、顔をぶんぶんと振って気を取り直す。エレノアに会う為にここに来たわけじゃないのだ。
「やっほ~、元気? お父さん」
改めて病室に入ると、ベルンはベッドの上で体を起こして出迎えてくれた。
「見ての通り、元気ですよ」
と彼は言うが、どうだかね、とウェレイは内心で訝しむ。
あの事件で人獣化した社員達はみな、その場で血抜きの処置をされた後にこの附属病院に叩き込まれた。
エレノアの適切な指揮、そして〝烏〟の人達が頑張ってくれたおかげで、重役を始めとして誰一人死ぬ事なく治療を行う事が出来た。かく言うウェレイも例の薬を飲んでいたので同様にここに入院させられていたが、人獣化が発症する前だったのでまったく問題なかった。
今ではみな退院し、重役達はそのまま〝大鷲〟に逮捕された。では何故、予防接種を遅らせていた事で人獣化の難を逃れていたベルンが今も入院しているのかと言うと、だ。
「お父さんはすーぐ無理するからね。簡単には信じないよ? あたし」
「だから診断書も貰っていると言っているでしょう? すこぶる健康体ですよ、私は」
「体はそうかもしれないけど、お父さんはあのジジイ共のせいで精神をすり減らされたんだから、この機会に休みまくるくらいで丁度良いの!」
って感じだ。つまるところ、社長秘書として、そして娘としての義務だ。
元気なんですけどねぇ、とぼやくように言うが、構ってやらない。昔から自分を犠牲にして他を優先しがちな人なんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます