白昼の悪夢

72、とある昼下がり

 11月14日。その日は今年、最も冷え込んでいる一日らしかった。


 道行く人を見ればそれが良く分かる。厚手のコートに身を包み、肩や髪が白く彩られ、寒さに背中を丸めている人ばかりだ。昨日降り始めた初雪は一旦落ち着いたが、路面が凍った為に人々の歩みを慎重にさせている。


「………………」


 ベルン・スコルピオは、壁一面がガラス張りになっているスコルピオ社2階の休憩所で、そんな人々をぼんやりと見やっていた。


 スコルピオ社の社長であるベルンがここにいるのは珍しい。基本は上階の社長室にこもりっきりで、下に降りるのは食事を取る時ぐらいのもの。それも多忙の合間を縫ってなので、食べ終わったらすぐに上へと舞い戻るのが常だ。


 故に、ベルンの存在は浮いている。場違いと言ってもいい。けれど、今のベルンにとってそんな事はどうでも良かった。


 時刻は正午。ようやく刺すような冷気が弱まり始めていた。


「社長、こんなところで油を売っておるのか!」


 と、休憩所に怒号が響き渡る。ベルンは脊髄反射でそちらを見やった。


「もう会議の時間じゃというに、何をしておるのじゃ!」

「も、申し訳ありません」


 かつかつかつ、とその不機嫌さを表すかのように杖の先で地面を叩き、1人の老人がゆっくりと歩み寄る。


 スコルピオ社の重役の1人だ。彼はその中でも一番の古参で、先代社長が起業した頃からスコルピオと人生を共にしているような人だ。自然、ベルンの言葉は固くなる。


「その……予防接種は、もう終わられたのですか?」

「そんなもの、とっくに終わっておるわ!」


 今日は社員全てを対象にした予防接種が行われる日だった。 と言っても相当の数なので、男と女で分けて2日で終わらせる算段になっている。


 ベルンは自ら希望して最後の辺りに受けるよう手配して貰っている。理由は色々あるけれど……目の前の老人と同じ時間帯を避けたかったから、というのが大きい。


「どうせここじゃろうと当たりをつけて来てみれば案の定か。さぁ、ゆくぞ」

「わ、分かりました。すぐに参ります」


 焦りから早口でそう言うけれど、言葉に反して足が重く、動かない。どうしても人の犇めく外の光景に視線をやってしまう。


 そこに〝彼女〟がいるかもしれない。そんな願望でしかない予感が、ベルンを釘づけにしていた。


「……ふん。まだあの娘の事が気に掛かっているのか」


 ベルンの様子から、大体を察したのだろう。鼻を鳴らした重役が心底めんどくさそうにこぼした。


「気にしてもしょうがないじゃろうに。〝大鷲〟にも届けは出したのじゃ。いずれ何かしらの報告があるじゃろうて」

「はい……分かっておりますが。しかし、事が事だけに……」


 それは3日前の事だ。


 スコルピオ社の社長秘書であるウェレイ・オルレアンの消息が分からなくなったのは。

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