73、養子

 直前まで一緒にいた食堂関係者の話では、誰かからの連絡を受けた後に血相を変えて飛び出していったらしい。そしてほぼ同時刻、スコルピオ社の前で黒装束を纏った男達が現れ、通行人達がパニックに陥っている。


 確証こそないけれど、それらが無関係だとは到底思えない。もしそうなら、ウェレイはその黒装束……つまり、世間を賑わしている模倣犯らしき人物の手に掛かって……!


(あの子は咄嗟の判断力があるし、銃術もある程度嗜んでいる。きっと、身動きも連絡も取れないような状況に置かれているだけだ……)


 もしその模倣犯らしき男がウェレイを殺したのなら、もうとっくに〝大鷲〟から連絡が来ているはず。それが無いという事は、まだ生きているという事。


 きっとそうだ、そうに違いない。半ば自己暗示のようにイヤな想像をする理性を抑え付ける。この3日間、何度同じ作業を繰り返した事だろう。


「まぁ、良い機会と思えばいいじゃろうて」


 そんなベルンの思いを、目の前の老人は息を吸うように踏みにじる。


「秘書はまた新しく雇えばよい。あの娘の仕事ぶりは、お世辞にも褒められたモノではなかったしのぉ」

「っ、私の愛する娘を愚弄するのはお止め頂きたい!」


 かっと頭に血が昇る。視界が赤く染まる。ベルンの叫びが、休憩所に響き渡った。


 そう、ウェレイ・オルレアンは、ベルン・スコルピオの娘なのだ。と言っても、血の繋がりは無い。10年程前、養子に迎えた子である。


 当時、まだ30代の働き盛りだったベルンが養子を迎えたのには理由があった。尊敬する経営者にして、養父である先代社長に傾倒した結果だった。


 ベルンもまた、先代に養子として引き取られた過去があった。後にその理由を先代に聞くと、会社を大きくするのに結婚、つまり女の存在は支えとなる以上に弱みとなるが、会社の跡取りは必要になるから、という持論からの行動だったらしい。


 無骨で、あまり多くを語らない職人気質の先代のその言葉が響き、ベルンも同じ道をゆく事を決めた。数多く舞い込んだ縁談を全て丁重に断り、仕事の合間に孤児院に足を運んで養子とする子を選んだのだ。


 今は秘書業を経験させつつ、少しずつ会社経営に触れていって貰っている段階だ。確かに少し頼りない仕事ぶりだとは思うが……その暴言を許す理由にはならない。


「撤回してください。先代の右腕であったあなたとは言え、看過できません」

「ふん……儂は事実を述べたまでじゃ」


 大声での口論、しかも社長と重役という事もあり、視線が集まる。重役はそれらから逃げるように、不機嫌を隠す事もせずに踵を返した。


「もう一度言うぞ。会議じゃ、はよう来い」

「………………」


 言葉を紡ぎ気にもなれず、ベルンはゆっくりと遠ざかっていく老人の姿を見送る。


 じっとりと手が汗ばんでいる。脈拍も早い。ベルンは頭を振った。


 絶対的な発言力を持つ重役に口答えをし、いつも隣にいるウェレイの安否すらも判然とせず、しかもこの後には〝あの会議〟が待っている。


 もう何もかもがイヤになる。いっその事、すべて忘れて逃げてしまいたい。

 けれど、それは出来ない。絶対に出来ない。


 自分は、この会社の社長なのだ。何百人と言う従業員の命を預かる立場であり、尊敬する先代の遺志を継いでいるのだ。


(……行きましょう)


 決意を胸に踏み出した足取りは、しかし弱々しかった。

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