38、改めまして

 と、かちゃり、とカップがテーブルの上に運ばれてきた。〝燕の巣〟で淹れているコーヒーとはまた違う香りが、ほんのりと尾を引く湯気と共に鼻孔を衝く。


「ありがとうございます、ミオナさん。良い匂いですね」

「……ええと、ヴェネさん。1つだけ、苦言を呈してもよろしいでしょうか?」


 苦笑を漏らし、首を傾げながら。ミルクをカップに注ぎながら、ヴェネも首を傾げた。


「? はい、どうぞ」

「その敬語、今すぐに止めて下さい。あなたが母に敬意を持っている事は分かりましたし、私も母を尊敬しています。ですが私はその娘であって、全くの別人です。……私個人を見ようとせず、母の面影に語りかけてこられるのは、不愉快です」


 少しだけ早口になったミオナは、笑ってはいたけれど眉間に皺が寄っていた。


「……そっか。ごめんね、気を付けるよ」

「お願いします。そもそも、あなたに敬語は似合いません。もはや気持ち悪くて」

「うぅ、その手の蛇足毒舌も控えて頂けると助かります……」


 傷心のヴェネはシュガースティックを手に取った。コーヒーの表面を漂うミルクの白い筋を眺めつつ、その中に1本2本3本4本……、


「……入れ過ぎでは?」

「ふふふ、甘党の汚れ役ダーティ・スウィートの名は伊達ではないのですよ?」

「威張る意味が分かりません。あと、やっぱり気持ち悪いです、敬語」


 とか言いつつ、シュガースティックを3本入れるミオナ。十分甘党じゃんそっちも、と心の中で独白する。


「では、時間もあまりないようなので、本題に入ります」


 コーヒーを一口飲んでから、ミオナは姿勢を正した。その楚々とした仕草に、ライラさんと正反対のお上品さだね、とこぼすと、反面教師でしょうね、と笑う。


「改めまして、〝雲狐〟ライラ・ヴァイルブスの娘、ミオナ・ヴァイルブスと申します」


 飴色の髪を細い指で梳き、頭を下げる。


「この度は単独行動にこだわり、挙句に殺されかけた無様な私に御助力頂き、心より感謝申し上げます。つきましては、先程の事態を受けて迅速な情報交換が必要だと判断し、不躾ながらこの場へと招待させて頂きました」

「いやいや、固すぎだって。ていうか、情報交換してくれるんだ?」

「秘密主義の〝土竜〟と言えど、情報の開示の全てを否定はしませんよ」


 それに、とミオナは声を潜めて言葉を継ぐ。


「母の事を知るあなたは、多少は信用に値する人間です。母の通り名を穢している模倣犯をこれ以上野放しにしない為にも、どうかお力添えを……!」


 俯き、両の拳をぐっと握りしめる。その手は微かに震えていた。


 少しだけ重苦しい沈黙が漂う。ヴェネは努めて明るい声音で話題を変えた。


「ていうか、ちょっと意外。ライラさんはどこの組織にも属してなかったけど、ミオナさんは〝土竜〟を選んだんだね。ライラさんの後を継ぐ、って発想は無かったの?」

「母は組織に属する必要が無かっただけです。純粋に、強すぎる人でしたので」


 前にも1度見た事のある、独特の意匠が刻まれた銃を抜き出しながら、彼女は続ける。


「けれど私には〝力〟が無かった。それでも〝力〟が無いなりに搦め手を習得して〝裏〟を生き抜こうとしているのですが、まだまだ先は長そうです」

「搦め手……あぁ、あの声真似とか? 確かにアレは捜査に役立つ事も多そうだね。でも、ミオナさんみたいな綺麗な女の人の搦め手って聞いたら、色仕掛けみたいなエロ」

「ヴェネさん。撃ち抜かれたいですか?」


 にっこりと笑って銃を構える。けれど澄んだ蒼い瞳は全く笑っていなくて、見透かすかのように冷ややかな輝きを放っていた。


「じょ、冗談ですよ?」

「ならいいです。……こんな下らないやり取りで浪費するべき時間はないのですけど」


 肩を落として溜息をつく。それもそうだ。手短に行こう。


「一言多いのはいつもの事なんで……じゃあミオナさん。情報交換を始める前に、しつこいようだけど改めて提案するよ。事件の捜査、僕と一緒に動かない?」

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