第9話『別れは突然に』

『俺様に1つだけ案がある』


 ディアスポラの声がこの騒音の中でも鮮明に聞こえた。

 その鮮明さはまるで先の見えない暗闇を照らす光明のようで、堪らず俺は聞き返した。


「何でもいい!何でもいいから教えてくれ!」


 声を荒らげ、右手に持つディアスポラへ視線を落とす。

 なぜか鞘の下緒の先に縛着された青紫の小水晶が揺らいだように見えた。

 それはまるで、ニヤリと笑ったかの如くなんとも言えない不気味さを醸し出していた。

 そして、脳天を撃ち抜かれるような驚愕の一言が発せられる。


『聖剣に遅延系の魔法を付与してヤツの大口に全力で投げ込め』

「は?な、なに言ってんだよ」


 聖剣を?投げるだと?

 そんなこと出来る訳がないだろう。

 この剣、聖剣ライザークは何百年もライザークというこいつから取られた家名と共に生きてきたんだ。

 そんな剣を投げ捨てるということは裏切りと同じだ。全てのライザークの姓をもつ者に対する侮辱であり、聖剣ライザークを扱ってきた歴代極剣への冒涜だ。

 俺にも譲れないプライドというものがある。

 自ら聖剣を捨てるような真似は出来ない。許されない。


「そんなことできねーよ!他の案はないのか!」


 自分勝手で他力本願。

 そんなこと自分でも分かっている。俺が1番知っている。


「そうだ、そうだよ。それこそ聖剣でない、魔剣のお前でも――」


 それでも腐った思考は、言葉となって口からは吐き出されてしまう。

 後から反省しても遅い。

 どうしようもないクズだ。


『無理だ』


 返ってきたのは、はっきりとした否定。

拒絶でも、拒否でもない。その短く告げられた言葉が、口調が、ただただ不可能なのだ、できないのだ、と物語っている。

 なら、他の案は。他の案はないのか?


『俺様は魔剣としての機能をまだ完全に出せない。魔力伝導率も、ステータスも、スキルも、性能全てがなまくらの剣と大して変わらない。魔剣なんて今は肩書きだけだ。正直お前の腰にぶら下がってる聖剣が羨ましい。妬ましい』


 …………。


『だがな、俺様には他の剣にはないもの――、意思がある。何百年、何千年と積み重ねた知識がある。デューク、お前が聖剣を失ったら俺様がお前の剣になってやろう。期待はさせても絶対に後悔はさせない。魔神ヒヨルドに誓おう』


 左腕の先、マリーに視線を移す。

 今も玉のような汗を流しながら生き残る可能性を探して、俺の視線にも気づかないほど必死に詠唱している。

 次に聖剣を見やる。

 その相棒の昂然たる輝きを放つ姿を見ていると、妙に心が落ち着いた。


『お前が考えるんだ。自分がどうしたいのか。答えを出すのは誰でもない、お前自身だ』

「……俺、自身」


 ライザーク家、そして俺の誇りを守りマリーをも巻き込んで死ぬか。

 誇りも恥も全てを捨てて一か八か賭けて生き延びるか。




 ――答えは、もう既に出ている。


 俺は意地汚い人間だ。

 俺らしく、意地汚く、いつも通り行動するだけだ。


 こんな迷宮の深部まで来たんだ。誇りも恥もあったもんじゃない。

 マリーと共に生還する。それだけだ。


『――腹は決まったようだな』

「あぁ」


 まさかこんなにも早く聖剣と別れの日が来ると思わなかった。

 惜しくない、と言えば嘘になる。

 俺の中の天秤が生に傾いた、それだけだ。

 生きてさえいれば何度だって再起できる。

 それにこいつはスキルに『不壊』がある。スキル説明には絶対壊れることのない剣と記載されているんだ。例え強烈な胃酸の中に放り込まれても溶けることはないだろう。

 伊達に何代もの極剣が愛用し続けた聖剣ではない。

 今まで1度も刃こぼれしたことがない、と伝えられる剣だ。実際俺も5年間使ったが刃こぼれしたことはない。

 こいつには信用が、信頼が、――愛情がある。


「さぁ、ここからが見せどころだ!」


 魔剣を咥え奥歯でがっちり固定し、右手をフリーにする。

 空いた右手で握り慣れた聖剣の柄を手に取り、鞘から引き抜いた。


 このような状況でも見惚れてしまうような剣先で、相も変わらず逞しい剣だ。

 心の拠り所、みたいなものもこの聖剣に少なからずあった。

 やはり手放すには惜しい、が。


「マリー、聖剣に鈍足スロウを付与してくれ」

「まさか――、本気?」

「早く。頼むから早くしてくれ」

「……分かったわ」


 俺の懇願にも似た願いに、小さく返事をするとマリーはまたしても聞き取れないほどの速さで詠唱を始めた。


 初めて聖剣を握った日のこと、初めて魔物を切った日のこと、壊れることの無い聖剣には必要のない手入れを一日中したこと、危うく盗まれかけたこと、結局盗まれて取り返したこと、聖剣と駆け抜けた5年間が走馬灯のように朧気ながら思い出される。

 詠唱が終わるまでの時間は、とても短く感じられた。


「――、鈍足スロウ


 そして聖剣に鈍足スロウが付与された。

 聖剣を握る手から、マリーがありったりの魔力を鈍足スロウに込めたことが伝わってくる。

 次第に聖剣はマリーの魔力によって白く煌びやかに光る。

 さて、お別れだ。


 後ろを振り向くと、少しでもペースを緩めたらマリーが喰われるくらいの至近距離に大口を開いた巨大な頭が迫ってきていた。

 後には引けない。

 聖剣を全力であの大口に投げ込む、それだけでかなりの時間が稼げるだろう。


「ライザークの意地を!――見せてやれ!」


 マリーを左手で掴んだまま、上半身を巨躯の生物へと捻り、不規則に並ぶ鋭い牙を覗かせた大口目がけて一切の躊躇いもなく投剣した。


 聖剣はマリーが操作していた光の球に当たり、光の球は爆散して儚く光の残骸を辺りにちらつかせる。


 そして、薄暗くなった中でもなお聖剣は、マリーの魔力によって自らが発光し、当たった光の残骸も僅かに纏い、一際存在感を放ちながら大口へ吸い込まれるように侵入した。


「――――!!」


 耳に障る叫びを発しながら、追いかけてきていた巨躯の怪物はみるみる減速し、今の今までずっと開いていた禍々しい大口を初めて閉じた。


『ハハハッ!上手くいったな!ヤツは当分あのままだろう。今のうちに遠くへ逃げるぞ!』


 もしも次こいつと会った時は絶対に逃げない。必ず仕留める。

 俺はギリッと音がするほど歯を食いしばって、新たな野望とも無謀ともいえる決意を胸に走りだした。




「ハァ……ハァ…………」


 どれくらい走っただろうか。もう幾ら後ろを見ても薄暗く広い洞窟が続くだけで、巨躯の怪物の姿は見えない。

 だが、時折地鳴りが聞こえてくる。

 まだ近くにいるってことだ。気は抜けない。


『お、道が分かれているな』


 道が分かれている?

 俺には今まで通りの一本道にしか見えないのだが。


「あ、ほんとだ」


 疑問に思ったのも束の間、すぐ俺にもここから先、二股に分かれているのが見えた。

 真っ直ぐ進めばこれまで通りの広く大きな洞窟。もう片方、右に曲がれば2メルくらいの小さな洞窟だ。

 にしてもよく分かったもんだ。言われなきゃ気づかなかったぞ。


『俺様の見る世界に光も闇も関係ないからな。これくらいどうってことない』


 光も闇も関係ない、か。

 ここ最近、盲目のとある少女が目を閉じてでも景色を見ることができるという話題が出ている。

 目が見えるようになったのとは違う。

 周囲の魔力を敏感に察知して、それを景色として映し出しているのだ。しかもそれは上下左右全ての方向を明暗関係なく見れるらしい。

 だが、そこまでの情報量を人間の脳は処理しきれない。

 その少女は1回景色を見る度に倒れて数日間高熱を出すみたいだ。

 もしディアスポラが常にその魔力視を使っているのだとしたら恐るべきことだ。


「あだっ!」


 突如、マリーの襟を掴む俺の左腕がありえない方向に曲がった。

 その直後、両肩をがっしり捕まれ、何かが俺の顔の横に出てきた。


「右よ!右に行きましょう!」

「お前か……」


 マリーだった。

 驚かせやがって。

 じゃない、このままでは腕が折れる。


「行く!行くから!その手を離せ!」

「デュークが離しなさいよ!ずっと猫かなんかみたいな持ち方して、許さないんだから!」


 ぐぬぬ……。

 言われてみれば、咄嗟だったとはいえ酷い扱いだったかもしれない。


「なら離すぞ。代わりにしっかり捕まっとけ」


 ぶっきらぼうにそう言って、パッと手を離す。

 ふー。

 左腕が楽になっ――、


「ぎゃーーー!!」


 ……。


「助けてー!デューク!」

『……こりゃあ、先が思いやられるな』


 全くだ。


 再びマリーを掴んで、右に曲がり走るがすぐにその足を止めることになる。


「行き止まりね」


 残念なことに行き止まりだったのだ。

 なかなかどうして、上手くいかないもんだ。

 地鳴りもまた、どんどん大きくなっている。


「暫く身を隠そう」


 ……次会った時は逃げない、と言ったが次の次に訂正だ。

 まさかこんなに早く次がくるとは。いやはや人生何があるか分からんもんだ。ははは。

 

――ゴゴゴゴゴゴゴゴ。


「伏せろ」


 広げた手を下に向けて押し下げ、柔らかく握る。

 これは冒険者界のハンドシグナルで、『姿勢を下げろ』という意味だ。

 声が届かない、出せない状況にある時使う。

 勇者パーティーであり、同時に冒険者だった俺達は当然の如く、ハンドシグナルが使える。

 マリーは俺の手の動作を見て、軽く頷くとしゃがむように頭を抱えて姿勢を低くした。

 だが、目だけは爛々と轟音のする方へ向けられている。その目にしっかり刻み込むように、見開いている。


 そして、遂に巨躯の怪物が来た。

 先程までは顔面しか見ていなかったが、その全貌の一部を見てからでも確実に言えることがある。


(……化け物だ)


 そう化け物だ。

 なんという魔物かは知らないが、ミミズかなんかの一種だろう。

 体は大きく、太く、そして長く、手足のようなものは見られない。ただ延々と白と茶のまだら模様の見るからに固そうな鱗が流れるように進んでゆく。なんだか目が回りそうだ。

 大分離れているはずなのにも関わらず降りかかってくる小石に耐えながら待つこと数十秒。ようやく過ぎ去り辺りは静かになった。


『やっと行ったみたいだな』

「あれは長すぎるだろう。反則級だ」


 大ミミズが通り過ぎて行った道を覗き、もう来ないことを確認してマリーを手招きした。


「どっちに進む?」

「どうしようかしら」


 うーん。戻ったところで脇道とか当分ないしな。進んだら進んだでまた大ミミズとかち合うかもしれないし……。


『進んでいいんじゃないか?ヤツの体は長くてでかい。そう簡単には方向転換できんさ』


 確かに、言われてみればそうだ。

 それに今更感もある。


「よし、進むか」


――ピキ。


 そう言って踏み出した一歩だったが、それは一歩で終わってしまう。

 固い動作で下を見ると、俺が踏み出した足を中心にして深く地面がひび割れていた。

 この展開は、知っている。


「あー、すまん」

『あ?』

「へ?――きゃあぁぁぁぁ!」


 そして足元の地面が崩れ落ち、俺達は今日何度目かの落下をしたのだった。

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