第5話『エングール』
何分か放心して、やっと諦めのついた俺は、いつにも増して重い足取りで階段を下っていった。
これからは下り階段を探すことになる。
上ったところでさっきまでいた場所に戻るだけだしな。
階段を下り切るとまたしても同じような光景が広がっていた。
ただ、一点だけ違うモノがあった。
モノという表現は違うのかもしれない。
そもそもこれを一点といえるのか?どちらかというと無数ではないのか。
無数の、それもモノではない、火だるまになった人型の何かがうじゃうじゃいる。
これまた今まで見たことない魔物だ。
……魔物だよな?
「なによあれ。気味が悪いわね」
「まるでアンデットみたいな動きだな」
「もー、そういうこと思ってても言わないでよ」
マリーのアンデット嫌いは相変わらずだ。
俺は最も近距離にいる一体を観察してみる。
だらしなく、目的もなさげにふらふら歩くその姿は、アンデットの類とやはり動きが似ている。
ふらふら、ふらふらと歩いて。
……あ、マグマに落ちた。
「落ちたな」
「落ちたわね」
落ちた先のマグマをしばらく見るが変化はない。
こんなところに生息しているということはマグマを泳げるものかと思っていたが、見当違いだったのか?
「上がってこないな」
「死んだんじゃないかしら」
こんなあっさりと死ぬなら問題ないか。
もしも倒せなくて困ったらマグマに落とせば勝てるってことだ。
でもなんか引っかかるんだよなー。
「出発よ!」
この引っかかりを解こうと沈みかけた思考が、マリーの勢いある声によって引き揚げられた。
俺は一抹の不安を胸に抱きながら、白いローブをなびかせる小さい背中を追いかけた。
「ま、気のせいだろう」
そう自分に言い聞かせて。
マリーはアンデットに効果抜群な聖魔法が使えるんだ。
きっと、きっと大丈――、
「――っ!危ない!」
スキップをしているかのような軽やかさで歩くマリーの背中へと全力で体当たりして、迫る脅威から一気に遠ざける。
マリーは吹っ飛んで、顔面から地面にダイブした。
しかし、気にしている余裕は一切ない。
上半身を絞るように左へ、――火だるまの人型が落ちたマグマの方向へ捻り聖剣を振るった。
予め鞘に手をかけていたので引き抜きは早かった。
なんとか間に合ったようだ。
「ゔぁ、あぁ」
伸びてきた右腕を斬り落とし、切り落とした右腕を追いかけるように伸ばされた左腕と聖剣とでぶつかり合う。
マグマから飛び出てきたのは、さっき落ちたやつだ。
辛うじて判断できる瞳のような窪みの右目側を垂れ流れるマグマの奥から眼球がギョロりと姿を現し、ぐるぐる回った後、せめぎ合っている俺に焦点を合わせた。
全く、ここには気持ち悪い魔物しかいないのか。
「いたた……。なにするのよ……って、わ!」
うつ伏せに倒れたマリーが、ゆっくりと体を起こしてこちら向きに座る。
俺を睨みつける表情を驚愕に染めたが、それからの切り替えが速かった。
杖を支点にして震える足で立ち上がると、すぐさま目を閉じて聞き取れないほどの早口な詠唱を始めた。
この切り替えの速さは俺も見習いたいものだ。
早口言葉、そして暗記を大の得意とするマリーは一般的な魔法使いの何倍もの速さで詠唱をすることが出来る。大魔導士と呼ばれる何百年も生きた、とあるエルフも舌を巻くほどだ。
切り替えの速さと相まって、戦闘においてそれは絶大な力を発揮する。
「――、
直後、マリーの握る杖から眩く青白い光の爆発が起きた。
光が爆散する寸前、俺は急いで固く目を閉じる。
開けたままだとしばらく視界を封じられるからな。
「いいわよ」
発光が止んだことをマリーの声を通じて確認した俺は、ゆっくり目を開く。
体も心も特に何ともないが、火だるまの人型は異常があったようで、叫びながらマグマの中にダイブしていった。
「……はぁ。びっくりした」
「てっきり死んだもんかと思ってたな」
マリーはペタンとへたりこんだが、なんやかんや平気そうだ。
「うーん」
やはりまだ何かが引っかかる。
確かに聖属性の魔法で逃げた。逃げたということは嫌いということだろう。
だが、ただ嫌いなだけという気がしてならない。
その気になれば無理矢理にでも突っ込んでくるのではないか?
それに、わざとマグマに落ち、死んだフリをして俺たちを狙ったことからかなりの思考力、知能を持っていることも判断できる。
少し視線を動かして注意深く観察すれば火だるまの、人型の何かは体の向きこそ違えど、進む方向は皆同じだということも分かる。
恐ろしいことにどいつもこいつも、こっちに向かって歩いてきているのだ。
これは最早群れだ。
そして、俺達は確実に距離を詰められている。
そのことにまだマリーは気づいていないようだが、わざわざ言う必要もないだろう。
マリーはアンデットが苦手だ。それも大が付くほどに苦手なのだ。
今はどういう訳か平気なようだが、もしかしたら強がっているだけかもしれない。
とりあえずあまりアンデットじゃないかと匂わせるのは良くないな。
それだけでマリーの使う魔法にどれだけ影響がでるか、分かったもんじゃない。
「マリー、あの近いやつでいいから鑑定してくれ」
「そ、そうね」
【ステータス】
《エングール》
Lv:88
HP:300/300
MP:300/300
攻撃:880
防御:100
魔法:100
俊敏:174
«スキル»
『マグマ生成:Lv--』『マグマ泳ぎ:Lv8』『HP回復速度上昇:Lv10』『MP回復速度上昇:Lv10』『再生:Lv10』
«装備»
《なし》
やはり……。
ステータスを見る限りアンデットで間違いないようだ。
マリーもさすがに気づいてしまっただろうか。
アンデットのステータスは少し特殊で、持久と精神が存在しない。
なのでアンデットを精神支配することはまずできない。
死霊使いというものがいるが、奴らは俺達が見えないものも見えるようで、それはステータスも同じことらしく、アンデット限定で隠れステータス的な何かが見えるらしい。
それによって自らの支配下に置いているとかどうとか。ま、今の俺達には死霊使いなんて縁のない話だろう。そんなことよりもここを生きて脱出する方がよっぽど大事だ。
「……グール」
マリーは、若干弱気な声で小さく呟いた。
そこで俺は白々しく質問してみる。
「ん?――あぁ、そういえばマリーはアンデットが苦手だったな」
「そうなんだけど、なんか今回は燃えてるからか分からないけど大丈夫みたい。走って切り抜けれるかしら?」
「うーん。あいつらの体力は無尽蔵だからな。何気俊敏もマリーに劣らずだし」
燃えてると大丈夫なの?
へー、そんなこともあるのか。
さて、どうしたもんか。
でもずっとここにいたところで進展はないだろう。むしろ状況は悪化するばかりだ。
それなら、
「やってみるか」
俺は停滞ではなく、自分で言うのもなんだが……。珍しく行動を選んだ。
提案者であるマリーは口をあんぐりと開け、マグマから飛び出てきたエングールを見た時よりも驚いている。
そんな、大袈裟な。
「大袈裟も何も。デュークってまず逃げ……、否定から入るじゃない?」
「おい」
「だから驚いただけよ」
そんな軽口を叩きながらも準備は進めていく。
マリーと順番を入れ替わり、俺が先頭となる。
そして四方八方、どこから襲いかかってこられても切りかかれるよう聖剣を正面に構えて慎重に歩み進む。
アンデットということは聖魔法が効果的なので、俺はどちらかというと壁役。時間を稼いで距離を取り、追いかけてきて密集したエングールに対してマリーが詠唱した聖魔法を放つ。
こんな感じの作戦で行くことにした。
暑さからか、緊張からか、いくら拭っても溢れ出る手汗が柄を湿らせる中、とうとうエングールの群れ付近まで辿り着いた。
近づいて分かったが予想以上に密集している。
なるべく戦闘は避けたいところだ。打ち合っても勝てるとも限らないし、作戦が成功する保証もない。
奴ら一体一体の足元を注意深く観察して、この群れを抜け出す経路を導き出し、どうすれば抜け出せる確率が高いか考えた俺は小声でマリーに話しかけた。
「マリー、ちょいと作戦変更。この群れは流石に危険だ。お前のことおぶってくから早く捕まれ」
「ふぇ?ふぁ、はい」
この群れの中、マリーを走らせたらあっという間にエングールらの餌食になるだろう。
俺が壁となったところでどこまで耐えられるかも未知数だ。
マリーは軽いから左腕一本でも十分持てるだろう。万が一のために右手には聖剣を握るようにする。
ただしどちらも落とさないように注意しないとな。
変な声を出した上に、何故か中々肩に捕まろうとしないマリーに見兼ねて、強引にその身を背中に寄せた。
背中に小さくも柔らかい何かが2つらふわりと押し当てられる形になってしまったが、気にしている余裕も暇もない。
「いくぞ――!」
声を張り上げ、自分自身に喝を入れて、最初の1歩目から全開で駆け出した。
一体一体の隙間をエングールとは比べ物にならない圧倒的な俊敏をもって、縦横無尽に、風のように走り抜ける。
一瞬間が空いて、通り抜けられたことに気がついたエングール達は次々と俺のあとを追いかけてくるが、まるで話にならない。
子供と大人の追いかけっこだ。
まぁ、子供役は火だるまでアンデットな訳だが。
走り続けた俺は群れから抜け出した。
しかし、だ。俺にあって奴らにないものが、風のように走る俺の身体を重くし、減速させていく。
一方エングールは変わらないスピードで追いかけ続けてくる。
俺にあって奴らにないもの。それは持久、限界だ。
奴らにある感情は、怒りと憎しみの2つのみ。
この2つがアンデットの行動原理となっている。
死霊使いが実際に語っていたんだ。間違いはないだろう。
……多分。
なんか他にもっと大事なことを言っていたような気もするが……。
なんだっけ、忘れた。
何はともあれ、逆をいえば苦しみも、痛みも、恐怖も、悲しみも、全くもって感じないということ。
奴らの怒り、憎しみは執念深さを兼ね備えている。
アンデットは厄介なのだ。
この2つ以外の感情を持ったアンデットはアンデットではなくなる。
それはつまり、より高位な存在に進化したということだ。
視線を後方にやると、エングール達が俺を追いかけて集まるように群がり、密集している。
狙い通りだ。
視線を移したのと同タイミングで全体重を俺の背中に預け、ぶつぶつ俺の耳元で長い詠唱を続けていたマリーの声が止まる。
マリーを見るとちょうど目が合い、小さく頷かれた。遂に準備ができたのか。
あと一言、鍵となる言葉を唱えれば大魔法の完成だ。
マリーの数少ない攻撃手段の内の一つ。
ある程度エングール達との距離も離れていたのでマリーを地面に下ろす。
既に限界を超えて走っていたので正直助かった。
マリーは軽いから大丈夫だろうと思っていたが、予想以上に疲れたな。
軽いというのは言い過……。
なんでもないです。睨まないでください。
「……はぁ、いくわよ。――
若干気だるげに唱えられた言葉は、魔法を生み、この世界に現象として具現する。
マリーの気だるさとは裏腹に、その魔法の威力は、一切の加減も温情もない。
次の瞬間、密集するエングール全てを囲むように杖の先端から青白い光の砲撃が放たれ、爆発音と共に、目を閉じ忘れた俺の視界が青白く染まった。
目が慣れ始め、後の光景を見ると、地面が抉れ、大量のエングールは全てが倒れていた。
そして、ここにきてとうとう俺のずっと抱いていた違和感が、不快感の答えが分かる。
「経験値が入、――らない?」
「みたいだな」
ピクリ。
一体の隅にいるエングールの指先が動いた。
それは波紋のように他のエングールへと広がっていき、中心付近にいるやつが遂には起き上がった。
「うそ……」
「マリー、考えるのは後だ。まず逃げるぞ」
「う、うん」
今まではどんなアンデットであろうとこの大魔法で一撃だったと前に言っていた。
そんな自慢の神聖魔法が効かなかったことに対するショックが大きいのか、マリーの走りは嬉々として進まない。
次第に起き上がるエングールも増えてきている。
「とりあえず避難だ。近くに階段があるな。上りだが仕方ない、いくぞ!」
俺は、結局最後は逃げるみたいだ。
なんとか階段に辿り着いた俺達は、このどうしようもない状況の打開策を探し始めた。
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