第1話『圧倒的すぎる存在』
突如として、荒ぶるような激しさを帯びた熱気が頬を掠め、目を開く。
俺の隣にはペタンとへたり込んで地面に杖を置き、右手で口許を押さえる元々白い顔を更に蒼白にさせたマリーがいた。
「うっぷ。やっぱ私、転移は好きになれない」
気持ち悪そうなこの感じ、転移酔いだろう。
転移酔いとは、馬車などに乗ってると起きる乗り物酔いと似たようなものだ。
転移は、より遠くへと転移するほど心身への負担が大きくなる。
初めて転移を行い、負担に耐えきれず意識を失ってそのまま魔物に殺られた、という話も少なくない。
なので、初めて転移する者は転移経験者を必ず1人は連れていくことを、2年ほど前に冒険者ギルドがルールとして定めた。このルールを上手く活用して金を稼ぐ冒険者もいるほどだ。
斯く言う俺も5年前、初めて転移魔法陣に乗った時は危うく意識を失いかけた。
魔物の巣窟であり、罠が無数に仕掛けられてある迷宮において安全地帯でもないところで意識を失う、それは自殺同然の危険な行為だ。
「デュークは気持ち悪くないの?結構な距離転移したよね?」
「俺は3年間ダンジョンに籠りっきりの生活を送っていたんだ。こんくらい慣れたもんさ。……うっぷ」
「ねぇ、絶対強がってるよね?ねぇ」
なぜバレた?
隠しきれていた自信があったのに。
なんとか話を逸らせないもんかと視線を前方に向けると、遠目にも分かるほどの重厚感と威圧感を放つ赤く大きな扉が佇んでいた。
「お、おい、前見ろよ」
「何よ。話逸らそうとし、て。――え?ここもしかして、……ボス部屋前なの?」
「かもな」
よし!話は逸らせた。
内心ガッツポーズを決め込んで、視線を上げてみる。
赤い土のようなものでできた四角い壁がどこまでも続いていて、天井は見えずに真っ暗だ。
ちらりと周囲を見渡してみるが通路らしきものはなく、ボス部屋に続く扉を開けない限り、ここは閉鎖的な空間であると言えるだろう。
閉鎖的な空間のはずなのに、どこからか熱風が吹き荒れる。ジリジリと肌に刺さるような暑さだ。
……あまり浮かれてる場合じゃなさそうだ。
「こんな巨大な扉は初めて見たわ」
「あぁ。そもそも転移したすぐ先にボス部屋なんて聞いたことも無い」
ボス部屋とは、文字通りボスが出てくる部屋だ。
俺達が今いる迷宮ムントゥシュランゲルに階層という概念はない。
迷宮には色々な種類があり、1つ1つの階層で分かれている迷宮だったり、塔であったり、森そのものが迷宮だったり。ほんと様々だ。海底にもあるという話だが、真実かは定かでない。
今いる迷宮は洞窟型だが、階段もあれば、そもそもの道が坂になっていたり、穴があったりと規則性がない。これでは階層という概念が通用しない。
では何によって迷宮の進行具合を判断するか。
それがボス部屋と呼ばれるものだ。
ボス部屋を突破するごとに出てくる魔物のレベル、生態系が異なるのがこの迷宮の大きな特徴と言って良いだろう。
下に進めば進むほど魔物のレベルが上がり、地上ではお目にかかれないような珍しい魔物やアイテムが出てくる。
魔物のレベル、種族によって現在自分が深部へ進んでいるのか、はたまた地上に向かっているのか判断することが出来る。逆に言ってしまえば判断材料はそれしかない。
要は注意深く進めという事だ。
基本的に迷宮で出てくる魔物は殺しても死体が残らない。どういう原理かは不明だが殺せば光の粒子になって消えていき、跡にはドロップアイテムと呼ばれる、その魔物の一部の素材だったり、何故か装備品が出てきたり稀に宝箱が出てきたりする。
俺の知人で、農民の出から成り上がった男がいる。
その男は少ない金で買ったロングソードを片手に、冒険者になり、こことは別の迷宮に挑んだ。そこは、レアなアイテムが出ると噂の迷宮で、難易度もそこまで高くない。男もその噂を聞きつけた訳だ。
迷宮を進んでいたら光を放つスライムが現れたらしい。そのスライムを倒したら派手な装飾の小さい宝箱が出てきたらしく、開けるとオリハルコン製の指輪が入っていたとかで。迷宮から帰還した後当時王都一と言われた有名な商人に自分を弟子にすることを条件で高く売りつけたらしく、そいつは今では知る人ぞ知る大商人だ。
何が言いたいかと言うと、だ。
魔物を倒して宝箱が出てくれば中身は通常のドロップ品よりも高価な、珍しい物が入っているということだ。
だが例外もある。
それがボスだ。
ボスを倒せば必ず宝箱が出てくる。正確には宝箱とドロップアイテムの2つだが。
レベルの低いボスを倒しても宝箱からはそれなりの物しか出ない。逆にボスが強ければ強いほど、宝箱から高価で珍しい物が出てくる。
ではボスの強さの判断材料は何か。それはボス部屋へと繋がる扉だ。
この扉が大きければ大きいほどボスも強いと言われている。
目の前にある扉は――、勇者パーティーに属していた俺でも見たことがないくらい大きいものだった。
今まで見てきた中で最も大きかった扉の倍はある。
記録更新だ。ハハハ。
「……別の通路ないか探さない?」
「奇遇だな、マリー。俺もそうしようと思っていたところだ。その前にさ、この暑さどうにか出来ない?」
「うーん、ちょっと待ってて」
そう言うと杖を両手で握り、前に突き出すようにして何やら詠唱を始めた。
マリーは回復魔法を得意とするが、こういった補助魔法や防御魔法も使える万能聖女だ。
マリーの得意とする魔法属性は光、神聖、回復の3つ。
この中には攻撃魔法もある訳だがマリーはそのほとんどを習得していない。
なので勇者パーティーにいた時は常にサポート役として活躍していた。
俺達は勇者パーティ―である前に冒険者だ。
冒険者ギルドが定めたルールの1つとして冒険者になる以前の、過去の詮索は基本的に禁止とされている。事によっては降格や報酬半減などの罰を受けることもある。なので誰も過去を詮索しようとはしない。
だが冒険者の中には話好きの奴もいる。そういう奴は自分から話してくるが、耳を傾けないのがベストだ。
俺の冒険者歴は5年だ。
5年もやっていればルールが自然と俺の中で当たり前のことに変わる。
マリーが攻撃魔法をほとんど覚えなかった理由を、俺は俺の中の当たり前に則って聞いていない。それにマリーは攻撃手段がなくても優秀だ。
回復魔法、補助魔法、防御魔法。
どれを取ってもマリーに勝る人間はいないだろう。
「よし、これでいいはず。暑くないでしょ?」
「おぉ、流石マリーだ」
それにしても、と思う。
どうしてマリーは俺なんかについてきたのだろう。
あの転移魔法陣に乗ったら危険な場所に飛ばされるという話を聞いていた筈なのに。
「……なによ?」
俺が無言で見つめていたからだろう。
純粋な淀みのない蒼い瞳を俺に向けながらこてんと首を傾げた。
「どうして転移魔法陣に飛び込んできたんだ」
「――っ!……だ、だって嫌だったん、だもん」
マリーはしゅんと指と指を絡めてモジモジし始める。
不安そうな表情で、まるで子供が叱咤されるのを怯えながら待つかのようだ。捨てられたくないとでも言わんばかりに――。
「待て待て待て!そういう意味で聞いたんじゃない。ただ疑問に思っただけだ」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
慌てて飛び出し、鼻と鼻が触れるくらいの至近距離で見つめ合う。
これは……先に視線を外した方が負け、というやつだ。
数秒見つめ合っていると、マリーが頬を薄く赤に染めて先にそっぽを向いた。
ふっ、俺の勝ちだ。
「……早く行こ。耐熱の効果が切れたらまたかけなきゃいけないんだし」
「おう、それもそうだな」
そう、思い立ったらすぐ行動だ。
巷で聞いた話だが迷路とかでは右側の壁に手をついて、ひたすら壁沿いに進むと出口に辿り着けるらしい。
俺もそれを信じて右手を壁につけて歩いてみることにした。
「……それで?今何周目よ」
「さぁな。5週目くらいか?」
「……いい加減諦めてボスと戦いなさいよ!いつまで続けるつもり?それでも『極剣』なの!?」
「いや!まだだ。俺は決して諦めない。……そうだ。上だ、上だよ!あんなに暗いってことは登り続ければ通路かなんかあるかもしれな、ブフォ!」
「どうやって登るのよ!」
杖を振りかぶったマリーが肩を荒く上下させる。
綺麗に鳩尾に入った……。
いてぇ。
……やるしかないのか。
頭を擦りながら目の前の巨大な扉に目を移す。
やっぱり嫌だなー。
上、登ってみような?
「男でしょ!覚悟決めなさい!」
――バシン!
「――ッ!」
おかしい。何も言っていないのに、頬を叩かれた。
だが何故か分からないが、上手く伝えられないが、その言葉が、鋭く放たれたビンタが、俺の心に深く突き刺さった。
死ぬことを恐れて逃げていた自分を引き止める力がその言葉とビンタにはあった。
そう俺は逃げていたのだ、現実から。
俺は決めたじゃないか。ユウキの思い通りの行動は取らない、と。
果たしてこれがユウキの思い通りの行動じゃないと自信を持って言えるだろうか。
ユウキは俺が怯えて逃げ続けた挙句に死ぬことを望んでいるのではないのか?現実に向き合わず、魔物に貪り食われる姿を高見から、笑い転げながら見物しようとしているのではないのか?
ならば、俺の取るべき行動は決まっている。
最初から決まっていたんだ。
逃げることも、迷うこともなかった。
「でもやっぱり、まずは壁を登れるのか、それを確かめてから決め、ブフォ!」
マリーの杖が、再び俺の鳩尾を打ち抜いた。
…………………………………
「あー、いてぇ。……それじゃあ、開けるぞ」
「うん」
「ほんとにいいの?ほんとに開けちゃうの?中からブワー!って出てくるかもよ?」
「しつこいわね!早く開けるわよ!」
開けたくないけど、仕方ないか。
そして俺が扉の右側に、マリーが左側に両手をついて、後は押すのみとなった。
若干ひんやりしていて気持ちいい。
「なんか、ひんやりしてて気持ちいいな」
「そうね。……ってそうじゃない!そうだけどそうじゃない!デュークったら、どんだけ開けたくないのよ」
違うんだ。
開けたくないとかそういうのじゃなくて、冷たいね、気持ちいいね、ってことをただ言いたかっただけであってほんとそういう気持ちは一切なくて、つまり俺は……、えーい!めんどくさい、開けてしまえ!
「えぇい!」
「え?ちょ、ちょっと待ちなさいよ!合図とかなしなの!?なんなのよ、あんた!うわわ!」
こうして大きな扉は右側を追いかけるようにして左側も開きだし、なんとも不格好にボス部屋の全貌を明らかにしたのだった。
円状に広がる何もかもが赤い空間。その1番奥にはたった今開けた扉と同じ大きさの扉がある。
そして赤い空間の中央に鎮座する、尻尾を体全体に巻いた禍々しい巨大な赤い何かが、ゆっくりと目を覚ましたかのように動き出した。
尻尾を地面に叩きつけて長い首を伸ばし、翼を広げるそれを人々は皆こう言う。
「……ドラ、ゴン」
ドラゴンは長く伸びる凶悪な牙の隙間から灼熱の炎を吐き出し、赤く太い脚で地面を蹴って宙へと飛び上がる。
その衝撃によって生まれた爆風は遠く離れた俺達の元まで届き、吹き飛ばされそうになるのをなんとか堪える。立っているのもやっとだ。
「マリー、鑑定を!」
「わ、わかったわ!」
杖を地面に深く刺して吹き飛ばされないように堪えているマリーの声が風に掻き消されながらもなんとか俺の耳に入ってきた。
勇者パーティーにいた頃、初めて遭遇した魔物にする事と同じ。
マリーに魔物を鑑定してもらい、その情報をパーティー間で共有する。
勇者パーティーは追放された筈なのに、その一連の動作が癖となって無意識に行われた。
そして数刻後、鑑定を終えたマリーが顔を絶望に染めながらも、何も無い空間にその情報を映し出す。
【ステータス】
《シュランクファイアドラゴン》
Lv:90
HP:5000/5000
MP:1558/1560
持久:180/180
攻撃:900
防御:1050
魔法:1120
精神:400
俊敏:410
«スキル»
『火炎息:Lv16』『飛行:Lv12』『咆哮威圧:Lv14』『再生:Lv7』『MP回復速度上昇:Lv10』『不屈の炎竜:Lv--』
«装備»
《なし》
なんだよ、この化け物級ステータス。
呆然とステータスを眺めていると、その奥でドラゴンが反るように首を持ち上げながら息を吸い込んだ。
『GURUAAAAAAA!!!!』
勢いよく振り下ろされた首と同時に、激しい咆哮が放たれ、遠く離れた俺の鼓膜が悲鳴を上げた。
この咆哮を聞いた瞬間、絶望の波がどこからともなく押し寄せてきた。
「……終わった」
赤い鱗を纏った死神を前に、俺の戦意は消え失せた。
あ……、ちょっとチビった。
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