ヒーローは人間をやめます
兎本ゆめ
ヒーローは人間をやめます
正義のヒーローなんて職業は、まったくもって儲からない。
謙遜なんてものではなく、本当に一銭も儲からないのが正義のヒーローという職業だ。
なんの見返りもないのに悪を倒し続けるからこそ正義。
そういう固定概念が世の中にあるため、どんなに助けられようとも世間はヒーローに金は払わない。
「ありがとうございます」と命を救われたことに涙を流して喜ぶ人の顔を見ると心は満たされる。だが、腹は満たされないのだ。
「……人間をやめたい」
ぐう、と腹が鳴る度に鈴木は常々思っていることを呟いた。
古びたアパートの一室。薄汚れた畳に大の字になった鈴木はどこにでもいるくたびれた若者に見える。
あまり清潔感のない若干伸びた髪。栄養状態がよくないためによどんだ目。青白い肌。
三十路に突入したというのに、バイト先を転々とする日々を送る彼は決して不真面目な若者でも夢を追っている人間でもない。
彼は正義のヒーローであった。
「本当に強かったです……!」
「シャインのおかげで、彼と今ここに立っていられます」
昔の友人にほぼ無料でゆずってもらった古いテレビから流れる音声に鈴木は目をやる。
そこには、鈴木が正義のヒーロー『シャイン』として救ったカップルが映し出されていた。
ぱっと場面は切り替わりスタジオへ。やたら偉そうなおっさんたちが「彼は何者なんでしょうね」と首をひねった。
「正義のヒーロー・シャイン。突如現れるようになった怪物たちをどこからともなく現れて颯爽と倒していく」
「あんな筋力や魔法のような力は普通の人間がもてるものではないでしょう。どこかの有能な科学者が協力しているか、もしくは彼自身が実はすでに有名な科学者ということもあるのでは?」
「残念。大学中退、高卒のフリーターです」
シャイン特集を組んでいるらしいテレビのニュースが好き勝手言っているのを眺めながら、鈴木は目を眇める。
残念ながら、怪力もシャインと呼ばれる所以となった眩しい光を使った能力も生まれながらに持っていたものだ。
意味不明なその力は鈴木が高校生になる頃までは、役に立つものではなかった。
世間に怪物が現れるようになってから、鈴木は正義のヒーローとなったのだ。
きっかけは本当に偶然。
高校時代も終盤に入りかけた頃。帰り道に怪物と遭遇した。
おそわれていた好きな子を助けなければと思った瞬間、気づいたら変身していた。
高校生離れした体格に、ぴたっと体に張り付く赤いヒーロースーツ。
外国のヒーロー映画の主人公のような見た目になった自分にびっくりしたのだが、好きな子の命の危機を救うためにがむしゃらに戦った。
結果、SNSで戦闘シーンを拡散された。
謎のヒーローの動画はあっという間に世界中に拡散。
光の魔法のような力を見て、人々は変身した鈴木をシャインと呼ぶように。
その後好きな子に告白した結果見事に振られた鈴木は、その悲しみから逃げるように自己承認欲求の荒ぶるがままヒーロー活動へ没頭。
いつ出没するかわからない怪物を倒し続けた結果、大学もまともに通えず、就職もままならず、バイトですら無断欠勤を繰り返し度々クビに……という状況であった。
もうヒーローやめようかと思ったことも何度もあった。だが、怪物におそわれて殺されかけている人々を見て、力があるのに見ているだけということは、鈴木にはできなかった。
というわけで、今もなお鈴木はヒーローとして一銭にもならない命がけの戦いの日々を送っているのであった。
(まさか、シャインが鈴木だとは思わんわなぁ)
テレビでシャインの正体を妄想しまくるおっさんたちと芸能人を見ながら、鈴木はため息をこぼす。
光さすところに影あり。
ヒーローの日常なんて、常に孤独と餓死と隣り合わせみたいなものだ。
元気があるときは、テレビにしゃべりかけまくる人間である鈴木だが、今日はもう声を出す気力もなかった。
ぐう、とまた腹が鳴る。
空腹過ぎて腹が痛い。
今、怪物でも現れたりしたら間違いなくシャインはやられるだろう。
正義のためにも飯を食わねば。
ヒーローとしてのプロ意識の元、鈴木はどうにかこうにか体を起こす。
なにか、なにか買いに行かなければ。
ポケットに突っ込んであった財布を引っ張りだして、中身をひっくり返す。
手のひらに転がり出たのは三十円だった。
消費税を考えれば、駄菓子ふたつくらいは買えるだろうか。
とりあえず何も食べないよりはましだろう。
何かしら食べて、テレビに出ていたあのカップルを救ったときに無断欠勤をしたことを理由にクビにされたコンビニの次のバイト先を探さなければならない。
「っし……」
かすれきった声でどうにか自分を鼓舞した鈴木は財布に宝物でもいれるかのように、大切に大切に三十円をしまいこんだ。
よろよろと歩いて玄関へ。靴底がはがれそうな靴に足をつっこみ、アパートの廊下へ出て、鈴木は驚いて踏み出しかけた足を止めた。
「あ、鈴木くん。こんにちは」
ザ・清楚。
清楚を具現化したような美人がそこにはちょうど立っていた。
正確に言えば、このボロアパートの廊下をたまたま通りすがっていたところなのだろう。
鈴木を見て立ち止まった艶やかな黒髪をハーフアップにまとめた美人は優子という。
何を隠そう彼女こそ鈴木がヒーローになるきっかけとなった女性だ。
高校時代同級生だった優子に惚れていた鈴木は彼女を守るためにヒーローになった。
その後、告白して見事に振られた後、ここ最近まで交流はなかったのだが、本当に偶然優子が隣に引っ越してきたのだ。
ほほえむ彼女に鈴木は「あ、こ、こんにちは」とどもりながらも挨拶を返した。
「今日はお仕事お休みなの?」
「あ、そうそう。はは、今日はお休みなんだよね……」
今日『も』とは、とても言えない。
頬をぽりぽり掻きながらへらへら笑う鈴木は、一般人からすればザ・童貞だ。
しかし、見た目がザ・清楚であり、心がザ・女神を地でいく彼女は、そんな鈴木にも優しかった。
「これから、おでかけ?」
「買い物に行こうと思って……」
へへ、と鈴木が笑おうとした瞬間、鈴木の腹の虫がぎゅ〜んと情けない音を立てる。
あわてて腹を押さえてから、(ああ、これはかわいいヒロインにしか許されないシチュエーション!)と顔を赤くしていると、優子はくすくすと笑って鈴木の部屋の隣。つまり、優子と弟の暮らす部屋を指さした。
「お買い物の前に、うち寄ってく? カレーたくさん作っちゃったんだ」
「え、いいの!?」
「いいよー。ちょうど今からお昼ごはんだから」
ためらいなく自身の部屋の前へと行って鍵を開けた優子が玄関の戸を開いて中へ入るよう手で促す。
今日は平日昼間。……ということは、弟は学校に行っているのではないだろうか。
優子と部屋にふたりきり。
そう考えると昼食に誘われただけだというのに、心臓の音が大きくなったようだ。
「……いいの?」
「やだ。鈴木くん昼間なのにやらしい顔してる」
「し、してない!!」
「ふふっ。どうぞ〜。いつも拓真がお世話になってるんだし、お礼にね」
優子の弟である拓真はなぜか鈴木になついている小学生男子だ。
平日夕方に仕事をクビになって帰ってきたところ、暇そうにしていた拓真を見つけて一緒に遊んでやったことからの縁である。
家庭の事情は深く聞いていないが、姉弟ふたりぐらしで、今は優子が拓真を養っているらしい。
ちょうど怪物が世の中に現れだした頃から、優子とは連絡がとれなくなったのだが、そのころから姉弟で支え合って生きてきたと言っていた。
ちゃんと聞いていないためわからないが、時期的に両親は怪物におそわれた可能性もある。
優子と拓真の両親を救えなかったのは自分なのかもしれない。
そう思うと、初恋の相手である優子はもちろん。拓真のことも放ってはおけなかった。
「じゃあ……おじゃまします」
ここで断る理由なんて、どこにあるだろうか。
腹は満たされ、美女の笑みが見られるお昼。最高過ぎる。
意気揚々と鈴木が優子が示す部屋の中を覗くと、そこには拓真が大きな目をキラキラさせて立っていた。
「鈴木兄ちゃんだ!」
鈴木を見るなり鼓膜を突き破るがごとく大声を出した拓真は、呆然とする鈴木の腕を引っ張って中に引きずり込む。
「こら、拓真。鈴木くん痛いでしょ」と注意されても嬉しそうに笑い続ける拓真と優子を交互に見ながら、「あの」と鈴木は声を発した。
「今日は学校はお休み……?」
「え? 今日は祝日だよ」
にまっと優子がいたずらっぽい笑みを浮かべる。
さっきの発言からして、優子は鈴木がふたりきりだと勘違いしていたことを知っていたはずだ。
聖女みたいな顔をして、時々いたずらっこみたいなことをする彼女が昔から好きだ。今でも、とても。
それにしても、ヒーローをやっていると曜日感覚すら狂う。
昼夜とわず現れる怪物のせいで、休日気分を味わうことすらままならない。
いい歳こいて、好きな子にフリーターと思われているのは仕方がない。だが、曜日感覚が狂ったニートと思われるのは嫌だった。
「そうだ! 平日だわ。あはは」
「早く〜!」
誤魔化して笑う鈴木の腕を引っ張る拓真に「やさしくね」と声をかけて優子は部屋の奥へと入っていく。
録画しているニュースで取り上げられたシャインの活躍シーンを見て大興奮している拓真とそれをなにやら真剣な表情で見ている優子と食べたカレーはおいしかった。
少しして怪物が現れたという速報が入り、カレーは途中までしか食べられなかったのだが、優子は眉をさげて微笑んで見送ってくれた。
その曇った笑顔がひっかかった。
*
優子の家でカレーを食べた日から数日が経った。
魔物を倒し、日銭を稼ぎ、どうにか生きながらえる。
輝かしいヒーローとしての戦いと金のない男としてお先真っ暗な日常。
そんな日々の中でも、今日は特別な日だった。
「いってぇ……クソ」
いつも通り薄汚れた自室の畳に転がった鈴木は珍しく怪我を負っていた。
最強のヒーローの名を欲しいがままにする鈴木でも苦戦することはある。
巨大な怪物は、今までにない必死さを感じる相手だった。
十年以上怪物を相手にしてきたが、あそこまで感情を感じた相手は初めてだった。
どうにか倒しはしたものの、珍しく怪我をした鈴木は深く抉られた腕の傷を見やる。
倒れる際に人間ほどの大きさに小さくなった怪物が、最後の力で出した一撃は不思議なことにすがるように鈴木の腕を握りしめるというものだった。
鋭い爪先はぐっさりと鈴木の腕を抉りとり、深い傷を刻んでいる。
血が垂れているのを見て、畳についてクリーニング代をとられては困ると思い至った鈴木はあわてて立ち上がった。
救急箱から出した消毒液で傷を治療し、血が垂れないようにガーゼを貼り付けたところで、玄関のドアを誰かが激しくたたいた。
怪物と戦ったのは夜だった。長い戦いを終わらせた今は深夜と言っていい時間帯。
誰なのかと警戒しつつドアの前まで近づくと、向こう側からは泣き声が聞こえてきた。
「鈴木の兄ちゃん……! ひっく、たすけて!」
しゃくりあげるその声が拓真のものだとすぐにわかった。
すぐにドアを開けた鈴木は玄関の前でうずくまる拓真を見つける。
肩をふるわす拓真の前にしゃがみこんだ鈴木は、彼の肩にそっと手を置いた。
「どうした、拓真。優子になにかあったのか?」
こんな深夜に拓真ひとりで尋ねてくるなんておかしい。
すぐに優子の安否が不安になった鈴木に拓真は泣きながら、なにかを差し出した。
「お姉ちゃん、帰ってこないんだ。シャインが勝ったら、鈴木の兄ちゃんに会いに行ってこれを渡せってメモがあって……。ずっと姉ちゃん帰ってこないから、俺……」
「……わかった。とりあえず入れ。外危ないからな」
ぐすぐす泣く拓真を部屋に招き入れてから、鈴木は拓真に渡されたものを見やる。
それは『正義のヒーローさまへ』という手紙だった。
『こんばんは。鈴木くん。
ありきたりな書き出しだけど、これをあなたが読んでいるってことは、私はきっともうこの世にいないでしょう。
シャインである鈴木くんに殺されて。
あなたが怪物の正体を知っているかはわからないけど、怪物はみんな元は人間です。
私と拓真の両親も怪物になり、シャインに殺されました。
両親は借金に悩んでいました。そして、自分たちを騙して借金まみれにした人を恨んでいました。
恨む気持ちが人を化け物にするみたい。
私が化け物になるのは、鈴木くんを恨んだせいです。
シャインが私の両親を殺した。普段は人間で時々化け物になってしまうだけの両親を殺した。
シャインが両親を殺したせいで、私は拓真を守るためだけの人生を送ることになった。
結婚もしたかった。子どもも欲しかった。
シャインのせいです。
人間である鈴木くんなら殺せると思っていましたが、人間である私はあなたのとぼけたところや拓真を大事にしてくれるところを憎むことができなかった。
だから、私は人間として鈴木くんを殺しません。
怪物としてシャインを殺そうと思うんです。
もし、怪物の私が負けてしまったら、人間の鈴木くんとして、どうか拓真のことを頼めませんでしょうか。
シャインとして、私を殺した責任をとって、拓真のことを守ってもらえませんでしょうか。
わがままは承知です。
それでも私は「正義のヒーロー」を信じています』
手紙を読み終えたとき、心は凪いだように静かだった。
泣き疲れて、畳で眠る拓真にそっと毛布をかけた鈴木は腕の傷を見やる。
復讐を遂げたかった優子の最期の一撃。
じくじくと痛むこの傷を生涯忘れないだろう。
拓真の隣に座り込んだ鈴木の目からは、いつの間にか涙があふれていた。
嗚咽を殺して泣いた夜。
『正義』とはなんだと、何度も自問自答した。
*
「兄ちゃん、そろそろ行くわ」
「ん、気をつけろよ。今日日直とか言ってたっけか?」
「うわ、そうだった!」
拓真が中学生三年生になった。
償うような気持ちで拓真と過ごした数年間。
どうにかこうにか金を稼いで日々を過ごしてきた鈴木は、それでもヒーローを続けていた。
世間は相変わらずシャインを正義のヒーローと讃えたが、鈴木にはもう『正義』なんてわからなかった。
強いて言うのであればシャインが正義のヒーローと呼ばれる所以は、「多数決で多い方に有益であるから」なのだろう。
化け物になる人間の方が多いなら、シャインは悪のヒーローというわけだ。
拓真は優子が帰らなくなってしばらくしてから、ニュースにシャインがでるとテレビを切るようになった。
そして、さらにしばらくしてからはシャインのニュースを録画してまで戦闘シーンを食い入るように見つめるようになった。
拓真は何も言わない。
鈴木も何も言わなかった。
ふたりは、この家では『人間』だからだ。
「じゃ、いってきます」
「いってらっしゃい」
玄関で見送る鈴木を振り返った拓真は一瞬だけ眉を下げて笑う。
あのほほえみを、鈴木は見たことがあった。
曇った笑顔だった。
「……今日でお互い『人間』はやめような、拓真」
小さくなる背中に、鈴木はしぼりだすように声をかけた。
*
その夜、シャインが街に降り立った。
見た目が子どものような怪物はすべてを破壊しながら暴れ回っていた。
怪物の泣き叫ぶような声とシャインへの声援が街に響きわたる。
見事怪物を倒したシャインは痛む腕の傷を撫でて去っていった。
そして、拓真は二度と鈴木の元へは帰ってこなかった
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