たった一人の、俺だけの先輩
「もういいよ、冷めちゃった。香奈、動画止めといて」
高橋先輩がそういうと、動画を撮影していた取り巻きがスマートフォンを下した。
少しだけホッとする。目立つことは出来ればしたくないし。
あれだけの啖呵を切って目立ってないとは言わないけど、それでも、目には見えない誰かの存在を気にしながら話をし続けるのは疲れるから。
でも、これで解決じゃない。
桜宮先輩は何にも変わっていない。相変わらず、泣き出しそうな暗い表情のまま、俺の背中側にいて。
「……これで満足? 正義のヒーローになれて嬉しい?」
高橋先輩のそれはまるで泣き言だけど、あいにく謝罪やら敗北宣言やらには興味はない。
「さっきも言ったけど、俺は別にそんな目的で来たわけじゃないですよ」
「は、そんなこと言って結局は憧れの桜宮さんの前でカッコつけたいだけなんでしょ?」
「まぁ、先輩が憧れなのは否定しないですけど」
憧れていなければ、俺だってここにいない。
でも、何かが違う。
俺と高橋先輩の間では、どこか致命的なすれ違いがあるような気がする。
「俺はただ桜宮先輩をもっと見てあげて欲しいだけなんですよ」
それは多分、桜宮先輩が絶望したっていう結果だけを望んだ高橋先輩と、桜宮先輩が恋をして、それから物語を生み出したという中身を見続けた俺の絶対的な価値観の違いなんだと思う。
「見てあげて欲しいって、何様なのあんた?」
「……後輩です、桜宮先輩の」
色々あったなぁ本当に。
アニメや漫画でしか会えないような黒髪美少女の先輩。
ヘンテコな出会いだったけど、それでもその現実離れした魅力に心奪われて。
文芸部に入った。そこで先輩が、俺が思っていたようなキャラじゃないと気づいた。
だったら俺が“先輩キャラ”というものを叩きこんでやろうじゃないかと意気込んだ。
それから先輩が書いた物語に感動して、でも否定して。
もっとうまくやれるのに、先輩はこんなもんじゃないのに。
そうやって過負荷な期待を押し付けた。
先輩は愚かなまでに高橋先輩に騙されていて。
そして今は俺が高橋先輩と対立している。
色々あった、本当に。
この人に会ってから。この人のせいで。
色々あって、色々考えを巡らせた。
「先輩は……確かに人付き合いが下手なんだと思います。ぶっちゃけ、誰かと関わることに関しては向いてないんじゃないかと思います」
「は?」
「何カ月も自分の事を貶めようと計画してる奴らを本物の友達だと思って好ましく思い続ける人ですもんね。女子高生としても色々劣っていると思います」
ふと、背後の先輩を見る。俺からの中傷に、さらに唇を噛みしめるように悔しそうにしていた。
俺の意見に、桜宮先輩が反応していた。
よかった、聞こえていたんだ。
だったら、ちゃんと思っていることを全部言おう。
「せっかく容姿が恵まれてるのに、家庭だって恵まれてるのに。……いやだからこそなんでしょうか、世間知らずで、疑うことを知らなくて、隙だらけで。見ていて腹が立つっていうのも頷けます」
言葉が止まらなかった。どんなキャラクターを語るよりも先輩を語る俺は饒舌だった。
「妬まれる理由も分かりますよ。勉強が出来るのに、賢くはなくて、色々勿体なくて。恵まれているのに恵まれていることに気付かない人って見ていられないくらいにウザいですもん。それこそメイクとか勉強とか、どれだけ頑張っても到達したい領域にたどり着けない人なんていくらでもいます。それが理由で、誰かを憎むことだってよくあることです」
俺にだって、特定の誰かに対するコンプレックスを抱えて生きてきた。
そいつは人当たりが良くて、器用な奴だ。俺が定期テストで高得点を取っても、そいつは俺のスコアシートよりも若干出来が良くて、運動神経では負けているつもりはないけど、体育祭だとか球技大会とかで主役はいつもそいつだ。
だから一詩には冷たく当たる。
軽音部を辞めたのだって、あいつの引き立て役になる未来が見えて、嫌になったのも理由の一つだ。
一緒にいるだけで自分が惨めになるような存在。
本当に、高橋先輩の気持ちは少しくらいなら分かる。
「心中お察しします。だけど、俺はこの場を、この展開をぶっ壊さなきゃいけないから」
「何が心中お察ししますよ、桜宮さんの事ばっかのくせに」
「そうですね、今は先輩のことばっかりです。先輩の事ばっかだけど、高橋先輩を恨んだり憎んだり、憤ったりはする気がないってことだけでも分かって欲しいんです」
「そんなの嘘じゃん! 言いたいことがあればさっさと言いなさいよ。私たちを軽蔑してるんでしょ? 本当は大好きな先輩をいじめてて憎く思ってるんでしょ? だったらそう言えばいいじゃん、いつまでも訳わかんないこと言って。気持ち悪いっての」
劣等感や被害妄想。他者からの目。そんなものを気にする心が積み重なった高橋先輩だから、こんなことをした。
そして今も、俺の存在が疎ましくてしょうがない。
「軽蔑は確かにしてます。でも本当に高橋先輩のことなんてそんなに意識していないですよ」
「ッ!」
「なんなら、尊敬しているところもありますよ。長いスパンをかけて実演してきた、桜宮先輩を貶めようとする計画を立てていたこと。これは素直にお見事なシナリオだったと思います。正直言って胸糞悪すぎて、これがアニメなら5分もしない内に視聴を断念してたけど、巧妙……というか小癪で、先輩というキャラクターの無垢なところを完璧なくらい上手く扱ってて嫉妬すらしますよ」
先輩というキャラを、この人は俺より知っていたのじゃないかと思う。付き合いの長さとかもあるけど、それでも、先輩は、ちょっと優しくすれば簡単に騙せること、そんなことにもすぐに気づいていたんだから。キャラクター分析のスペシャリストを自称する俺がちょっとカリスマぶってる女子高生に負けたんだ、俺もまだまだだ。
「……でも現実は物語と違うんですね、やっぱり。高橋先輩が思い描いた凄惨な物語みたいに、全てが全てご都合主義じゃないからいいですよね。俺みたいな捻くれた人間がいるせいで、この計画は頓挫ですもん」
プロットしてきた壮大なストーリー。
望む未来が欲しくて人は行動をする。先輩が、笑っていられる未来が欲しいのなら。
「あなた達のシナリオにバッドエンドがあるなら、俺が先輩を守るしかないじゃないですか」
それは正義なんてもんじゃない。ヒーローを気取りたいわけでもない。
ただ、再認識したものを噛みしめていたいだけ。
ずっと疑問に思っていたことの答えが出た。
ストーリーとキャラクターどっちが大切かという疑問。
当然どっちも大事だけど。
やっぱり俺はそれが現実であっても、キャラクターが大切だ。
この世界のどこかで誰かが誰かに救われていることになんて全く持って興味がない。
そんなストーリーに興味はないけど。
今、「俺」が「先輩」の味方をしている。そんな事実が。
──ちょっとだけ心地良い。
先輩を守る。そんなの自己満足だ。
どれだけ先輩の描いたエルフを褒めちぎったって、高橋先輩はその物語を扱き下ろした。
その結果、先輩は心を痛めている。
たとえ、ここに俺がいてもいなくっても、先輩は変わらず苦しんでいて。
俺が来たからその痛みが和らいだというわけでもない。
でも、俺がいなければ、先輩は、確実に先輩じゃなくなってしまう。
塞ぎこむ。人との関りを恐れて、誰かに怯えて、何も信じられなくなってしまう。
俺は伝えに来た。
どんな痛い目にあったって。先輩は先輩のままでいていいんだって。
純粋で優しくて、高嶺の花の先輩のままでいいんだって。
「意味わかんない……」
「高橋先輩……いや、高橋さん」
そんな俺の心境なんて、この人には伝わるはずもないけど。
「なによ」
「さっきも言いましたけど、俺はあなたを全く意識してません。そもそもあなたを“先輩”として認識すらしていません。確かに俺たちは年齢が違うし、学年が違うけど。けど、それだけです。あなたに“先輩”としての魅力は感じません」
「あんた……結局あたしを煽りたいだけなの? そういう遠回しなのキモいって言ってんのまだ分かんない? 言いたいことがあるならさっさと言えって言ってるの!」
「いえそうじゃなくて。俺にとっては“先輩”って特別な響きなんですよね。アニメなんかでも、先輩キャラって当然のように綺麗だし、優しいし、何よりカッコいいんですよね。たまーに年下の主人公に甘えてたりして、そういうの、卑怯だなぁって思ったりするんです」
「キャラとか主人公とか、バッカじゃないの?」
「えぇ。バカです。おっしゃる通り。俺の言うことは……理想の先輩像は結局アニメや漫画の中の話です。……話でした」
そう。あくまでも過去形。
それを変えてくれたのが桜宮先輩だから。
「先輩なんて、実際は歳が上なだけの他人です。それが現実です。……だけど、先輩は。……桜宮先輩は、俺の夢見ていたまんまの理想の先輩です。バカ正直で、悪意に鈍感で、ご覧の通り、傷ついて言葉を失う弱い人ですけど──」
聞こえてますか、先輩?
これが俺の気持ちです。俺の届けたい言葉です。
「それでも俺にとっての先輩は出会ったときから桜宮美景なんですよね」
「こんなののどこが理想の先輩なのよ。騙されてることに気付かないし、歴史ある文芸誌にエルフなんか登場させる大馬鹿じゃない」
「……そうかもしれませんね。蓋を開けてみれば、桜宮先輩も結局は歳が一つ上なだけの人でした」
「はぁ? 矛盾してるじゃん! テキトーな事ばっか言ってさ!」
矛盾? いやそんなものはない。俺の想いはテキトーなんかじゃない。
「──だって先輩は美しいじゃないですか」
「は? なにそれ、結局見た目?」
「えぇ。見た目も含めてです。俺、こんなに心含めて丸ごと綺麗な人、出会ったことなかったんですもん。本当に美しいですよ先輩は」
「あんだけ理想の先輩だとかなんだとか言っといてそれだけ? 本当にそれだけなの?」
「はい。それだけです。それだけで十分なんです」
桜宮美景との邂逅を果たした後に、俺は探し始めた。
先輩キャラとはなんだろうかと。
オタクな俺は、色々な先輩を知っている。
ぶっ飛んだ先輩だって知っている。
おっぱいが大きい先輩も知っていれば小さい先輩も知っている。
未来から来た先輩とか小説を食べちゃう先輩も。
あとは、眉毛にキスをしてくる先輩だって知っている。
信頼をおける人もいれば、頼りない人だっている。
本当にたくさんの先輩がいる。
先輩ヒロインはそれぞれがそれぞれで全く持って違っている。
だけど、そんな沢山の先輩の中から、俺は先輩ヒロインの共通点をしっかり見つけた。
ただ言えること。先輩ヒロインというのは──。
──その背中をずっと見ていたいと思える年上の女性のことだ。
「例え、今日の先輩が俯いてばかりいても。何かに挫けて立ち止まっていたとしても。俺はずっと……先輩の一歩後ろで先輩の姿を見ています。そうしていたいと思えるのは桜宮美景先輩だけですから。だから俺にとっての理想の先輩は桜宮美景なんです」
「ほんと意味わかんない……」
「分からなくて結構です。お互いにお互いのことに興味がない。それだけの話ですから」
「チッ……もういいや、みんな、こんな奴ら放っといて教室戻ろう。話が通じる気がしないわ……」
そういうと高橋先輩は、俺に背を向けた。
やけにこの言い争いは長く感じた。凄く疲れた。
「高橋先輩!」
背中に声をかけると、退出しようとする高橋先輩の足が止まった。
「──ありがとうございました」
ただ、これだけは言っておきたかった。きっと、高橋先輩は呆れた顔か驚愕の顔か。あるいは憤りを感じているかもしれない。煽っているわけじゃないんだ。本当に心から感謝したいことがある。
「先輩と、文芸部で会えたのは間違いなくあなたのおかげです。だから、ありがとうございました」
もう一度、高橋先輩の舌打ちが聞こえた気がした。それでも、何も言い返すことなく彼女は部室を後にした。
☆ ☆ ☆
そうして先輩と二人きり。
その場に二人分の声も音もなかった。俺と立派すぎる彫刻。
形容するならそんな感じ。
俺の中に渦巻く、僅かながらの安心感と達成感については、この現場にあるまじきもので、もはや小さなバグみたいなものだ。
「…………こういう時」
長いこと続いた静寂を終わらせたのはしびれを切らした俺ではなく、先輩の低い声だった。
「こういう時、どうすればいいのかしら」
「俺に聞かれても……」
それはあまりにもアホらしすぎる問いかけで拍子抜けしてしまう。
「あなたの好きな先輩ヒロインたちは、こういう時、どうするのかしら。ありがとうって言うのかしら? それともごめんなさい?」
「……分からないですって」
そもそも、こんな特殊な状況、なかなか創作の世界でも見ることないし。
「それとも、悔しがるのが正しいのかしら。本気を出して作ったものを否定された情けなさを恥じるのかしら? 気にしていないフリをするのは今更手遅れな気もするわ……私は、どうしたらいいの?」
余裕のない声だけど、これは先輩が出来る精一杯の強がりなんだろう。
俺が理想の先輩だなんて言ったから。だからキャラクターを守ろうと、必死で戦っているんだろう。
「──先輩の好きなようにしたらいいんですよ。悔しいなら泣いてもいいし、格好つけて開き直るのもアリです」
「私……全く、分からないの。今の感情が。こんなに、ごちゃごちゃしてるの……初めてだもの」
「そう、ですね。俺も先輩ほどではないですけど、ごちゃごちゃしてます」
当然だ。こんな状況、受け止めろという方が難しいと思う。
「……木良君は、私に……どうして欲しい? 私はあなたの先輩として何をすればいい?」
それでも先輩は“先輩”として何が出来るかをしっかり考えている。それは俺の言葉が届いた証拠だ。だから嬉しい。
「泣いたっていい、開き直ったっていいんですって。ありがとうでもごめんでも、全部受け止めますよ。だってあなたは、俺の先輩であるより先に、桜宮美景じゃないですか」
「うん……。だったら」
先輩は項垂れて立ち尽くすだけだったその体を一歩、また一歩と俺の方に寄せる。
「……きらくんっ!」
そうして俺に寄り掛かる。
寄り掛かったその体は、重いとか軽いとかそういうのより先に不安定さを感じた。
「先輩、大丈夫ですよ」
「……辛い、辛いわ……木良くんっ……」
「そうですね」
「どうしてっ? どうして……こんな目に合わなきゃいけないの? ……私はただっ、私はただぁ……っ!」
「大丈夫です、一緒に苦しみますから」
「……なんでっ、なんでもっと早くきてくれなかったの? ……高橋さん、たちに……笑われてっ! バカにされてっ、ずっと! 怖かった! ……怖かったのにっ……! 木良くん、なんで早く来てくれなかったのっ……?」
「ごめんなさい、でも今はここにいます。だから安心してください」
「いやだっ……許さないっ、許さないから……っ! 怖かったっ、辛かったっ……来るの、遅かった!」
「許してもらえるまで、ここにいます。怖くなくなるまで、辛くなくなるまでいますよ」
「……でもっ、嬉しかったっ……味方してくれて、来て、くれて……だから、ありがとぅ、木良くんっ」
「どういたしまして……って、無茶苦茶ですね」
好きだっただけ。
それを物語にしただけ。
「ねぇ……きらくんは、どこにも行かない?」
それが悪夢の原因になっただけ。
いや、違うか。
先輩はずっと悪夢の中にいたんだから。
「そうですね、俺は先輩以外の先輩はお断りですから」
「……ふふっ、なに、それっ」
どれだけ寝覚めの悪い夢でも、それは夢に他ならないから。
「とにかく、大丈夫ですから」
夢占いでは、誰かに脅迫される夢や、怖いものに脅かされる夢というのは「精神的苦痛」の暗示らしい。
過度な期待だとかプレッシャーだとか。重圧に感じているものが原因で悪夢を見る。
もう、その原因は先輩自身が跳ねのけた。
「先輩、お疲れ様です。文化祭は明日です、だから今日の事なんて気にしなくていいんですよ」
「……ありがとう、木良くん」
俺たちの文化祭は、これから始まる。
きっと、先輩は伝説になる。
この文芸誌をつまらないと言う奴が言ったらぶん殴ってやる。
それが黒川ありすだろうと、問答無用だ。
そのくらいの覚悟を決めた。
胸を張ってください先輩。
「そういえば、木良君」
そんな言葉をかけるまでもなく先輩はすぐに立ち直る。
さすがだ。
「あなた、私以外の先輩はお断りって言った割に、高橋さんのことも高橋先輩ってずっと言ってたわよね」
「え、なんすか、その安易なヤンデレ。ここにきて属性を盛らないでください」
「べ、別にそういうわけじゃなくて、ただ、なんか思い返すとモヤモヤしたから」
でもやっぱり困った人だなぁ。
「いいですか先輩」
「な、何かしら?」
「俺が高橋さんを呼ぶ“先輩”はただの敬称でしかありません。あれでも、同じ学校の一つ上の学年の人ですから。でも、俺があなたを呼ぶ“先輩”は──称号です」
「そう……分かったわ」
まだまだ、先輩は不完全だ。
でも、その不安定な部分も俺は、受け入れる。
透明で不安定で、残念な部分も沢山あって。
──それが桜宮美景だから。
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