ボーイ・ミーツ・ガール


 あぁ、そういえば。

 昨日受け取った文芸誌が俺のカバンに入っている。

 

 まだ一度しか目を通していないけど、また誰かに話をするときのために何度も読み返さなきゃ。

 

 一詩の書く奴よりも多く読んでやろう。

 理解して、いろんな考察をしてみせよう。

 

 今は、『純粋と呼んでいいはずの期待』以外のものも含まれているかもな、なんて思う。

 

 でも、きっと俺がこの物語について感じることはこれからも変わらない。

 先輩のことだ。

 あの物語に込められたメッセージは沢山あるんだろう。

 

 高橋先輩が好きだという気持ちも女の子二人の関係性を通して描いていたし。

 

 俺が一番気に入ったセリフは実は最後のエピソードの中にある。

 

『きっと、私の作品でエルフを好きになるバカがいたら、あの森で、リーノさんは恋を知ることになるわ、あの子はきっと素敵な恋が出来ると信じているから』

 

 もしかしたら、その“バカ”は俺をイメージして書いてくれたのかもしれない。

 だったら、来年か、はたまた先輩が卒業した後か、その時に文芸部が存在していれば俺が小説に挑戦しようかな。

 その時はエルフのリーノをメインヒロインにしたローファンタジーなんていいかもしれない。

 

 ……もちろん、先輩が読んでくれるというのであれば。

 

 

 今度は一詩のスマホではなくて俺のスマホから、先輩の声が聞こえる。

 桜宮先輩の声は威風凛々としていて、その声だけでも、あの人の美しさが伝わりそうだ。

 

 文芸部室に急がなきゃいけない。

 だから、スマホ画面を凝視している場合じゃない。だけど、今の先輩はきっと、得意げな顔をしている。

 

 あの人はクールな人だ。

 見た目や声、考え方にも落ち着いた雰囲気があって、感情を表に出さないようなクールな人。

 それが、遠くから見たあの人のイメージ。

 

 でもあの人は出会った日から笑いかけてくれた。よく見れば、表情豊かに、友達の事を語ってくれた。

 分かるんだ。あの先輩は、あの物語に自信を持っていて、そして自分の少しだけ特殊な恋心も自覚している。

 

 そして、今日。その全てが壊される。

 

『それじゃこれで最後の質問にするね』


 ついに高橋先輩は、仕上げようとしているみたいだ。

 彼女が着実に仕組んできた壮大なトゥルーエンドを。

 

 見た目は完璧で、実際に頭もよくて、だけど人との距離感を知らない間抜けで、見ていると腹が立ってくるような、そんな先輩を貶める最悪なシナリオのトゥルーエンド。

 

 文芸部という居場所だって、大好きな友達だって、先輩は今から失う。

 俺が気付いてさえいなければ、俺だってこっそりと文芸部を去っていたかもしれない。

 

『えぇ、どうぞ』


 この声で先輩が今の時間を楽しく過ごしていることが分かるくらいには、先輩の事を知っている。

 

 桜宮美景。

 完璧な先輩だと思った。アニメや漫画に出てくる先輩キャラみたいに綺麗で何でも出来て、頼りになって。……そんなキャラクターだと期待していた。

 勝手にキャラクター化して、それから先輩に「こうあって欲しい」を押し付けようとしていた。

 

 キャラクター分析のスペシャリストとして、間違った選択をしていたんだ。

 俺たちは、既存のキャラクターを享受することしか許されていないのだから。

 

 ──桜宮美景をプロデュースする?

 

 自惚れんじゃねぇよ、木良智識。

 どう考えても、そんなのお前の領分じゃないだろうが。

 キャラクターは常に、完成されているんだ。

 俺が常に好きになってきたキャラクターは、イラストも個性もまとった状態で現れる。

 そんなキャラを見届けて好きになってきたんだろうが。

 

 桜宮美景だって、同じだ。

 

 

『隠した子は高橋さんって言うの。私の友達よ』

 

 出会ったときからバカが付くほど純真で、悪意も知らないほど童心で。

 泥のついたスニーカーを受け取るときも、複雑な顔なんてしないで「ありがとう」って言ってしまうほど飾り気がない優しい女の子。

 

 ──それが桜宮美景じゃないか。

 

 そうだ。だから、先輩は信じてしまうんだ。

 こんな薄汚れた高橋先輩の悪意を、善意だと信じてしまう。

 

 貶められている事にも気づかないまま、楽しそうにしたまま。

 

 ……そんなの耐えられるはずがない。

 そんなストーリーを許していいはずがないんだ。

 

 

『なんか最後の方、エルフが出てくるけどあれはどういうつもりで書いたの?』


『えっと、それはネタバレ……』


『あぁごめんごめん、でも聞きたくなって』


 高橋先輩はやはりエルフに触れる。

 先輩を貶めたい高橋先輩にとっては簡単な詰め将棋のようなものだ。

 伝統ある文芸部でエルフなんてファンタジーを持ち出すことは恥ずかしいことだと扱き下ろしてしまえばいい。

 

『そうね、エルフは遊び心みたいなものよ』


『遊び心?』


『エルフは存在しないわ。でも、それは現実の話。せめてフィクションの中なのだから、ファンタジーにワクワクしていたい気持ちを私は書いたつもりよ』


『ふーん、分かった。……まぁほとんど読んでないし興味もないんだけどね』


 そしてついに牙が剥かれた。

 

『……え?』


 ここからは高橋先輩が、桜宮先輩から得た信頼も期待も全てを振り払うだけの、凄惨な物語が待っている。

 

『胸キュンでも書かせとけばって思ってたけどエルフか……あはは、エルフね~』


『高橋さん……?』


『これもあれかな? 後輩君の影響かな? 毎日教室でオタクっぽい漫画だか小説だか読んでるらしいもんね』


『いえ、私が……』


『へぇー、こんな女の子ばっかり出てくる話を桜宮さんが、へぇー』


『高橋さん、大丈夫? なにかおかしいわよ』


『おかしいのはこの文芸誌じゃない? なーんて』


『おかしくなんか……!』


『少し考えれば分かるでしょ。あんたってホント、バカだよね』


『何が……』


 何が起こっているのか、きっと先輩は分かっていない。ただ先輩だけがこの悪意に気付いていない。

 先輩が誰よりも素直で純朴な証拠。それがゆえの悲しすぎる状況。

 

『いつ気づかれるかって試してたんだ。靴隠してみたり、教科書に落書きしてみたり、遊ぶのドタキャンしてみたり。でもあんた全部、それもじゃれてるだけだって勘違いしてさ、みんなずーっと笑ってたよ』


『どうして……? どうしてそんなことを……?』


『あんたが嫌いだから。見てて腹が立つから』


『嘘よ……』


『そこまで信じてもらえてたのは光栄だけどね、でも、あんたは嫌いだから』


『なんでっ……? 友達って言ってくれた、のに……』


『ずっとお高くとまってる感じでムカつくし、友達もろくにいないで浮いてるのに、それを全然気にしてない感じも気に食わない』


 何となく──たったそれだけ。

 高校生って……高校生じゃなくても、人が好かれたり嫌われたりするのってそういうフィーリングだったりする。

 

 何となく。俺はそんな先輩を美しく思った。

 浮世離れしているけど、自分に自信を持っていて、頼りになりそうな先輩を俺は気に入った。

 

 だけど、高橋先輩はそれが気に食わなかったという。

 

 大事なのは、どうして好かれたのか、どうして嫌われたのかじゃなくて。

 好かれた結果どうなったか。嫌われた結果何が起こったか。それだけなのに。

 先輩を待っていたのは好きになってしまったために……嫌われてしまったせいで起こる悲劇だった。

 

『私は……私はそんなつもりなかったの』


『だろうね。あんたの人間性の問題だし、あたしらも別にあんたを殴ろうとか思ってないから安心して』


『治すわ、気に入らないところ、頑張って治すから……』


『必要ないっての。あたしらは文化祭であんたが恥かけばいいって思ってただけ。それで友達ごっこは終わりだから』


『そんな……友達ごっこって』


『そういうわけだから、今後は関わらないでくれると嬉しいかな』


 物語が。

 悪意にまみれた物語がトゥルーエンディングを迎える。

 

『にしても、エルフって本当に面白いよね。桜宮さんがまさかこんな黒歴史生み出すとは思ってなかった』


『もうやめて……おねがいだから……』


『あっ……もしかして、この主人公の子が作家の何たらって女の子に憧れてるみたいな描写って桜宮さん自身の事描いてる?』


『……おねがいだから、もうやめて……』


『ははーん、あんたって、もしかしてあたしのこと好きなの?』


『……』


『なんか言えっての。……それとも情けなくて何とも言えない?』



 答えられなくなった先輩を嘲笑う声が聞こえた。

 画面越し、スピーカー越しだけど、そのさざめきと惨めさは、俺もその場所で共有しているようで、心が辛かった。

 

 先輩の片思いをずっと近くで見ていたから。

 あんな人だけど、あんな友達ではあるけれど、先輩の気持ちが報われればいいと、どこかで思っていた。

 

 だって、それが“一番美しいストーリー”だから。

 

 みんながみんな幸せであれば、それでいい。

 そうなったら、この世界に壮大な物語なんていらない。誰もが、どんな人がどうやって幸せになったか目を向けていられる。

 

 

 今しがた、一詩が俺に言った。

 

 

『……でも、僕は君が言うところのストーリー至上主義者だからね。桜宮先輩のもとに行くのはやめておくよ』

 

 

 俺は一詩と違う。物語のストーリーよりもキャラクターばかり見てしまうタイプのオタクだ。

 だから常に一詩と言い争う。ストーリーとキャラクター、作品に本当に大事なのはどっちなのか、その答えを追い求めて。

 

 いいキャラクターが集えばいい物語が生まれる。

 いい物語の中にいるキャラクターは魅力的だ。

 

 どっちも大事。ごもっともだ。その通りではあるんだけど。それでも俺は、キャラクター至上主義とストーリー至上主義は対極にあるんじゃないかと考える。

 

 ──ストーリーに沿ってキャラクターを行動させていくのか。

 ──キャラクターが行動した軌跡にストーリーが残るのか。

 

 それは確実に相反する考え方だ。

 

 そして俺は今気が付いた。

 一詩の言葉で気が付いた。

 

 創作においては、どっちだっていいんだ。ラブコメを書きたいがために強引に主人公に惚れさせられるヒロインがいたって良いし、主人公に危ない所を助けられて、そこから始まるラブコメにだって味わいがある。

 だからキャラクターが先でもストーリーが先でもいいんだ。

 

 ──だけど、現実は違う。

 

 俺たちが、望む未来を手にするためには、絶対に俺たちの足で動かないといけない。

 

 この世界に、ラブコメなんて転がっていない。それでもこの世界のどこかにラブコメが生じていて。

 あの日、ウサギ小屋に俺が向かっていなければ──。

 白いスニーカーを先輩の元まで運んでいなければ──。

 

 ストーリーは──生まれていなかった。

 

 だから、俺が動かなければ。

 だから、俺がこの想いを文芸部室まで届けなければ。

 

 

 先輩には、どうか笑っていて欲しい。

 

 だから。

 

 だから俺は……。

 

 

「──それでも、俺は好きですよ」


 

 だから俺はここにいる。

 

 久しぶりに走った。足が遅いはずではないけど。

 自販機の位置がちょっとばかり悪かった。そのせいでここに来るのがちょっとだけ遅くなった。

 

 高橋先輩の用意した胸糞悪い物語はトゥルーエンドまっしぐらで、クライマックスをちょっと過ぎていた。

 だけど、ここから、俺が、バッドエンドを見せてあげよう。先輩のために、俺が思い描く俺が幸せになれるバッドエンドを。

 

「木良君来たんだ、大好きな桜宮さんの正義のヒーローになりに?」


「別にそんな大層なことは望んでいませんよ、ただ、一人のオタクとして、好きな物語について語りに来ただけです」


「……何それ」


「分かりませんか? 俺は先輩が書いた物語が好きだから、擁護派として分からず屋と徹底抗戦をしに来たんですけど」


「は? 知らないわよ、そんなこと」


「だったら、知ってください。まず、何より双葉ロゼのキャラですよね、あのキャラの何がいいかって、冷淡に見えて、無茶苦茶優しいんですよ。二個目のエピソードの時なんてもはや聖母ですよ。幼馴染が死んでることに早々に気付いちゃったから、迂闊な事を言って傷つけないようにって、依頼主との会話を避けて、全部みりあに任せるんです。だけど、みりあに真実を教えてあげる時は、出来るだけ遠回しに伝えようとして、深く傷つかないように気を遣っているんですよ。これは俺の考察なんですけどね、多分間違いないです。『……手遅れだ、って言ってるのよ』ってセリフの三点リーダに彼女の人間性が現れてる気がして。それに、真実を知ったみりあが絶望してる時なんて、みりあを『お前』呼びせずに『あなた』って言ってるんですよ、本当に愛くるしいですよね、いわゆるクールな無表情キャラっぽい描写がされているのに、感情に敏いんですよ。実は希少種です。初めて書いた小説でそこまでのキャラクター使いこなせませんって」


「ちょっと、なんの──」


「みりあちゃんも気になりますよね。双葉ロゼが遠回しの優しさなら、みりあちゃんはまっすぐな優しさです。実はこっちは結構テンプレートなおてんばキャラです。物語の主人公にピッタリな物怖じしない好奇心旺盛な子ですからね、双葉ロゼが好きって気持ちも隠さないで、でも他の人と同じようにするためにお風呂上りは髪を乾かせとか身体を拭けとかお節介を焼くところとか見ていてほっこりしますよね。頭は悪いように見えるけど、意外と察しがいい時もあるのが魅力的です。双葉ロゼとの出会いのシーンとか、はがきが破かれていることに違和感を感じるところとかがそれですね。思わず、やるじゃんって言ってましたよ、俺」


「どうでもいいっての!」


「あぁ。でもやっぱり──」

 

「だから、話聞けって! あたしらはあんな話に興味ないの! ただ馬鹿らしかったから笑ってただけだっての!」


「──でも、やっぱり俺はエルフが好きですね。性癖なんでしょうか……」

 

「……あんた本当にどうかしてるよ!?」


 饒舌に、俺の想いを余すことなく伝えたくて、言葉を紡ぎ続けた。

 でも、先輩にはほとんど届いていないみたいだ。先輩は、やはりショックを隠しきれていなくて。ただ、力なく座り込んでいた。

 

「……エルフなんていません。でも……あのエルフは、俺の願いを叶えてくれているみたいで。好きにならずにはいられませんでした。だってエルフですよ? しかも公園の裏の森の奥にひっそりと暮らしているエルフ。正直探しに行こうかと思いましたもん」


「もうやめろっての、まじキモいんだけど……」


「キモいですかね?」


 「キモい」なんて、あのブラコンの優子ですらしょっちゅう言ってくる言葉だ。あいにく俺はそんな言葉に傷付くようなメンタルはしていない。

 

「……エルフだおてんばキャラだって、あんたマジでヤバいよ?」


「ヤバいかぁ……。陰湿ないじめの現場をわざわざ生配信して、説教とか謹慎とかじゃ済まないレベルまで来てるヤバい立場の人にヤバいって言われるんなら俺も相当ヤバいんだろうなぁ」


 ……この状況は相当ヤバい。

 さっき確認した時点で1000人近い全校生徒の10人に1人くらいの人数はこの配信を見ている感じだった。学外の人だって見ている人はいるのかもだけど、視聴者のメイン層はきっとこの学校の生徒だ。じわじわバズって、この放課後にみんなが見始めていたんだ。

 

「……うざっ、というか、高校生にもなってエルフだとか言ってて恥ずかしくないの?」

 

「恥ずかしい? 恥ずかしがる要素がどこにあるっていうんですか?」


「は? 分からないの?」


「分かりませんね、全く持って分かりません」


「こんなクソダサいエルフなんか出てくる話にマジになって、恥ずかしくないのって言ってんだけど?」


「……エルフが出てくるからダサいんですか? 恥ずかしいんですか?」


「知ってるでしょ? これ、文化祭の出し物なんだよ? こんなヘンテコなファンタジー、絶対ありえないでしょ、ねぇ桜宮さん?」


 先輩は返事をしない。そんな気力は持っていない。

 だけど、さすがに、耐えきれそうになかった。

 

「これがファンタジーだから恥ずかしい……?」


「だから、さっきからそう──」


「──黙ってろよ分からず屋」


 無理矢理ひねり出したような低い声。これが自分の声だって思いたくないほどだった。

 

「小説ってのは、恥ずかしいものなんかねぇんだよ」


 一詩が持ってくる、クソつまらない物語だって。

 意表を突かれた日常ミステリーの皮を被ったファンタジーだって。

 

「ただの1文字目から、それが物語である限り立派な依代なんだよ」


「は? 何それ、意味わかんないんだけど」


 これは、桜宮先輩の受け売りだ。

 だけど、これほどしっくりくる表現はない。


「笑ったって良い。面白くないってぶった斬ったって良い。物語とどう向き合うかなんて、読む奴の勝手だ」


 俺だってそうしている。

 ネットに転がっている稚拙な物語の数々。ノリが寒すぎて見ていられないライトノベル達。

 否定してしまう物語だって確かにある。


「だけど、願いを込めて作られた物語に価値のない物語なんて一つも存在しねぇんだよ」


 でも、存在までを否定した物語なんて1つもないと胸を張れる。

 だって、その物語はどこかの誰かが必要とするから。たとえ一人だけだとしても。物語が願いを含んだ“依代”である以上、絶対に誰かにとっては価値があるのだから。

 

「少なからず、ろくに読むことすらしないで、ただ粗だけ探して扱き下ろそうとしているお前達にこの小説を、その作者を評価する権利なんてねぇ。何が『恥ずかしくないの?』だよ。……恥ずかしいのは、お前たちだろうが」


 ……熱くなり過ぎた。

 やってしまったかなと思う。だって俺は、好きな物語を語りに来ただけのはずなのに。

 

「すいません、口が悪かったです」


 でも、あながち脱線したわけじゃない。

 

 だって俺は、一詩や桜宮先輩みたいに、物語に打ち込む人のその姿だって好きだから。

 

 そして、俺が今作り変えている俺と先輩の物語だって、さっきよりは……今までよりは、好きになれそうだから。



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