みりあ、優しい女の子


 それは、どこにでもいそうな好奇心旺盛な女の子と、どこにもいなさそうな見目麗しい女性の物語だった。


 主人公のみりあは、高校二年生になると同時に父親の都合で引っ越しをした。

 引っ越した先の学校・地域では、ある噂が流れていた。

 

 開発が進む団地に意図を持ったかのように廃ビルが存在しているらしく、そこには死装束を纏った髪の長い幽霊が潜んでいて、夜になると街に現れることもあるのだとか。


 みりあは半信半疑ながら、数日後には、噂されているものと相違ない廃ビルを見つけてしまう。入らずにはいられなかった。髪の長い幽霊が暮らしているか、この目で真相を見なければ気が治らない。


 新興住宅地が近くに出来たというのに、そこにだけピンポイントで火山灰でも注いだのかと言わんばかりに黒ずんだ外観をした建物。

 不気味過ぎて誰も寄り付かないのも頷けるし、幽霊が住んでいるなんて不名誉な言いがかりを食らうのも仕方ない気さえする。そんな外装に反して、内装の方は隅々まで清掃が行き届いていた。みりあにとって「生活感」というのは、ある種、部屋が若干汚れていたり、ものが散らかったりしている状態の事を指すものだと認識していたが、汚れた外観に対して神経質なまでに綺麗にされたこの内観に残されているものは、それはそれで明らかに人の手が加わっているために「生活感」だと表現できた。

 

 みりあはすぐに察した。ここに住んでいるのは幽霊なんかではなく、変わった人間なのだと。

 そして同時に、こんな寂れた建物の中のメンテナンスすら怠ることない住人は幽霊よりもおぞましい何かだとも考えた。


 みりあは探索をやめない。

 いつの間にやら、最上階にいた。


 一つだけ、扉の空いた部屋があって、一瞬吹いた冷たい風にみりあの茶に染まった毛先が揺らめいた。

 その一室にだけ匂いが残っていた。どこか懐かしいような紙の香り。でも、温かいって思えるようなものではない無機質さもあった。

 あぁ。学校の図書室の匂いに似ているんだ。あの虫食いされてそうな古書に囲まれた空間に、ちょっとだけ似ている。

 

「……そこで何をしている」


 背後から聞こえたのは、鋭利な氷柱のように凍てついた声。

 心臓を一突きされるかのような眼光を感じた。


 恐る恐るも俊敏に振り返る先にいたのは、まさに幽霊だった。

 真っ白なマキシ丈のワンピース。顔はまっすぐな黒髪に隠されていて容姿を美的に分析することもかなわない。

 髪の毛もワンピースも水が滴っていて、水滴が床に落ちてはぴちぴちと音をあげて弾み、床に染みわたっていく。


 硬直するみりあの隣を通り抜けた幽霊から、ほんのりシャンプーの香りがした。以前所属していた友達グループや、転校してからすぐに出来た友達グループの中では嗅いだことのないような上品すぎるフローラル。


 肌にくっついたワンピースからチラリとうかがえた、あからさまに下着をつけていない胸元。透ける胸元の生地きじを超えて、素地きじの先。彼女の心臓は動いているのだろうか。それとも、彼女は本当に幽霊なんだろうか。

 

 足はあった。

 土踏まずまで真っ白な素足。相も変わらず水滴が滑り落ちる。


 彼女は濡れた足のまま、床に落ちていた文庫本を踏みながら歩く。


「ちょっと!」


 みりあは慌てて声を出した。何をやっているんだと。

 その慌てふためく姿を幽霊は鼻で笑う。

 

 透明な足跡が付いた書物。


「──双葉ロゼの新作?」

 

 みりあが大好きなラブコメ作家の作品だった。楽しみにしていた最新作。双葉ロゼのホームページで告知されていたもの。

 ……来週の木曜日には書店に並ぶはずのもの。


 タイトルも、公開されていた表紙も。高校生の間で大人気を博すラブコメ作家の最新作に間違いない……ように思える。

 ただ、それはまだ、こんな空間に存在するはずもない未発売の作品だった。


「あの……今日って何日でしたっけ?」


「覚えてないわ、スマホでもなんでも確認すればいいじゃない」


 ありもしないはずの最新作がこの場にある謎を突き止めようと、みりあはなりふり構わない。幽霊からしてみたら、自分のテリトリーに突然現れて、日にちなんかを聞いてくるみりあの方が得体の知れないものだった。


 当然、スマホが表示する日にちは双葉ロゼの新刊の発売日のちょっと前。みりあは未来に飛んでいるわけじゃない。

 

「て、そうじゃなくて! 本を踏んだらダメです。作者さんが泣きますよ! 特にロゼ先生は繊細な人なんですから、間違いなくショック受けます!」


 双葉ロゼという覆面作家の文章は、とにかく可愛らしい女々しさを丁寧に描写するところにある。そんな繊細さ、青々とした恋愛表現が女子高生にウケている。


「……私が泣いているように見える?」


 幽霊は髪をかき上げて、瞳を晒す。──その双眸ははれやかにまたたいていた。

 もう一度、風が吹いた。図書室の匂いとフローラル。


「え?」


「──私の作品をどう扱おうと私の自由だ」


 みりあは大変な発見をした。

 慌てふためいて、部屋を見回す。一つの作業机。その上には、ノートパソコンと飲みかけのコーヒー。ファイリングされた資料。

 

 床には、脱ぎかけの下着とブラウスやワンピ。双葉ロゼの本。一冊や二冊じゃない。過去のものから未発売の最新作まで全てが散乱している。それから双葉ロゼのインタビューや短編が掲載された雑誌群もある。

 ビルの一室だけあって、一人で過ごすにはこのスペースはそれなりに広い。見渡すとそのスペースの一角だけパーテーションで仕切られていて、淡いクリーム色のカーテンの奥にベッドが透けていた。寝て起きての所作がそこで為されているのだと気づいた。


 この人は、双葉ロゼ本人だ。


 不気味過ぎて誰も近づかなかった廃墟に暮らしていた幽霊の正体が大人気の覆面作家、双葉ロゼだった。



 ──そんな二人の出会いが、桜宮美景の書いた物語のプロローグだ。



 ページを進めていくうちに、この物語が恋愛ミステリーというニッチなジャンルの物語であることが分かった。三つの短編エピソードからなる七万文字強の物語。ラブコメをミステリーテイストに仕上げてある。これはきっとミステリーが好きな桜宮美景と、高校生らしいラブコメを所望する高橋奈々ななのどちらも楽しめるような作品。

 

 大人気ラブコメ作家である双葉ロゼは、本人が開設したホームページに恋愛相談用のアドレスを設けていた。女子高生を中心にそこに多くの恋愛相談が持ち込まれる。双葉ロゼはそれを一頻り読んで、適当な回答を寄越している。そのある種の奉仕活動の拠点がみりあのたどり着いた廃ビルだった。時には印税で人を雇ってビルの中の清掃をさせたりしていたらしいけど、自分が生活をしている最上階の隅っこの一室だけは不可侵だったらしい。

 みりあは、その不可侵の部屋で破綻しきった生活をする双葉ロゼを見ていられなくて、自ら世話係に名乗りを上げた。

 煙たがられながらも、ある時は保護者のように、服を脱ぎ着させたり髪を拭いてあげたりしていた。しかし、双葉ロゼの執筆作業に関わるなんてことは出来ないし、双葉ロゼに送られてくる恋愛相談に意見をすることすら許されていない。

 桜宮美景の文章の中では、『他人以上知り合い未満』と表現されていた。それぞれの二人称も「お前」と「先生」で、まさに表現通りの間柄だ。


 しかし、双葉ロゼの恋愛相談は時に、どうしようもない難題が舞い込んでくる。そんなどうしようもない恋愛相談を三つ描いたのがこの作品で、恋愛相談の中で『知り合い未満』から進展していくみりあと双葉ロゼの関係性を見るのも面白い。


 最初のエピソードは、SNSを通じて恋をしてしまった女の子の依頼から始まった。「想いを寄せる相手すら分からない恋を成就させたい」という恋愛相談に対して、双葉ロゼは頭を抱えた。新作の告知のために更新するブログ以外ではインターネットを介した発信をしてこなかった双葉ロゼには、どうにもその女の子の気持ちが分からないように見えた。

 ようやく、自分が双葉ロゼの役に立てると思ったみりあは奔走して、依頼主とその意中の相手をどうにか会わせようと画策する。



「本当に分からないわ」


 物語の終盤、みりあの情報収集やSNSでの説得の甲斐があってか、二人を出会わせる約束を取り付けることが出来た。

 嬉々として、自分の手柄を双葉ロゼに報告したところ、返ってきた言葉がそれだった。


「あのね、先生」


 依頼主とその相手はSNSで仲良くやっていて、顔も何度か画像のやり取りをして分かっているし、それがちゃんと本人同士であることの裏付けも出来ている。美男美女といった感じの二人だったし、二人は特別な感情を抱いているようにも思えた。後は当人同士で、上手くできるはずだ。少しの勇気で恋は実るんだ。


「誰かにとっては、きっとネットの世界やゲームの世界だって、学校や部活みたいな存在になっているんだと思うな」


 みりあと双葉ロゼ。

 二人の倫理観や価値観は大きく違う。どっちが正しいとか間違っているというのはなくって。

 きっと、どっちもそれぞれが真実を見ていた。


「お前は幸せね。そして愚かだ」


 双葉ロゼがみりあを見下す。少しムッとなる、みりあ。


「今回はわたしの力で解決したんですけど!」


「解決?」

 

 しかしながら、より広い視野で真実を見ていたのは、やっぱり双葉ロゼの方だった。


「……私だって、SNSを通じた恋愛があることくらい理解している。むしろ、あそこは人間観察をする場所として最適だ。だから私は情報発信や画像投稿だとかはしないけどアカウントぐらいは作っている」


「だったら、何が分からないの?」


 双葉ロゼの繊細な心情描写は人間観察から来ている。だから、些細な感情を拾い上げるのが上手い。そんな彼女なら二人が本当にお互いを大切に想っていることくらい分かるはずなのに、何が引っ掛かっているのか気になってしょうがない。


「──二人とも女の子じゃない。それも片方は、好かれるために、男の子であるだなんて嘘をついているのよ? お前はそれでも上手くいくと思う?」


「え?」


 双葉ロゼは、やっぱりみりあよりも、そして、依頼主よりもよく見ていた。

 男であると証明するために送られた男装した写真数枚、それから依頼主の想い人のSNSでの発言を注視していた。

 

 男装写真が一枚なら、気づかなかっただろう。複数枚送られてきたこと、そしてその写真がやけに喉元を隠すように取られていたからこそ、想い人の方が女性である線を捨てきれなくなった。そして言動に注目する内に、よりその疑念が濃くなっていたという。


 双葉ロゼは依頼主にアドバイスをいくつかしていた。


「筋トレの話をさせるといいらしいわ、事細かに聞き出しなさい」

「好きな漫画やゲームを語らせてみるのも良いと思うわ」

「……そろそろ、性的な意識を植え付けてもいいかもしれないわね、さりげなく下着選びの相談でもなさい」


 二人の仲を進展させるため、派手目な恋愛テクニックを伝授しているように思えた。しかし、双葉ロゼは専ら会話の内容で男性か女性かを見分けようとしていただけなのだった。

 

 そして、そんな複雑な事情に気付いてしまった後に、二人は初めて出会う。それでもお互いの内面を見てお互いを好きになった二人は、そういう愛もあるんだと納得するハッピーエンドにこぎつけたのだった。



 二つ目のエピソードは、これまた双葉ロゼの苦手とする分野の恋愛相談だった。

「ずっと好きだった幼馴染への想いを終わらせたい」


 依頼内容は、シンプルなものだった。だが、双葉ロゼの専売特許は誰かの恋を成就させることだった。

 だからこそ、「想いを終わらせること」、これまた難題だ。

 

 みりあは、依頼主の話を親身になって聞いた。

「あたしだけが一方的に思っててもしょうがないじゃない」


 無意味な恋だった、明るい声で依頼主はそう言う。

 だけど、恋心は消え去らずに、無意味な苦しみが胸を支配するのだと。


 実らない恋。

 察するに難しいことは特にない。恋愛なんて相手ありきだ。その相手の気持ちや立場次第で実らない恋なんてものはいくらでも存在しうる。

 つまりは、依頼主の幼馴染にすでに別の想い人がいるのだろう。依頼主は勝気で強引な女の子……俗に言うツンデレな子で、「素直になれない間に取り返しがつかないことになった」と言っていた。

 大切な幼馴染と自分の恋路の状況を説明するのが辛いのだろう、認めるのが苦痛なのだろう。だから彼女は、「実らない恋だから終わらせたい」としか言わない。


 みりあには解決方法が二つ見えていた。


 一つは依頼内容をすり替えるようにして、その恋を成就させるように努力をさせることだ。双葉ロゼの得意領域に持ちこみさえすれば、何とかしてくれるだろう。依頼主が「終わらせること」にこだわる、その倫理観を大切にしたい気持ちだって分かる。だけど、想いを伝えることくらいはするべきだと、みりあなりに考える。

 もう一つの解決方法は、依頼通り、想いを終わらせるためにアプローチをすることだった。例えば、新しく好きになれる人を探すのだとか、恋じゃなくても勉強や運動に打ち込めたらいい。好きな人や好きなもので上書きして、忘れてしまうことだ。


 みりあは悩むまでもなくて前者を選んだ。たとえ、結果はダメでも、想いを告げることに罪はない。相手の反応が芳しくなければ、その時になったら忘れるように上書きしてしまえばいい。

 だから、どうにか成就できないか、双葉ロゼに考えを伝えにいった。


「無理ね」


 だが双葉ロゼは一蹴した。彼女は、みりあが選ばなかったもうひとつの解決策を提示するというのだ。


「どうして? 上手くいかなくても、想いを告げないまま後悔する方が辛いじゃん!」


「えぇ、そうね。彼女にはとっても辛いことでしょう」


「だったら!」


「……手遅れなのよ、全て」


「そんなの、やってみないと──」


「お前が何もわかっていないだけよ」


「あぁもう!だったらわたしにも分かるように教えてよ!」


 否定されるばかり。無力さを感じるばかり。みりあに何が足りないのだろうか、みりあは苛まれ続ける。

 ……違いすぎるのだ。みりあと双葉ロゼとでは。年齢は少し双葉ロゼが上なくらい。みりあだってそれなりに容姿に恵まれていると言える、でも双葉ロゼはその比じゃない。普段こそ幽霊みたいに前髪で顔を覆っていて不気味だが、双葉ロゼとして仕事で外に赴くときは女優でもやっているのではないかというほどに、美しさを纏う。頭の回転だって、依頼主にアドバイスする言葉の重みだって双葉ロゼはあまりにも人間離れしている。

 近づくことなんて敵わない。だから、みりあは、彼女が考えていることを教えてもらうくらいしか出来ない、その苦しさが滲み出るようなセリフだった。


「お前はあの子の何を見ていたの?」


 この恋愛相談において、依頼主と深くまで語り合ったのは双葉ロゼではなく、みりあの方だ。

 双葉ロゼは、少しだけ彼女と話したくらい。後はみりあがその日話したことを報告する程度だ。

 依頼主は勝ち気で、言い負かされることをも嫌うツンデレ娘だった。

 みりあのように、才能の差や人間としての格の違いを見せつけられながらも、双葉ロゼと接していられるような性質タチじゃない。要はウマが合わない。水と油だ。だから依頼主と会話を出来たのはみりあなのだ。

 

 この恋愛相談に誰よりも身を乗り出していたのはみりあだ、自分がなんとかしなきゃと強く思っているのもみりあだ。

 あの子のツンケンしてて可愛らしい恋をどうにかしてやりたいと本気で願ってるのもみりあだ。


 にもかかわらず。


 やはり真実が見えていたのは双葉ロゼの方だった。


「あんな強気な女が、好きな男の子に別の想い人がいるくらいで諦めるようには私は思わないわ」


 確かに……。一理ある。人間離れした双葉ロゼにも食って掛かるようなツンデレっ子だったから。


「でも、実際に諦めているじゃん……だからわたしは──!」


「……手遅れだ、と言っているのよ」


「それって……」


 あぁそうか、と。不意にみりあの中でジグソーパズルが完成した。



「──相手が亡くなっているのなら、それは『無意味な恋』でしょう?」



 それは、とても美麗なジグソーパズルな気がした。

 パーツパーツを凝視して、パズルの世界に没頭できるほどの超大作だ。


 涙が伝う。

 依頼主は前向きな女の子だった。少し強情なところもあるけど、そこもまたかわいい女の子。みりあもこの恋愛相談が平和に解決しても友達としてずっと仲良くしていたいって思えるほどに、応援したくなる子で、ずっと見ていたいと感じていた。


 そのまっすぐさや明るさに目を奪われて気付かなかったんだ。

 ……そうだ、きっとこんな可愛い子が幼馴染だったら、男の子はみんな惚れているはずだ。

 

 彼女が楽しそうに話す幼馴染との思い出話をもっとちゃんと聞いてあげていたら、二人が互いに好き合っていたことにももっと早く気付けたはずなのだ。


 悔しかった。

 みりあは、あれほど話をしたのに、単純なパズルの仕組みに気づけなかった自分の愚かさが悔しかった。想いを告げさせようなんて誤った方向にひた走っていた自分が恥ずかしかった。


 それ以上に。

 「ずっと好きだった幼馴染への想いを終わらせたい」という恋愛相談が、取り消しようのないくらい、状況的にも、彼女の心理的にも、あまりにも理に適ったものだったのが、恨めしかった。

 

「分かった気になって、どうにか出来るんじゃないかって……わたしっ」


 バカみたいだ。

 みたいも何も、バカなんだ。

 身の程もしらないで、双葉ロゼの世話係なんかを買って出て、足を引っ張るだけだ。


「ここから先はあなたが解決なさい」


「えっ……?」


「私じゃ、あの子の相手は出来ないもの。私にあんな喧しい友達はいらないわ」


 ……双葉ロゼは全てを見ている。

 そんな弱り切った彼女の心の中も、全て見ている。


 それでいて彼女は告げているのだ。

 ──そんなみりあにも出来ることがあるのだと。


 みりあは再び涙をした。

 

 結論を言うならば、このエピソードは、双葉ロゼが唯一、爪痕すら残してあげられなかった恋愛相談を描いたものだった。想いを終わらせたいという依頼に対してはまともなアプローチすら出来なかったのだ。

 しかし、大切な幼馴染の死から立ち直れてすらいなかった彼女の心の中に渦巻いていたものを、少しばかりの負い目を感じながらも、みりあが友人として依頼主と愛を持って接することで氷解させることはできた。


 

 ☆ ☆ ☆



「二つ目のエピソードまでは完璧だと思います。でも三つ目のエピソードの結末は不用意だったんじゃないかって思います」


 突然ファンタジーが生まれる、最後のエピソード。俺は好きだった。でも、それは世界観を壊しうる選択だ。世界に入り込んでいた読者の気持ちを弾き飛ばしてしまう。


「ねぇ、木良君」


 桜宮先輩は、俺の主張にショックを受ける様子を見せない。反抗心をむき出すなんてこともなければ、意見を呑み込むこともないようだ。

 彼女もきっと、考えたことなのだろう。読み手の立場に立って葛藤したのだろう。


「私がこの物語を書くことを決めた時に、きっかけを聞いてくれたでしょ?」


「一詩の書いたエルフの話をした日でしたよね」


 あの日に思い立った勢いで先輩は、わずかな時間でこれだけの物語を書いた。


『──思いついたの。文芸誌の小説。今度は確実にかける気がするわ』

 

 何がトリガーになったかは分からないけど、そんなことを言っていた。


「あの時、松井君の小説の話を聞いて、本当は分かった気がしてたの」


「何がですか?」


「松井君の小説の中で主人公が世界樹に剣を突き付けた理由」


 物語には理解しがたいものが多くある。台無しだと思う展開に急激に冷めてしまうこともあれば、面白くても書いてあるもののジャンルが毛嫌いされて一般受けしないこともある。先輩はそんな理解しがたいものが生まれる理由を述べた。

 

「物語は、依代よりしろなんだと思うわ」


 空いている窓から部室に向けて風が吹いた。展示物の文芸誌のページを捲るような優しい風。

 それが先輩の髪をなびかせて、ただでさえ美人の顔をより美しく飾る。


「依代って?」


「神様がよりつく物のことよ。樹木とか柱とか動物とか、神様が宿るって言われてるものの事を依代よりしろって言うの」


「そのくらい知ってますけど、物語が依代ってどういう意味なんですか?」


「物語はね、どこまでも人為的なの。たとえノンフィクションでも都合よく切り取って、ご都合主義に推し進めていくのが物語でしょ?」


「まぁ、そういう見方もありますけど」


 物語はご都合主義だからこそ面白い、誰かがそう主張したのを覚えている。俺の批判に対する一詩の戯言だったかもしれないし、ネットで偶々見つけたくだらない主張だったかも知れない。

 その通りだ。人生なんてのは、それほど波なんかないし、想像を絶する超展開なんて生きているうちに一度起きるかどうかの世界だ。

 だから俺たちはアニメを見る。漫画で笑う。ドラマで泣く。小説に没頭する。

 それが俺たちが物語を欲する理由だ。


「物語の世界はこの世界と違う。あなたにアニメをいくつも見せられてそれが分かったわ」


「……そうですか」


「そして物語の世界の神様は作者であって、作られたものに愛を持って接する読者よ」


「そういうことですか」


 なるほど。神様が宿る。どんな物語も誰かが生み出す。その物語に誰かが心を宿す。心を宿してくれる誰かもまた神様だ。


「どんな物語にも、願いが込められている」


「あぁ」


 認めたくないけど、分かった気がする。

 一詩が書いていたつまらない小説。認めたくない結末。

 単純に、一詩がエルフと生きる未来に願いを託したんだ。ただ、それだけの物語だったんだ。



『──先輩は高橋先輩が好きそうな物語を書くんですか?』

 

 俺はいつだかそんな質問をした。


『……半分くらい正解よ』


 先輩の答えがそれだった。半分という単語がやけに耳にこびりついている。


『──書くのは、私が好きなモノだから』


 高橋先輩が好きそうな、恋愛関係の話。

 桜宮先輩が好きな、ミステリーテイストの話。


 高橋先輩も……そして、桜宮先輩も好きな物語を書く。だから『高橋先輩が好きそうな物語』というのは、『半分くらい正解』と表現できるんだ。



「だけど、どうして」


 それでもなお、分からない。

 物語が依代なら、作者が描く世界に、願いが託されているのなら。



「どうして最後のエピソードにエルフが登場するんですか──?」


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