みりあ。ただの女子高生
それから、俺たちの時間稼ぎはふわふわと続いた。
先輩の家についても少しだけ知っている。漫画やドラマに出てくるような財閥の令嬢だとかどこぞのコンツェルンのお嬢様だとかではないけど、父親がそれなりに有名なアパレルブランドの事業を手掛ける会社のトップらしく、故に厳格なお方だという。
また、スニーカーを汚したり、ファッションに無頓着だったりするずぼらな面を持つ先輩と違い、父親の方は世界にも展開するレディースのアパレルメーカーの社長だ。水と油の関係になるのも、先輩を見ていたら少しだけ分かる気がしたし。反対に、仕草だとかナチュラルな言葉遣いだとか、いつ見ても瑞々しくて綺麗な肌やサラサラな黒髪だとかには先輩がお嬢様なんだなぁと思うことも多々あった。
活動停止されていた部活は再開され、かつての部員たちが書いていた部誌だとかを漁って、なんとなく文芸部でやることだとかを察した。とにかく文章を書く。当然だ。恥ずかしくてやる気はあんまりないって言ったら、先輩が一人で書くから大丈夫だと言ってくれた。
「先輩、進捗どうですか?」
「それは創作者をからかうときの常套句だとうかがった事があるのだけれど、認識違いかしら?」
「半分くらい認識通りだと思います」
半分くらいというのは脚色しすぎた。実際は八割くらいがからかいに使われている。
因みに進捗というのは、二か月後に迫っている文化祭の出し物の話だ。この部活はほとんど、何か目に見えた活動をすることはないのだが。文化祭はそうもいかない。文芸部ってまさに文化部の中の文化部だし、文化祭ですら出し物を提供しなかったら部活動と呼べない。というわけで、先輩は文芸誌の執筆にあたっている。
「基本は何しなくてもいい部活だとは言え、文化祭に何も出さない文化部に部活としての価値はないもの、ぬかりなくこなすつもりよ」
「まぁ別に、あまり心配はしてないんですけどね」
先輩なら、どうとでもなりそう。というのが正直な感想だ。
頭いいし、器用だし、うまくやってしまうのだろう。そもそもうまくやろうが下手をここうが文芸部の部誌や文集ってほとんどの人は読まないだろうし。
「……にしても、本当にやることないですよね」
カタカタと部室に置かれているノートパソコンを打ち付ける桜宮先輩を見ながら呟いていた。
こっちの方が「進捗どうですか?」より煽っている感じがするけど、俺の立場で言うのならば、本当にやることがないのでしょうがない。
「読書でもすればいいじゃない」
そうは言われても、読みたいと思える本に心当たりはないし、読書は時間つぶしにしてはエネルギーの浪費っぷりが激しかったりもする。帰っていいですか?って聞くと、勝手にどうぞといわれるのが関の山だ。むしろ、このタイミングで帰宅を決めてしまったら、小一時間部活動をした事実と努力が全て水の泡となるため負けた気がする。
負けた気がするも何も、ここまで手持ち無沙汰になってしまったら勝ち筋なんてないわけだけども。
「読書とかそんな好きじゃないんですよ、自分理系なんで」
「あら、私も理系よ。物心ついた時からお父様が商学だとか政治経済学を学べとうるさかったものだから、頑張って物理と化学、数学では学年トップを譲らないようにしているわ」
「反骨心ってすごいですね」
生まれつきの反骨心。ナチュラルボーン(born)のアンチボーン(bone)といったところか。はは、おもしろくねぇや。
「というか、俺たちの人間性とか進路に関して文学の介在する余地がないのがこの部活のヤバいところですよね」
「そうね。私も物語を書くことなんかやったことないし、今年と来年の文化祭が終わったらやることはないでしょうし、木良くんに関してはその機会すらなさそうね」
「まぁ、よほどの事がなければないでしょうけど。というか去年の文化祭は先輩はなにも書いてないんですか?」
「去年までは熱心な先輩がいたのよ。だから私は先輩が引退した後にこの部室に一人で籠ってたというわけ」
「あぁ、なんか聞いた気がします」
先輩が一年生の頃。文芸部三年には二人のガチな読書家の部員が二人いたみたいな話を先輩が言っていた気がする。どちらもプロになるのが夢だと語りながら難関大学の文学部に揃って進学したみたいな話。去年の文化祭が終わるまでの間、熱心に活動をしていたらしく、コンクールに投稿したこともあるという。因みにその時の部員構成が三年生が六人。二年生はいなくて、一年生は先輩がたった一人。三年生の内、四人は幽霊部員だったらしいし、先輩もまたその二人には付いて行けずに幽霊部員をやっていたと言っていたのを思い出した。
文化祭が終了した後、三年生は総じて引退した。それから、この部活は先輩が一人になる。
因みにこの時点では、三年生たちは勉強のために引退しただけで、所属しているという事実は卒業まで担保されるわけだから廃部にも部活停止にもならなかったらしい。逆に言えば、年度が変わった瞬間にこの部活の廃部は濃厚だったわけだが、高橋さんら四人の協力により最低なシナリオも回避したという。グッジョブだ高橋。まぁ、部活停止にはなってしまったわけだけど。
「先輩たちの作品は確かに面白かったわ。だからちょっとプレッシャーもかかっているの」
「先輩が気にするほど誰かが見ているわけじゃないと思いますよ」
だって俺の周りで文芸部が話題に上がることはない。文化祭の主役といえばそれこそ軽音部とか演劇部とか映研とかそういうので、少なくとも俺の中では文芸部は目玉ではないと思う。
「それはそれで癪よ。それに年齢や性別問わず文学にうるさい人はそれなりにいるはずよ。そういう目の肥えた人のお眼鏡にかなうかどうかの勝負だと思っているもの」
「案外やる気なんですね」
やるからには真剣に。かっこいいスタイルだと思う。
「高橋さんもサポートしてくれてるわけだし、木良くんも私のインスピレーションを刺激してくれるとありがたいのだけど」
「へぇー、高橋さんが……」
掛け持ちしている方の部活で忙しいらしくて、あまり文芸部では見かけることのない先輩。高橋先輩以外に関しては名前も知らないけど。さすがにぬかるみにスニーカーを置くのはやりすぎだと思うと高橋先輩に説教染みたことをしたことがあるが、「ごめーん、そうだよねー。やりすぎちゃったと思ってるー」と能天気な謝罪をよこしたあたりから、気が合わない事が分かっている。苦手だし関わりたくないけど、桜宮先輩は俺よりも高橋先輩の方に信頼を置いている。ちょっとだけ悔しい。
「というか俺もかなりアシストしてません? 毎日アニメの話してるじゃないですか」
先輩が、俺のアニメの話を興味深く聞いてくれている気はしないけど。
「あなたの話のどこに創作のヒントがあるのかしら」
「少なからず、実力はないけどやる気がある熱血スポ根系キャラを主人公にしとけば間違いないと助言したりしています」
「最近のトレンド的に完璧超人を主人公にしないと売れないし流行らないと言ったのは木良くんじゃなかったかしら? ……というよりそんなこと言う私の知り合いは木良くんでしかないわね」
「いや……あれは一種の皮肉というか。俺TUEEEに対する排斥と言いますか」
確かに負けない主人公は見ていてワクワクする。賢くて身体能力が高くて、顔も性格もよくて、いろんな人に認められて。ただ、そんな全てを持っているキャラがいたら他のキャラクターはそれに見合うほど魅力的でなければならないから、下手なものを見ると腹立たしくなってしまう。
それに、挫折のない物語じゃ味気ない気がしてしまうのもある。
「とにかく木良くんのお話はストーリーよりも、キャラクターの事ばかりで創作の役に立たないのよ」
「そうですか? キャラクターを活かすためにストーリーを作っていくのが創作だと思っているんですけど」
「それは諸説あるでしょうけど、私たちにはストーリーを作っていく基盤もなければ経験も無いのよ? 模倣することすらままならないのに面白い話は作れるのかしら」
ぐうの音も出なかった。模倣。確かフォローという言い方とパクりという言い方がある。主に前者がポジティブで後者がネガティブな表現だが同じような事だ。いわゆる、誰かがすでに書いたような作品を自分の手で書き起こすことだ。
よく、二番煎じだとか、安直だとか揶揄するように言われるが、面白ければ何でもありだし、需要があれば評価されるわけだ。
パクられた展開は需要があればいずれテンプレと言われるようになり、そのテンプレがジャンルとなっていくと何かで言っていた。
「それですよ! 模倣ですよ、パロディですよ、オマージュですよ、パクリですよ! はやりを知ってしまえば手っ取り早いじゃないですか。これで文化祭もチョロいですね」
「同じような言葉がよくもまぁそこまで出てくるものね。それに私だって流行りを抑えていればこんなに苦戦していないわ。クラスの人たちの言うドラマだとかラブコメだとか、興味がないもの」
「嫌でも見てしまえばいいんですよ。アニメなんて1日あれば2クールは見れます」
「正気? 私を暇だと思ってるのかしら?」
「暇をつぶすための部活じゃないんですか?」
「……」
そこまで呆れたような顔をされましても。そりゃ、先輩に関しては今はちょっとばかし忙しいだろうけど。基本的に暇な時間をいかにつぶすかがこの部活のキーじゃないのだろうか。
「えーっと、話を変えまして。高橋さんはどんなサポートを?」
あまり刺激したっていいことがないと判断して、先輩が楽しそうに語れそうに話題を。ほとんど高橋という先輩には興味はないけど。接待だと思って。
「そうね。胸キュンなるものを教えてもらったわ。壁ドンして、顎クイして、あすなろ抱きらしいわ」
「あぁ……はい」
浅い。あまりにも浅い。浅すぎて逆に哲学だ。
というか桜宮先輩が胸キュンとかイメージが沸かない。
「先輩は青春系のドラマとか胸キュンのシチュエーションとか見たことあるんですか?」
「興味がないと言ったと思うのだけど……」
「それは危険だと思います」
「危険?」
「俺に幼馴染がいるんですよ。本当にお節介で鬱陶しい奴なんですけど……。そいつがクソオタクで、自分で小説書いたり漫画描いたりしようとするんですけど、知識なしで書こうとすると、たいていまともな結果にならないって語っていてですね……。それでいろいろ買い物や公園に連れ回されたり、ポージングのモデルさせられたり……」
あれ、いかがわしい関係に聞こえてくる? 俺ってもしかして好かれてたりするのか?
「それはあなたの幼馴染が小説や漫画を理由にあなたとデートしたいだけなのではないかしら」
「男なんですよねぇ、それが」
ありがちなオチがついてしまった。幼馴染という単語が出たら性別を疑えと昔から『男女SS』界隈では言われていることだ。まさか現実でその教訓がいきる場面が訪れるとは。
「知ってるわ。
「おっと、想定外の反応だ」
知っていてデートがどうとかよく言えたものだ。そういえば一詩と即席でライブやった映像が出回っているのか。アイツはただでさえ見た目がいいわけだから、ミーハーの高橋先輩が知らない理由がない。
「まぁ、アイツの事はどうでもいいんですよ。問題は先輩が未知のものを未知のままに書こうとしていることなんですよ」
「書けるわよ、たかが壁ドン顎クイあすなろ抱きよ?」
「逆に壁ドンも顎クイもあすなろ抱きもどういうシチュエーションで書くつもりですか? 脈絡もなくやったらセクハラと変わりませんよ」
「……一理あるわね」
そもそもだ。あれはイケメンがやるのを映像で見てキュンキュンするものである。文字に書き起こしてどうにかするものじゃないと思う。仮に書き起こすにしても、ああいうシチュエーションが正当になるように舞台を整えて、胸キュンできるほどに男側のキャラクターを魅力的な俺様系にしなければならない。正直言って上級テクニックだと思う。
「先輩の好きな小説のジャンルは何なんですか?」
「ミステリーね。相棒とか好きよ」
いかにも固い感じが先輩らしくっていいじゃないか。
「それじゃダメなんですか?」
「時間も二カ月ちょっとしかないし難しいだろうって高橋さんが。それに、高橋さんが読みたいものと違うって……」
高橋さん好きすぎるでしょ、この人。
「書きたいものを書く。それが一番ですよ。その結果、高橋先輩も楽しめればいいと思うんですけどね」
俺たちはドのつく素人だ。求められるものを書くなんて大層な事を出来るはずがない。いや、もしかしたら先輩なら出来るのかもしれないけど。
ぶっちゃけてしまおう。高橋先輩のために……ミーハーなあの人なんかのために知的レベルを落としてまで書きあげた先輩の話になんて、“俺が”興味がないんだ。軽い嫉妬だろう。意地汚い独占欲なのだろう。
気高くて、美しくて、凛とした。先輩の、文章を読みたい。
「先輩、もう一度聞きます」
「……何かしら」
これは、先輩の覚悟を問うだけの、エゴだらけの質問。それ以外の意味はない。
「──進捗はどうですか?」
煽りなんかじゃない。さっきの先輩は「ぬかりなくこなす」とだけしか答えてくれなかった。それは答えになっていない。ただの決意じゃないか。俺が知りたいのは“進捗”だ。上手く書けてるかどうか。あるいは楽しいかどうか。俺が聞きたいのはそういうことなんだ。
「ふふっ──」
先輩は笑った。なんとなくこの人の事は分かってきていた。先輩は困ったら笑う人だ。自分にとって不都合な事を言われた時だったり、誤魔化したいことがあったり。そういう時に綺麗に笑う。
その姿が美しくて、なによりも先輩がもっとも人間らしく映って、ちょっとだけ嫌いだった。
「ご覧の通りよ」
先輩がノートパソコンを俺の方に向けた。ずっと向き合っていたはずの画面。
そこにはほとんど真っ白なテキストエディターが開かれているだけで。唯一書かれていたセンテンスを心の中で読み上げる。
『私の名前は、みりあ。ただの女子高校生』
と。物語の始まりの始まりもいいところの主人公の紹介文だけしか書かれていない。進捗で言うなら論外と言ってしまうのが手っ取り早いほどのひどい有り様。
「……えっと」
「ん、んっ! 本番までには仕上がっていると思うわ」
わざとらしく咳ばらいをいれてから先輩が宣言する。
「先輩って意外と面倒くさい人ですか?」
「あら、失礼ね」
しかも自覚のないタイプだ。この人、美人じゃなかったら相当疎まれてたと思うくらいだ。
「先輩、時間はありますか?」
「そうね、これを書くために時間はたっぷり確保しているつもりなの」
文化祭まであと二カ月ちょっとだ。
どれほどの文量を書けばいいのかすら、俺は知らない。たとえ具体的に何文字必要だと言われたところで、それがどのくらい時間かかるものなのか、文章を書くことがないから想像もつかない。
だけど、きっと、
「……今週の土曜日、俺の家に来てください。先輩にはレッスンを受けてもらいます」
俺はアニメオタクだった。
ただひたすら、面白いアニメや感動できるアニメ、主人公が成長していくアニメを享受するだけの、よくいるアニメオタクだった。
だからこそ、先輩みたいな物語の主人公になってしまいそうな人がどんな物語を生み出すのかが気になっていた。
俺が何も持っていない人間だから。
でも、この人は気づいていないんだ。
自分の魅力に。
「レッスン? ……別に問題はないけど」
自分が強キャラだということに気が付いていないんだ。自分を“ただの女子高生”だと思っているんだ。陳腐な胸キュンなんて必要がないくらいにときめきを纏った存在だと分かっていないんだ。
だから、男の部屋に簡単にあがってしまうような勿体ない行動に出てしまう。
だったら気づくまで、教えてやるしかない。
──俺がこの人をプロデュースしていくしかない。
俺は、キャラクターを分析するのが好きだ。だから、この人にときめいた。
あの雨が降り始めた銀色の放課後に。
些細な泥の汚れを付けたスニーカーなんて気にしないほど、ハイソな雰囲気をまとった綺麗すぎる先輩に出会った時。
まるでアニメキャラに出会ったみたいだった。
絵に描いたような「先輩」がいたもんだと。頭もいいし、背も高くてスタイルも抜群で、何よりもセミロングの黒髪が似合っている。瞳が綺麗で、声色まで綺麗で、お嬢様で。本当にこんな人がいるんだと盛大に感動した。
だけど、実態は違った。
未完成なんだ。全て。
確立出来ていないんだ。キャラクターを。
先輩を本物のアニメキャラのような、完璧な先輩にする。
あの日みたイメージのままの高嶺の花の先輩のままで。
そんな「先輩」が書く物語を読んでやるんだ。
「俺が先輩にキャラクターの描き方を教えます。心して受けてください」
そう宣言して立ちあがる。
少しだけ、この時間が。先輩をプロデュースしようと決めてからの時間が、俺のためにある青春な気がして、胸の中に冷たくて心地いい凛とした風が吹いているような気がした。
この感覚が、ずっと探し続けていたナニカなのかもしれない。
俺は、素直にそう思い始めていた。
『誰か代わりの人が入るまでの時間稼ぎでいいなら協力しますよ』
だから。
いつか自分で放った言葉が、この状況を、俺の複雑怪奇な心を、蝕むことなんて知らなかったんだ。
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