ふたつの時間


「それで、なんで先輩は付いてきてるんですかね」


 その帰り道。ファミレスに行く。雨が降っている日は何となく甘めのコーヒーが飲みたくなる。だからドリンクバーでとびっきり甘いコーヒーを作ってやろうと思ってきた次第だ。


「だから、伝えたと思うのだけど……」


「伝えたって何をですか? 靴の事なら忘れてくれた方が嬉しいんですけど」


 ただでさえ雨なのに、校舎の外の水道で泥を落としたばかりで、ぐちゅぐちゅになっているはずなのに。


「そうじゃなくて。納得できる時間を過ごしたいって言わなかったかしら」


「はぁ」


 それとこれとどういう関係があるというのだろうか。


「もしかして、この時間を有意義だと思ってたりします?」


「どうかしら。でもこういうところには来ないから新鮮ではあるわよ」


 綺麗で知的さを伺える見た目ではあるけど、この人とはどうも会話がかみ合わない。意図をくみ取ってもらえていないような。言外の意味を理解してほしくても文脈だけしか読んでもらえないみたいな感じ。

 それがどこかわざとらしい。


「……私ね、自分の家が好きじゃないの」


「珍しいですね。俺は家大好きですよ」


「羨ましいわね。私の家、厳しいの。言葉遣いとか礼儀作法とか。だから、出来るだけお家にいたくない。だから家に帰るまでの間に出来るだけ長く、納得できる時間を過ごしたいの」


「言いたいことは何となく分かりましたけど。納得できる時間っていうのの定義が分からないんですけど」


 家にいたくない。そういう人もいるんだ。けど育ちが良さそうな先輩のような人がそれに該当するというのは意外だ。

 

「そうね。それこそ誰かと食事をしたり、部活動をしたり、友達と遊んだりすることかしら」


「イマイチピンときませんね」


「逆に考えてもらえばいいかしら。学校で放課後に一人で勉強をしたりするのはダメね」


「何故ですか?」


「家で出来ることをわざわざ学校でするのは親に認めてもらえないからかしら」


 なるほど。確かに家に帰るための時間稼ぎとしては放課後に教室で勉強するというのは弱い。


「カラオケとかカフェとかで時間をつぶすのはダメなんですか? 家では出来ないですよね」


「ダメね。友達と行くならまだしも、三時間くらいの家出をしているみたいな感じがしてしっくりこないわ。お金も勿体ないし」


「結局のところ、誰かと過ごす時間は満足できるってことですか」


「そんな感じ。けど部活動は別よ。ただ勉強をしているだけでも、小説を読んでいるだけでも、部活動という名目が付くから一人でも納得した時間が過ごせるもの。それに部長って言う大義名分もあるわ」


「ふむふむ。自分なりにルールを使って放課後の時間を使いたいわけですね」


 そういうこと、と頷いてケーキを上手に口に運ぶ。


「やっぱり部活は一人でやることが多いんですか?」


 話を聞く限り、高橋さんはじめ、他の部員はどうも文芸には興味がないみたいだ。そもそも時間稼ぎがしたいだけのこの人だって、小説だのなんだのに深い興味があるわけじゃないのだろうけど。そういう意味ではなく、わざわざ活動をしたがる人がいないということだ。


「……まぁ、そうだったわね」


「だった?」


「活動停止中なのよ、文芸部は」


「それまたどうして」


「簡単な理由よ。現在の部員構成が生徒会の規約に抵触するの」


「五名の条件は満たしていると聞いたんですが……」


「もう一つルールがあるのよ。掛け持ち以外の部員が二人必要なの。高橋さんたちはみんな他の部活と掛け持ちしているから、文芸部専門の部員は私だけ。だからもう一人掛け持ち以外の部員が入るまで活動停止をしているというわけ」


 確かに聞いたことがある。全ての部活は部長と副部長を立てなければならず、その役職は掛け持ち……つまり、二つ以上の部活に所属している人間には就くことが出来ない。文芸部の実態で言うのならば、部長はこの先輩だから、副部長の役職が空いているということになる。だから部活動が出来ないと、そういうことだ。


「……別に副部長はその辺の帰宅部の人にお願いしたらいいんじゃないですかね? 名前だけお借りして、副部長をやってもらうわけです」


「無理よ。私、帰宅部の友達いないもの。なんなら部員以外に友達がいないわ」


「……いや、知らないですよそんな事情」


 とはいえ、知らない人に突然副部長になってくれと頼むのもなかなかに難しいことなのだろう。

 なんとなく、この人が今ここにいる理由が分かった気がした。つまり、部活がない今、靴を隠してもらって探したり、たまたま話をした後輩のファミレス行きに付き合ったり。そうやって時間を稼いでいるのだろう。厳格で心が安らぐことのない自宅から、少しでも長く目を逸らすための理由を探しているんだろう。


「他の部活じゃダメなんですか?」


 それこそ、友達と一緒に運動部でもやればいい。小説が特別に好きなわけじゃないのなら、文芸部にこだわる理由が何一つない。


「……あんまり人と関わるのが得意じゃないのよ。今更他の部活なんて無理ね。……それにあそこは友達が守ってくれた場所だもの」


「会ったばかりの後輩にノコノコ付いてきた人のセリフなんですか、それ」


 どんな言葉に対しても毅然と返答をしてきた先輩が、初めて言葉に詰まる。


「確かにどうしてかしら。不思議と胸に落ちるというか。あなたは似た者同士って気がして心を許せたみたいな感じかしら」


 少しの間を開けて、先輩が考察した。先輩ほどの美人に似た者同士だとか言われたら悪い気がしない。

 

「似た者同士って、俺はそんな高貴で上品な人間になった覚えはないんですけどね」


 先輩は、とても綺麗で、色気もあって。まさに高嶺の花といった感じな人間だと分析する。だからこそ、人付き合いも希薄になってしまうタイプ。それでもそんなの関係ないくらいに器用に生きていくことが出来るタイプでもあると推察する。


「あら、あなたには私がそう映るかしら?」


「まぁ……そういうオーラはありますね」


 少し嬉しそうにして、机に肘を置いて深い黒の瞳をのぞかせる。その表情や仕草はやはり色気があって卑怯だ。


「ふふっ、そう。それで、あなたは部活をやっているのかしら?」


「あぁ、それなら、サッカーと軽音を」


 まぁ、ついさっきから帰宅部なわけだけど。


「あなたも掛け持ちなのね。今日はサボり?」


「サボりってわけでは……」


「違うの?」


「……どっちも辞めたんですよ。それも軽音に関しては辞めたてほやほやですよ」


「なら帰宅部じゃない。私と同じね」


 案の定指摘される。なんか悔しいけど、先輩は活動停止中なだけで俺と同じではないと思う。

 ただ、綺麗な先輩と同族意識されると少し照れ臭くて、にやけそうなところを甘めのコーヒーを口に含んで誤魔化す。


「先輩は帰宅部じゃないでしょ」


「そうだけど。放課後、何もすることがないのは同じでしょ?」


「勝手に何もすることがないって決めつけないでくださいよ」


 やることなんてないけど。当然のように「あるの?」と聞かれて、「ないですけど」と言質を取られるテンプレートのようなやり取りをこなす羽目になった。


「──で、どうして辞めたのか聞いてもいいかしら?」


 一口分にしては少し小さくも思えるケーキを相変わらず上品に口に運んで先輩が聞いた。

 

「向いてなかったんですよ、それだけの話です」


「……どこかで聞いたような話ね」


「え?」


 別にそんなありふれた話でもないし、そんなリアクションをされるような話でもないはずだ。

 ただ、先輩は机に肘をついたまま人差し指を頬にあてて必死に何かを思い出そうとしている。そして数秒の思案の末、「あっ」という声を漏らした先輩が言葉を続ける。


「全て繋がったわ」


「えっと何がですか?」


「あなた、木良 智識きら とものり君ね?」


「そうですけど……」


 そもそも、ここまで会話していてお互いの名前を名乗っていなかったっていうのもレアケースだな。


「あなた、有名人よ。特に軽音部の新歓で即席ライブして、それが凄いクオリティだったって。確か動画も誰かが持ってたはずね」


「うわ、あれ動画になってるんですか……」

 

 たまたまギターボーカルが出来る俺とベースの弾ける幼馴染、ドラムは先輩にやってもらって、簡単に邦楽の曲を一曲即興でっただけ。


「そうみたいね。高橋さんが言っていたわ。サッカー部のスーパールーキー君が軽音部でも大活躍してるって。で、それから数日たった後、そのスーパールーキー君が『向いてないから』と言ってサッカー部を辞めていったという話も聞いていたわ」


 だから、「どこかで聞いた話」ね。スーパールーキーだなんて少し脚色されている気がしないでもないけど、確かに向いてないからと言ってサッカー部を早々に辞めたのは事実だ。サッカーというスポーツ自体だってそうだし、何よりも運動部のノリだとか厳しい顧問だとかとの相性を含めて「向いていない」と告げた。大いに嘘は言っていないと思う。


「で、スーパールーキー君は本当に向いてないと思って辞めたの?」


「あながち嘘ではないです。あとスーパールーキーって恥ずかしいのでやめてください」


「あだ名って言うのは定着したらなかなかぬぐえないものらしいわよ。残念ながらあなたは三年間スーパールーキー君で通すことになると思うわ」


「ルーキー期間が長すぎますって、教師かよ」


 いや、教師でも三年も経てば新米とは呼んでもらえないのか? 一学年分は入学から卒業まで見送ってるわけだし。

 

「……そういう先輩はあだ名とかあるんですか?」


 質問したはいいけど、俺この人の名前知らないじゃん。あだ名聞いてもしっくりこないだろうに。


「そうね。特にないわ。高橋さんたちからも桜宮さんって呼ばれてるし」


「桜宮、先輩」


 あぁ。どこかで聞いた響きだと思ったら。桜宮さくらみや先輩だ。桜宮 美景さくらみや みかげ先輩だ。

 美人で頭がよくて新入生の間でもたびたび話題になっているお方だ。確かに部活荒らしで悪名を馳せている分、俺の方が時の人になってしまうのはしょうがないのだけど、純粋な知名度だとかを鑑みたら、桜宮先輩の方が絶対に俺より有名人じゃないか。


「その“先輩”って呼ばれるの、新鮮で嫌いじゃないわ。私も木良後輩って呼んであげた方がいいかしら」


「それは新鮮さより先に違和感がきますね」


「それもそうね、これからは木良君と呼ばせてもらうわ」


 なんで先輩は苗字の後に先輩と付けて、後輩は苗字の後に後輩と付けないのか、少し謎ではあるけど。

 かくして、お互いに非常に遠回りをしながらも自己紹介を果たしたわけだ。

 

「これから……ですか」


 まぁ、社交辞令的な意味合いが濃いのだろうけど。“これから”という単語がえらくシリアスな響きに聞こえたのは、これからの将来に対する懸案があるからなのだろう。


「……そんな重くとらえることかしら」


「いえ、あまりにも幸先悪い高校生活の滑り出しだったもんで、未来系のキーワードが……こう、響くというか」


「幸先が悪い?」


「そりゃまぁ、一カ月足らずで部活二つ辞めるわ、クラスにも微妙に馴染めてないわで中々厳しいもんですよ」


「前者はともかく後者はこれからどうとでも出来ると思うのだけど。私も高橋さんと絡むようになったのは入学してから大分たった頃よ」


「そうだといいんですけど」


 正直、靴を隠す友達はいらないけど。それに先輩には今、居場所がないじゃないか。だからあんまり参考にならない。


「──考えてみたのだけど、木良くんが文芸部うちに入部してくれればWin-Winじゃないかしら」


「それ、本当に俺は勝ってるんですかね」


 会話の中で文芸部の入部を提案される可能性を排除していたわけじゃない。「胸に落ちる感じ」「新鮮で嫌いじゃない」そんな風に言われて。この瞬間にだって、俺はこの先輩からそれなりの好感度を稼いでいることは薄々感じていたわけだ。


「特別に、あなたを一年生ながら副部長にしてあげるわ」


「物は言いようですね」


 魅力的に見えないわけでもない。だけど、俺が文芸部の副部長になる、それがどうしても引っかかるんだ。


「副部長になるのが嫌なんですよ、俺まだ部活探してるんで……」


 ──俺のための青春。

 何度も何度も、そんなものがあるんじゃないかって頭を過って。どうせそんなものはないと心で否定して。


 だから色んな誘いをしてもらっても、面白そうかもしれないと思っても、踏み込むことなんか出来なくて。


 そんな途方もないものに固執している。

 別に見つからなくたっていい。俺のための青春──そんなものはなかったんだって、すぐ納得することが出来るだろうから。

 だけど、もし。

 だけど、もし見つけられた時に、それに飛び込めるゆとりが欲しいんだ。見つけた青春を手遅れにしたくないってほのかに思うんだ。


「そう」


 どこまでもクールに、大人っぽく。桜宮先輩はどこまで真剣なのかも伺わせないまま。

 俺の決断に未練すらも残してくれない。俺は、この人にとってのカワイイ後輩でもなければ、大切にすべき友達でもないから当然のことだ。

 だけど、俺に興味を示してくれたかと思ったら、次の瞬間には、まるで気にする価値など無かったかのようにあしらう。


 それが、どこまでも癪だった。


 納得できる時間を過ごすんだ、と。桜宮先輩はそう言った。家に帰るのが億劫だから、と。


 時間にだって色々ある。


 それこそ授業を終えてから家に帰るまでの時間。

 家に帰ってから布団で眠るまでの時間。


 高校を入学してから卒業するまでの時間。

 大学に入学してから卒業するまでの時間。

 社会人になってから退職するまでの時間。

 生まれてから死ぬまでの時間。


 桜宮先輩が欲しいのは、授業を終えてから家に帰るまでの間の小さな時間。俺が求めているのは、入学してから卒業するまでの……もしかしたらその先でも耽っていられそうな大きな時間。


 俺たちの利害は一致していない。

 もしかしたら真逆の事をしているのかもしれない。

 内容などほとんど関係なくて、時間が進んだという事実だけを望む先輩と。刻まれていく時間の内容を濃くしたいと思う俺。

 同じなのは、現状、時間が止まってしまっていること。


 文芸部の活動を停められて、確実に過ぎていく時間を奪われた先輩。自分の高校生活をかける部活をどれにしようかと選り好みして、結局ふらふらしているだけの自分。

 

 俺の方がカッコ悪い気がした。だって先輩は、確かに文芸部という居場所を握っていて、今はそれを失ってしまっただけ。俺は何もないのだ。手を伸ばすことすら一度もせず、案の定、手元には何も持っていない。何もないという状態は一緒でも、過程が全く違うんだ。そういう意味で、俺の方がカッコ悪い。

 

 苛まれてばかりだ。

 夢はない。青春だって、本当は興味ない。

 ……興味はなくても、望んでいる。


「……帰りましょうか。今日は楽しかったわ、木良くん」


 先輩は、カップ一杯のコーヒーを飲み干して立ち上がる。この気持ちはきっと名残惜しいという奴だ。だって、この時間が終わってしまえば、この先輩と会話する機会なんてなくなってしまう。俺はただの新入生で、先輩は学年がたった一つだけ上の人。



 ──これからの話をしよう。


 俺がもがき続けている間に、いつかは届く、“これから”の話だ。


「……先輩は、俺を夢中にさせることが出来ますか?」


 こんな真剣に悩まなくたって、シリアスに考えなくたって、必ずいつかは迎える“これから”の話。

 青臭くて、意味が分からなくて、アホ丸出しで、ガキっぽい質問。

 先輩はそれでもクールに大人っぽく答えてしまうのだろう。


「ふふっ、面白い質問ね」


 艶やかなセミロングの髪の毛がファサっと揺れた。潤いに満ちた口元が、小悪魔が糸で操っているかのように妖艶に裂けていく。


「答えはノーよ。私はそんな大した人間じゃないわ」

 

 そしてきっぱりと切り捨てられる。


「まぁ、そう言われると思っていました」


「──文芸部にいらっしゃい。それでもきっと、楽しいと思うわ」


 入学してから一カ月が経っていた。

 俺はまだ、ただの新入生だ。少し無精ったらしく、小生意気なだけの新入生で。

 先輩は少し有名な、学年が一つ上の高嶺の花だ。

 

 今日、たまたま食事をしただけの同じ学校の人。


 交わることなどなかった、他人同士。

 それが収まるべき関係だ。正しいポジションだ。


「誰か代わりの人が入るまでの時間稼ぎでいいなら協力しますよ」


 そんな当然の関係に戻るまでの僅かな時間を稼ぐ。

 家に帰るまでの時間を稼いで、俺が探しているナニカを見つけるまでの時間を稼いで。



 ──そんな“これから”をすすんだのが。

 俺と、桜宮美景だ。


 そしてそんなこれからの中に。

 大学生四年目を迎える俺たちがいることを知るのは、もう少し先の話。


 

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