1章 〜俺と桜宮美景(高校編)〜
泥濘の上、白い物語
「運動部ならともかくさ、こっちまで辞める必要はないんじゃないかな?」
夢はなかった。青春だって興味はなかった。
そんな高校生になっていた。
突き付けた退部届を見るや否や、冷めている、ノリが悪いと周囲は言う。
他の誰かと違うとは思いたくなかった。……そう思われたくなかった。
それゆえに他の誰かみたいに、熱中できるナニカを探し続けていた。
苦手で、興味もない青春というのに耽るための入り口を探していた。
「運動部以上に、こっちの方が向いてないんじゃないか?やる気ない奴が一緒にバンドとかそっちも勘弁願いたいだろうよ」
「僕はそれでも、幽霊部員でもいいから、君はここにいるべきだと思うんだけどな。僕がなんとかするからさ」
「俺はそう思わないな」
一刀両断するようにそう告げると爽やかな表情もいやに翳った。
こいつの事は昔から苦手だった。それは決してこいつに非難の余地があるような悪い面があるからじゃない。
単純にウマが合わない。真面目で明るくて、性格までよくて、誰とでもコミュニケーションを円滑に取れて、見た目が良くて、注目ばかり浴びている。そんなのが幼馴染だからこそ劣等感がずっとずっと渦巻いているんだ。
「だとしても……」
「それはお人好しというより身内びいきになるんじゃないか?」
それでも、こいつはこいつで幼馴染の俺の事を気遣わずにはいられない。そういう奴だから。
「……君は君が思うより誰かを魅了できることに気付くべきだ。新入生歓迎会の即席ライブでのみんなのリアクション覚えてるだろ?」
姉の影響で中学時代に少しだけ触ったギターの知識と好きだったロックバンドのマネ事で始めた軽音部だったけど、一カ月たって分かったのは、やっぱり肌に合わないということ。
何かがあるんじゃないかってずっと探していた。いくつもの部活動を体験入部して回ったのも、しつこい勧誘にも少しだけ乗ったりしたのとかも、夢中になれるナニカがあると信じての事だった。
周囲が言うように、俺は冷めた人間だ。でもどこかで器用な人間だとも思っている自分がいる。そんな自分が嫌いじゃないのも本当だ。
──80点。常にそう感じる。
何をやっても、それ以上でも以下でもない。運動だって苦手ではないし、地頭も悪いとは思わない。ただ、いろんな事を器用に80点でこなすのである。
期待の持てる点数だ。だからこそ俺は期待されることは多いし、嘱望されることだってある。
でも80点から下がることはあっても81点を超えることがないのが俺だ。
努力をすることが出来ない。まっすぐ進むことが出来ない。それが俺だ。
ずっと探していた。
そんな俺でも81点に踏み切れる領分を。
仮にスタートが80点を下回っていたっていい。ずっと前を見て歩み続けていられるような。
──そんな、俺のための青春があると信じていた。
☆ ☆ ☆
それは雨の上がった放課後のことだった。すっかり空は曇天と晴天の狭間の銀色をしていて、不穏と平穏が一緒に肌にまとわりつくようだ。
お節介な幼馴染に退部届を託して、これで本当に何もない高校生になった。
入学してからまだ一カ月も経っていないのに、退部届を出したのは二回目になる。
一つ目はサッカー部。体験入部をしているうちに圧力をかけられて、入部させられて、ほとんど練習に参加しないで二週間で辞めた。二つ目は軽音楽部。幼馴染の
別に学校に限らなくたっていいとも思い始めた。それでも、探すのを辞めた瞬間に自分が何も持たない、つまらない人間になる気がして、ナニカを探すことを辞められそうになかった。
部室を出て昇降口に向かう間に何度もため息が漏れた。どうしようもなく、高校生というものに自分がなれていない気がした。これから先もなれる気がしていなかった。
高校入学と共に買った、少し高めのスニーカーを履く。高めと言っても、底が厚いわけじゃなくて、値段の話だ。
足元なんて長めの学生服の裾に隠れるのに、何を気合なんか入れたんだろうか。そんなのだから誰からも見向き去れないことが虚しくなるんだ。
一人で帰る毎日が果てしなく退屈で、暇で、嫌だった。
だけど、何もない。だからそんな日常を歩むしかないのかもしれない。
ふと、ウサギ小屋の方に女生徒が一人足早に向かっているのが見えた。
別に、その行動自体が変わった事ではないし、不審に思うことはなかったんだろうけど。
でも、キョロキョロと周りを伺いながらコソコソとしているのがどうも気になった。
女生徒は、ウサギ小屋のウサギになんか目もくれず、建物の影の方へと入っていった。
雨に降られた後の放課後だ。ただでさえ、じめじめしたところにあるウサギ小屋の、さらに日が当たらない建物の影はきっとぬかるんでいるだろう。
気づかれないように隠れてみていたらそこで、女生徒はスマホを取り出した。どうも何かを撮影しているようにも見えた。
こんな人気のない所で、何をしているんだろうか。でも、下手に関わるべきでもないと直感で感じた。
どう考えてもろくな事じゃない。本能が、その女生徒に気付かれてはならないと警鐘を鳴らしている。
一度その場を離れる。少ししたら、その少女が何食わぬ顔で昇降口の方へ戻ってきているのを見つけた。
その隙に、今度は俺が不審な動きをしながらウサギ小屋の方へ。
案の定ぬかるんでいる暗い建物の影。買ってから一カ月も経たないスニーカーを見ながら、雨なのに少しでもおしゃれをしてみようとした自分を恨む。部活を辞めたり、泥濘に不用意に足を踏み入れたり。今日はなんだか自己嫌悪に陥りそうなことばかりしてしまっていた。
「スニーカー?」
ここに来たことに特に理由はなかった。いや、理由なら明確にあったわけだが、動機としては不十分だ。
どうして、あの少女がキョロキョロと辺りを見回しながら、こんなところまで来たんだろうか。ここで何をしていたんだろうか。その程度の疑問があっただけ。そんな些細なことが気になって一々来てしまった。
後を追うようにこんな場所まで来たって、どうせ何もないのが関の山だというのに。
無意味な事をしているんだという自覚があった。
だけど、確かに。
ここにはたった一足の白いスニーカーが残っていた。
物語とちっぽけな謎がぬかるみの上に残されていたんだ。
デザインを見る限りレディースのスニーカーだ。それも、それなりに新しくて。底の方に付いた泥があまりにも不相応だ。
「いじめか……」
そしてちっぽけな疑問は既に大きな確信になっていて、放置して帰ろうとする。
道徳の問題だ。
仮に、ここでこの白いスニーカーを無視した場合、靴を隠された人間はどうなるだろうかとか、知っていて見捨てた自分の気持ちがどうなるだろうかとか。そんなくだらない考えが過った。馬鹿らしくなるし、そんな些細でしょうもない罪悪感と戦う覚悟すらも作り切れない自分にやるせなさを感じた。
──また、雨が降り出した。
なんでこんなタイミングでと思う。
本当に最悪だ。やっぱりろくなことではない。
軽く靴を持ち上げると、俺は昇降口の方へ向かう。
変なことに関わってしまった。せめて、その靴が濡れないところに。
せめて、誰にも見つからないように。
さりげなく、持ち主の目が届くようなところに置こう。後はなにも無かったってことにしてそのまま帰るんだ。
それが最大限の譲渡だ。俺の罪悪感への妥当な示談の条件だ。
ぽつぽつと肩に触れる程度の優しい雨なはずのに、どうしても厄介に感じてしまう。
濡れないように運んだレディースのスニーカー。難題だった。
目立つところに置いてしまえば邪魔にもなるし、注目も浴びてしまう。隠れすぎると本人が気づかずに意味がなくなってしまう。
雨さえ降らなければ、きっとこんな放課後になっていない。
傘立ての前にこっそり置くことにしよう。
ちょっと、気づき辛い場所だけど。それでも本気で探せばすぐに見つかるはずだ。
だからしっかり持ち主が見つけてくれますように。
……それから、その女の子が強く生きていけますように。
俺の手から、悩みの種であるスニーカーがようやく離れようとする。
「あら、その靴──」
これでこの話は終わり。……そんな瀬戸際だっていうのにまた物語が動き始めた。
なんてタイミングだ。
陰険な場所に持ち出されて、泥を付けたスニーカーを見知らない誰かが持っている。
これじゃまるで、俺がいじめっ子じゃないか。
ただの気まぐれで動いただけなのに。ものの見事に誰かに嵌められたかのようだ。
「あ、その……この靴、実はウサギ──」
言い逃れるように説明が口をついて出る。だけどすぐに理性が制止をかけた。
言えるわけないじゃないか。このスニーカーがウサギ小屋の裏にあって、雨が降ってきたから昇降口まで持ってきました? そんな無神経なこと言えるか? ……それはあなたがいじめられていることに気付きましたよ、って告げているようなものじゃないか。
だったらなんて言えばいい?
もともと詰んでいるんだ。こんな現場を本人に見られたことが全てなんだ。
「……その、似た靴を持っていたもので間違えちゃったみたいです」
「同じクラスじゃないのに?」
無理のある言い訳にもほどがある。でも、俺が変な人だと思われることでこの場が収まるなら十分だ。いじめに気付いて、同情して。それでこんなところで正義の味方ごっこしているなんて思われるよりも全然楽だ。
「……中学校と昇降口の構造が似ていて。それで中三の時の自分のシューズボックスがあった場所から靴を引っ張り出しちゃいました。入学して一カ月も経ってるのに、アホですよね、俺」
こんなセリフの中に、事実が含まれているなら、俺がアホってところだけ。それも真性の大アホだ。
「それはすごい偶然ね。でも、そのスニーカー、女性モノだと思うけど……」
「俺、こういうのが好きなんですよ。ほら、よく見たら顔も中性的じゃないですか?」
「どちらかというと濃い目の男顔だと思うけど……」
「そうですか?」
……やっぱり無理だ。完全に怪しい奴じゃないか。
あまりにも対応を間違いすぎていた。もっとうまく言えただろと悔恨の情に苛まれ始める。
「……靴、泥が付いてるわね」
「それは──」
そもそも、その事実の言い逃れが出来ない。抵抗するまでもなく、この状況が詰んでいることは分かっていたじゃないか。それなのに、つまらなすぎる見え見えの嘘までついて。謝って逃げればよかっただけなはずなのに。俺は何をやってるんだ。
「──ふふっ」
俯いて、どうしたものかと困惑していた俺の耳に、綺麗な息遣いの笑い声が届いた。
顔を上げて、白いスニーカーの持ち主の顔を伺う。
「ふふ、ごめ、ごめんなさい。あまりにも面白かったものだから、ついっ」
笑いながらでも上品さが伝わる言葉遣いと突然の展開に俺は言葉を失った。
言葉に詰まったのは、強引な展開のせいでも、突然笑い出したこの人の態度に困惑したせいでもない。
──本当に、美しかったんだ。
今まで見たこともないくらいに、ひたすら目の前の女の人が美しかった。
……まるで、月夜にライトアップされた夜桜のようだ。
色気があって、儚さも纏ったような美しさ。幻想的で、心が洗われるような神秘そのもののような出で立ち。
艶やかなセミロングの黒髪と、墨絵で起こしたようにメリハリのある顔のパーツが凛とした雰囲気を伝えていた。
左目の傍にある、少し薄目な黒色をした泣きぼくろに至っては、まるで明確な理由があるかのように存在していて、高校生のものとは思えないセクシーな印象を際立たせる。
「あなたがその靴を見つけてくれたのね──」
「え?」
女性らしくも力強さのある声は、俺が遠回しに伝えようとしていたこと……いや、伝えることを諦めてすらいたことをくみ取っていた。
「そんな不思議に思わなくてもいいのよ。そもそも聞いていたもの。私の靴がどこかに隠されたって」
「聞いてたって誰に?」
「……そんな事を知っているのは、隠した本人とあなた以外にいないと思うけど?」
「えっと……」
知っているのは、今ここにいる俺と、先ほどウサギ小屋にこのスニーカーを持っていた女生徒。
冷静に分析するまでもなく、俺は違うから消去法で後者が伝えたというわけだ。
「だから、そんな不思議な話じゃないわ。単純なお遊びだもの」
「遊び?」
これが遊び? 離れたウサギ小屋の裏に靴を隠す遊び?
そんないじめ紛いな遊びがあるのか?
「……隠した子は高橋さんって言うの。私の友達よ」
「友達と、こんな事してるんですか?」
俺からしたら理解できない領域の話だった。でも、それが事実だからこその大らかな振る舞いなのだろう。
「……えぇ、少し過激な子ではあるけれど。でも、そのスニーカーを選んでくれたのだって、彼女たちなの」
「なるほど……」
分かるような分からないような感じだった。やはり靴を隠すような友達関係に納得ができないのだ。
俺には関係ない問題だとはいえ、本人が納得しているとはいえ、この泥を帯びたスニーカーが悪意もなく汚されたことがあまりにも腑に落ちないんだ。
「信じてないみたいね」
「いえ、別に」
別に、どうだったっていい。
信じるか信じないかよりも、興味がなかった。
悪趣味だなぁなんて思うけど。
「──文芸部」
「はい?」
これまた、脈絡もない単語が綺麗な音をして俺の耳に飛びこんでくるもんだから、リアクションに困った。
「私の所属している部活よ。私と友達と合計五人で構成されているわ。全員二年生よ」
「……そうですか」
文芸部。確かにこの高校に文芸部があるのは知っている。色んな部活に顔を出したけど、興味がなくてスルーした。
「私が部長してるの」
「はぁ」
イマイチ、何を伝えたいのかが理解できない。ただ、彼女が先ほどの高橋という女生徒の事を好ましく思っていることだけは伝わる。
「部活動をするには五人の部員が必要なことは知っているかしら」
「ふむ……」
なるほど、話がつながった気がする。
「高橋さんは文芸部に興味があるわけじゃないの。ただ私のために彼女の友達を集めて部活動として成立するように手を貸してくれたわ」
「それはそれは」
そういうことだったか。確かにやりたい事をサポートしてくれる存在はありがたいだろう。それは大層なことだ。それでも何かが引っかかる気がしてむず痒いけど。
「先輩は小説がお好きなんですね」
「……? 別にそうでもないわよ?」
「は?」
素っ頓狂な声が漏れ出た。先輩の表情を見ても、そんな失礼極まりない俺のリアクションを見たって、それが先輩にとって当然だったのか意外だったのかも分からないまま、ただ先輩は伏し目がちに呟いた。
「──私は、ただ居場所が欲しかった」
「居場所?」
この人は何を言っているのだろうか。そう思いながらも、胸の奥にはすんなり落ちてくるような「居場所」という単語の響きが不思議だった。
「なんでもいいの。私は、ただ納得して過ごせる時間が欲しかったから。それがたまたま文芸部だっただけ」
そしてこの心地よさの正体がなんとなくだけど、分かり始めた。
あぁ、そうだ。……似ているのか。
今の俺に。だから──。
ずっと。何か、言葉には出来ないようなものを探していた。納得して過ごせる時間。誰かに負けないような濃い色をした、誰かが言うところの“青春”という響きによく似たようなもの。
「……少しだけ分かります」
「分かるって何が?」
「いえ……何でもないです」
だけど、そんなものを探していることを先輩に説明してもしょうがないと思えた。
そして、自分が見つけたいものを既に見つけた先輩を「羨ましい」だなんて感じた事も説明したってしょうがないと思えた。
「そう」
そんな葛藤も露知らず。先輩は興味もなさそうに、綺麗な声で返事をした。
そして、スニーカーを返す。
泥も付いちゃっているし、制服姿すらもエレガントに見えるほど綺麗な先輩には、あまりにも似合わない……不釣り合いな気がした。
「……これはひとりごとなんで、気にしないで欲しいんですけど、俺的には先輩にはローファーが似合うと思います」
大切な友達に選んでもらった、白のスニーカー。
なんの権利があって、それを否定できようか。なんの脈絡があって、俺にモノを申せようか。
ただ、先輩はまたしても綺麗に微笑んで「ありがとう」と返した。
そんな、銀色の放課後のこと。
──そんな、余計な行動と言葉を繰り返して俺は
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