勇往妹進
「たしかに、まともに連絡も付かない実の兄が、新年度早々に同じ大学で一年生向けの講義受けてたら嫌にもなるよねー」
美少女はけたけたと笑って、楽しそうに話した。先ほどの一部始終、もとい俺が公開処刑される様を当事者を除き一番近くで見ていたのがよりにもよって、他人の不幸で腹を満たしているようなナチュラル畜生の大坪彩乃だというのだからツキがない。
それがさきほどビンタをかましてくれた女の子の名前。
髪の色や小物のセンスだったりがマイナーチェンジされていて、声を聞くまで気付かなかったが紛うことなく俺の三つ下の妹だ。
正直なところ、色々あって、優子がこの大学に入学していることすら知らなかったというダメ兄貴っぷり。
「ブラコンだったって聞いてたんだけど、絶対嘘だよね」
「いや、昔は間違いなく優子はブラコンだったぞ」
「ブラザーコンプレックスのコンプレックスって劣等感って意味のコンプレックスじゃなくて、兄や弟を恋愛的対象で見るほうのコンプレックスだよ?」
「分かってるって。今は前者の意味かも知れないけど、昔は……恋愛対象かどうかはさておき、お兄ちゃんっ子だったんだよ」
「木良くんお得意の妄想なのは分かるけど、潔く現実を認める力があればもっといいと思うなぁ」
俺の決死の主張も全て受け流す大坪に少しムッとする。俺がムッとしても可愛くないんだからあんまり煽らないで欲しい。
「いや、本当なんだって、なんなら今度キサに聞いてみてくれよ」
「あ、それはいいや」
「聞けよ」
いや、マジで俺の名誉のためにも白黒つけておきたい。
自称、妹に好かれていた男とかあまりにも痛すぎる人間のレッテルを貼られて終わるのは死ぬほど辛いことだと思う。
「……いや、今度じゃなくて今から聞くから」
淀みのないリアクション。その白くて細長い人差し指が俺の背後を指し示していることで、全てを察した。
「ふふっ……やっと奇咲のこと呼んでくれましたね、せーんぱいっ」
いつからそこにいたという質問はする価値もないくらいにありふれた光景。
いつだって、俺あるところに、このキサという女の子は現れる。音もなく。気が付けば背後にいるというのだから怖い。
「ちなみに今年度は三年生から三年生に進級したから、俺はもうキサの先輩ではないぞ」
大学の進級制度には大きく二つある。
一つ目は学年が上がる度に留年するかどうかの判定があるパターンと、四年目終了時に卒業できるかどうかの判定があるパターンだ。前者の場合、例えば三年生から四年生に進級できなかった俺みたいな留年生は、一年生→二年生→三年生→三年生→四年生という風に五年間を歩む。後者の場合は、一年生→二年生→三年生→四年生→五年生と推移していく。
この『新都工業大学』はこの二つを併用して使っていて、入学してから四年経っていたら「四回生」というふうに呼ぶが、学年ごとに進級できるかの判定もある。
今の俺のステータスは「四回生三年」だ。今年は、二回目の三年生をしている。
そしてキサ……俺のことを「先輩」と慕うこの女の子は「三回生三年」なので、学年で言うなら俺と同じ。入学したのが一年遅いだけの同級生だ。
「でもでもっ、先輩は先輩ですよ?」
「まぁ否定はしないけど」
留年というのは、色々な弊害がある。主に対人関係において障壁だらけだったりする。家族のみならず先輩後輩同級生、それら全てとの関係性が絶妙に変わるわけだ。突然年上の人が同学年になったとて、その日から敬意を取っ払って他の同学年の人たちと同じように扱えるかというと大いに無理がある。てなわけで、留年生はとても扱いが難しい。年下の上司みたいなものだ。無論年下の上司は年上の部下より優秀なのに対して、留年した同級生は、留年していない同級生より格下だ。そこの違いはある。多少違う。わずかに違う。微妙に違う。些細な違いがある。誤差がある。……やっぱりほとんど同じだ。
「そもそも木良くんって、美景のことずっと先輩って呼んでたもんね。入学したのは同じ年度なのに不自然だったよねー」
「そうですよっ、晴れて美景さんは先輩にとっての本当の先輩になったわけですけどっ!」
大坪がキサの主張に肩入れするように俺の境遇を揶揄して、キサがそれに乗っかる。
「なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
「だって、学年が一つ違うと心の距離が全然段違いな気がするじゃないですかー。美景さんと先輩ってこれからは学年も学科も違うから、ほぼ他人ですよねっ!」
「いや、その理論で言うなら俺とキサもつい一週間前までほぼ他人だったわけだけど」
「過去の話はどうでもいいんですっ! 大事なのはこれからですよ、せんぱいっ!」
どこまでもポジティブに言うキサは四人掛けの学生食堂のダイニングテーブルで、俺の座っている椅子の、ないに等しいスペースに強引に割り込んでくる。結果として、俺の膝の上に乗っかる形になるのだが。これも見慣れた光景。周囲の学生に舌打ちされるところまで含めていつものやり取りだ。
さすがに邪魔だし鬱陶しいので、同じテーブルの別の椅子にサラリと移動するとキサは頬を膨らませて反抗的な目をする。だが反撃はその程度で、追いかけては来ないので、今日のスキンシップはこれで終わり。因みに俺がムッとしたってかわいくはないけど、キサの場合は恐ろしいほど絵になる。
「それで、話を戻すけど。木良くんの妹さんがブラコンって本当なの?」
半信半疑というより、無信全疑(俺の造語)でキサに聞く大坪のブレなさというか、ある種の俺への信頼には恐れいるばかりだ。
「優子ちゃんですかっ? ……まぁ、少なからず先輩が大学生になるまではベッタリでしたよ。おかげで奇咲も苦労したものです」
そんな時代もあったなぁとしみじみ思う。
実際のところ、高校生三年の少しの間で半年もなかったけど。キサと優子のいがみ合う姿はそれなりに記憶に残っている。小動物と小動物みたいだった。
キサと……
本当に色々あった。
色々あって、こんなにも不安定な関係性になっている。
そして優子とは特に何もなかったと記憶している。俺の大学進学をきっかけに自然と兄離れをして、お兄ちゃんっ子だったことを後悔しているという感じなんだろう。優子にとって、俺は黒歴史そのもの的な。
大学に入ってから今日まで一度も会っていなかったわけだし仕方ないとも思うけど。
「へぇ。本当に嘘じゃないんだー。奇咲ちゃんも認めるお兄ちゃんっ子が再会と同時にビンタかましてくるようなドメスティックな妹に変貌を遂げるんだねー。事実は木良くんの二次創作小説より奇なりって奴だね」
「なんで比較対象が俺の作品群なのかはさておき、そんなに不思議な話でもないと思うぞ」
俺の脳内資料の中には『デレツン』というワードが保管されている。脳内資料の属性分類というカテゴリーの隅っこの方にある。
曖昧なところではあるが、俺の造語ということにしておく。これが『ツンデレ』というのであれば、一瞬にしてメジャーカテゴリになってしまうから注意が必要だ。
「優子は『デレツン』だ」
まぁ色々鑑みても、間違いないと踏んで、脳内資料をオープンする。
「でれ……」
「つん?」
大坪、キサの順に反芻するように俺の造語を共有する。渋い顔を崩すことなく「ツンデレじゃなくて?」と大坪が核心をつく疑問を投げかけた。
「あぁ、ツンデレではなくデレツンだ」
これは俺が専攻する『キャラクター分類学』という学問の領域の話だ。俺は『キャラクター分類学』の祖先にしてエキスパート、そして唯一の学者だ。いつも学会は新アニメの放送時期になるとざわつき出す。
「そもそもツンデレとは何かという基礎知識を補っておく必要があるな」
カバンからノートパソコンを取り出して、昔まとめたツンデレについてのパワーポイントが開かれたのを確認し次第、F5を押す。画面いっぱいに『ツンデレについて』というタイトルのスライドが表示される。
「あぁ、終わったら起こして」
「えっと、奇咲、ATMでお金下さなきゃでしたっ」
「聞けよ!」
ちなみにこのスライドは、とある講義で「あなたの好きなものや好きなことについてプレゼンしてください」というお題を出された時に半日かけて作ったものだ。「気持ち悪い」というお言葉と共に、全発表者の中で最高評価をもらった代物だったりする。戯言だと軽視するべからず。べからず。
「だって興味ないし」
「そうやって頑張って説明してる人の話に耳を傾けないから大坪は留年するんだぞ!」
「それを欠席常連の木良くんに言われると反応に困るんだけど」
「アボリジニもびっくりなブーメラン投げられるなんて、やっぱり先輩は素敵ですっ!」
キサの尊敬の眼差しがあまりにも痛すぎる。というか同じ留年クズなのに大坪に勝てるビジョンが見えなすぎて辛い。
「……まぁ簡潔に説明するとツンデレとデレツンはツンが先かデレが先かの違いだ」
「デレる順番?」
「そうだ。ツンデレはツンに始まり最後は必ずデレに転がるんだ。100回くらい死ねと言っても101回は好きって言うのがツンデレ。つまりデレがツンに勝利して終わる。それに対して、100回好きといったら101回死ねって言うのがデレツン。デレが先手を取るが確実にデレの負けで終わるのがデレツンだ」
「好きと嫌いじゃなくて、好きと死ねなあたりに先輩のこだわりを感じますね」
「よくわかんないけど、ツンデレとデレツンじゃ終着点が違うってこと?」
「まぁそれがすべてじゃないが、大坪の解釈は正しいな」
でも致命的に違うのは、内面の方だ。
「ツンデレは、デレること……すなわち素直になることに絶対的なキャラクター価値が確立される。彼女らの性格上、素直になること自体に苦悩が伴うからだ。あらゆる葛藤を乗り越えて、ツンツンしてしまう自分に苛まれ続けた過去を乗り越えて、ようやくたどり着いたデレには価値があり、古今東西あらゆる物語においてツンデレキャラは幅を利かせているわけだ。創作者の立場から考えると、ツンデレキャラをツンデレたらしめるためには最後にはデレさせなければならないという命題がある。だからこそ、ツンデレキャラは存在そのものにストーリー性が付きそうわけだ。しかしデレツンはどうだろうか。奴らはデレるという武器を初期装備として備えている。にも関わらずだ。奴らは、結果的にはツンツンしてしまう。これがどういう意味か分かるか?キサ!」
「えっとっ、……奇咲はずっと先輩にデレデレですっ!」
「ちっがーーーう! ……いや違くないけど違う!」
キサがデレデレキャラに分類されるのは、まぁ間違いではないと思う。『キャラクター分類学』の学会においてもそこに意を唱えるものはいない。七星奇咲という女の子は大坪彩乃に陰で「スト咲ちゃん」と呼ばれるくらいだし。スト咲のストが何を意味するかについてはあえて言わないけど。
「ツンデレが素直になれないからツンツンするのは仕方のないことだ。しかし素直になることが可能なやつがツンツンし始める理由はなんだと思う? ……答えは簡単だ。冷めてしまうからだ。好き好きオーラを出していようが、何かしらの理由で冷めてしまうんだ。好きじゃなくなってしまう。愛想が尽きてしまう。拒絶してしまう。だからこそデレツンなんだ」
「それだとさ、例えばの話、奇咲ちゃんとかでもデレツンになる可能性があるってことにならない?」
「なっ、なりませんよっ!」
「だから例えばの話だって。例えばこれから木良くんがイメージ通り、性犯罪で捕まったとして、ヤのつく自営業の方とかとのコネを使って事件を揉み消した後にのうのうと奇咲ちゃんと仲良くするような日々を繰り返してたら、さすがにいつもデレデレの奇咲ちゃんでも愛想尽きて拒絶するようになるかもしれないでしょ? そうなったら奇咲ちゃんはデレツンにカテゴライズされちゃうよね?」
「俺が大坪にどんなイメージ持たれてるのかという疑問はさておき、それはちょっと違うな。デレツンの場合は、勝手に、あるいは比較的弱い理由で勝手に拒絶を始めるんだ。それこそ、メールの返信が遅いからとか、アピールしても振り向いてくれないからとか、そんな一方的なことから腹を立て始めて、不機嫌になって主人公に当たり散らすことすらしてくれないまま、距離を置いていく。それがデレツンの定義だ」
ちなみになんだが、俺はヤのつく自営業さんとコネはない。これだけは大々的に弁解しておかなければならない。大物人気お笑いタレントだって「黒い交際」の噂で芸能界を引退するんだからな。
「なるほど。一応ツンデレとの差別化は図れたかも」
大坪が顎に人差し指を当てながら、考え込むように反応する。
「ツンデレのツンが好きという気持ちの裏返しだというなら、デレツンのツンは好かれたいという気持ちの裏返しってわけだな」
我ながら、うまく分類してあると思う。当然ながらだが、デレツンというキャラの需要は高いわけではない。
とはいえ、物語の都合上、うまくハマるケースもあるから一応俺の脳内キャラクター図鑑には記載されている。因みにこれに該当するキャラは何名か頭に浮かぶが、敬意を欠くと思われかねないので割愛する。もちろんデレツンキャラ各位を悪く言う気はない。むしろデレツンキャラのおかげで面白いと思った作品もあるくらいで、デレツンには最大限のリスペクトを持ち合わせているまである。
「だったら、優子ちゃんだっけ? 木良くんの妹さんがデレツンっていうことは、木良くんは大した理由もなく嫌われたってことになるんだけど、それは間違いないの?」
「んまぁ、少なくとも俺から優子に何かした覚えはないぞ。大学入学してから実家に出禁くらって会う機会もなかったはずだし」
何かをする余裕すらなかった。突然の出禁勧告。俺の留年が決まってからのことならまだ理解が出来ると思うが、あろうことか留年を決める前にくらったのだ。大学入学して一人暮らしを始め、家族の大切さをしみじみ感じていた頃に、親父が一方的に帰ってくるなと言ってきた。理由も教えられることなくだ。今は、月に一回くらいの頻度でお母さんに近況報告をするくらいの関係が残っているだけだ。
せめて高校生優子の姿ぐらい拝みたかった。ずっとかわいがってきた妹の最盛期に関われない屈辱ときたら、来世は千葉のラブラブ兄妹の兄役にしてもらわないと納得できない。というか親父マヂで許さねぇ。マジでじゃなくてマヂで。
そして、三年ぶりの再会を果たしたと思ったら、デレツンのデレ期が任務を終えて、ツン政権が始まっていた。泣きたくなってきた。デレデレな妹が恋しすぎる。あの頃のカワイイ妹カムバック。
「ふにゃ~。どうして奇咲は先輩に頭をなでられているのでしょうか?」
「多分、ポジティブな理由ではないだろうねー」
妹の精神面での成長を喜びながらも、悲しむ気持ちがいっぱいだ。そういう意味でキサは背も小さいし、かわいい系だし、デレデレキャラだし、理想の妹って感じがして撫でてると安心する。故に精神安定剤的意味あいを込めて愛でることにした。我ながら午前からハッピーな野郎だ。
それから、朝飯とも昼飯とも取れない時間のご飯を大坪と済ませる。
キサは二限に入れていた講義をトイレに行くと言って抜け出してまで俺に会いに来てくれていたみたいだ。帰るついでに講義室に送り届けた。
どうでもいいけど。大学でトイレに行くと言って講義室を出ていき、長いこと戻ってこない奴は9割がたトイレ以外の用事がある。飯を食ったり別の学科の奴とどこかで雑談したり。タバコを吸っていたり。
特に出席確認の呼名や小テストは授業の最初か最後にある。その瞬間だけ講義室にいる奴は悪だ。奴らはサボっていながら立派に全出席をかまし、過去問や真面目な友人を駆使して単位を収穫する。成績だけは立派なクズどもだ。
やるなら俺みたいに完全に出席するか完全に欠席するかぐらいのメリハリをつけてほしい。サボりたいという欲求と、単位が欲しいという願望の両立を卑怯なやり方で遂行するなとも思う。
「でもまぁ、キサは……スト咲だからしかたないか」
結局は妬みでしかないので、身内贔屓もしてしまうあたりに自分の主張の弱さや一貫性のなさを感じて苦笑いをした。
そうして俺の「四回生三年」としての大学一日目は昼休みが始まるより少し先に終わるのであった。
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