3-4 今田ずんばあらず氏について

 テキレボ5で出会い、そして現在まで苦楽をともにこそしていないものの、同じ地平線上で似たような想いで何かを綴っているであろう、今田ずんばあらず氏についてぼくはここで記述しなくてはならない。

 彼はこの同人の世界で、大学等のツテをたどらないで知り合った、初めての同年代の書き手だった。それまでぼくは同年代の書き手に出会ったことがほとんどなかった。今ではそれなりにいるものの、平成初頭に生まれた人間はこの界隈に極端に少ないように思えた。同時にそれが世代の色なのだろうか、という風に若干の絶望すらおぼえていた。

 もちろん、大学時代の文芸サークルには、山本をはじめ同年代の書き手はそれなりにいたし、「そりゃたいへんだ。」も同年代であるよしみで結成されたユニットである。そういう部分でも、ぼくはどうやら同年代であるというところに妙なこだわりがある。それは同水準の教育を受けてきているということに起因する、なんらかの同時代性なのだろうと思っている。そして、ぼくはリアルの世界線では同年代と交わったことはそれほど多くないというところにも起因しているのだろうとは思う。

 さて、はなしを戻そう。今田ずんばあらずという書き手についてである。彼について語ることは多いようで少ない。なぜなら、ぼく自身それほど彼に興味があるわけでもなく、また彼と私的な交流をしたことはほとんどないような間柄でもあるからである。それでもなお、ぼくがこの紙面をもって彼について書くのは、今田ずんばあらずという書き手がいかに特異で、この同人という世界における一筋の光になりうるかということをみなさんにもお伝えしたいからである。

 正直に言えば、ぼくは出会った当初は彼に対してさほどいい印象を持っていなかった。隣になって、それなりに挨拶を交わして、おたがいの本の話や若干の身の上話もした。彼は「短編量り売り」という、その後ずっと黒歴史扱いとなってしまうぼくの大失策である頒布方法に興味があったらしく、それなりに話しかけてきていたので、ぼくも同じように会話していただけだったのだが、それにしては多くの情報を手に入れてしまっただけである。

 とにかく、彼は東日本大震災への想いを込めた作品だと言って「イリエの情景」を勧めてきた。後にシリーズ累計600部を突破するほどの、彼の名を全国に知らしめた代表作の第1巻である。しかも、ぼくも彼もテキレボ5ではまったくといっていいほど本が動かなかった。今となっては冗談だとお思いになる読み手のかたもいるかもしれないが、当時のぼくと彼は確実にそういった部分で同じ地平線に立っていた。そう、「イリエ」を売り出す前は、彼は正真正銘「無名の一次創作文芸サークル」の主でしかなかったのだ。まさに、彼が「イリエ」を書くことによって今田ずんばあらずは完成され、彼はそれによって現在のスタイルを確立した。ぼくは偶然にもその途上にある彼に出会ったのだ。

 しかし、ぼくは彼の当時のそのスタイルをあまりよしとしなかった。まず、東日本大震災で被災した場所として東北に行くという大学生二人組の物語を書いているが、そもそも東日本大震災の被災地は東北だけではない。ここまで読んできたみなさんは薄々感づいておられるとは思うが、ぼくのふるさとである千葉県浦安市も、死亡者こそ出なかったが、都市のインフラのほぼすべてが破壊され、復旧までに相当な時間を要している。そういう意味では浦安だけでなく、東京湾岸の埋め立て地はすべて被災地であるし、東日本大震災で甚大な被害を被った場所は何も東北だけではない。茨城県の沿岸地域も相当な被害を受けたと聞いている。それらをすべてさしおいて、なおも三陸を中心とした東北「だけ」を被災地として語るという行為そのものに、ぼくは納得がいってなかった。後で知ることとなるが、彼はマスコミ業界を志望していたそうである。そして、当時の彼はまさにぼくの苦手なマスコミの人間そのものであった。当時のぼくは自分の考えの浅さに対して寛容だったので、無邪気にもそう思えたのである。

 そうして、だからこそぼくは、この男には勝たねばならぬ、とひそかに思った。そもそも、軸も何もないぼくが、「イリエ」というすさまじいまでにわかりやすい軸をすでに持とうとしていた彼にいったい何をもって勝とうとしたのか、もう既にわからないのであるが、少なくとも明確にそう思ったのは事実である。今思うと非常に笑えるのだが、実際ぼくはそう思ったからこそ、執拗に文学フリマ全国制覇にこだわったし、その逆にコミティアにいっさい出場しないという妙なプライドを持っていたのだ。

 「かれ」は、今田ずんばあらずについては非常に冷静に見ていた。「イリエの情景」一巻を読んで、「かれ」は今田ずんばあらずという書き手のスタイルが確立されつつあり、全国をまわりながら自作を頒布するというやや強引な行商行為に対して、この男はすさまじい数の頒布を行うことができるし、界隈を飛び越えて有名になるはずだ、と言った。そして、実際その通りになった。今や、その知名度や頒布数ではぼくと桁がひとつ異なるところまで来てしまっているほど雲泥の差になってしまっている。そこに一抹の寂しさを感じるのは事実である。しかし、度重なる遠征と、その中で語らってきてわかったことは、彼も彼なりの哲学があり、そして使命感があるということであった。実際、全国を自家用車で旅しながらイベントに出陣するというのは何か、行脚ということばがしっくりくるほどの宗教性を感じる。その宗教性に、ぼくはプライドという利己そのもので応じた。そうして作品の制作やコラボレーションを通じて、ぼくらは「戦友」としての絆を深めていった。彼なくして今のぼくはあり得ない。そして、ぼくがイベントに参加することをやめてしまったあとでも、彼は自分のブースにぼくの代表作を置いてくれている。これがぼくらの絆の象徴でなくて何であろう。それ故に、深く語ることもまた難しい縁なのである。

 もうひとつ、彼について語っておきたいのは、その同人としてのスタイルや哲学は隠されがちであるが非常に硬派であり、特に自らの作品に対するこだわりは非常に強い。おそらくツイッターやイベント等で見受けられる今田ずんばあらずとは非常に異なる側面であり、彼の本来の性質はどちらかというとこのクラシカルで硬派な部分が大きいのではないかと感じている。特に「隠された」代表作である「過去からの脱却」を読むと、そのバックボーンが膨大な古典に支えられているというところをかいま見ることができる。「イリエ」を作るかたわらこういった作品や「いきとしいけるもの」といったポップでハードコアな作品も作ることができるこの多彩さとある種の不器用さが彼の持ち味であり、今田ずんばあらずという書き手の色である。とかく、彼は非常にスポットを狭めた作品が得意であるように思う。モノを視点として語られる物語集である「いきとしいけるもの」はその極致で、今田ずんばあらずの端的な強みが余すところなく発揮されているのだが、彼にとってそれは特に強みと認識していないようであるところがどうにも小憎らしくもあり、またいかにもというところでもある。

 そんな彼は前述したヨコハマアンソロジー「ジーク・ヨコハマ」でもやはり攻め玉で書いてきている。家系ラーメンに使われるもやしの一生を描いた短編だが、今田ずんばあらずの本来の強みを生かした稀有な作品なので、手元にある方は是非、このことを念頭に置いて読んでいただきたい。

 まとまりがなくなってきてしまったが、この今田ずんばあらずという書き手は様々な試みを行いながら、なお自分のこだわりを全く手放さないという二面性を持っており、そこが彼の書き手としての稀有でかつ強力な強みである。そして、その相反する強みをもつ彼であるから、ぼくはもしかすると一次文芸創作界隈におけるある種の閉塞を打ち破るきっかけを作ることができるのかもしれないと思っている。彼が実際それらをどのようにとらえているかはもちろん本当のところはわからないが、進む道の途上という意味では、ぼくも彼も、実はほとんど同じではないかという想いがある。だからこそぼくは彼を応援しつつ、やはりいつかどこかで彼に何かしらで書き手として勝たなくてはならないという想いがあるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る