第1章「  」

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 いつだったかもう、覚えていない。ぼくの、ぼくとしての記憶は、東武ワールドスクウェアで、精緻にできたジオラマに見とれていたところから始まる。新幹線かなにか、その模型が動くのを、ずっと見ていた。「かれ」がいたかどうかも覚えていないが、これがぼくの最古の記憶である。両親に確認しても、一歳半だったか、二歳頃だったか判然としない。何度か東武ワールドスクウェアには連れて行っているらしい。ぼくはおそらくだが、相当に恵まれたこどもだったと思う。これは弟と比べても明らかだった。特に母はぼくと弟をあからさまに差別していたように思うし、今でもそう思う。

 もっとも、それは「かれ」のはなしにつながるところではない、本筋に戻ろう。

 「かれ」は、ぼくの記憶の中に溶け合って、最初から自然に存在していた。それは雲の中のひとつぶの水滴のようだった。だから「かれ」のはじまりはとてもあいまいだった。

 ただ、ぼくがはっきりと「かれ」を認識したのは、小学三年生のある夏休みの日だった。なぜか覚えてはいないが、担任の先生とともに学校のクラスメイトたちと花火で遊んでいた夜、ふとぼくは草が不自然に生い茂っている場所を見つけた。よく見ると、そこだけ草が枯れていた。誰かが立ち小便をしたのか、除草剤をまいたのかはわからない。

 あれを燃やしたらどうなるだろう。

 そう思ったときには、花火は枯れ草の方へ向かい、無数の火の粉が枯れ草に降りかかった。枯れ草に火がつき、見ていた担任が飛んできて、げんこつを食らった。

 人間誰しもそういうことはあるだろう。けれど、ぼくはこの出来事が「かれ」の初めての目覚めであったように思う。ぼく自身の意図しているところとは離れた意識が、そのまま行動に影響するという、「かれ」の干渉を意識した最初の出来事だった。

 それからぼくは、年に数回くらい、自分でも不可解な行動を起こすようになった。母親は精神的にあまり強くないので、何か問題行動をするとすぐどうしてそういうことをしたのか詰問されながら体罰を繰り返していたのだが、そもそも理由がわかっていたらやるはずがないのだ。それくらいの愚行を繰り返してもなお、ぼくは生き続けていたし、順調に「かれ」は「成長」していったのだろうと思う。

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