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 「かれ」はぼくの鬱屈を糧にして成長していったような形跡がある。それはぼくがブログをやったり、小説を書いていくことで徐々に姿を現すようになった。ぼくと「かれ」の書いた文章は、おそらく常人にはわけ隔てがないように見えるかもしれない。けれど、ぼくが見れば、ぼくが書いた部分と、おそらくそうではないのではないか、と疑う部分がどちらも存在している。これが明確になったのは、自分で文章を書き始めた十代の頃からだろうと思う。ひざのうらはやお、を名乗り始めたとき、ぼくは文章を書くときは別の人格である、と定義し、設定した。それはあながち嘘ではなく(今もそうではないと言い切れないが、当時のぼくはとにかく嘘しか言わないことでクラス内で身を立てていた)、実際に小説を書いているときの自分は、そうでない時の自分とだいぶ考えていることが違っていたし、書かれたものは普段のぼくが考えることと全く違うものばかりだった。

 ぼくが初めて小説と定義しうるものを書いたのは、中学三年生のときである。学校の授業の中で、選択講義というものが存在した。ゆとり教育の施行された時代ではあったが、ぼくの通っていた中学および高校は中高一貫の男子校で私立だったため、土曜日の授業がふつうに存在した。その中で教員が好きに講義をできるプログラムが存在していて、生徒も同じように自由に講義を選択して受講できるという仕組みの、大学のようなものであった。このプログラムがなければ小説家ひざのうらはやおは存在しないかと言われるとたぶんそんなことはないのだが、少なくともひざのうらはやおという存在が母校の教員に認知されるという事態はなかったはずだ。

 その、プログラムのひとつに、年輩の先生が開設していた「短編小説を書いてみよう」というものがあって、いろいろな短編小説を読みながら、自分で小説を書いてみよう、という内容で、最後の二週は先生の校正を元に最終稿を作り上げるというものだった。

 実は、小説とよんでも差し支えのない文章は、これまでも書いていた。ぼくの最初の「作品」は幼稚園の卒業文集に載せた「ごみばこ」だし、それ以後も自作の世界の出来事を会話文形式にして大学ノートに書きつづっていたり、それが徐々に小説の様な様相を呈してきたのではあるが、ぼくが今、あえてそれらを小説と呼ばなかったのは、この授業によって、初めて自分の作品を「人に読ませる」という意識が生まれ、それを前提にしたものを書いた初めての経験だったからである。非常に多くのだめ出しをいただき、短編「臨死体験」は完成した。とはいってもこの短編は、すでに元の原稿を喪失しており自分でもどんな文章だったか思い出せない。たぶん、描写とか構成の力はそんなに今と変わっていなかったと思う。話の中身としては、主人公が通り魔にあって生死をさまよい、あの世に向かう中で三途の川の前で死んだはずのおばあちゃんに「あんたはまだここに来ちゃいけない」って言われてなんとか生還する、というようなものだったはずだ。ここでの経験が、「人に読んでもらうことを前提として何かを書く」という経験の原体験になったし、ぼくにとっての小説の定義は、まぎれもなくそれに準拠していることを確認できる思い出深いものだ。小説というものは、ひとに読んでもらえることを前提として書かれたものであるとぼくは思い続けているし、もちろんそれを否定する言説に対しては、自分の小説で対抗していた。そういう意識はなかったけれど、改めて観察するとおそらくそういうことなのだろうと思う。

 この時点ではまだ「ひざのうらはやお」のペンネームを名乗ることはなく、提出した小説もクラスと戸籍上の氏名をつけただけだった。上位二作品か一作品は優秀作としてその年の「○○学園作品集」というような生徒の代表作品を紹介する学内誌に掲載されるのだが、もちろん掲載されることはなく、掲載された作品もおもしろいことはおもしろかったのだが、内容を覚えていないくらいには「ふつう」だった。つまり、あの授業ではぼくを含めて強い小説を出しているひとはだれもいなかった、ということになる。もしかしたらいたのかもしれないが、少なくとも国語の教員であったあの先生の目にはとまらなかったということなのである。

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