第53話 交差する世界のノイエ・ヴェルト(その2)




『警告。機体の左腕部に重大な損傷あり。警告。右胸部に重大な損傷あり。警告――』

「う……」


 エルの損耗を告げる声が淡々と響く中、伊澄は何度か瞬きをして意識を取り戻した。コクピット内は真っ赤な色に染まり、エルの声に混じって警報を告げる電子音がひっきりなしに鳴り響いていた。


「っ、つぅ……」


 どこかおぼろげだった意識が、左腕と胸の激痛に一気に覚醒する。肘の辺りから痛みが走り、まるで腕がひしゃげてしまったような感覚だったが、無事だった右腕で触れるとキチンと腕の形はしていた。

 右の胸付近はずっと刺されたようなチクチクとした痛みがあったが、今は鈍器で殴られたように鈍い痛みを発している。まだ揺れているような感覚に頭を抑えると、ぬるっとした感触。下ろした手のひらには、黒いスーツのせいでよくわからないが、何かで濡れた感覚があった。


「……っ、そうだ、ユカリ!」


 伊澄が背後を振り返り同乗している少女を確認する。彼女は何とかシート背面のベルトに引っかかっているものの、横へ大きくずり落ち、今にもコクピット下部へと落下しそうな状態であった。


「ユカリっ!!」


 慌てて自身のベルトとリンクシステムを解除し、抱き起こす。痛みに顔をしかめながらも声を掛け彼女の様子を確認するが、伊澄自身とは違って目立った外傷はなさそうだ。だが頭を強打していたらまずい。下唇を噛んで不安を押し殺し、痛み以外の感覚が乏しい左腕で彼女の頬を軽く叩くとまぶたが動いた。


「う、く……い、ずみさん、か……?」

「そうだよ。ああ……良かった。大丈夫? 痛みは?」

「……痛ぇのはあちこち痛ぇに決まってんだろ。クソっ、なんだこのピーピーうるせぇのは。ちっくしょう、まだ頭がガンガンしやがる……って、アンタの方が大丈夫かよっ!」


 まぶたを擦りながら伊澄を見上げてユカリはギョッとした。

 伊澄の右側頭部は血で真っ赤に染まり、頬を伝って滴り落ちていた。首の辺りも紫のあざができていて何かが強くぶつかった事を示している。

 ユカリが指さしたのを見て、伊澄は「ああ、やっぱりか」と自身の負った傷を他人事のように思いながらも右腕でグイッと拭うと、耳障りな警報音のスイッチを切った。


「これくらい大したことないよ」

「いやいやいや! めっちゃ大怪我だろ!」

「頭の傷は大したことなくても結構出血するからね」


 痛みを隠してなんでもない風に装う。

 そこにリュアスがやってきて心配そうにわたわたしながら伊澄の周りを飛び回る。その様子を見ていると妙に気持ちが和んで痛みが遠のいた様な気がするから不思議だ。

 それよりも、と伊澄は気持ちを切り替えて機体の状態を右モニターに表示させる。主要パーツの欠落はなさそうだが機体のシルエット表示は真っ赤に染まっていて、無事な部分を探すのが難しいくらいだ。


「エル、脚の状態はどう? 立てる?」

『全体的に損傷は軽微です。なお、この場合の軽微とは起動に影響がないという意味で、強度面での著しい低下が生じている箇所はあります。既に損傷があった右股関節を除けば、ですが』

「うん、知ってた」


 機体を何とか立ち上がらせてみれば、やはり右脚は単なる支えにしかならない。駆動力を伝える部分が完全に断絶してしまっているのだろう。右脚を前に出そうとしてもうんともすんとも言わなかった。


「……参ったな」


 戦闘どころか歩くことさえままならない。推進剤が残っていればまだ何とかなったのだろうが、それが切れたから今の状況に陥っているのだ。あまりの八方塞がり具合に乾いた笑いさえこみ上げてきた。


「……どうするよ?」

「どうもこうも」


 継戦能力を失ってしまった伊澄には何もできることはない。できることと言えば、かろうじて無事だった正面モニターで、仲間たちの戦いを見守っていくことくらいだろう。


「脱出は……止めといた方がよさそうだね」


 白き者やシルヴェリア軍が放った魔法の流れ弾がすぐ近くに断続的に着弾している。運が良ければ逃げおおせる事もできるかもしれないが、運試しならまだコクピット内の方が分がありそう。ユカリだけでも脱出させられれば、と思った伊澄だったが周囲の状況を見て断念した。


「くそぉ……なんかできることねぇのかよ?」

「武器もなければ動けもしない。お手上げだよ。

 生きてることに感謝する以外にできることがあるとすれば、カミサマに祈ることくらいじゃ――」


 諦めのため息混じりに伊澄が肩を竦めた時、強烈な存在感を感じ取った二人はそちらへ目を向けた。

 最前線から少し離れた後方。上空に佇んでいた二機のノイエ・ヴェルトの周囲の空間が歪み、禍々しい魔法陣が展開されて膨大なエネルギーの塊を漂わせていた。


「……どう? 今度こそ命中しそう?」

「命中はすると思うぜ……

 けど、それでカタが付くかはアタシも見えねぇんだ」


 シルヴェリア軍とクーゲルの奮戦で狼型モンスターの数は減っている。倒しきったノイエ・ヴェルトはクライヴの援護に周り、白き者に翻弄されながらも何とか戦線を維持していた。

 そしてそこに極大魔法が放たれた。

 黒い閃光が白き者に向かい、著しいコントラストを作り上げる。

 夜闇をなお暗く包み込むようなそれが迫り、クライヴもギリギリまで粘って、先と同じ轍を踏むまいと白き者を引きつけ続けた。他のノイエ・ヴェルトたちも攻撃の手を緩めず、狼型モンスターを無視してでも食い止め続けた。


「■■■■っ……――」


 直撃。ひび割れたモニターの奥に映る像で、伊澄は確かにその様子を捉えた。

 閃光の色が黒から白へと変換される。膨大な質量の光子が撒き散らされ、暴力的な威力の爆風を伴ってそれはエーテリアにも吹きつけた。

 背後の木を支えに片足で踏ん張り耐える。圧倒的な熱量にまた警報が鳴り響き、機体表面の温度がみるみる上昇していくが、やがて熱風が収まっていく。


「どうなった……!?」


 固唾を飲んで爆心地を見つめる。今度こそ直撃したはずで、あの威力の中で生きていられる生物などいないように思える。だが相手はここアルヴヘイムにおいても人知を超えた存在だ。頼む、と伊澄は期待を抱くが、心の何処かではそれが楽観に過ぎない事を察していた。


「――やっぱり……!」


 それはユカリにも分かっていた。煙幕が薄くなっていくのに応じて中から薄っすらと覗く影が濃くなっていく。

 そうして現れたのは――傷だらけながらもまだ生きている白き者――ヴァッケル・グラーデの姿であった。

 尾っぽや左後ろ足が吹き飛ばされ血が滴っている。全身に細かい傷を負い、左顔面も大きくえぐれていて重篤なダメージを与えることに成功している。だが、それでもそれは健在であった。

 次第に流れる血が止まっていき、みるみるうちに骨が、肉が再生していく。その上から元の輝かしい白い毛が生え、まるで時間を巻き戻すようにして欠損した部位が真新しいものに置き換わっていった。


『そん、な……』

『今度こそ確かに直撃したはずなのにっ……!』


 届く絶望に打ちひしがれた声。それらを塗り潰すように、怒りに満ちた咆哮が響いた。


「■■、■■■■■――っ!!!!」


 終局を告げる鐘の音のように白き者の甲高い声が轟く。誰しもが希望を黒く塗りつぶされ、動くことさえままならない。結末を予想していた伊澄もまた改めて現実を目の当たりにして、コクピットの中で力なくシートにもたれるしかできなかった。

 そのシートにダンッ、と衝撃が加わった。


「何か……何かあのクソッタレをぶっ倒す方法は無いのかよ……!」

「ユカリ……」

「諦めてたまるかよ……! アタシはエレクシアに見せつけてやるんだ……! 押し付けられた未来なんざクソ食らえだってな!」


 ユカリは諦めていない。その姿に伊澄はハッとした。

 そうだ。自分はまだ約束を守っていない。エレクシアに、無事に帰ると、あの化物を倒してみせると豪語してみせたではないか。

 エレクシアとユカリを助ける。ヴァッケル・グラーデに向かった時の誓いが呼び起こされ、伊澄の目にも力が戻ってくる。


「ああ、クソっ!」髪を掻きむしり、ユカリはどこかにいるであろう少女に向かって叫んだ。「アリシアっ! アタシにもエレクシアに見せたのと同じ未来を見せてみやがれ! 絶対にぶち破ってみせてやるからなっ!」

「ユカリ……」

「伊澄さん! アンタ、アタシより頭良いんだろ! なんか方法は無いのかよっ!?」

「……分かってる」伊澄はエルに話しかけた。「機体の外観と全システムを見せて。ルシュカさんのことだ。何か隠し装備でもあるかもしれない」

『承知しました。ですが、私に把握できていないシステムが存在する可能性は皆無です』

「それはインプットされたデータが正しければ、だろ?」

『仰る意味がよく理解できませんが?』

「生みの親がルシュカさんなら、子供にサプライズの一つでも用意しておくだろうってこと」


 個性的という言葉でさえ過小評価でしかないあの彼女のことである。きっと、きっと他に何かあるはず。

 それは伊澄にとって願望に過ぎなかった。現実は期待した以上に厳しいものだ。彼もそれは理解していて、しかし現状を打破するための何かヒントになりそうなものでもあれば。そう考えていた。

 だが――現実は、絶望している者にも時には優しい。


「おい、どうなんだ? なんか見つかったか?」

「ごめん、ちょっと待ってて。気が散る」


 まばたきさえ忘れたように伊澄はモニターに食い入る。焦るユカリが声を掛けても適当にあしらうばかりで、珍しいその様子にユカリは面食らうも、邪魔をしまいと口を閉じて固唾を飲み見守る。


「……ん?」


 やがて微かな違和感が伊澄の脳をかすめる。一度は通過した項目に視線を戻し、もう一度確認する。


「……充電用のプラグ口がどこにもない?」


 今や標準となっている動力用高密度バッテリー。であれば間違いなくあるべき、外部からの充電プラグを差し込む場所がどこにもなかった。


「エル。エーテリアの動力はバッテリーじゃないの?」

『機体スペックを確認しました。動力はバッテリーとなっています』

「場所は?」

『コクピットの下方の腰の部分にあるはずです』


 言われて改めて確認してみるがそれらしいものはどこにもない。首をひねった伊澄だったが、一度そのおかしさに気づくとさらにおかしな事に気づく。


(そもそも……バッテリーでこれだけの出力と稼働時間を出せるのか?)


 頭の中にある既存の機体――第二世代機までのバッテリーパックを参考に技術の進化を加味して考えてみても到底不可能なレベルだ。しかも、中性子砲などという馬鹿げた兵器までこのバッテリーで賄っている。バルダーで技術革新が起きて革命的な超高密度バッテリーが開発されたとしても、既存製品の二倍や三倍ではきかないくらいの電力を使用しているはずだ。しかもエーテリアの機体シルエットから推測するに、現在のそれらよりも遥かに小型であることになる。


「……ありえない」


 仮に動力源がディーゼルや液化ガスなどの液体燃料を用いた内燃機関であり、それらのエネルギー密度を概算。熱効率が理論限界だったとしても不可能なレベル。であれば先程は半ば冗談だった、エルにインプットされたデータベースに、虚偽が記載されていることにも真実味を帯びてくる。

 もし、これがルシュカの仕組んだものだとすれば。


「エル。システム内のファイル検索を。動力関連で妙なファイルがないか調べて」

『妙なファイルとは?』

「なんだって良い。他のファイル名と関連性がなかったり不自然にサイズが大きかったりあるいは――クッソふざけた名前のファイルだったり」

『承知しました。少々お待ち下さい……総ファイル数3498763、検索完了。一件のファイルを抽出。音声ファイルが見つかりました。ファイル名は『どうしようもなく困り果てた英雄くんが開くファイル』です』

「なんだよそりゃ……」


 間違いない、これだ。頭痛を覚えながら伊澄は確信した。


「開いて」

『ファイルオープンに失敗しました。パスワードが設定されています』


 口元を撫でながら考える。思いつくものは一つしか無い。


「パスワードを入力。シルヴェリア語で『こんなこともあろうかと』だ」

「おいおい、そりゃいくら何でも――」

『パスワードを入力します……正解です。ファイルが自動再生されます』

「……マジかよ」


 事情を知らないユカリが呆れて言葉を失う。伊澄も苦笑を禁じ得ないが、それをこらえて聞こえてきた声に耳を傾けた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る