第15話 ガン・ポイント(その3)
ユカリが叫ぶと同時に爆音が轟き、校舎が揺れた。
埃がパラパラと舞い落ち、教室中から上がった悲鳴が耳をつんざくと、遅れて生徒たちがざわめき立つ。
そこに鳴り響く非常ベルの音。そしてまた爆発。階下からガラスが割れる、心を引き裂くような音が聞こえてくる。
「きゃああああああああっっっっ!!」
「お、落ち着けみんな!」
揺れと爆発の反響が収まり、生徒たちが一斉に窓の方へ寄っていく。「事故か?」「ガス爆発じゃないか?」「ガス……家庭科室?」生徒たちが憶測を口にし、静かだった教室が一気に騒がしくなった。
「みんな席につけ! せ、先生が見てくるからみんなは教室から――」
「……っ」
「あ、明星っ! おい、明星っ!!」
「アンタらはここから動くなっ! いいなっ!?」
教師の制止を振り切り、ユカリは教室を一人飛び出した。
廊下には別のクラスの生徒や教師が数人出ていて、しかしそれ以上何をするでもなく戸惑いながら立ち尽くしている。それを横目に見ながらユカリは階段を挟んだ隣のクラスへと走った。
「英美里っ!!」
ドアを強く開き叫ぶ。しかしながら教室の中は空っぽ。後ろ側の黒板を見れば、今日の授業割が書かれていた。
「くそっ、移動教室かっ……」
英美里のクラスの授業は化学。教室は、職員室などと同じ別の棟だ。
ユカリはギリッ、と歯をきしませると再び教室を飛び出した。階段を一気に飛び降りて一階へ。渡り廊下を駆け抜け、化学室のある隣の校舎へと走り込んでいく。
「っ……!」
そこに広がっていた光景にユカリは口元を抑えた。
焦げる臭い、満ちる煙。壁や天井は煤け、ドアは砕けてしまっている。白い壁の上で赤いものがぬらぬらと光を反射していた。
そして床には割れたガラスに混じって教師たちが幾人も倒れていた。
「おいっ! しっかりしろっ!」
ユカリは彼らに駆け寄り体を揺らす。反応はない。彼女の手に血が付いた。息を飲む。だが胸は上下しており死んではいないようだった。
その手を握り、奥歯を噛みしめる。怒りに震える中、ユカリの頭に瞬間的にとある光景が過る。
彼女は反射的にその場を飛び退いた。直後にその場所を何かが貫いていって、ポニーテールに結わった彼女の髪を焦がし、焼き切った。
着弾。そして破裂。間近で爆音が再びユカリをつんざき、燃え盛る火炎が彼女の頬を炙っていった。
ユカリは顔を覆い、熱が引くと信じられないものを見るかのように焦げ臭い廊下を見つめた。
間違いない、今のは魔法だ。体が微かに震える。
だが、どうして。ここはニヴィールでありアルヴヘイムではない。何故魔法が使われている。何故魔法が飛び交っている。
『目標発見。階段の影だ』
『承知した。すぐに向かう。間違っても殺すなよ』
そこに届く何者かたちの声。それも日本語ではなく、もう聞くことはないと思っていたアルヴヘイムの言葉だ。
間違いない。コイツらは、アルヴヘイムからやってきた連中だ。ユカリは確信した。だがどうしてそいつらが日本、それも自分の高校を襲撃している?
まさか――
「っ、考えんのは後だ……!」
ともかくも今はここを逃げ出すのが先決。それも、英美里と一緒にだ。
ユカリはガラスを踏みしめる足音を聞きながら息を大きく吐いた。拳を握り、一度閉じたまぶたをゆっくりと開いていく。
そしてユカリは影から飛び出した。
相対するのは一人、いや、職員室から出てきた二人を含め計三人。あの不思議な世界で見た景色と同じく全身を黒い装備で固め、手には時代遅れとも思える剣を携えていて、はめた小手には光を放つ魔法陣が刻まれていた。
『目標捕捉。確保する――っ!?』
そんな彼らに向かってユカリは走り出した。制服のスカートを翻し、踵を履きつぶした上履きにもかかわらず一気に加速する。
『コイツっ……』
まさか迫ってくるとは思っていなかった男たちが慌てて小手をユカリに向かって突き出す。刻まれた魔法陣が発する光が強くなっていき、魔法が発動。だがユカリにためらいはない。
鋭く睨みつけるユカリの視界で景色が別れる。似て非なる二つの視点が混ざり合い、それが一つに重なった。
ユカリは地面を蹴った。
『なっ……!?』
ユカリを狙った火球が通り過ぎていく。狙いよりも遥か後方に着弾し、その風を背に受けユカリはさらに加速する。
次々に襲い来る火球や風の刃。それらが届くよりも前にユカリは左右に跳躍しながら全てをかわしていった。
まるで――未来が見えているかのように。
『くそっ! 何故当たらんっ!』
『バケモノかっ……!?』
気づけばユカリは一足の距離にまで近づいていた。彼女の鋭い眼と武装兵の瞳が交差する。意識が彼女の瞳へと惹きつけられいく。
男の瞳の中で、彼女の瞳が赤く染まった。
『う、わあああぁぁぁぁぁぁっ!!』
殺すな、という命令にもかかわらず、男はソードを振り上げた。自分の中で何かがおかしくなる。そんな強迫観念に囚われ、そこから逃げ出そうと無我夢中で刃をユカリめがけて振り下ろした。
しかしその途中。男の肘が不自然に向きを変えた。ユカリの首をはねるはずだったソードが軌道を変え、虚しく何もない空間だけを斬り裂いた。
そして再び男の瞳に、ユカリの凍えた眼が映った。
『バケモノたぁ……か弱い女相手に言ってくれるじゃねぇかっ!!』
振り上げた掌底が男の顎を弾き上げた。次いで左フックが首を打ち抜き、止めとばかりに回し蹴りがテンプルを貫く。
意識を吹き飛ばされて倒れていく男。ユカリは彼を後ろへと蹴り飛ばし、それを盾にして二人目に接近した。
『うおおおおおおおおおおっっっ!!』
残った二人が魔法を連発していく。しかし当たらない。ユカリの髪を斬り裂き、頬の皮膚を焼き、それでも彼女はその全てを避けて疾走った。
『こっちゃぁなぁ――伊達にケンカばっかしてるわけじゃねぇんだよっ!!』
ひたすらに殴り、蹴る。徒手空拳ながらユカリは敵たちを圧倒した。迫りくるあらゆる攻撃を回避し、相手の急所を確実に撃ち抜いていく。
そうして一分も経たない後、一階に立っているのはユカリだけとなっていた。
「……ふぅ」緊張が解けて吹き出した汗を拭う。「今日は何時にも増して――よく見えるな」
ユカリが何故ケンカでいつも男相手であっても勝てるか。
それは相手が何をしてくるかを、ホンの数秒ではあるが先んじて知ることができたからだ。だいたいは分かったり分からなかったりと不安定なのだが、今日は相当に調子が良いらしく、敵の一挙手一投足全てを予測することができていた。
このおかげで基本的にケンカで負け知らずなのだが、一方で変な奴らが寄ってくるという負の効果もおまけでついてくる。それが嫌で、ユカリはいつもこの才能を疎んでいたのだが――
「アーメン・ソーメン・ヒヤソーメンってか?
クソッタレのカミさんもたまには仕事しやがる」
来年の正月には大奮発で一円くらい恵んでやっても良い。そう嘯きながら二階へと階段を駆け登っていく。
だが踊り場に差し掛かったところでまた魔法の刃が降り注いできた。どうやら連中はすでに二階も制圧してしまっているようだ。ユカリは手すりに身を隠し、魔法で削り取られた手すりの木屑を払いながら様子を伺った。
二階の敵は目視で二人。もしかすると見えない範囲に他にもいるかもしれない。数の上でも不利だが、敵は武装済み。こちらは素手。ついでに高い位置も取られている。自分みたいな可憐な少女が鍛え上げられた連中に挑むなど、映画にすればさぞかし映えるだろうが、現実でやるなんて何の冗談だろう。
「……冗談とはいえ、いざ自賛してみると恥ずかしいな」
ここに伊澄がいれば「どこが可憐だよ!」とツッコミの一つでも入れてくれただろうが、今は自分一人。自力でなんとかするしかない。
「空っぽの頭でもちったぁ使えよ、アタシ……」
一階では直線だったために何とかなったがここは階段で足場が悪い。速度は出ないし幾ら今日が調子の良い日だと言っても限度はある。未来を見るのはこれでも疲れるのだ。
「何か……アイツらの気を一瞬でも逸らす方法がありゃあな」
しかし攻撃手段は格闘のみ。仲間もいない。自分の持てる武器といえば未来が見えることくらい――
「あ――」
そこでユカリは気づいた。もう一つあった。それは武器ともいえないものだが、ひょっとしたらひょっとするかも。少なくとも、敵の気を逸らすくらいの効果はあるかもしれない。
迷っている暇はない。ユカリは決意した。
「男は愛嬌……女は度胸ってなぁっ!!」
叫びながら彼女は飛び出した。
それと同時に壁の影から姿を現す敵。駆け上っていくユカリに向かって、一階の敵と同じ様に魔法陣の刻まれた小手を向けてきた。ユカリを焦がし、或いは斬り裂こうという光を放ち始める。
だがユカリはそれに臆することなく、あるフレーズを口ずさんだ。
「えめり・なむ・いぐにしあ――」
それは起動キー。シルヴェリア王国に連れて行かれた時に耳にした、ユカリが唯一覚えている魔法。怪しげな発音のそれを彼女は叫んだ。
『魔法だとっ!?』
『うろたえるな! しょせんハッタリ――!?』
面食らったのは敵兵たちだ。高を括って応戦しようとするも、しかし彼らの予想を裏切ってユカリの手のひらが薄暗い階段の中で光を放ち始めていた。
魔法は間違いなく起動。戸惑いながらも敵たちはユカリに魔法を放たせまいと先に自らの魔法を発射していく。
それをユカリは当たり前の様にかわしていく。風の刃が頬を斬り、炎弾が茶色の髪を焼き切る。額に汗が光り、頭痛によって眉間にシワが寄る。だが彼女はひるまずに光り輝く左腕を彼らめがけて突き出した。
「くらいやがれぇっ! ファイヤーボールっ!!」
『くっ!』
やむなく敵兵たちは再び壁の奥へ身を隠した。「ファイヤーボール」という魔法は聞いたことがなかったが、その前の起動キーには聞き覚えがある。王国騎士団が使う炎系の攻撃魔法で、使う者によっては相応の威力を持つものだ。直撃すれば命が危ない。
しかし彼らの間に飛んできたのは――ちっちゃな「線香花火」だった。
『――は?』
唖然とする二人の兵士。指先大しかない火の玉はひょろひょろと蛇行しながら二人の目の前を通過し、やがてぽてん、と情けなく床に落下。ジュッと線香を水に浸けた時のような悲しい音を残して消えたのだった。
『なんだこれは……っ!!』
「どおぉぉぉぉらぁぁぁぁぁっっっ!!」
そこにユカリが飛び込んだ。階段を駆け上がった勢いそのままに二階へ飛び出し、呆気にとられていた敵兵たち目掛けてそのしなやかな脚を振り上げる。
『がっはぁっ……!』
『このっ!』
「遅ぇんだよっ!!」
一方の頭をハイキックで壁に叩きつけ、意識を刈り取る。もう一方の男がユカリに小手を向けるも、彼女はすばやくその腕を叩き飛ばし、右フック。そして止めに縞パンを晒しながら回し蹴りを後頭部へと叩きつけた。
蹴り飛ばされた男はその勢いのまま窓ガラスを突き破った。大きな破片が外に落下してけたたましく耳障りな音を立て、男の上半身が窓枠から外には晒される。そのままピクリとも動かない。
「そんまま天日干しにされてろ、クソッタレが」
頬から流れる血を指で拭い、完全に気を失った兵士に向かって吐き捨てる。もう一発ケツを蹴り上げてやろうかとも考えたが、そんな事をしている場合ではないと思い直し、英美里がいるはずの化学室へ体を向けた。
しかし。
『いやはや、なんとも元気な嬢ちゃんだ。エレクシア嬢ちゃんが手を焼いたってのも分かるってぇもんだな』
ユカリをからかうような、低い声がユカリの背に届く。
まだ敵がいたか、と彼女は警戒度を上げていく。隙さえあれば急襲することも頭に入れながら、ゆっくりと話しかけてきた男に振り返った。
そして――彼女は固まった。
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