第14話 ガン・ポイント(その2)
その日もまた、ユカリはいつもどおりに登校していた。
他の生徒たちが登校してくるよりも早く教室に入り、ぼんやりと外を眺めて時間が過ぎるのを待つ。授業中は面白そうな話には耳を傾けるものの、それ以外は自分で教科書をなんとなく眺めたり、或いは休憩時間に抜け出して屋上で大の字になって寝たりしていた。
昼になるとそのまま屋上でランチ。登校途中にあるコンビニで買った惣菜パンを、風に吹かれながら一人で黙々と頬張る。寂しさはない。これがユカリにとって当たり前のことだから。
「さて……戻るか」
食べ終わったゴミをポケットに突っ込むと、屋上の中でも一番高い給水塔の上から飛び降りて軽やかに着地する。そこに、この季節にしてはやや冷たさを感じさせる風が吹き付け髪を揺らした。
空を見上げれば、黒い雲が迫ってきていた。今年は空梅雨気味だったが、どうやら今日は雨のようだ。
カッパ持ってきてたっけな、とおぼろげな朝の記憶を辿りながら校舎内に入り階段を降りていく。もうまもなく授業が始まるはずだが、まだ廊下には多くの生徒がいて、ユカリはポケットに手を突っ込んだまま生徒らの間を通り過ぎていく。
「あー、ユカリっ! こんなとこにいたっ!」
そんな彼女を追いかけてくる声が届く。振り返れば小柄な美少女がいた。英美里だ。
「ユッカリーンっ!!」
英美里はユカリを見つけると途端に破顔しデレデレになる。そして彼女に向かって跳躍。両手を大きく広げて抱きつこうとしてきた。
「……」
「へぶしっ!?」
だがユカリは無言でスッと避け、抱擁を逃した英美里は無残にも床にダイヴ。びたーん! と音を立てて潰れ、周囲の生徒も何事かと一瞬静まり返る。しかし相手が英美里だと気づくと何事もなく会話を再開しようとしてその眼でユカリの存在に気づき、そそくさと教室へと戻っていった。
「……ひどくない、ユカリン?」
「ひどくない。つーかお前、いつもいつもアタシにベッタリしすぎだろ」
「えーだってぇ、ユカリンって抱き心地サイッコーに気持ちいいんだもん」
「アタシはお前の抱きまくらか」
「いいじゃん。だから、ね? ちょっとだけ、ホンの先っちょだけでいいからさぁ」
「エロオヤジか、お前は……」
ていうか先っちょってどこのだよ、とツッコミを入れかけたところで予鈴が鳴る。それを聞きながらユカリはこれ幸いと英美里のサラサラした髪を乱暴に撫で回し、自分の教室へと戻っていく。
「ウチの店はおさわり禁止だ。じゃあな」
「ぶー!」
ふくれっ面で抗議の声を上げる英美里だったが、何かを思いついてポンッと手を打ち鳴らした。
「そだ、ユカリンユカリン! たまには放課後遊びに行こーよ!」
「わりーな。今日もバイトなんだ」
「えー……そっかぁ、なら仕方ないなぁ……」残念そうに肩を落として背を向ける。「あーあ、駅前に新しいケーキ屋さんができたから行ってみようと思ったんだけどなぁ」
ケーキ屋、という言葉を耳にした途端、ユカリの脚がピタリと止まった。
「あー、どうしよっかなー。一人で行っちゃおーかなー。ユカリにはお店、教えてあげないけど」
「……バイト前にちょっとだけ付き合ってやるよ」
聞こえよがしに大きな独り言を英美里がつぶやく。
ユカリは逡巡し、果たしてあっけなく陥落した。
バツが悪そうにチラリと英美里の様子を伺えば、まるで某ボクシング映画の主人公の如く大げさなガッツポーズをしていた。いったい自分と一緒に遊んで何が楽しいのだろうとユカリは思うが、英美里の独特の感性など考えても無駄だろう。
「んじゃ放課後ユカリの教室に行くから待っててね! 絶対だからね! 置いて帰って私を放置プレイしないでよ!!」
「わーったわーった」
「あ、でもそれはそれで……」
「どっちだよ」
頬を赤らめてくねくねと体をくねらせる。相変わらずぶれない英美里に、ユカリはため息をつきながら手を振り、だがたまには英美里に付き合ってやるのも悪くないかとも思う。少々、いやかなりうざったく絡まれるのが目に見えているが、新作ケーキが食べられるならそれくらいは甘受してやろう。
英美里と別れて教室に入ったユカリは窓際の最後列に腰掛ける。それとほぼ同時に午後の始業を知らせるチャイムが鳴った。
気の弱そうな古典の男性教師が入ってきて、眠りを誘うような声で授業を開始する。その瞬間、ユカリは迷うことなく机に突っ伏した。我ながら何のために学校に来てるんだと突っ込みたくもあるが、どうせこの教師の授業は聞いても分からない。ならば家に帰って自習する方が時間を有効に活用できるだろう。そう自己弁護しながらユカリは眼を閉じた。
そうして何事もなく時間は過ぎていく。壁に掛けられたアナログ時計が時を刻んでいく。
午後の授業が始まって二十分ほど経った頃、ユカリはゆっくりと眼を開けた。
(なんだ……?)
急に違和感を覚える。頭の中がむず痒く、何かが這いずり回っているようだ。髪をかきむしってもそれは収まる気配を見せず、不愉快さだけが募っていく。
やがてそれは頭痛へと変わっていき、時計の針が動く度に痛みが増していった。
そしてユカリが大きく顔をしかめた時、真っ白な光が彼女を取り込んだ。
「……っ!」
ユカリは光の奔流の中に立っていた。そこは何度か見た、あの人形のような少女がいる世界だ。その事に気が付き、ユカリは少女を探した。
時が止まったかのようにユカリは静止した。これまではこのまましばらくすると少女が現れ、笑顔とも言えない笑顔を差し向けてきた。だが今回はそうはならなかった。
再び世界が加速していく。吹き飛ばされそうな突風がユカリに押し寄せた。両腕を顔の前で交差し、光と風の暴風から身を守る。その交差した腕の隙間から世界を覗き見て、彼女は言葉を失った。
そこに溢れていたのは大量のモニターたちだ。大小様々な長方形のモニターたちが次から次へと現れてはユカリを取り巻いていっていた。
モニターに映し出されていたのも、やはり様々だった。中世の騎士たちが戦っているファンタジックなものから歴史の教科書に載っている大昔の農耕の風景。かと思えば見たこともない高度な技術や建物が溢れたものまである。
「ここはいったい……?」
言葉を失いながらもユカリは歩いていく。周囲に音はなく、自身の足音もない。
「っ……」
険しい表情であてもなく歩いていたユカリだったが、ある一つのモニターが目に留まり脚を止めた。
そこにいたのは――ユカリ本人であった。その向かいには英美里もいる。抱きついてきた彼女をユカリがかわし、床に貼り付いた英美里がむっくりと起き上がるところだ。
「これ、さっきの――」
モニターの中で時間は進み、英美里の提案を一度拒否したユカリが気まずそうに振り向いている。間違いない、つい先程に交わしたやり取りがそこに映し出されていた。
どういうことだろうか。ユカリは恐る恐るそのモニターに近づいていき、そっと指先で触れた。
その瞬間、淡い光が溢れた。青白いそれがユカリの指先から伝わっていき、やがて全身を覆い尽くした。
「ぐぁっ……!」
そしてそれと同時に激しい頭痛がユカリに襲いかかる。だがそれも一瞬。次いで頭の中に叩き込まれていくのは見知らぬ世界だった。
いや、知らない景色ではない。学校だ。ユカリの通う北神学園の校舎だ。だがそれでも彼女はそれが自分の知る場所だと思えなかった。
燃え盛る校舎。砕けたガラス。響く悲鳴と倒れる生徒。非常ベルが耳をつんざき、黒い服を着た男たちが廊下を駆け抜けていく。
焦げる匂いと血の匂い。こんなもの、知らない。ユカリは慄いた。知らないはずだ。なのに、ひどく現実味を伴っていて、頭の中が混乱していく。
それでも頭の中でだけ認識したその匂いを、ユカリは記憶している。そう。いつだったか、ユカリは以前にもこの景色を見たことがある。
(そうだ。アタシは知っている――)
何者かに学校が襲われて、建物が壊されて。日常が壊されていって。
ユカリが思い起こす間にも頭の中を巡る景色は進んでいく。過去と今。二つの景色が重なっていく。そうだ、廊下に出ればたくさんの人が倒れていて、走って、走って、走って。辿り着いた先には黒服の男が立っていて。
そして、その腕の中には――
「はっ……!」
ガタンッ、と響いた音でユカリは我に返った。
机に両手をついてユカリは立っていた。限界まで全力疾走を続けたように肩で息をし、頬を伝って顎先からポタリ、ポタリと珠のような汗が机の上に落ちていく。
授業をしていた教師の声は止まり、静まり返った部屋の中でクラス全員の視線がユカリに集まっていた。
「……ど、どうした、明星?」
突然立ち上がったユカリに戸惑いながら古典の教師は声を掛けた。しかしユカリの耳には届かない。
彼女は顔を上げると窓枠に手をついて勢いよく外へと上半身を乗り出した。ただでさえ鋭い眼をいっそう鋭くしてグラウンドの方をにらみつける。
「おい、明星」
どこか及び腰ながらも呼びかける教師に、だがユカリは「黙って」と言わんばかりに手のひらを向けた。
「……」
ユカリは外をジッと見つめ続けた。しかしそこには誰もいない。眼を閉じる。耳を澄ませる、というよりもそれは他の情報を遮断し、何かに集中するかのような素振りだ。
教師の声も、教室のざわつきも、何もかもを遮ってユカリは自身の中に埋没していく。
景色、音。未だ到達し得ない舞台が、より鮮明に頭の中に浮かび上がっていく。
ユカリには見えた。
「明星! 何が気になるのか知らないがともかく座りな――」
「伏せろっ!!」
振り返りユカリが叫ぶ。
直後、爆音が耳をつんざいた。
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