第10話 ここに立つ意味(その4)






「……え?」


 ユカリの言葉を上手く飲み込めず、伊澄は戸惑った。それを察したユカリは言葉を探して視線をさまよわせた。


「あー、なんつーのかなぁ……伊澄さんの話聞いてっとさ、やたら正解だ不正解だってことに拘ってるような気がしてさ」

「……そりゃそうだよ。誰だって間違えたくはないだろ? できるなら正しいことをしたいって、当然じゃないか」

「いや、そりゃそうなんだけどさ」ユカリはブランコを漕ぎ、勢いよく飛び降りた。「明らかに間違ってるって言い切れることなら話は簡単だろうけど、さっき伊澄さんも言ってたじゃん? 正しいって思っても違う見方もあるって。それって結構色んなことに当てはまる気がするんだ。

 正しい、正しくないってよりは、他の連中にとって受け入れられるかそうじゃないかだとアタシは思う」

「他の人に受け入れられるか……」

「でもそんなのってやってみなけりゃわかんねーじゃん? しょせん他の連中がどう感じるかだからさ。ピカソの感性なんてアタシにゃさっぱり理解できねぇし、親だってアタシの感性なんざ理解しちゃいねぇ。

 だったらさ、正しいとか正しくないとか、ンなことに拘るよりか伊澄さんがどうしたかったかってことが大事なんじゃねぇかなってアタシは思うわけよ。たぶんそれが伊澄さんにとって『正しい』ってことじゃねーかなぁって」


 ポケットに手を突っ込んで夜空を見上げるユカリを伊澄は見つめた。

 言われてみれば彼女の言うとおりかもしれない。物の見方は一つじゃなくて、人によって色んな顔を見せる。伊澄自身が口にしたばかりだ。きっと万人にとって『正しい』と言えることはないのだろう。

 自分は常識に囚われ過ぎているのかもしれない。いや、他人の眼を、評価を気にしすぎているのだろうか。仕事でも周りと比べて勝手に腐ったり、一つの評価に一喜一憂したり。誰かに褒められることを、認められることを渇望したり。


(伊澄はマイペースな様で周りに振り回されやすいからね)


 先日の貨物船でのソフィアの言葉が頭をよぎる。なるほど、彼女はよく自分を見てくれている。そしてユカリもまたそうだ。果たして彼女たちが慧眼なのか、それとも伊澄自身がポンコツなのか――


「おい、こら。せっかくアタシがガラにもねぇこと言ってんだ。なんか言えよ。恥ずかしいじゃねぇか」


 その思考は、目の前にニュッと現れたユカリの不機嫌そうな顔で中断された。


「あ……いや、ごめん。あんまりにもまともな回答が返ってきたから面食らっちゃって――」

「いーさ。どうせアタシは伊澄さんと違ってバァカだからな。あーあ、心配して損したぜ」

「ごめんって。そんなつもりじゃなくって、凄く考えさせられる答えだったから――」

「ソコデ何ヲシテイルノデスカ?」


 ふてくされたユカリを伊澄がなだめる。そんな二人の間に割って入ったのはカタコトのだった。

 ユカリと伊澄の双方が同時に振り返れば、そこには制服を着たアンドロイド型の巡回警備員が居た。それを見た瞬間、伊澄の顔から血の気が引いた。

 今やロボットと言えばノイエ・ヴェルトを誰もが思い浮かべるが、むしろ町中であれば小型の自立型ロボットの方が溢れている。店内への誘導や受付、道案内など、到るところに配置されて生活の助けとなっているが、その中で最も目にするのがこの警備ロボットだろう。

 人と一見して区別がつくように敢えて機械部分をむき出しにし、声も露骨な合成音声に調整されたそれが近寄ってくる。

 しまった。伊澄は焦った。ユカリの手にはタバコとビール缶がある。いつもは大きな通りや店の前でしか見かけなかったので油断していた。こうなれば逃げ出すこともできない。

 ロボットは二人の前で立ち止まり、単眼のレンズをそれぞれに向けた。


「顔認証データベースト照合……羽月・伊澄、明星・ユカリデアルト確認シマシタ。

 明星サン、アナタハ未成年デス。未成年ノ飲酒ト喫煙ハ法律デ禁ジラレテイマス」

「す、すみません! 僕が一時的に持ってもらっただけですから。ほら、ユカリ! 返して!」

「明星サンノ呼気カラアルコール、ト、タール成分ヲ検知シマシタ。隠蔽シヨウトシテモ無駄デス」


 慌ててユカリの手からタバコとビール缶を取り上げるも、ロボットには通じない。ほぞを噛む思いだったが、対してユカリは慌てる様子はなく面倒そうにため息を漏らすだけだ。


「あーハイハイ。分かってるから。今日で最後だから見逃せって」

「ソレハデキマセン。警察ヘ連絡シマスノデソチラデ罰金ヲ払ッテクダサイ」


 警察へ連絡が行けば当然彼女の通う高校にも連絡が行く。もちろん悪いのはユカリと止めなかった自分なのだが、彼女の将来に影響が出る事態は何とか避けたい。こうなったら警察に行ってすぐに学校への通報を止めるよう直談判をするしかない。土下座でもなんだってしてやる。伊澄はそう決めた。

 だがユカリはもう一度深々とため息をついた。そこには焦りも何もなく、ガリガリと頭を掻いただけだ。

 そしてロボット警備員のレンズを、彼女は鋭い目つきで覗き込むと告げた。


「はぁ……だから言ってんだろ。

 ――見逃せ」


 途端にロボットが黙り込む。動きが止まった。

 伊澄の喉が鳴る。何が起きている? 冷や汗が伊澄の額を流れ、やがて小さくキュィィィィ……ンとモーターの駆動音が鳴り始めるとうつむきがちだった単眼レンズが上がった。


「カシコマリマシタ。今回ハ見逃シマスガ健康ノ為ニモ、オ止メニナル事ヲオススメシマス」

「え……?」

「へいへい。分かったからとっとと行けって」


 シッシッとユカリが手を払う。警備ロボットはそのまま踵を返すと何事もなかったように通りの方へと消えていった。


「……いったい何が?」


 アンドロイド型警備員は融通が効かないことで有名だ。逮捕したりする権限はないが、こういった違反を見つけた場合は例外なく通報するし、泣き落としや言い訳に忖度することはまずない。

 ――はずなのだが。


「安心しなって。アタシも伊澄さんも警察の世話になるこたねぇからさ」

「……何をしたの?」

「別に。ただなんか昔っからアタシが命令すっとアイツら見逃してくれんだよな。流石に人間のマッポには通用しねぇけどな」

「何その特殊能力?」

「知らねーよ。気づいたら使えたんだし、便利だからそうしてるだけ。理由に興味なんてねーよ。

 あーあ、なんかシラケちまったな。眠くなってきたし、アタシはそろそろ帰るぜ。伊澄さんは?」

「……そだね。僕もそうするよ」

「まあ、なんだ。伊澄さんもあんま考えすぎねぇ方が良いと思うぜ? じゃねーといつか――ハゲるぜ?」

「余計なお世話だよ!」


 ただでさえ最近抜け毛が増えてきたような気がするのだ。特にここ数ヶ月のストレス具合を考えるとリアルさが冗談ではすまない。


「くくくっ! そうそう、悩むよりかそうやって叫んでる方がよっぽど良いぜ! んじゃな!」

「気をつけてね! それと、今度お店に買い物に行くよ!」


 ケタケタと笑いながら楽しそうに公園をユカリは去っていき、伊澄もなんだかどうでも良くなって声を張り上げて見送った。

 夜の住宅街に二人の声が響き渡り、やがて夜空に吸い込まれて消える。伊澄はまた空を見上げ、つぶやいた。


「僕がどうしたいか、か……」


 自分ではそうしたいから、するべきだと思うから動いているつもりではあるのだけれども、そう思ってるのは自分だけで知らず知らずのうちに周りに動かされているのかもしれない。


「……難しいけど、反省してみるか」


 どうせこれから考える時間は山ほどあるのだ。その間に自分が何をしたいのか、これからどうしていくか身の振り方を考えてみよう。片岡から紹介された話のこともあるし、転職もいよいよ本気で考えてみるのもいいかもしれない。

 すっかり軽くなったビニル袋をひっつかみ公園を出ていく。彼の頭上では魔素のオーロラが一層うねりを伴っていた。




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