第11話 ここに立つ意味(その5)





 重厚な木製の執務机。その上でペンが小気味よい音を奏でる。次いでトン、と判をつき、サインと印の両方が終わった紙を白い腕が机の左隅に重ねていく。

 チラリと彼女がそちらを見るとすでに処理済み書類の山は高くなっていて、対して反対の未処理の山は低くなっている。時計を見ればまだ日が沈む前。この分だと今日は早く仕事を終えられそうだった。

 俄然やる気が出る。サインをする速度も上がっていく。彼女の頭に浮かぶのは、ベッドに入って酒とチーズをつまむ時間。毎晩のそれが今は一番の楽しみなのだ。

 しかし。


「エレクシア様、こちらが本日最後の書類になります」


 シルヴェリア王国の実質的指導者であるエレクシア・ヴィンダールヴ王女殿下の秘書官がノックと共に入ってきて、書類の山を再び高くした。

 ――また今日も執務机での夕食が決定した瞬間であった。


「ありがとう、リズリール」


 押し寄せる絶望感。エレクシアは頭を机にぶつけたくなる衝動をかろうじてこらえ、顔の筋肉を無理矢理に制御してたおやかな微笑みに繕った。


「いえ、もったいないお言葉です」

「そういえば今日は、久々に殿方が商いから戻ってくるのでしたかしら?」

「はい。共和国での店舗立ち上げが無事に軌道に乗ったので一度戻ってくると連絡がありました」

「そう。ならば今日はもう上がってもいいですわよ。旦那さまをゆっくり労ってあげなさい」

「……ありがとうございます。ではお言葉に甘えさせて頂きます。エレクシア様も無理はなさらないでください」

「ええ、分かっているわ」


 リズリールが一礼して部屋を辞していく。それをエレクシアは笑顔で手を振りながら見送った。

 だが一人になったその瞬間――


「……うがああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!」


 発狂した。


「なんでっ! こうっ! 次から次へと書類がやってくるんじゃぁぁぁぁぁっっっ!!」


 ガンガンガンと机に頭を叩きつける。メタルバンドのヘッドバンギングよろしく高速で頭を振り乱し、頑丈な机を破壊せんばかりの勢いである。


「なにがっ! 『旦那さまをゆっくり労ってあげなさい』じゃああああああ! 旦那よりこっちを労れっちゅうんじゃああああああっっ!!」


 妙にリズミカルなドラム音が執務室に響き渡るがそこは腐っても王女である。醜態を感知されぬように防音の魔法を掛けているため異常に気づいた職員がやってくる気配はない。

 ひとしきり暴れまわり、やがてグッタリと彼女は机に突っ伏して動かなくなった。


「はぁ……ノイエ・ヴェルトはかなりの部分を勝手に制御してくれるというのにのぅ……勝手にサインしてくれるマシンを誰か作ってくれぬものか……」


 ノイエ・ヴェルトに使われている技術を流用すればそんなシステムはできるだろうが、如何せん現状ではそんなものに予算を割く余裕はない。もちろんエレクシアとてそのくらい理解しているが、年若い女性である。自ら望んで今の立場に立ったとはいってもたまには同世代の女性たちと同じ様に遊び回ってみたいものだ。


「……アホらし。さて、少しでも早く寝るためにもうひと頑張りするかの」


 暴れたおかげで多少は気が晴れたか、一度パチンと自分の頬を叩いて気合を入れ直し、新たにやってきた報告書を手にとる。するとまたすぐに彼女の整った顔がしかめっ面に歪んだ。


「これもまた……頭の痛い案件よのぅ」


 彼女が読んでいるのはニヴィールに派遣している職員からの報告書であった。

 報告内容はニヴィールの日本にいる男女の監視に関する状況報告。

 つまりは羽月・伊澄と明星・ユカリの二人。共にエレクシアが一度は手中に収めながらも逃してしまった面々だ。何とかして再びシルヴェリア王国へ連れてきたいと考えているが、中々その機会を得られずにいた。


「よりによってバルダー、か……」


 その名を口にした瞬間、口の中に苦いものが広がった。エレクシアはそんな感覚を覚えた。

 バルダーの事はアルヴヘイム各国上層部でも有名だ。重職についている者でその名を知らないものはいない。

 元はかの獣王国の再興のためにニヴィールで設立され、今もそのための動きが無いわけではないが、どちらかと言えばそのようなイデオロギーよりも営利組織としての理論に基づいて活動をしているような印象を受ける。

 金さえ払えば、ニヴィールのどのような政治的な背景を持つ依頼人からの依頼だって受ける。ただしテロ組織や破壊活動を優先するような依頼については一切受けないし、獣王国に配慮しているのかアルヴヘイムではあまり獣王国に敵対するような活動してはいないようだ。

 組織の全容は不明。依頼受けの明確な基準も不明。エレクシアのような政を担う者からすれば御しがたい厄介な存在だ。

 だが何より厄介なのは、シルヴェリア王国と伍する能力を持つノイエ・ヴェルトを運用していること、そしてアルヴヘイムとニヴィール双方において巨大な組織力と人員を運用できる能力だ。

 伊澄とユカリに逃げられてからも当然エレクシアは彼らに追手を放った。だが報告書によれば、ユカリには常に日本政府の諜報機関が張り付いていてバルダーもそれを支援している。伊澄に至ってはバルダーに在籍してしまった。

 後者に関しては最近辞めたとの情報が上がってきているが、彼の周りにもまだ常に監視役が張り付いている。


「ぬぅ……こちらの意図はバレてしまっておるし、いっそのこと強引な手を使ってでも……いやいや、それだとこちらの損害も馬鹿にならんな……」


 バルダーは日本政府の監視役と違って武力行使にためらいがない。最初にユカリを連れてきた時のように日本政府だけであれば強行することも不可能ではないが、バルダーが絡むと難易度は跳ね上がる。エレクシアの部下の安全を考えれば、伊澄はユカリ以上に手が出しづらい存在となってしまっていた。


「……今後のことを考えればやはり伊澄とは健全な関係を築いておきたいしのぅ。あの男を利用しようとしたのは確かじゃが、一度腹を割って謝罪をした上でキチンと協力してもらうのが得策じゃろうて。少なくとも頭ごなしに拒絶するような男ではあるまい。

 ユカリの方も……まあ、おしとやかとは無縁じゃが狭間の世界フレストヘイムにアクセスできる人間は貴重じゃしの。ワタクシだけでは不確定な要素も多いし、未来予測の精度を少しでも高めるためにはあの女子おなごにも協力を――」


 椅子にもたれかかって頬杖をつきながらブツブツと一人つぶやいていたエレクシアだったが、トントンとノックされた音で思考を中断した。


「はい、どなたでしょうか?」

「クライヴです。お客様をお連れ致しました」


 即座に王女としての仮面を被り直し、穏やかな口調で誰何を尋ねるとノイエ・ヴェルト部隊長であるクライヴの声が届く。なんじゃ、クライヴかとエレクシアは肩の力を抜いて招き入れようとしたが、ハタと気づいた。


「お客様、ですか? 本日にそのような約束はありましたでしょうか?」

「……いえ、約束はありません。が、その、おしかけてきたと申しますか、乗り込んできたと言いますか……」


 クライヴにしては珍しく歯切れが悪く、まるでエレクシアと客人を会わせたくないかのような反応である。エレクシアが怪訝そうに眉根をしかめていると、そこに豪快な大声が響いた。


「なぁにごちゃごちゃ言ってんだよ! ほれ、さっさと入れろ。つか勝手に入るぞ!」

「あ、こら、勝手なことをするんじゃない――」


 クライヴの制止も虚しく、王女の執務室が「バァン!」と勢いよく開け放たれた。

 そして扉の向こうに立っていたのは――壮年の偉丈夫だった。

 二メートル近い長身と服の上からも分かるほどにがっしりした肉体。短く刈り込まれた黒い頭髪には中央から右に掛けて赤い毛髪が走り、それ以外に微かに白いものが混ざっているが、その目つきや放つ覇気は若々しく勢いがある。もみあげから顎にかけてひげを生やしていて、体格や粗野な言葉遣いを鑑みるまでもなく、どこかの山賊と言ってもおかしくない印象の男だ。


「よっ、嬢ちゃん! 久々に遊びに来たぜ!」

「オルヴィウス! 貴様はいつもそうやって王女様に気安く接しおって! 私の権限で出入り禁止にしてもよいのだぞ!」

「騎士様がそうプリプリ怒んなって。ほれ、嬢ちゃん見てみろよ。全く動じてねぇぞ?」

「だから王女様を気安く呼ぶなと言っているだろう! この山賊風情が!」

「テメェ! また山賊っつったなっ!? 山賊じゃねぇってつってんだろうが! 傭兵だって何回言や覚えんだクソ騎士が!」


 オルヴィウスと呼ばれた男とクライヴが額を突き合わせ、バチバチと火花を散らす。


「はぁ……」


 そんな二人を眺めながらエレクシアはため息をついた。

 自称した通り、オルヴィウスは傭兵だ。今はあたかも正規の軍人であるかのように真っ当な制服に身を包んでいるが、紛うことなく依頼を受け戦って日々の糧を得ることを生業としているものである。正規の軍人でないのに制服を着せているのは、そうしないと平然と黒いタンクトップに汚れたズボンでやってくるからである。

 見てくれが荒くれ者な人物がそんな格好でやってくればクライヴが評したように山賊扱いされても仕方がなく、当然そんな輩を王城内に入れるわけにいかない。だがオルヴィウスという男は妨害されても「ならば押し通る!」とばかりに強行突破をためらわない。そのために門兵とトラブルが多発し、しかたなく古いデザインの軍服とマントを貸し与えたのであった。

 普通はそうした制服などを着慣れていないと不自然さが際立つはずなのだが、不思議なものでオルヴィウスはその制服をキチンと着こなし、他国の要人や貴族が出入りする城内に置いても一切の違和感を周囲に感じさせないくらいに馴染んでいた。

 もっとも、見かけだけを取り繕っても中身が変わるはずもない。故にクライヴとは中々に相性が悪く――エレクシアの目には仲良しにしか見えないのだが――こうして度々衝突しているのである。


「……なんじゃ、オルヴィウスか」

「なんじゃ、とはご挨拶だな。久々に顔見せにやってきたってのによ」


 エレクシアがため息混じりに声を掛けるとオルヴィウスは歯をむき出しにして笑い、ドカッとソファに座った。座りしなに「肩が凝るぜ」とぼやきながらマントを外し、「ほいよ」とクライヴに向かって放った。


「まったく貴様とくれば……私は貴様の小間使いではないのだぞ」


 渡されたクライヴはぼやきながらもオルヴィウスのマントをコート掛けに掛けてやる。エレクシアはそれを見ながら「仲の良いことよのぅ」とクスリと笑いながら手に持っていた書類を机の上に放るとオルヴィウスの正面に座った。




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