第2話 バルダー(その2)




「尖った、耳……」


 唖然とする伊澄が見つめる中、マリアはすぐに手を離すとその耳を隠すように何度も手ぐしで髪をすいていき、また直立する。だがその雰囲気は明らかに不機嫌そのものだ。


「ま、そういう事さ」


 ルシュカの声に伊澄は我に返ると視線をマリアから正面へと戻した。だが伊澄の眼には警戒が露わ。いつでも動けるよう腰をそっと浮かして、半ば睨みつけるようにルシュカを見る。


「心配はご無用」再びルシュカは日本語に戻した。「ここはシルヴェリア王国じゃないからね。安心させるついでに言えば間違いなくニヴィールだし、日本の東京だよ」


 そう言いながらルシュカは、拘束時に取り上げた伊澄の携帯端末を机の上に放り投げた。伊澄は恐る恐る拾い上げ確認する。確かにNGPS(New Global Positioning System)は東京湾沿岸を指しているし電波も問題なく届いている。


「……どうしてアルヴヘイムの人たちがニヴィールにいるんですか?」

「気になるかい?」

「もったいぶらないでください」

「はぁいはい。私が胡散臭いのはわかったけどさぁあ? もう少し気を許してくれてもいいじゃないの。まあ、別にどーでもいい話ではあるけどね。

 君の問いの答えは単純。アルヴヘイムに住む気がなくなった、或いは住めなくなったから私たちはここにいる。それだけだね。もっとも事情は様々。国を追い出された連中もいれば私みたいに面白そうだからニヴィールに移住したヤツもいるし、マリアみたいに国を捨て――」

「ドクター。いい加減そのクソ軽い舌をどうにかしないと、今度こそ鉛玉で重くしてあげますよ」


 マリアが銃口を向け、ルシュカは両手を上げて降参のポーズをとった。が、そんなマリアの反応を楽しんでいるようなのが、正面に座る伊澄には丸わかりであった。


「おー怖い怖い。ともかぁくも、だ。要は、元の場所で居場所を失くした連中の溜まり場ってわけだ、ここは。最近は特にね。だからぁ、別にシルヴェリア王国と繋がってるわけじゃないから緊張しなくったっていいんだよ、伊澄くぅん?」


 猫なで声で名を呼ぶも、伊澄はルシュカから眼を離さず思考を巡らせた。

 確かにエレクシアは、二つの世界を行き来する手段は確立されていると言っていた。ならばニヴィールへ、特殊な事情を抱えたアルヴヘイムの人間が流れ着くのも別におかしな話ではないのかもしれない。


「理由は分かりました。

 それじゃ次の質問です」

「また君のターンかい? やぁれやれ、ここは私たちが君を尋問する場だったはずなんだけどねぇ?」


 そう言ってルシュカは白衣の内ポケットに手を突っ込む。そうして取り出したのは―― 一丁の拳銃だった。それが伊澄に向けられ、そこでやって伊澄は自分の置かれた立場を思い出した。

 覗く真っ暗な銃口。伊澄は背筋が凍る感覚を覚える。銃口の奥にいるルシュカの笑みは変わらない。胡散臭いと思っていたそれが段々と得体のしれない怪物のそれに見えて、ひどく恐ろしく思えてきた。

 怯える伊澄を見てルシュカは口端を釣り上げる。そして指が引き金を引き――


「ばぁん」


 ――と口で発砲音を真似てみせた。同時に銃口からは紙吹雪や万国旗が噴き出して、ひらひらと机の上に舞い落ちていった。


「……へ?」

「なーんちゃって。驚いた? 驚いた?」


 してやったり、といった様子で伊澄の顔を覗き込んでくる。次いで肩を震わせて笑いだし、そこで伊澄はようやく自分がからかわれたのだと気づき「あー……」とため息とともに天を仰いだのだった。


「驚かせないでください……」

「でも緊張は解れたろ?」


 緊張は十分すぎるほどに解れたかもしれないがドッと疲労感は増した。恨みがましい眼差しをルシュカに向け、しかしその時、マリアの手に握られている本物の拳銃が眼に入る。

 もし、ルシュカの物が本物だったら。実は今のはルシュカからの「警告」だったのかもしれない。そんな気がして正面の彼女を見るも、ここまでいつだって彼女の顔は「笑顔」のまま。その真意は読み取れそうになかった。


「冗談はこれくらぁいにして。

 尋問なんてもうどうでもいいって分かったことだしね。いいじゃない。我々の依頼を代わりに達成してくれたお礼も兼ねて、君の質問にもできる限り応えるとしようか。君とは末ながーくながーくお付き合いをしていきたいしねぇ」

「……すみません」

「なぁーにを謝る必要があるのかな? ああ、でもそうだねぇ、いい加減時間も時間だし、手短に済ませてもらえるといいかな? 実はマリアに叩き起こされちゃってねぇ。もう一眠りしたいんだ」

「えっと……」


 伊澄は息を吸い込んで鼓動激しい心臓を落ち着かせ、少し考えを巡らせた。


「なら……二つ聞かせてください。ここが一体どこであなた達が何者なのか。NGPSは東京湾の岸壁みたいな場所を指してましたけど、こんな――」部屋を見回した。「軍みたいな施設無いはずですし、話しぶりからして純粋な軍というわけでも無さそうです。でも当たり前みたいに兵士みたいな人たちはいたし、たぶんマリアさんが持ってる銃も本物なんでしょう? 軍でもないのに施設や武装を持ってるなんて……言葉は悪いですけど普通じゃないです」

「うん、もぉっともな疑問だね」

「それと……先程ドクター・ルシュカは、僕があなた達の依頼を達成したと仰った。でも僕はここに偶然やって来て、それからすぐ拘束されただけ。そんな依頼なんて達成した覚えはありません。いったい、あなた達がするべきだったという依頼は何だったんですか?」

「うん、ちょろっと口にしただけなのに聞き逃さず聞いてる良い質問だ。どちらも私たちの存在・・に関わる疑問だし、まとめて答えてしまおうかね。

 まず最初の質問についてだけど、君のNGPSは正しく場所を示してるのは間違いないよ。ここは東京湾の岸壁だ。ただし――相当な地下深くだけどね」

「地下……」

「そ。だからシステムが示してる位置をどれだけ調べたってまず外からは見つからないだろうね。

 それから軍のようで軍でない。軍でないようで軍である。君の見立ては至って正しい。素晴らしい観察眼だ。特別に称賛してあげるよ」

「……そんなの、誰だって分かりますよ」

「おやおや、褒められるのはお気に召さなかったかい? ああ、そういえば君は見え透いたおべんちゃらが好きではなかったねぇ。いやぁ、失敬失敬」

「話がズレてます。続きを教えてください」

「ほいほいさー。わかってるって、そんな怖い顔してちゃ、可愛い顔が台無しだよ? おや? そう言われるのも嫌いかな?

 と、これ以上話が逸れると本気で怒られそうだねぇ。

 それじゃ私たちが何者かというと、そうだねぇ……君たちに分かりやすい言葉で言えば、さしずめ私らはPMCってところかな?」

「PMC……?」

「そう。Private Military Companyの略称。ええっと、確か日本語だと、民間軍事会社と言うのだったかな? 要は荒事専門の会社さ。もっとも、今となってはビジネスは荒事だけに留まっちゃないけどさ」

「バルダー」ルシュカの話にマリアが付け加える。「それが私たち組織の名だ」

「バルダー……」


 バルダー。その響きには伊澄も聞き覚えはある。確か、北欧神話の中にそんな名前の神様が出てきたはずだ。


「なるほど……」


 確かに民間軍事会社であれば武装していてもおかしくはない。伊澄は得心した。

 第三次大戦前からそういった会社はあったらしいが、大戦を機にして世界中でそうした会社が爆発的に増加したとかそういった話を伊澄もニュースか何かで耳にしたような気がする。また、新生重工が製造したノイエ・ヴェルトの行き着く先がそういった会社に流れているのを問題視して、対策を上層部で議論しているといった噂もあった。

 だが、だとして新たな疑念が浮かぶ。


「でもそれは変です。だってPMCの設置を日本政府は認めてないですよ。それなのに日本の、それも首都にそんな会社が作られれば大問題になってるはずです」


 第三次大戦を経た今もなお、日本では軍に対するアレルギーは強い。自衛隊こそ正式な軍として認められこそしたが、それ以外の武装軍事組織の設置を明確に拒絶する法律が作られたはずだった。

 だからこそ、PMCなんてものが設立されればこぞってマスコミが取り上げて大騒ぎしているはずで、しかし伊澄は一度もそんな話題は聞いたことがない。

 しかしそんな伊澄の疑問に、ルシュカは至極あっさりと答えた。


「そりゃそうさ。だってバルダーは公には存在しないからね」

「……は?」

「ああ、心配しなくてもいいよ。非合法だとはいっても国の要人偉い人たちはみーんなバルダーの事を知ってるからね。表向きはまっとうな商売をやってて、PMC事業は裏稼業みたいなもんなんだけどそれを黙認してくれてる、ま、『イイ人』たちだね。

 結構な頻度で依頼もしてくれる上客だからよっぽどの事をしでかさない限りはトラブルに成りはしないからご安心。ちゃんと国が身分を保証もしてくれてるしね。ダミーだけど。その分汚れ仕事を受け持つことも多いし、たまに金払いが悪い時もあるけど、ま、そこはお互い持ちつ持たれつってやつさ」


 つまりは秘密組織。伊澄は空いた口が塞がらなかった。世の中、目に見えるものだけが全てではないとは思っていたが、まさかこんな漫画みたいな組織が実際にあるなんて。ひょっとしてルシュカに担がれているのではないだろうかとも思う。

 だが、こうして武装や基地のような物を所持しているとなれば、彼女の説明が真実なのだろうとも思う。もっとも、ここまでで分かったルシュカの性格のせいかイマイチ信じきれないのだが。


「さて、そんな我らがバルダーなわけだけど、ご覧の通りアルヴヘイム出身の人間が多いわけだ。なら当ぉ然のことながら、バルダーはアルヴヘイムに関するトラブル解決なんかも請け負ったりするわけ。で、今回請け負ってたのが――」

「まさか……」

「そ」ルシュカはピンと人差し指を立てた。「アルヴヘイムにさらわれた明星・ユカリを連れ戻すこと。

 さすがに一朝一夕でアルヴヘイムに跳ぶことなんてできないし、シルヴェリア王国が相手だからね。色々と前準備を進めてて、さぁ「いざ、シルヴェリアへ!」ってところに君らの方からやってきてくれたってことだよ。さしずめ、伊澄くんはお姫様を助け出した騎士ナイトってわけだ。

 おかげで余計な人員も金も使わずコストをかけずして我々は高額な報酬を得ることができる。だから君にはとてつもなく感謝してるって言ったのさ」


 伊澄は合点がいった。なるほど、だからこうもあっさりと彼らは自分を解放したということか。


(しかし……)


 こんな非合法組織に依頼を出せるとは、いったいユカリの両親は何者なのだろうか。よっぽどのコネと、相応の経済力が必要だろうと思う。ここ数時間の彼女を見ていると、とてもそんなお嬢様には見えないが、人は見かけによらないということか。

 共に脱出した少女の正体に思いを巡らせていた伊澄だったが、そこにルシュカから「ねぇね~ぇ」という、気色の悪い猫なで声が届いてくる。


「こうして君の質問にも答えてあげたんだからさ~あ? 君にも頼みたいことがあるんだけど、ぜひ聞いてくれないかな?」

「……まあ、聞くだけであれば」

「それはありがたいね。君も一考に、いいや、間違いなく乗ってくる話だと思うよ」


 そう言うとルシュカはニヤケ顔を更にいやらしく歪めた。胡散臭さが増したその様子に、伊澄は返答を後悔した。

 果たして、彼女の口から出てきたのは、なんとなく予想していた言葉だった。


「伊澄くん――君もバルダーに入ってみない?」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る