第3話 バルダー(その3)





 迷彩ズボンを履いた男性が室内運動場のトラックを走っている。だがその足取りはおぼつかない。右へ左へと体が揺れ、振っている手の勢いはなく、さながらゾンビのようであった。


「ひぃ、はぁ、げふ……」

「やぁすむなぁぁっ!! 誰がペースを落としていいと言ったぁっ!!」


 足元にゴム弾が着弾し、マリアから罵声が飛んでくる。だが息も絶え絶えな伊澄には既に反応するだけの体力はすでに残っていなかった。


(どうして……こうなるんだ……?)


 最早汗は出し切った。走り続けたせいでふらふら。足の感覚はとうの昔に消え去った。視界はただ上下左右に不規則に揺れるばかりであり、まともに思考もできそうにない。

 だが、それでも。

 伊澄は昨夜下した自らの判断だけはひどく後悔していた。






 異世界転移、逃亡、拘束と怒涛の一日を過ごした伊澄は、結局そのままバルダーで一夜を明かすこととなった。あてがわれた部屋へと案内される道すがら、ルシュカから提案されたのは――バルダーへの体験入隊であった。


「ぶっちゃけた話しちゃうとさぁあ? バルダーウチの存在を知っちゃった人間を自由にさせとくのは結構都合が悪かったりするんだよね」


 アルヴヘイム異世界の存在も然り、バルダーという非合法PMCの存在もまた然り。要は伊澄は知ってはならない物を知ってしまったということらしかった。

 それもそうだろう、と伊澄も納得する。無論誰かに向けて吹聴する気もないし、したところで信じてもらえるとも思わないが、下手にマスコミにでも嗅ぎつけられると厄介な事態になりかねない。

 そうなったとしても国が絡んでいる以上容易にもみ消されてしまいそうだが、火種は無いに越したことはないのだから、ルシュカがそう考えるのも当然のことだと思う。きっと自分が彼女側の立場であれば両手を上げて賛成しただろう。しかし残念ながら伊澄は「火種」側の人間であり、容易に賛成できる立場ではない。


「となると、取りうる手段としては当事者の存在を消しちゃうか取り込むかなんだけど、さすがに偶然とはいえ我が社に多大な貢献をしてくれた相手をあっさり殺しちゃうのはあんまりにもあんまりじゃない? それに、話半分に君の話を聞いたとしても君は随分と『優秀』だしね」

「……僕は優秀なんかじゃないですよ」

「おやぁ、お気に召さない? 素直に称賛してるつもりなんだけどねぇ。技術者でありながらノイエ・ヴェルトの操縦技術も敵隊長を旧式の機体で撃退できる人間。あぁっさり手放しちゃうのは惜しいのさ。

 だぁったら共犯者にしちゃえってね。そうすれば君だっておいそれと口を割らないでしょ? 幸いにもウチは、人員は幾らいても足りないくらい忙しいし一石二鳥ってやつだよ」

「面倒事が嫌いですから、忘れろと言われれば忘れますけどね」


 笑いながら、さも当たり前のように抹殺という手段を口にするルシュカ。伊澄は顔をひきつらせながら何とか返事をし、短絡的な選択肢を取らない彼女の思慮深さに感謝した。


「ちなみに、断ったらどうなりますか?」

「べーつに。明日には君を解放してあげるよ? もっとも、記憶は全部消させてもらうし、当分の間は監視もさせてもらうことになるけーどね」

「それはぜひとも勘弁してもらいたいですね」


 色々あったが、悪い一日だったと伊澄は言いたくなかった。長年の夢だったノイエ・ヴェルトにも乗ったし、敵も倒せた。自分に自信が持てそうに思えた今日という日を忘れたくはない。

 だが一方でバルダーに所属する事にも気乗りはしない。正規軍ならまだしも私設の軍隊。善も悪もなく、ただ金を貰えればどんな事だってしてしまう何でも屋。そんなイメージがあり、共に働くには躊躇があった。


「あの……バルダーって具体的に何をやってるんですか?」

「ん? それは表の話? それとも裏の話かな?」

「まあ、できれば両方聞ければ……」

「そ。なぁらしょうがないなぁ。もう眠いから手短に教えてあげるよ」ルシュカはあくびをした。「表はそーれこそ手広くやってるよ。それっぽいのは警備会社の人材派遣。荒事と関係無さそうな例は、そうだね、貿易関係から私立学校の経営ってところかなぁ? あとは、飲食店もやってたかな?」

「手広すぎやしません?」

「基本的に稼げそうなのは手を出しとけってスタンスだし。ま、いちばぁん儲けてるのは投資だけどね。

 で、裏稼業の方だけど、ま、そうだねぇ……正義の味方『ごっこ』ってところかぁな?」

「正義の味方ごっこ、ですか?」

「そーそー。国からの依頼をこぉっそり請け負うことが結構な割合だよ。アルヴヘイムが絡む案件なんてそうそうないからね。どの国も金払いは良くはないけど確実に利益は出るし。その代わりにあっちこっちの争いごとに勝手に首突っ込んで戦いに介入したりだとか、紛争地帯の治安維持に自主的に人材派遣したりね。ああ、ノイエ・ヴェルトの整備や開発の手伝いなんてこともやってるね。

 争い事を嫌う君らみたいな人間には受け入れられないかもしんないけど、戦ったりしなきゃ生きてけない不器用な人種もいるのさ。ニヴィール、アルヴヘイム問わず、ね。ここはそういった連中の受け皿みたいなぁのも兼ねてるってこと。どうせ戦わずにいられないなら、悪いことに暴力を使うより、まだ『善行』に暴力使った方がマシだと思わないかぁい?」


 笑いながらそう告げるルシュカから眼をそむけ、伊澄は首元を掻いた。

 どんな人間にだって得手不得手はある。伊澄が自己主張が苦手なように、きっと平和な暮らしが苦手な人だっているのだろう。ルシュカの言葉は欺瞞のようにも聞こえるが、普通ならはみ出し者となるような人たちにも活躍の場を与えてあげているのは、きっとすごく意味のあることなのだろうと思った。


「どうだい? ウチで働く気になったかい?」

「……そうですね」

「おやおや、まだ乗り気でないのかな」


 話だけを聞いていると、悪くない環境のようにも聞こえる。所属するしかないとは分かっているのだが、喜んで働くとはまだ自分の口からは言えなかった。


「言っとくけどこんな好条件なんて滅多にないよ? 勤務は休日だけでもオーケーだから副業として最適! 都合が悪ければシフトだって考慮するし、頑張りによっては月に数回働くだけで今の君の会社の給料と同等に支給するチャンスだってあり! まあ死ぬかもしれないけど手当も出るし。なによりも、ほら、明るくてアットホームな職場だしね」

「最後のは思いっきりブラックな会社の売り文句なんですけど?」


 確かに好条件ではあるが、別に伊澄は特別お金に困っているわけではない。趣味にそれなりにつぎ込んでも生活は成り立つレベルであり、むしろ金以上に趣味に費やせる時間の方が欲しかった。

 やっぱり、断ろう。記憶は残したいから所属はするが、週末まで仕事で潰されるなんてまっぴらごめんだ。伊澄はそう決断してルシュカに伝えようとした。

 ――のだが。


「やぁれやれ、仕方ないなぁ。それじゃ君がウチで快く働きたくなる魔法の言葉を教えてあげようか」

「……なんですか、それ」


 まさか脅しだろうか。曲がりなりにも荒事専用の組織だ。強制的に従わせる手段の一つや二つあるだろう。

 伊澄は口の中に拳銃を押し込まれる自らの姿を想像し、身構えた。そんな彼に対し、ルシュカが取った手段は――


「大好きなノイエ・ヴェルトを好きなだけいじり回せる権利をつけちゃおう」

「ぜひ契約をお願いします」





 その後、ルシュカがどこからともなく取り出した契約書に即行でサインし、早速翌日にノイエ・ヴェルトに触らせてくれるというのでワクワクしつつも、猫型ロボットに助けられる某小学生宜しく一瞬で伊澄は眠りについたのだが、現実は非情である。

 寝てから早々にマリアに叩き起こされ、ワケもわからないまま筋トレ、室内にしつらえられた壁や沼地を乗り越え続け、そして無限地獄ランニングである。

 おまけに少しでも気を抜こうものならマリアから容赦のない罵声が飛んでくるのだ。足元では拳銃の弾がダンスを踊り、跳弾がケツの肉を抉って伊澄もまた強制タップダンス。さすがにゴム弾なのだが痛いものは痛い。

 伊澄に被虐趣味はなく、抗議の声をあげようとするも彼の生来の気の弱さではマリアの怒声と美人なのに迫力のある眼差しに抵抗することは敵わない。やけくそ気味に全力でここまでやり通したのだがすでに限界であり、ゴム弾が脇腹にヒットしたはずみで敢え無く床にキスする事となったのだった。


「誰が床でオ○ニーをしていいと言った!?

 まったく、なんてザマだ! 貴様は最低のクソムシだ! ニヴィールとアルヴヘイムどちらにおいても最低最悪の役に立たないゴミクズだ! この世界に存在が許されているだけでもありがたいと感謝しなければならないクソッタレの生き物だ!

 金持ちのジジイがする〇〇○みたいな情けない声を垂れ流して恥ずかしいと思わんのか! クソみたいなシワシワの金○しかないから床にキスするしか無い能無しなのだ! 悔しかったら今すぐこの場で〇〇かいてみろ! ちぎってそこに犬のクソ流し込んでやる !」


 何やらトンデモない罵声の雨が降り注いでいる気がするが、反論する気力もない。どこかでフレーズを聞いたことがある気がするが、どうでもいい。ただ出してしまった契約書のクーリングオフは有効だろうか、と思った。


「いいか、よく聞け! 今の貴様は立つことも勃つことできん人間以下だ! 名もなき〇〇だ! アタシの訓練を生きてクリアできたその時に初めて貴様はクソ〇〇を〇〇〇〇する兵器となる! 分かったらさっさと――」

「いやぁ、やってるねぇ」


 罵声の嵐の中に、昨夜と同じヨレヨレの白衣を着たルシュカが、やはり相も変わらぬニヤケ顔を浮かべたままマリアに近寄ってきていた。


「すっかり君の罵倒セリフも板についてきたねぇ」

「ええ。色々と試しましたけど、やっぱり新兵の訓練にはこうしたセリフが一番しっくり来ますね。ドクターがくれたディスクを何十回も見直したおかげで、今ではオリジナルアレンジのセリフが幾らでも湧いて出てきます。その点くらいはドクターに感謝してあげていいです」

「あの映画は私も大好きでねぇ。罵倒シーンは何度見てもゾクゾクしてくるよ。いやいや、新兵がいうことを聞かないって悩んでいた君にあの名画をプレゼントしてよかったよ」


 アンタが元凶か。ツッコミたかったが伊澄はまだその体力は回復していなかった。それどころか、体が中から熱くなり、睡眠不足のせいか眠気も襲ってきていた。


「ところで、伊澄の研修はどうだい? 朝から相当飛ばしてたみたいだけど」

「論外ですね」マリアは腕を組んで、床に転がったままの伊澄を睨みつけながら伝えた。「ドクターがお気に入りですし、人手が足りないのは事実なので採用に反対はしませんでしたが……とても使い物になりません。日本人の自衛隊は世界でも優秀だと聞いていたので期待してたのですが、弱小国の新兵以下です。歩兵として使えるようにするには相応の期間が必要でしょう。残念ながら即戦力とはいきませんね」

「そりゃそうだろうね。兵士じゃないんだから」

「――は?」


 マリアは眼をパチクリとさせた。


「き、聞いてないですけど? そ、それにドクターだって朝も彼を鍛えてやってくれって……」

「ま、そりゃね。仮にもバルダーでノイエ・ヴェルト部隊に加わるのにヒョロヒョロの貧弱じゃカッコつかないでしょ? どうせ週末しかいないんだから、彼の仕事の合間合間にじっくりトレーニングさせて体を作らせたり、護身術でも教えてあげればいいんじゃないってつもりで言ったんだけど。

 渡した彼のプロフィール、ちゃんと見た?」

「見ましたよ。ほら!」


 慌ててポケットをまさぐり、マリアはA4用紙を取り出してもう一度読み返した。確かにそこにはプロフィールが書かれていて、防衛大卒、陸上自衛隊出身である旨が記されている。

 ルシュカはどれどれ、とメガネを掛け直し覗き込んだ。そして――


「あー、これアレだ。こないだ国のお偉いさんがスパイとして送り込もうとしてきた連中を調べた時の資料だった」

「……は?」


 ――などとのたまったのだった。


「な、なら……」

「いやぁ、うっかりうっかり。あ、んじゃあこれが伊澄くんのプロフィールだね」


 いけしゃあしゃあと悪びれず差し出された紙をマリアは奪い取るようにして受け取る。そしてそこに書かれていた経歴を見てさっと顔が青ざめた。


「……ぎ、技術者」

「ゴメンゴメン。ほらさ、昨夜も遅かったし眠かったから、渡すの間違っちゃった☆」


 てへぺろ、と可愛らしく舌を出してみせる。だがその満面の笑みが憎らしい。マリアは彼女の顔面に拳を叩きつけたかった。


「まぁあ、そんなわけだからさぁあ? 最初は彼の経験を活かして整備とか手伝ってもらうけど、マリアも彼の話は一緒に聞いてたでしょ? ゆくゆくはパイロットとしても働いてもらおうと思ってるからそっちの訓練もよろしくね?」

「騙しましたね、ドクター……!」

「人聞きが悪いなぁ。私だぁって間違いの一つや二つくらいあるって」

「アナタの場合はわざと間違えるからタチが悪いんですっ!!」

「そんなことより、いいのかい?」

「何がですかっ!?」


 肩をいからせて詰め寄るマリアに対し、ルシュカはニヤニヤしながら明後日の方を指さした。

 そこには、すっかり動かなくなった伊澄が横たわっていた。


「伊澄くんがさっきからあそこで干からびてるよ?」

「い、伊澄ぃぃぃぃぃっっっ!?」


 マリアの悲鳴が、地下で響き渡ったのだった。





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