第2部 とある組織にて
第1話 バルダー(その1)
「あー……これからどうなるんだろ」
椅子に座った伊澄は天井を見上げてため息をついた。
名も知らぬ女性から銃口を向けられた後、どこからともなくやってきたゴツい面々によって拘束され、伊澄は引きずられるようにして何処かへと連れて行かれた。目隠しをされ、何処をどう進んだのかも分からないままとある部屋に放り込まれ、そのまま放置されること果たしてどれくらいか。
目隠しこそ取ってもらえはしたものの、椅子の後ろに回した手首には手錠。足首にも枷がはめられて歩き回ることもできない。できることと言えば部屋を観察することくらいだ。
だが伊澄の正面には無機質な事務机。それ以外にはなにもない。狭い空間は綺麗な立方体であり、どの壁も全くの無地。観察しがいのない程無駄を省いている。
「……やっぱどう考えても、ココって軍関係っぽいよなぁ」
したがって、観察以外にできることは思考を巡らすことだ。魔法陣をくぐって落ちてからここに放り込まれるまでに得られたごく僅かな情報から推察し、伊澄はそう結論づけた。
この部屋だけでなく、伊澄とユカリが落ちた場所も「遊び」のない無機質な空間だった。最初に出会った女性はためらいなく銃を向けてきたし、着ていた服装も黒いタンクトップと陸軍のような迷彩ズボンだった。周囲の面々もいかにも軍人といった様相だったし、まさかここがサバイバルゲーム会場などというオチはないだろう。
なので。
「そりゃ拘束くらいはされるか……」
残念ながら客観的に見れば伊澄たちは不法侵入者である。拘束は当然で、むしろ即射殺されなくて良かったと喜ぶべきか。
だとして。
果たしてここはどこなのだろうか。アルヴヘイムの何処か別の場所へ跳んでしまったのか、それともニヴィールに戻ってきたのか。できればニヴィールであって欲しいと伊澄は思う。生まれ育った世界の方が、まだ比較的常識が通じる分だけ気が楽である。
そういえばユカリは無事だろうか、と伊澄は一緒に跳んできた少女に思いを馳せた。女性なのだし、男である自分よりかは穏便な扱いを受けてそうだが、
いても立ってもいられなくなり伊澄は何とか拘束を外せないかともがいてみるものの、ガッチリと手錠も足かせも伊澄を抱きしめて離してくれる気配はなかった。
「くそっ……何か手はないのか――」
「こらこら、そう暴れなさーんな」
椅子を独りガタガタといわせていた伊澄だったが、扉が開くと同時に声が届いて動きを止めた。
立っていたのはショートボブ程度の銀色の髪をして、丸メガネを掛けた女性だった。白衣を着ていて、年齢は伊澄よりもずっと上に見える、メガネの奥にあるやや太めの眉が印象的な女性だ。何が面白いのか、ニヤニヤと口元を半笑いにして興味深そうに碧眼が伊澄を観察していた。
そして彼女の後ろには、先程伊澄に銃口を突きつけた金髪の女性がハンドガンを腰に挿して伊澄をじっと見ていた。
「ほら、マリア」
「了解しました」
メガネの女性が顎でしゃくる仕草をすると、マリアと呼ばれた迷彩服姿の女性が伊澄に近寄ってくる。天井の照明が影となり、見上げた伊澄の瞳には彼女の両目だけがくっきりと映る。脳裏には銃口がちらつき、いよいよ今度こそ脳漿を床にぶちまける時が来たのか、と緊張に喉を鳴らした。
だが伊澄の予想に反し、マリアはその場にしゃがみ込んだ。カチャカチャと音をさせて足の拘束が外された。スッと血が通っていくような感覚を覚えたかと思えば手錠も外されて伊澄の体は一気に自由になる。
「拘束する必要はない。そういう判断が下ったからよ」
口にはしていないが伊澄の疑問を理解したマリアがそう応える。だがそれだけでは事情がさっぱり分からない。伊澄は怪訝そうに眉をひそめるも彼女はそれ以上応える事なく、部屋の隅に立つと「休め」の姿勢で控えた。大きな胸を突き出して、如何にも軍人といった様子で微動だにしなかった。
「さて、と……まあそう緊張しなさーんな」
そして机を挟んで伊澄の正面にメガネの女性の方が座る。机に肘を付き、にやけ顔を伊澄に向けた。
「マリアの言うとおり、無理に君を拘束しておく必要もなさそうだからね。私は無駄に人間を縛る趣味はないんだ。もちろん君がそれを望むのであーれば、やぶさかではないけどねぇ。
どこの愉快な連中が忍び込んできたのかと思って最初はワクワクしてたんだよ? けど君のそのひょろっとしたもやし体型じゃ荒事は無理だろうし、まーあ? 万が一があったとしてもマリアがいればノープロブレム。だから解いてやったのさ。感謝してよ?」
「はあ、ありがとうございます?」
「むふふふん、いいじゃない、いいじゃなーい。君みたいな素直な子は好きだよ」
褒められてはいないのだが、なんと言うべきか思い浮かばずに伊澄が言われたとおり礼を口にすると、独特のイントネーションで話す女性はニヤニヤと一層笑みを深くした。
と、ここまできて伊澄は気づいた。自分も彼女も日本語を話していることに。
言霊の魔法のおかげで知らないはずのニヴィールの言語もネイティブの様に操れていたために気づくのが遅れたが、耳に届く音は間違いなく日本語。
それはつまり、この場所がニヴィールであり、加えて日本である可能性が高い。そう判断して伊澄は安堵した。
「どうかしたかい?」
「あ、い、いえ。なんでもないです」
水を向けられ、一度は曖昧に笑ってごまかした伊澄だったが、目の前に座った女性の表情に険しさはない。雰囲気もマリアと呼ばれた女性ほどにトゲトゲしさはなくリラックスしていて、話しやすそうである。
「あの……質問してもいいですか?」
「んー、そうだねぇ……どうしようかなぁ? なぁんにも答えてあげなくて不安そうな子羊くんを観察するのも面白そうなんだけど」
「ドクター」
「はいはい、分かってるって」
マリアに睨まれ、ドクターと呼ばれた女性は笑いながら両手を上げた。
「質問しても構わないんだけど、まずは君の話から聞かせてもらおうかぁな? それによってどこまで答えられるかも変わってくるしね、羽月・伊澄くん?」
「僕の名前を……?」
「そりゃあねぇ。不審者を捕らえたらその身元を真っ先に調べ上げるのは基本中の基本ってやつさ。そう思わないかい?」
エレクシアもそうだったが、自分が知らないところで勝手に自分が丸裸にされている。個人情報保護の概念とはいったいなんだろうか、と思わないでもないがこういった手合い――軍だと決まったわけではないが――に何を言っても無駄だろう、と伊澄はため息で応えた。
「ああ、でもとりあぁえず私たちの自己紹介くらいはしといてあげるよ。じゃぁないと? 君も呼ぶのに不便だろうしぃね。
私はルシュカ・ワイズマン。ここではドクターとか博士だとかって呼ばれる事も多いけど、好ぅきに呼んでくれて構わないよぉ? 個人を識別できるのならそれ以上の意味は必要ないからね。
それとこっちのムッツリ顔のおっぱいが大きいのが」
「その情報必要ですか、ドクター?」
「インパクトのある情報の方が覚えやすいだろうぅ?
ああっとすまないね、この巨乳娘がマリア・ファインマン。この豊満な体で何人の男を落としてきたか分からない猛者だよ? ああ、勘違いしないように。もちろん物理的な意味でだからね。
さぁてさてだ。それ以外の情報を知りたければ、君が君自身を人畜無害で私たちの信頼を得るに足ぁる人物だと証明することだね」
ドクター――ルシュカは両肘を机に突き、口の前で手を組みながらメガネの奥で両目を楽しそうに細めた。
「さぁさあ、羽月・伊澄くん? 君はいったい、どうしてここに来てしまったんだろうね?」
怪しく光るルシュカの瞳に魅入られ、伊澄はゴクリと喉を鳴らしたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「なるほど、ねぇ」
伊澄からの話を全て聞き終えたルシュカは、自身の頬を指で押さえながらそう漏らした。
少しでも嘘を混ぜれば見抜かれる。直感で何となくそう察した伊澄は、求められた通り全てを包み隠さず話していた。
最初は正直なところ、不安は多大にあった。伊澄の常識に照らし合わせればこの一日で経験した内容は全くもって非常識甚だしい。
やれ異世界だ、やれエルフだなどと会社の人間に話せば、間違いなく現実と妄想の区別もつかなくなった頭のやられた人間だと思われるに違いない。少なくとも産業医のところへその場で連れて行かれるだろう。
それでも、伊澄からしてみればそれが真実である。そもそも嘘は苦手であるし、曖昧にごまかしたところで得られるものなど何もありはしないだろう。結局事実を淡々と話すしか選択肢はなく、「バカにしてるのかっ!?」と怒鳴られることも覚悟して話し続けたのだった。
「ふんふん……そういうことかい」
だが話し終えるまでルシュカはおろか、マリアからも怒鳴りつけられる事はなかった。眼の前のルシュカは銀色の毛先を指で弄んでいるのだがそれは興味を失ったというよりも、何か考え事をしている時の彼女のクセのようだ。
「ええっと、その……やっぱり信じられないですよね?」
「ん? ああ、ゴメンゴメン。そういうわけではなぁいよ。君の話ともう一人の女の子の話をね、頭の中で整合させてたところなんだ」
女の子とルシュカが口にした瞬間、伊澄は身を乗り出した。
「女の子って、ユカリのことですか!? 彼女は無事なんですよね!?」
「そういきりたちなさんなぁって」ルシュカは手をひらひらとさせて伊澄を座らせた。「だぁーいじょうぶ大丈夫。少なくとも君よりかはよっぽどナイスな待遇で歓待させてもらってるよ。
ま、彼女にちょっかい掛けようとした子が一人、あえなく撃墜されたけどね。いやー、アレほど見事な回し蹴りは久々に見たね」
「あのバカには良い薬でしょう。アレで頭の中のお花畑が枯れてくれれば良いんですが」
「えー、それはダメだよ。毎度ちょっかい掛けてフラれる姿が見れなくなったら私の趣味が一つ減っちゃうじゃない」
「毎度苦情を処理しなきゃならない私の身にもなってください! それともバカの管理をドクターが引き受けてくれるんですか?」
「それはヤダよ。マリアとセットじゃなきゃ面白くないもの」
頭を抱えるマリアを見てケタケタとルシュカは笑った。二人のやり取りを見て、伊澄は何となくルシュカの趣味がはた迷惑なものだと察したが口にはしない。面倒そうな人種だと思ったは思ったが。
ともかくも、ユカリが無事で良かった。どうやら足を出す早さは相変わらずらしいが、悪い扱いは受けてないらしく胸を撫で下ろした。
「さぁてさて、マリアをからかうのはこれくらいにして話を戻そうか。
君の話だけどさ、ユカリが話してくれたのと大きな齟齬はないし、本当だと私は判断するよ」
「え?」
「良かったね、君は見事にこの私の信頼を得ることに成功しましたー、パチパチパチ」
ヘラヘラしながら、ルシュカは半分棒読みで拍手をする。だがそんな態度に、伊澄は何か裏があるのではないか、と眉をひそめた。
「……本当ですか?」
「うん、ホントもホントだよ。そりゃもう純度一〇〇パーセントさね。見てみなよ、私のこの笑顔。どこに疑う要素があるんだい?」
「……」
「こら、そんな胡散臭そうな顔しないの」
「良かったですね、ドクター。早くも彼に本質を見抜かれてますよ」
「やぁれやれ、困ったね。今度は私の方が彼の信頼を得ないといけないのかな?」
口では困った、と言いつつもルシュカは変わらず楽しげだ。彼女は肩をすくめながら足を組み替えると頬杖をついて伊澄を見つめた。
「いやね、私は本当に君の話を一〇〇パー信じてるんだよ。繰り返しだけど君の話には疑う要素がないからね」
「ですけど、自分で言うのもなんですが相当胡散臭い話しましたよ? ニヴィールだとかアルヴヘイムだとかエルフだとか。いくらユカリも同じ話をしたからってそうもあっさり信じられると……」
「逆に不安になる、かな? なにか裏があるんじゃないかってね」
「まあ、そうですね」
「なるほどなるほど。まあ君の話には一理くらいはあるねぇ。普通はそうだろうさ。
――『普通ならね』」
突如として彼女の口から出た音が一変する。聞き慣れた日本語の音とは全く違う。
それは。
「『アルヴヘイムの、言葉……?』」
「『そう。君が逃げ出してきたというシルヴェリア王国で使われている言語だね』」
伊澄は驚きを隠せない。ニヴィールだと信じていたこの場所で聞くことのないはずの言語に混乱する。
そんな伊澄の様子を面白がるように見ていたルシュカがマリアに視線を向け、ウインクした。アイコンタクトを受け、マリアは一度はしかめっ面をするも観念したように深いため息をつく。
彼女の手が金色の髪に伸びる。左手がこめかみから後ろに動き、髪をかきあげられていく。
「尖った、耳……」
そして髪の下から現れたのは伊澄もよく知る、エルフ族特有の尖った耳だった。
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