第28話 駆け抜けた先にあるものは(その4)
「羽月・伊澄っっ!」
鋭い声が伊澄の名を呼ぶ。キャットウォーク上からクライヴが身を乗り出していた。
その声に伊澄は反射的に身構えてしまい、一瞬脚が止まる。それと同時に言い争いをしていた兵士の注意も二人の方へと向いてしまった。
「止まんなっ!!」
「っ!」
こういった場合は思い切りが大事である。ケンカ慣れしているユカリが叱責を飛ばし、一拍遅れて伊澄も走り出す。だがそれよりも兵士の方が動きが早かった。
「逃さんと言ったろうがっ!」
繰り出された透明な刃が兵士から放たれる。喧嘩さえしたことのない伊澄は刃が迫るその光景に身を竦ませ、ただ夢中で顔や首を腕でかばうしかできなかった。
「っ……!」
刃が肩口を斬り裂いた。血飛沫が伊澄の頬を濡らし、手足にも浅い裂傷が次々に刻まれる。鋭い苦痛が脳をつんざき、伊澄は声なき苦悶を叫んでその場に崩れ落ちた。
「っ、伊澄さんっ!!」
「手間取らせやがって」
うずくまる伊澄に兵士が近寄っていく。ユカリに寄り添われながら伊澄は肩口を押さえた手を赤く濡らし、歯を食いしばって兵士を睨みつけた。絶望と苦痛に塗れたその顔を見下ろし、兵士は愉悦に表情を歪めた。
「スパイだかなんだかしらないが、無事に解放されるとは思うなよ」
そう言って近づきながら手を伊澄に向かってかざす。小手が再び光を帯びていき、今度こそ自分たちを始末するつもりらしいと伊澄は気づいた。
「くそっ……!」
「じゃあな。何処の国の奴か知らないが、くたばりやがれ――」
これまでか。悔しさに歯噛みするもどうすることもできない。伊澄は観念して眼を閉じた。
「馬鹿者っ!」
だがそこに女性の叫び声が響いた。
「エレクシア様っ!?」
「誰が殺せと命じましたかっ!! 彼はスパイなどではありませんっ! ただ捕まえてくれれば良いのですっ!!」
キャットウォークから息を切らしながら叫ぶエレクシアの話は、兵士たちが聞いていたものとはまったく異なるものだった。それ故に兵士は戸惑い、伊澄たちから目線を切ってしまった。
今だ。注意が逸れたのに気づいた瞬間、伊澄はとっさに兵士に向かって飛びかかった。
「こいつっ!」
「っ、やめ……!!」
エレクシアの叫びも虚しく、伊澄の行動に虚を突かれた兵士は反射的に待機状態だった魔法を発動させた。
透明であるが故に、魔法の刃はハッキリと見えない。だがその魔法は間違いなく自分の顔を、首を切り刻むだろう。伊澄はそう思っていた。
「やめろぉぉぉぉっっっ!!」
ユカリもまたそれを疑わなかった。切り刻まれる伊澄の姿が頭を過り、血まみれで倒れる姿を幻視する。思わず彼女は叫び、遠ざかる伊澄の背に向かって手を伸ばした。
「ぐぉっ!?」
それと同時。
誰も触れていないはずの兵士の腕が急激に真上へと曲げられた。数瞬遅れて放たれた魔法の刃は上空へと向かっていく。天井の照明を破壊し、格納庫の光度が落ちると同時にガラスの破片が鋭い切っ先を下に向けて降り注いでいく。
しかし、それらが地面に到達するよりも早く伊澄は兵士の元へと到達した。
「くらぇぇぇっっ!!」
握り込まれた右拳が振り抜かれる。渾身のその一撃は兵士の顎にクリーンヒットし、意識が一瞬で飛ばされてそのまま仰向けに倒れていく。伊澄は痛む拳と倒れた兵士に刹那だけ呆然とし、しかしすぐにユカリを呼んだ。
「ユカリっ!!」
「っ……!」
形勢は一転。ユカリもまた呆気にとられていたが、伊澄に手を引かれ、二人はノイエ・ヴェルトに乗り込むためリフトに脚を掛けた。
だが振り返った伊澄の視線に入るのは、フロアに降りてきて走り寄ってくるクライヴの姿だった。彼我の距離からしてこのままでは搭乗前に捕まる。伊澄は一瞬でそう判断してノイエ・ヴェルトに乗り込むことを断念。再び格納庫の奥へと走り出した。
「おじさんゴメン、どいてっ!!」
「ボウズっ!!」
言い争っていたドワーフの作業員を押しのけて走っていく伊澄たちだが、そのドワーフが伊澄を呼んだ。逃走しながら伊澄が振り向くと、彼はクライヴたちからは見えないようにして親指を立て、ヒゲモジャの口元からニッと白い歯を覗かせた。察するにそれは、どうやらエルフの兵士に対する一撃への感謝らしかった。
直後にガシャンとけたたましい金属音が響いた。見ればドワーフの足元には工具類が散らばっており、クライヴたちが足止めされていた。伊澄もまた彼に向かって親指を立てて感謝を伝え、クライヴたちから遠ざかっていく。
「次は何処行くつもりだよっ!?」
「わかんないよっ! でも逃げなきゃ……!」
「そりゃそうだけど……って、アンタ怪我は大丈夫なのかっ!?」
「メッチャ痛いに決まってるだろっ!」
着地の衝撃の度に激痛が走る。だが幸いにして出血は目立つものの傷自体は深く無さそうだった。
ともかくも隠れられる場所を。作業用の棚やノイエ・ヴェルトを格納するスペースの脇を複雑に走り抜け、作業員たちがいない方へ伊澄は向かっていく。やがて、広大な格納庫の一番奥にある一枚の扉を見つけた。
「あそこに!」
人気のない、すっかり忘れ去られたような一角。扉は油で黒ずみ、照明も消えて分かりづらい中でその扉を見つけることができたのは奇跡に思えた。
扉にロックは掛かっておらず、また電子錠のようなものも見当たらなかった。相当に古そうなその扉の奥に二人は滑り込み、中からアナログな鍵を掛け、更にユカリが転がっていた木の建材を扉に差し込んでカンヌキ代わりにする。そこまでしてようやく伊澄は一心地つき、崩れ落ちるようにして座り込んだ。
「だ、大丈夫かっ?」
「やばい。メッチャ痛い。すぐ横になりたい。具体的には明日の朝まで」
シャツが白いために血の赤が暗い中でも目立つが、伊澄が意図して笑いながらおどけてみせる。それを見たユカリも、やっと大事に至ってないことを理解した。
「ったく……びっくりさせんな、バカ! めちゃくちゃ焦ったじゃねえかっ!」
「いたっ! 叩かないで! 傷口に響くから!」
「そんだけピーピー騒げれば上等だ!」
「自分でもそう思うよ。死ぬほど痛いのはホントだけど」
そう言いながら、伊澄はよろめきながらも自力で立ち上がり歩き出す。部屋の中は宵闇に包まれているが、遥か高いところにある窓からは格納庫の灯りが漏れ入ってきていて、うっすらとだが室内の様子は確認できた。
「ここは何の部屋なんだ?」
「さあね。っと、そういえば――」
ズボンのポケットに携帯端末が入っていたことを思い出し、伊澄はそれを取り出してカメラを起動させる。端末の背面にあるライトが灯り、正面を明るく照らす。それをあちこちにかざして部屋の様子を確かめていった。
高いところに窓があることから部屋がかなり大きいことは想像がついていたが、やはりここも単なる居室というわけではなさそうだった。ざっと見渡した限りだと、小学校の体育館の半分程度だろうか。足元は埃が大量に溜まっていてコードらしいものが床のあちこちを這っている。
壁際には背丈ほどのサイズの棚がいくつか並んでいるが、そのどれもが空になっていて、棚の側面には落書きやメモ書きを剥ぎ取った後の切れ端が残っていた。
ゆっくりと歩きながら、伊澄は何気なくそれらからライトをやや上方へと向ける。そして巨大な顔のようなものを捉えた。
「うひゃっ!?」
「大丈夫、これもノイエ・ヴェルトだけど――」
目に当たる部分にライトが反射し、ついユカリは悲鳴を上げるが伊澄は落ち着いて目の前のノイエ・ヴェルトを見上げた。
頭部から順々にライトの位置を下げていき、全景を頭の中で組み立てていく。見覚えのある頭部デザインと分厚い胸部に寸胴のような腰部。脚部は安定性を確保するために装甲で重量を増している。ひざまずいた状態で保管されているためふくらはぎの部分は床に接しているが、武器を内蔵したそこは太く、立っている伊澄の胸辺りまである。
そしてこの特徴的なデザインの機体を伊澄はよく知っていた。
「『ヘルタイガー』……?」
伊澄たちの世界、ニヴィールでは現在は第三世代機が各国でノイエ・ヴェルトが開発されているが、その第三世代機でさえデザインは王国のスフィーリアより随分と野暮ったい。そして今、二人の目の前にいる『ヘルタイガー』は更にその一世代前、つまりは第二世代機として米国で国防総省とロッキード社で共同開発されたものだ。
しかも、伊澄の知る限り第二世代機の中でもマイナーチェンジ前の最初期型であり、第一世代機が陸上戦闘車両の延長線上のような扱いだったことを考えると、事実上最初に開発されたノイエ・ヴェルトだった。
「どうしてこんなところに……?」
ノイエ・ヴェルトの歴史は浅いがその進化の速度は凄まじいものがある。『ヘルタイガー』を皮切りとして様々な機種がこの十数年で開発されていった。同じ米国でボーイング社が開発した『グリズリー』、エアバス社を中心とした欧州企業体で開発された『ボナパルト』やそれに対抗して開発されたロールス・ロイス社の『アーサー』、日本で開発された『アイアース』に『アイギス』。これらの内、『グリズリー』、『アーサー』、『アイギス』がベースとなってカスタマイズされたものが現在の各国の主力機となっているが、全ての大本である『ヘルタイガー』はとっくの昔に歴史の中に埋もれていった存在だ。今となっては途上国でも中々目撃するのも難しいかもしれない、いわば骨董品である。
それが何故、ここにあるのか。そこに考えを巡らせた時に、この部屋の設備と機体がすぐに結びついた。
多くのケーブルや空っぽになった棚。棚にはおそらくは様々な機器が設置されてデータが取得されていたのだろう。ライトで照らしながらグルリと『ヘルタイガー』を改めて観察してみると、かなりカスタマイズされているようだった。本来ないはずのバーニアバックパックが装着されていたり、魔法陣が各所に刻まれていたりしている。
「……ひょっとして、僕らの世界の機体を研究していたのか?」
エレクシアの話が本当であれば、彼女は来る災厄に備えるためにあらゆる手を尽くそうとしていた。機体としての性能や完成度はアルヴヘイムの方が優れているが、だからといってニヴィールの何もかもが劣っているわけではないだろう。貪欲に様々な技術を得ようとしていたと想像ができる。そしてこの機体はその残滓なのだ。
だが、疑問が残る。
「一体どうやって……」
こんな巨大なものをこちらに持ってきたのか。自分たちが連れてこられたような魔法陣の巨大なものが存在し、それを通じて持ってきた? だが物が物だけに個人での購入はほぼ不可能であるし、だとしたら盗み出したのか? 次々に疑問が湧き出し、しかしその思考も扉を激しく叩く音で中断させられた。
「ちっ、もうバレたのかよ……
なあ! こいつはどうなんだ!? 結構ボロそうだけど、動かせんの!?」
「ちょっと待って! こいつのハッチのスイッチは……」
ずいぶんと昔に見た雑誌の知識を思い出しながら伊澄は機体の、人間でいえば土踏まずに当たるところをまさぐった。埃でベトついた出っ張りを見つけて押してみる。するとハッチが動き出す。が、すぐに「ガガガガ……」と音を立て始めた。どうやら何かが引っかかって開ききらないらしい。
「この……! キチッと動きやがれっ!!」
「ちょっ、そんな事したら――」
伊澄が制止する声も聞かず、ユカリが転がっていたパイプを拾い上げ、ハッチ目掛けて振り抜いた。ガィン、と音が鳴り、しかしそれによって引っかかりが外れたのか、空気が抜ける音がして人が入れる程に隙間ができた。
「そんな事したら、なんだって?」
してやったりとばかりに、ユカリは不良少年よろしく鉄パイプを肩に担いでニヤッと笑ってみせる。それがずいぶんと様になっているのだがそこには伊澄も触れず、代わりに呆れたため息をこれ見よがしについてみせたのだった。
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