第29話 駆け抜けた先にあるものは(その5)




 痛む肩をおしてハッチに手を掛け、伊澄は機体に乗り込んだ。ユカリに手を差し伸べて引き上げるとシートには座らずそのまま下に潜り込んで何かをまさぐっていく。


「うえっ、げほっ。ホコリまみれじゃねぇか……」

「ずっと使ってないみたいだしね。

 狭いから、頭打たないように気をつけて」


 ユカリを気遣いながらシート下にある非常用のモーターのロックを解除する。


「動いてくれよ」


 祈るようにつぶやきながらハンドルを何度か勢いよく手前に引いていく。やがてその数が十に届こうかという頃に、振動とともに低い唸りが響き始めた。


「よっしっ!!」


 伊澄は思わずガッツポーズをした。

 どのくらいここに放置されていたのか分からないが、まだタンクに燃料は残っていたらしい。今は高密度バッテリー式が主流だが、この『ヘルタイガー』や『ボナパルト』など第二世代の初期型はまだレシプロエンジンと蓄電池のハイブリッド方式が大半だったのだ。

 また伊澄自身、静粛性の高いバッテリー式よりもこの頃の機体の方がいわゆる『機械的』で好みであり、昔から構造を解説した本を読み漁っていた。免許取得前の教習でも進んでこの機体を使っていたし、だから内部の構造も未だに詳細に覚えていた。それが功を奏した形だ。人生何が活きるか分からない。過去の自分にそっと感謝する。

 シートに座り、電気が供給されてシステムが立ち上がっていく。狭いコクピットにこれでもかと配置された多くのモニターに数字や記号が映し出され、ユカリはそれを見ただけでめまいをおこしそうだった。

 が伊澄にとっては何の苦でもない。エラーを吐き出した部分をスキップし、診断プログラムの結果を眺めながら顔をほころばせた。

 燃料タンクには三分の一程残っていた。また各部の内蔵武装もそのままになっている。幾つか挙動が怪しそうな駆動部があるが、放置されていた割には概ね状態は良好だ。おそらくは研究しつくされて興味を削がれ放置と相成ったのだろうが、それにしても管理が杜撰すぎだとマニアである伊澄は内心で憤慨していた。もっとも、そのおかげでこうして動かせそうなのだから文句は言えないが。


「うげぇ、数字と文字ばっかで頭痛くなる……アンタ、何が表示されてんのか分かんのか?」

「ん? まあ、そうだね。だいたいは。昔っからどの機種も概ね流れるプログラムは同じだしね」

「スゲェ。頭いいんだな、アンタ」

「ま、ね。これでも技術者の端くれだし」

「それで、どうなんだ? いけんのか?」

「大丈夫。キチンと動くし、これだけ燃料が残ってれば三十分くらいはいけそうだ」

「ならさっさと脱出しようぜっ!」ユカリは歯を見せて笑った。「アンタじゃねぇけど、アタシもいい加減眠くなってきたしな。そろそろ床じゃなくて布団の上で寝たいんだ」

「ユカリはずっと寝てただろ」

「あ? 魔法陣にちっとばかし入っただけで音を上げてたくせに、なんならテメェもあそこでゆっくりしてみるか? ああ?」


 ノイエ・ヴェルトが動いたことで緊張が解れて、自然と二人の口からは軽口がこぼれた。

 伊澄は機体を立ち上がらせ、部屋の壁に向けた。機体の右ふくらはぎにあたる部分からサブマシンガンを取り出し、迷うことなく伊澄は引き金を引く。

 響く連続的な発砲音。耳をつんざくけたたましい音と共に弾丸が吐き出されていく。マズルフラッシュがネイビーブルーの機体を白く染め上げ、ある程度撃ち終えると機体を肩から壁に向かって突進させた。


「捕まって!」


 衝撃が機体を揺らす。部屋の壁が機体の形に合わせて、夜市の型抜きのように綺麗に外へ弾き飛ばされた。ズン、と夜の静まり返った世界に低い音を響かせ、できた穴から伊澄たちを乗せた機体は外へと出た。

 空にきらめく星はない。ニヴィールよりも尚も濃い紫が夜空を覆い、不思議なマーブル模様のオーロラが揺らめいていた。

 ペダルを伊澄は踏み込んだ。古めかしいデザインの無骨なレバーを前に押し出し、バーニアから推進剤が噴射されて『ヘルタイガー』が夜空へ躍っていく。

 昼間に乗った機体『スフィーリア』に比べれば加速は遥かに鈍重だ。機体そのものの重量が大きいために加速に一拍遅れるような感覚があり、最高速度は比べ物にならない。シートも機体にしっかり固定されているタイプであり、ショックアブソーバも未熟。そのために歩く度に強い振動で揺さぶられ、ユカリはシートにしっかりとしがみついて、それでもなお振り落とされそうだ。『スフィーリア』はまるで重力というものを感じさせなかったが、『ヘルタイガー』は逆にしっかりと重力に縛られているようであった。

 それでも伊澄には強い解放感があった。重い機体を目一杯使って跳躍し、静かな夜の、束の間の遊泳を楽しむ。

 それは、城内で感じていたプレッシャーから解放されたからか。大好きなノイエ・ヴェルトに乗り広い世界へと飛び出したことで、取り巻く全てのしがらみを振り払うことができたと感じたからかもしれない。加速に伴ってシートに押し付けられる感覚に、伊澄は幸せそうな吐息を漏らした。

 だが。


「なんだよ、今度はっ!?」


 突如としてコクピット内にアラームが鳴り響く。伊澄はそれを受け、無言で機体を向きを変えた。

 正面のモニターに躍る「Alert」の文字。直後に機体のすぐ横を巨大な火炎が猛烈な速度で通過していき、爆発が正面モニターを一瞬白く焼き付かせる。


「う……!」

「……やっぱり逃してはくれないよね」


 モニターに映る小さな機影。拡大すると、二機のノイエ・ヴェルトが彼らを追いかけてきていた。


「っ、おい、どうすんだっ!?」

「そんなの、決まってるだろ」


 伊澄は眉尻を不安そうに垂れさせ、しかしそれとは対照的に口元は楽しげな弧を描き出していた。


「ぶっ飛ばすっ!!」


 叫び、ペダルを全力で踏み込む。鈍重なその機体を軽やかに伊澄は躍らせた。

 『ヘルタイガー』の移動速度は『スフィーリア』より遥かに劣る。このまま逃げ続けてもすぐに追いつかれるのは目に見えていた。

 だったら、燃料が尽きるその前に撃退するしかない。


「や、やれんのかよっ!?」

「やるしかないだろっ!」

「でも相手は二機なんだぜ!? それにコッチはオンボロ、さっき見たけどどう考えたってあっちの方が性能上だろ!?」

「問題ない」


 自信満々に伊澄は言い放った。

 両足でペダルを操作して速度を制御。この世代はまだオートバランサー機能が脆弱なためスフィーリアとは違った意味で繊細な操作が必要とされる。

 だが伊澄は当たり前のように安定した姿勢制御を保ち、かつ右のハンドレバーを操作して機体を敵に向け、モニターに映し出される情報を頭に叩き込みつつ左手はコンソールのキーボードを叩いていた。


「頭を下げて」


 コンソールのマニュアル操作で武装情報を画面に展開すると、迷わずサブマシンガンを機体に握らせる。腰の後ろにあるハッチから取り出したそれを構え、伊澄はシートにしがみついたユカリをしゃがませると照準器を引っ張り出して覗き込んだ。

 画面隅に表示されている残弾数を確認し、伊澄はレバーのスイッチを押した。発砲音と同時に軽い振動が機体を揺らし、マズルフラッシュが断続的に世界を明るく染め上げる。弾丸が宵闇を切り裂いていくも、暗視モードに切り替えたモニターには追ってきていたノイエ・ヴェルトの脇へ逸れていくのが映っていた。


「外れたぞっ!」

「大丈夫――クセは把握した」


 着地と同時に膝部から緩衝用のエアが抜け、それが抜けきると同時に再び跳躍する。加速し、『スフィーリア』にためらうことなく近づいていく。

 対する二機の『スフィーリア』が銃のようなものを構え、しかしそこから飛び出したのは巨大な火炎の柱だった。長い筒状のそれが弾丸と同等の速度で噴出し、『ヘルタイガー』に迫った。

 だが射出されるよりも早く伊澄は反応していた。バーニアを片側だけ吹かし、空中に居ながら横に移動させるとすぐそばを真っ赤な火炎の渦が貫いていく。

 モニター越しにコクピット内が赤く照らされ、ユカリは火炎の中に取り込まれたように錯覚した。しかし伊澄は慌てることなく、集中して照準器を睨みつけていた。


「射撃っていうのは――」


 『スフィーリア』の周りを旋回させながら、照準器内のカーソルをマニュアルで制御させる。そして中心が『スフィーリア』からズレたところで迷わずレバーのスイッチを強く押し込んだ。


「こうやるんだよっ!!」


 フルオートで発射された弾が全て一機の『スフィーリア』に吸い込まれていく。『スフィーリア』の前方には透明な壁のようなものが展開され、命中したはずの弾が弾かれていた。しかしその数が数十に達したところで壁がまるでガラスの様に割れ、頭部カメラや肩部を破壊して部品を撒き散らしていく。

 関節部がショートした光を発し、バランスを崩した機体が落下していく。それを見送ることもなく、伊澄は続けざまにもう一機にもサブマシンガンを発射。敵機の逃げる先がまるで予め分かっていたようにほとんどの弾を命中させていく。おそらくは魔法によるであろう防壁はあっさりと破壊され、一機目の焼き直しのように主要パーツを破壊。白煙を上げながら撤退していくその機体を、伊澄は着地しながら見送った。


「ははっ! やった、やったじゃん! すげぇよ伊澄さんっ!」


 絶望的だった状況にもかかわらず追手をあっさり撃退。ユカリはテンションが上って伊澄の座るシートをバンバンと叩いて喜びを子供のように表す。

 しかし伊澄はそれに応えない。否、応える余裕を持ち得ていなかった。

 じっとモニターを見つめる伊澄。その視線はなおも鋭いままだった。

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