第27話 駆け抜けた先にあるものは(その3)




「次はどっちだっ!?」

「え、ええっと……右でっ!」


 ユカリに問われ、伊澄は叫ぶようにして答えた。

 体を傾け、全速力で曲がっていく。後ろからは幾つもの足音が迫ってきていて、曲がり角の先を確認する余裕などない。


「っ……!」


 しかし曲がった直後、二人の脚は急停止した。彼らの先では別の兵士が二人を探し回っており、行く先を通過しようとしていた。だがちょうどその最後尾にいた兵士が曲がってきた二人に気づき、仲間を引き連れて戻ってくる。


「くそっ! しつけぇ連中だな!」

「……やっぱ左で」

「ったりめーだっ!」


 やむを得ず、当初とは逆方向へ進む。上層階とは違う狭い階段を見つけてそこに飛び込み、おぼつかない足元に転びそうになりながら駆け下り、再びフロア内へと飛び出した。

 そのフロアの景色もまた先程までと同じような作りであった。無機質な壁が二人を出迎え、まるで無限ループに入ったようで、出口はどこにもないのではないか。そんな不安が過る。伊澄の頬を冷や汗が流れた。


「ぼさっとしてんな! どっちだ!」

「う、え? えっと、左側に行こうっ!!」


 ユカリの怒鳴り声に伊澄はハッと我に返った。

 彼女はまだ高校生だ。そんな子を差し置いて余裕を失っている自分に気づき、伊澄は苛立ったように前髪を掻いた。そしてすぐに気合を入れ直して先頭を走り始める。

 しかしまたしても、先回りしたように兵士たちがすぐに行く手を阻んでいた。まっすぐに進むつもりだったが伊澄はとっさに直前にあった三叉路を右に曲がっていく。


「さっきからテメェの勘外れまくってんじゃねぇかっ!!」

「しかたないだろっ! しょせん勘なんだからっ!」

「だからってわざわざ敵が待ってるトコ向かう必要ねぇだろうがっ!!」

「僕だって好きで向かってるわけじゃないってのっ!!」


 息を切らしながらもユカリに怒鳴り返す。

 すでに伊澄からは、導かれるような感覚は失われていた。逃げている途中までは、兵士たちと遭遇する気が全くしなかったが、今は逆に兵士たちと遭遇しないルートにたどり着ける気が微塵もしない。逃げる先逃げる先、その全てで兵士が待ち構えていそうだった。


「くっそ……! どうする、こんままじゃヤベェぞ……!」


 ユカリは走りながらも壁を叩いて苛立ちを発散。伊澄も似た心地だ。そして彼はすでに確信し始めていた。

 もう、逃げ場などない。このまま逃げても、やがてたどり着くのは袋小路か挟み撃ち。ロクな未来が待っていないだろう。何か、対策を打たなければと思うが、焦りで思考は空回りし、打開策など出てくる気配さえなかった。


「テメェ軍人なんだろうがっ! ならその身ぃ呈してか弱い一市民を守ってみせろやっ!!」

「誰がか弱いか、後で鏡貸してあげるから自分の顔眺めてみろよっ! それに僕は軍人じゃないってのっ!」

「はあっ!? 嘘つくならまともな嘘つけってっ!! ノイエ・ヴェルト乗りだって言ってたじゃねぇかっ!!」

「言ってないっ! 僕は技術者なのっ!! 乗る方じゃなくって作る方が専門っ!! 自慢じゃないけど白兵戦どころかケンカさえしたことないんだよっ!!」

「マジで自慢じゃねぇっ!? ふざけんなっ!! なら今は役立たずじゃねぇかっ!」

「ご理解いただけて光栄ですねぇっ!!」


 逃げながらも二人で言い争いを続ける。その間にも追いかけてくる兵士たちの数は増えていき、逃げ場を塞がれていった。


「っ……! コッチもダメかよっ……!」


 角を曲がった先に兵士の姿を認め、ユカリにも絶望感が広がっていく。後ろも右も、更に左にも兵士。疑いようもなく追い詰められていた。

 そんな彼女の腕を伊澄は掴んだ。そして唯一残された直進を選んで脚を必死に動かす。もうユカリと口論するような微かな精神的余裕さえ失くし、だがそれでも彼なりにユカリを守らなければという覚悟があった。

 同時に、伊澄からは元の世界へ戻るという考えは消えようとしていた。代わりに、如何に無事にユカリをここから逃がすか。最悪の場合、自分自身を身代わりにすることも脳裏に過る。

 捕まってもおそらく殺される事はないだろう。だが、その保証もない。それどころか殺されたほうがマシ、という帰結も考えられる。意思を奪われ逆らうこともできず、ただ駒として扱われる。

 殺されるのも、そんな扱いを受けるのも伊澄は御免だ。だが成人男性と未成年の少女。優先順位はハッキリしている。せめて、せめて彼女だけでも逃がさなければ。

 果たして、そんな伊澄の悲壮な決意に神が応えたか、二人の前に開いたままの扉があった。いかにもそこに入れと言わんばかりで不自然さに不安が過る。だが思考を巡らせている余裕はない。迷わず二人はその中に飛び込んだ。


「……っ、なんだ、ここっ?」


 その先には広大な空間が広がっていた。すでに深夜に差し掛かろうという頃合いであるのに、アチコチからけたたましい機械音が響き、それに混ざって整備員たちの怒鳴るような声が反響している。


「格納庫だっ、ノイエ・ヴェルトの!」

「こいつがノイエ・ヴェルト……」


 二人が入り込んだのは、ノイエ・ヴェルトの格納庫にあるキャットウォークだった。ノイエ・ヴェルトの頭部と同じくらいの高さであるそこからは全体が見渡すことができ、深夜にもかかわらず多くの作業員が仕事を行っていた。

 おそらくユカリは初めて生でノイエ・ヴェルトを見たのだろう。昼間に伊澄がそうだったように壮観なその光景に目を奪われ、口からは感嘆が漏れていた。二度目である伊澄も再びこの景色に心が吸い込まれそうだった。


「……っ、ユカリっ!」

「っ、そうだった! ドアを……!」


 だがそうもしていられない。背後から近づいてくる足音に伊澄はすぐに我に返ると、ユカリを呼び、開きっぱなしだったドアに戻る。開いた状態で固定していたドアストッパーを蹴り飛ばし、二人して左右から押し閉じていく。

 やがて、兵士たちの手が届く直前にドアは完全に閉まりきり、ピーッという電子音をさせて自動ロックされた。四角い窓には兵士たちの手や顔が次々に張り付き、忌々しげに何かを叫んでいた。


「はっ、ザマアねぇっ!! 何言ってんのか聞こえねぇなぁ~!」

「そんなこと言ってる場合じゃないっての!」


 中指を立ててあおるユカリ。だが伊澄はその腕を掴んでまた走り出した。

 細いキャットウォークを走り、急な階段を可能な限りの速度で降りていく。作業員たちが何事かと二人を見遣るが、そんな視線には一切の脇目を振らずノイエ・ヴェルトの方へ伊澄は向かった。


「どうするつもりなんだよっ!?」

「ノイエ・ヴェルトを奪って逃げるっ! もうそれしかないっ!!」


 逃げた先でここに辿り着いたのも何かの縁なのだろうか。昼間に乗った、自分たちの世界の物より遥かに洗練された機体を見上げ、乗り込めそうなものがないか見繕っていく。


「逃さんぞぉっ!!」

「うわぁっ!?」


 だが別の出入り口から入り込んできた兵士が行く手を阻んだ。小手に刻まれた魔法陣を伊澄たちに向け、それが光を放ったかと思うと拳大の火の玉が襲いかかってきた。二人は急停止し、悲鳴を上げながら転ぶようにしてそれを何とか避ける。

 直後に着弾の音と作業員たちの悲鳴。振り返れば床面は焼けて黒ずんでおり、漂ってくる焦げた自身の髪の臭いに伊澄は戦慄した。


「嘘だろ……」


 整備用部品が並ぶ棚の間に身を隠し、狂ったように血液を送り出す心臓を押さえた。

 正直、高をくくっていたと言わざるを得ない。聞いてはならないことを聞いて逃げ出したのだから、捕らえられたらタダでは済まないとは理解している。だがそれでも殺される事はないだろうと思っていた。しかし今の魔法の攻撃は、当たれば致命傷になりかねないものだった。


「馬鹿野郎っ!! ここは火気厳禁だろうがっ!!」

「そんな事言っている場合ではないっ! 酒飲むしか能がないドワーフの爺ィは黙っていろっ!」

「んだとぉ!? テメェらが乱暴に使うノイエ・ヴェルトの面倒誰が見てやってると思ってるっ!? 上等だ! 表に出ろっ! そのエリート面がずっと気に入らなかったんだ! 腐った根性叩きのめしてやる!」


 何やら兵士とずんぐりむっくりとした体型の作業員らしい白ひげの男が言い争いを始めている。その声は耳に入っているも理解するだけの余裕はない。急にリアルに感じ始めた死の恐怖によって震え、それでも親指を痛いくらいに強く噛んで伊澄は強引に抑え込んでいく。


「……なあ」ユカリは口論する彼らを伺いながら伊澄に声を掛けた。「ノイエ・ヴェルトで逃げるって言ったよな? アンタ、技術者って言ってたけどまともに操縦はできんのか? 脱出したはいいけど、ノイエ・ヴェルトごとケツの穴を増やされるのはゴメンだぜ?」

「……脱出さえできればなんとかなると思う。どっちかって言えば作る方より動かす方に自信が、その、あったんだけどね」


 エレクシアたちの話を聞いてなければ胸を張って大丈夫と言えた。だがクライヴが自分に花を持たせたと知ってしまった今では、自分の操縦技術がどこまで通用するのか分からなくなっていた。


「なんだよなんだよ、不安にさせるような返事すんなよ」

「ごめん……でも、なんとかしてみせる」

「……期待してるぜ、伊澄さんよ。ま、どのみちここまで来たらやるしかねぇしな」


 二人は揃って顔を出し、声の方を伺い見る。エルフの兵士とドワーフの作業員は互いに額を突き合わせてにらみ合い、一触即発といった様子だ。

 伊澄はそのまま視線を横に動かしてノイエ・ヴェルトへ。正面よりやや兵士側にある機体が、ちょうど搭乗用ワイヤーフックが下まで降りてきている。それに捕まることができれば、ひょっとすると機体に乗り込めるかもしれない。

 伊澄はそれを目標と定めると一度息を大きく吸った。チャンスは一度。失敗は許されない。プレッシャーに潰されそうになる自分を叱咤し、拳を握りしめて自分の大腿を叩く。そしてユカリに身振りで行動を伝え、タイミングを見計らうと意を決して息を殺したまま飛び出した。

 その時だった。



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